01.奈落
目が覚めた時、そこは奈落の底だった。
……冗談に聞こえるだろ? でも、冗談でも何でもないんだ。
真っ暗闇な場所にポツンと置かれた金属製の椅子。
その椅子に腰から下……。足の部分までをがんじがらめに鎖で縛り付けられている。
そんな俺は、遥かな高みにある天井から、ジリジリと肌を焼くような温度に感じるスポットライトの真っ白な光で情け容赦なく照らされていて……。
気がついた時から、ずっと肌と目を焼かれ続けている。
「ここは……」
そんなおかしな状況の中で、俺の目の前には一枚の板らしき物が突きつけられていた。
目の前。ほんの十センチ程度の距離に付きつけられているのは、トランプで言う所のJokerのカードなのだろうか?
その奇妙に大きな、それこそ両手で持たなきゃいけない程の大きさのカードらしき板状の何かを手に持ちながら立ってる奴が居て。そいつの細い指は、気持ち悪いほどに白くて綺麗な手袋に包まれていた。
そんなことをしてるヤツの様子までは、残念ながら目の前を板らしき物で遮られているせいで殆ど見ることができないで居たんだが……。そいつが手に持っているカードらしき板は、サイズもさることながら、やっぱり普通の既成品などではなかったのだろうと思う。
そこに描かれたピエロは何か芸をして周囲を楽しませている訳でもなく、ゆらゆらと揺れている巨大なボールの上で器用にバランスを取りながら腰掛けていて、ニヤニヤした顔で先ほどからパイプ煙草をくゆらせながら、こちらを眺めていたんだが……。
「目が覚めたようだね」
こいつぁ驚いた。カードの中のピエロが喋ったぞ。これは腹話術か何かなのか? それともコレはカードに見えるけど、実はタブレットか何かだったのか……?
そんな俺の困惑などお構いなしに、ピエロはペラペラと喋り続けていた。
「私の記憶が確かならば……。そう。君の名は確か……。チトセ。そうだ。チトセ、シンタロウだった。千年なんていう珍しい漢字の苗字だったから、よく覚えているよ」
今、おもいきり名前ド忘れてしてたじゃねぇか!
そう、力いっぱい突っ込めれば話は簡単だったのかもしれないんだが、こんな薄気味悪い状況の中で、そんな度胸のいる真似は、流石に出来なかった。
「とりあえず君のことはチトセとでも呼ばせて貰おうか。私のことは、そうだな……。十三とでも呼びたまえ」
サーティーン……。一三番目。ジョーカーならキングと重複する番号はちょっとおかしいのか? となると、縁起の悪い金曜日な方の13なのかもしれない? そんな俺の困惑など気にするはずもない相手は、そう簡単に自己紹介を終えると、一三と名乗ったピエロは、ひと仕事終わったとばかりにニタリと笑うと楽な姿勢を取ってみせると、懐から取り出した薄っぺらい皮手帳をペラペラとめくって見せていた。
「さてっと……。互いに自己紹介が終わった所で、そろそろ現状の確認から始めようか。君も、なぜ自分がこんな所に居て縛られているのか、訳が分からないだろうからね」
そう淡々と口にするピエロは“ぷふー!”と口にしていたパイプ煙草から紫色の煙を吐き出しながら、俺にニヤリと笑いかけていた。
「……昨夜の事だ。チトセ。君はいつものように自宅で、夜遅くまでインターネットを使って遊んでいたな。そんな時のことなんだが……。覚えているかね? 君は、とあるアングラ系の“裏系”を自称するろくでもない情報検索系のサイトにおいて、決して入力してはいけない言葉を……。禁断のキーワードを入力してしまったんだ」
ああ、何となくだけど覚えてる。あれは確か……。
「……え? な、なんだ、これ……」
確かに“何か”を調べていたって記憶は、おぼろげだけど、あるんだけど……。でも、肝心の“何”を調べていたのかを、全く思い出せない……?
「……ああ、そうか。すまない。今の君には“もう”思い出せないんだったな。……ん? 何のことかって? 私が何を言っているのか、今の君が分からなくても少しも変ではないので、ひとまずは安心したまえ。なぜなら、君が知ってはならなかった事柄の“記憶”は、こちらの方で消去させてもらったからだ。……複数の薬物と催眠暗示を併用した強力な記憶封印術だ。おそらくは一生涯、そのことを自然に思い出すことはあるまい」
おいおい、なんだよ、それ……。そもそも俺は何を調べてたんだ。
意味分かんないし、納得なんて出来るわけないだろ。
それに、そんなこと言われても安心なんて、これっぽっちも出来るわけないだろうが!
