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心が折れたので、森の小さな店で処方箋を作ります  作者: 九重有
第一章

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第8話 断ったあとの罪悪感





 朝の森は、昨日より少しだけ明るかった。

 明るいのに、落ち着かない。光が増えると、逃げ場が減る気がする。


 私は窓辺でカップを握っていた。

 握っているだけ。飲んでいない。熱いのに、口をつけるタイミングが分からない。


 足元でモコがころん、と転がった。


「きゅ」


 のんき。

 その音だけが、今日もここが安全だと教えてくる。


 アオは窓枠。外を見ている。尻尾が一度だけ揺れて止まった。


「紡」


 ルカの声が近い。


「昨日、眠れた?」


「……少しだけ」


「少し、って何時間」


「……四時間」


 言った瞬間、自分で笑いそうになってやめた。

 相川さんと同じ数字。私は私で、笑えない。


 ルカは怒らない。ただ、手元に湯を置く。


「今日は“増やさない日”にしよう」


「……抱えない日、の次は」


「増やさない日」


 ルカの語尾がやわらかい。


「紡の中の糸を、今日は増やさない」


 その言い方で、胸の奥が少し締まった。

 数えられている感じが怖い。


「……糸、増えてるんですか」


「増えてる」


 ルカは隠さない。


「だから、増やさない。……守る」


 守る、という言葉は優しいのに、重い。

 私は頷いた。頷くしかなかった。


 鈴が鳴った。


からん


 一回だけ。


 アオの尻尾が止まる。

 モコは止まらない。ころん、と転がって、ふわっと起き上がる。


 ルカが扉を開けた。


 入ってきたのは、若い女性だった。

 服は整っているのに、肩が落ちている。髪を耳にかける指が忙しい。視線が何度も床に落ちる。


「……すみません」


 第一声が謝罪。


 ルカがやわらかく返す。


「寒かったよね。入って。謝らなくていいよ」


「でも……私、なんか、変で」


「変でいい。座ろう」


 女性は椅子に座った。

 背もたれに触れない。膝の上で指を組んで、すぐほどく。その繰り返し。


 私はカップを置きながら聞いた。


「お名前、伺ってもいいですか」


「……春日です」


 苗字だけ。声が小さい。


「春日さん。今日は、何がいちばんつらいですか」


 春日さんは、言いかけて止まった。

 止まったあと、急に言った。


「昨日、断ったんです」


 直球だった。


「断った」


 私が繰り返す。


「はい。断ったのに……ずっと、胸がざわざわして」


 春日さんは自分の胸元を押さえた。


「私、悪いことしたのかなって」


 ルカがすぐ言う。語尾がやわらかい。


「断っただけで、悪い人にならないよ」


 春日さんは首を振る。強く。


「なるんです。……私は、なります」


 その言い切り方が、怖いほど本気だった。


 私は一歩踏み込む。


「春日さん。何を断えましたか」


 春日さんは目を伏せた。


「友達に、呼ばれて……本当は行きたくなかったのに、いつも行ってたんです。

 でも昨日は、行かないって言った」


 言葉が震える。


「そしたら、返事が短くて。……それだけで、嫌われたって思って」


 モコが、のんきに春日さんの足元へ行った。


「きゅ」


 春日さんがびくっとして、でも逃げない。


 モコは靴先に鼻を寄せて、満足すると床でころん、と転がった。

 無防備さが、春日さんの目を少しだけ柔らかくする。


「……かわいい」


 春日さんが小さく言う。


「かわいいです」


 私が言うと、ルカも頷いた。


「かわいいね」


 春日さんは少し息を吐いた。

 それだけで、ざわざわが一段下がる。


 私は聞く。


「春日さん。断ったあとのざわざわ、何て言ってきます?」


 春日さんは目を閉じた。


「……『わがまま』って」


 ルカが静かに言う。


「わがままって言われた?」


「言われてないです」


「でも、聞こえる」


 春日さんが頷く。


「聞こえるんです。昔から」


 私は言った。


「春日さんの中に、『怒る声』がいる」


 春日さんが肩をすくめた。


「います。……ずっと」


 ルカが続ける。


「春日さん。断った相手は、誰」


「友達」


「その友達は、春日さんが苦しいって知ってた?」


 春日さんは首を振った。


「言ってないです。言えない」


「言えないまま、ずっと行ってた」


 春日さんの目が潤む。


「はい」


 私は、ここで処方の形が見えた。

 断る練習の次は、断ったあとに戻ってくる罪悪感を“外に出す”処方。


 でも今日は“増やさない日”。

 一行だけ。行動も小さく。


 私は紙を取った。


「春日さん。一行だけ書きます。受け取ってもらえますか」


 春日さんが迷う。


「……受け取るって」


「効かせるって決めることです」


 私ははっきり言う。


「春日さんが決めた時だけ、効きます」


 春日さんは湯気を見た。

 そして小さく言った。


「……受け取ります」


 同意。


 私は見立てを言う。


「春日さんの罪悪感は、春日さんを守るふりをして、縛ってる」


 春日さんの目が揺れる。


「守るふり……」


「『断る=嫌われる』って思わせて、動けなくする」


 春日さんの唇が震える。


「……はい」


 私は一行を書く。


『罪悪感は、断った証拠。悪さの証拠じゃない』


 春日さんが紙を見つめる。

 読みながら、眉が少しずつ緩む。


「……証拠」


「うん」


 私は頷く。


「罪悪感が出たら、こう言ってください。声に出して」


 春日さんが困った顔をする。


「声に……」


「小さくでいい」


 私は言う。


「『これは、断った証拠』って」


 春日さんは少し迷って、唇を動かした。


「……これは、断った証拠」


 言えた。

 言えた瞬間、春日さんの肩が少し落ちる。


 ルカがやわらかく言う。


「うん。今の、すごく上手」


「上手とかじゃ……」


「上手だよ。自分を責める声に、別の言葉を置けた」


 春日さんは目を瞬いた。


「……別の言葉」


 ——発動。


 空気が変わる、じゃない。

 店の音が、少し戻る。カップが置かれる音が、ちゃんと聞こえる。


「……胸のざわざわが、少し引いた」


 春日さんが言った。言ってから、自分でも驚いたみたいに瞬く。


「一回だけでいいですか」


「一回だけで十分です」


 私は頷く。


「今日は一回、言えた。それで十分」


 春日さんは処方箋を大事そうに畳んだ。


「持って帰ります」


「はい」


 扉の前で春日さんは振り返った。


「……断ったのに、嫌われたくないって思うの、ずるいですか」


 私は首を振る。


「ずるくないです」


 ルカも言う。


「ずるくない。人は、嫌われたくない」


 春日さんは涙を拭いて、笑った。


「……また来てもいいですか」


「必要な時に来られるよ」


 ルカの語尾がやわらかい。


「春日さんは、来ていい」


 春日さんは頷いて、出ていった。


 鈴が鳴り、扉が閉まる。


 私は息を吐いた。

 胸の奥が、少しだけ締まっている。結び目の気配。けれど今日は浅い。


 ルカが私の手を見る。


「紡、冷えた?」


「……少しだけ」


「うん。今日はそこで止めよう」


 私はカップを包み直した。

 熱を確かめて、息を吐く。


 息が戻ると、罪悪感も戻ってくる。

 でも今日は、言葉がある。


 ――これは、断った証拠。悪さの証拠じゃない。

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