そんな俺の苦情にピエロはわざとらしく耳を塞いで「きこえんなぁ」とばかりにニヤニヤしていたんだけど、俺が睨みつけるのを続けていたら、やれやれ面倒だなって感じで、すっごくわざとらしい仕草でタメ息をついて見せやがった。
「そんなに知りたいのかね……? まあ、さわり程度なら教えやっても構わんのだろうが……。昨夜、君が調べていたのは、我々の運営している、とある秘密クラブに関する情報だ」
秘密クラブ……? な、なんだろう、この変な気持ち。ゾワゾワするっていうか、胸の奥の方がザワザワする……? 何にも思い出せないのに。それなのに、なんか、やけに気になるっていうか……? 妙にそわそわしてくるっていうか。
「ありえないと思うが、何か思い出したのかね?」
「いや……。でも、なんか、変な気分だ。叫び出したい気分っていうか……。すっごく落ち着かない感じがする」
これが俺が無理矢理忘れさせられた“何か”が実在していたって事の証明なのか……?
「果たして、執着なのか、執念なのか。……まあ、良いだろう。話を元に戻すとだな。君が、何処で我々の組織の事を嗅ぎつけたのかなど、こちらとしては知ったことではなかったし、特に知りたくもなかったのだ。それに誰が我々を裏切って組織の秘密を外部に漏らしたのかなど、いちいち調べ回るのも面倒だったし、処罰して回るのは、なおのこと面倒だった」
色んな意味で面倒臭かったから、綺麗さっぱり消して終わりとした。
そんな理由だったとしても、こんな事をした理由としては十分だったのか……?
「だから、消した……?」
「その通り。手っ取り早く、さくっと記憶を消してしまったのさ。……その後に、どんな後片付けが待っているのかは、言うまでもないだろう?」
そう嫌味ったらしく言うと、ピエロはニヤァと嫌な笑みを浮かべて見せていた。
「これで分かっただろう? チトセ。君は決して調べてはならない事を調べてしまったんだ。そんな愚かな行為の果てに待っているのは、厳罰と粛清の二文字だけだったということだな。……君は『好奇心は猫を殺す』という言葉を学校で習わなかったのかね?」
そりゃあ、知ってるけど……。でも、思い出せない事で責められてもなぁ……。
そう俺が不満気な顔をしているのが相手にもわかったのだろう。
仕方ないと言った風にピエロも表情を不愉快そうなものに変えていた。
「フン。……まあ、良いだろう。だがな、チトセ。君がアクセスしてしまったサイトは、普通ならちょっとやそっと検索したくらいでは見つかるはずがない場所なのだ。君は、そこに不正に入手したと思われるIDとパスワードを使ってアクセスしてしまっただけでなく、そこで入手した情報を手がかりにして、我々の組織の事をしつこいくらい延々とネット上で調べてくれたんだ。本当に無駄に、実にしつこく、ねちっこくね」
そんなことをしても無駄なのに、とでも言いたげに。ピエロは吐き捨てる。
「……我々が、そういった世界を監視していないとでも思っていたのかね? 君だって、それくらいは薄々と察していたはずだ。それなのに君は、知的好奇心だか義憤だか虚栄心だか知らないが、コッチから目を付けられる程にしっつこく、ねちっこ~っく、我々の事を調べ回ってしまった。……まっ、そのせいでに、こうして“私”に目を付けられた訳だがね」
ふぅ。ようやく説明が終わった。これで少しは自らの罪について理解できたか?
そう肩をすくめながら聞いてくるピエロからあえて視線を外して、俺は、ピエロの写っている巨大なカード状の板……。I◯adらしきタブレット(なんだろうな。多分)を突きつけてくるヤツに視線を向けていた。
「……」
そこには、無表情なままに俺のことをじーっと見下ろしている、もの凄い美人なんだけど、ひどく冷たい目をしている、まるで喪服みたいな真っ黒なスーツを着た若い日本人らしき黒髪の女しかいなくて。……ていうか、こええよ。
「……フム。よそ見は良くないな。それは上手くない選択だぞ、チトセ」
バチッ!
耳の奥で何かが弾けるような音がしたかと思うと、次の瞬間には椅子から強い衝撃が走って。まるで全身をぶん殴られたかと思ったのとほぼ同時に鼻の奥が焼けたような感覚と臭いを味わされていた。……な、なんだ、これ……。まさか……電気?
「君は我々に囚われているという自覚が足りないようだな。こういう時に、相手を小馬鹿にするような態度をとったりしたら、相応の報いを受ける物だぞ。特に、私は、自分の話を聞き流されたり、無視されたりするのが、大っ嫌いな性質なのでな。……それをしっかりと心に刻み込んでくれたなら、そろそろ真面目に私の話を聞いて貰おうか」
ぷっはーと、今度は緑色の煙を吐き出しながら笑うピエロに、俺は内心でクソッタレとだけ答える。今後は、お前の事なんかクソピエロって呼んでやる……! 覚えてろよ、このクソピエロ! 後でタブレットごと叩き割ってやるからな!
「よろしい。そうして、しっかりと私のことを注視し、今後も私から意識を逸らさず、私の口にする言葉にだけ耳を傾けておきたまえ。ここから先は君にとっては、とてもとても大事な話になるだろうからな」
そう、それで良い。やれば出来るじゃないか。そう言いたげな態度で言葉を続ける。
「私は二度も三度も同じ事は言わない。一度言ったら、それっきり。聞き逃したりしても、全て自己責任だ。だから、私の言葉を聞き逃さず、しっかりと記憶しておきたまえ。そして、十二分に理解した上で、良ぉく考えてから、私の問いに答えるのだな」
……ぜいぜい、後悔のない答えを導き出し、それを選択出来る様にな?
そうニタリと笑って口にするクソピエロに俺は何も答えず、睨みつけてやった。
「そう、それで良いのだ。チトセ。やれば出来るではないか。えてして、こういう場面において沈黙は金だからな。無能で浅慮、低脳で短気な愚か者ほどよく喋り、人の話を最後まで聞かないものだ。……果たして、君はどちらなのだろうなぁ?」
無言で睨み合う俺とクソピエロ。先に折れたのは相手の側だった。
「まあ、どっちでも良いか。それはおいおい分かる事だろうからな。……さぁてっと」
スタッと音を立てながら、クソピエロはボールの上から地面に降り立って。
「前置きはこれくらいにして、そろそろ本題に入ることにしようか」
良いも悪いもない。俺にはどうせ拒否権も何もないんだ。
「君はやってはいけない事をやってしまったがために、こうして“報い”を受けることになった。そこまでは分かったな? だが、何故だ……? なぜ、君はあれほどしつこく我々のことを探っていた? 特にしつこく『私』のことを探っていたのは何故だ? 何の目的のために? ……虚栄心か? それとも好奇心か? ……はたまた、性欲か何かか……? あるいは……単純に、金目的だったのだろうか?」
しつこい野郎だな。
だいたい、そんなの覚えている訳がないだろうが!
そもそも忘れちまったのだって、誰のせいだと思ってるんだ!
「あ~……。そういえば、もう思い出せないんだったなぁ。……ツマラン話しだ」
をい!
「ああ、そうだ! 良い機会だから、君にもチャンスをあげようか!」
ぽんと手を鳴らして。そんな何やら急に楽しそうに騒ぎ出したピエロの声を遮る声が……。
「十三様!」
そんな、楽しげなクソピエロをどこか切羽詰まった声で止めたのは、さっきまで俺のことを睨んでいた黒ずくめに白手袋の女だった。
「チカ君。邪魔をしないでくれたまえ」
「しかし……」
「君が、Aから命令を受けていて、その少年を私の毒牙から守ろうとしているのも分からないでもないのだが……。あまりに度を越して邪魔をされると、な?」
フッと笑った声と供に、何故だか周囲の温度が数度下がった気がした。
「なんというかね……。目障りなんだよ、チカ君。君も一度、私と遊んでみるかね?」
そんな首筋を舐めるかのような粘っこい上に脂っこい声で問われた女は、途端に顔を引きつらせながら一歩下がってしまっていたが、それでも必要以上に取り乱す事はなく。なんとか耐えて、その場に踏みとどまっていた。
「私には主の指示を守る義務がありますから……」
「そうかね」
残念だ。とても残念だよ、チカ君。君のことは大好きだったんだが。
そう心底残念そうにタメ息をつくピエロが、うつむいたままパチンと指を鳴らすと。
プシュー。
虹色の煙を吹き上げながら、俺の目の前に白い箱が地面から飛び出してくる。
その箱はおおよそ1メートル四方程度の大きさで“000”と三桁の数字が表示されているデジタル計が二つと、中央部分に大きな赤いボタンがあるのが印象的な箱だった。
「さて。チトセ」
「……なんだよ」
「君はここで、まず最初に選択しなければならない」
チカと呼ばれていた女が抱えている、クソピエロが写っているI○adみたいなタブレット……。たぶん、そのものではないのだろうけど、似たような感じの道具なのだろうから、今後もタブレットと呼ぶ事にするが、それを遺影のように両手で胸に抱えている。
そんな中から、クソピエロは小馬鹿にするような口調で、俺に問いかけてきていた。
「君が私の試練に挑むかね? それともチカ君に権利を譲るかね? ……選ばせてやるから、君の好きにするといい」
そう『さあ、どうする』とばかりに画面の中から俺に聞いてくるクソピエロ。
その問いの意味はなんとなく分かっても、真意の部分までは分からない。
……自分でやるか、他人に譲るか、か……。どうしたら良いんだ?
──十二分に理解した上で、良く考えてから、私の問いに答えるのだな。
さっき、クソピエロはよく考えて答えろとか言っていた。
だとすると、ここは即答はさけるべきってことなのだろうか?
ぶっちゃけ、どっちでも良いような気もするのだが……。
いや。違う。……考えるのを放棄するな。もっと考えろ。
後先考えない行動の結果、こうなっているということを良く覚えておくべきなんだ。
そう自戒を込めて自嘲すると、俺はしっかりと腰を落ち着けて考えてみる事にしたのだった。