第5話
# 第5章:傷跡の露見
実家から帰った後、僕は何もする気になれなかった。
ソファに座り、ぼんやりとテレビを見る。
でも、画面に映る映像は、頭に入ってこない。
考えているのは、窓のことだ。
記憶の中で、男は玄関から入ってきた。
鍵は開いていた。わざわざ窓を壊す必要はなかった。
なのに、実際の現場では、窓が壊されていた。
これは、何を意味するのか?
偽装だ。
犯人は、外部からの侵入に見せかけるために、わざと窓を壊した。
つまり、男は最初から偽装工作まで計算していた。
計画的な犯行だった。
でも、それなら、なぜ記憶にはその部分がないんだ?
記憶は、殺害の瞬間だけを切り取ったものだったのか?
それとも、偽装工作は別の誰かがやったのか?
答えは、わからない。
僕は、ため息をつく。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。
そして、何より――
僕は、あの男を見つけられていない。
手がかりは、ほとんどない。
記憶屋も、これ以上は何も教えてくれない。
僕は、行き詰まっていた。
---
数日が過ぎた。
僕は、あまり外に出なくなった。
記憶屋にも行かなくなった。
ただ、部屋にこもり、ネットを漁り、あの男の手がかりを探す日々。
でも、何も見つからない。
彼女は、相変わらず毎日訪れてくれた。
食事を作り、掃除をし、僕の世話を焼いてくれる。
「ねえ、最近ずっと家にいるけど、大丈夫?」
彼女は、心配そうに聞いてくる。
「うん、大丈夫」
「顔色悪いよ。ちゃんと寝てる?」
「寝てる」
嘘だった。
ほとんど眠れていない。
眠ろうとすると、あの記憶が蘇る。
母の悲鳴。父の苦しむ顔。そして、左手の痛み。
夜中に何度も目が覚め、汗びっしょりになる。
彼女は、僕の嘘を見抜いているはずだ。
でも、何も言わない。
ただ、僕の隣に座り、手を握ってくれる。
「無理しないでね」
その言葉だけを残して、彼女は帰っていく。
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ある夜。
僕は、またあの記憶のことを考えていた。
左手の痛み。
あれは、何だったんだろう。
記憶再生で、痛みまで再現されることはある。
でも、あれほどリアルな痛みは、初めてだった。
まるで、本当に自分が傷を負ったかのような。
そして、傷の形。
三日月型。
父の爪が引っ掻いた、三日月型の傷。
もし、本当にそんな傷があるなら――
僕は、ふと考える。
彼女の左手。
あの包帯。そして、今は手袋。
彼女は、「包丁で指を切った」と言っていた。
でも、本当にそうなのか?
もし、あの下に、三日月型の傷があったら――
いや、考えすぎだ。
彼女が犯人なわけがない。
そう自分に言い聞かせる。
でも、疑念は消えない。
そして、その夜。
彼女が、僕の部屋に泊まることになった。
「今日、終電なくなっちゃった。泊まってもいい?」
彼女は、困ったように笑う。
「もちろん」
僕は頷く。
彼女は、シャワーを浴びて、僕の服を借りて、ベッドに入る。
「おやすみ」
彼女は、僕の隣で目を閉じる。
僕も、横になる。
でも、眠れない。
彼女の寝息が、静かに聞こえる。
規則正しい呼吸。
深い眠り。
僕は、彼女を見つめる。
月明かりが、窓から差し込んでいる。
彼女の顔が、薄く照らされている。
穏やかな寝顔。
そして、その左手。
手袋は、外されていた。
彼女は、寝る時は手袋を外すのか。
今まで、気づかなかった。
僕は、息を殺す。
彼女の左手を、見る。
でも、暗くてよく見えない。
僕は、ゆっくりと体を起こす。
ベッドがきしむ音がする。
彼女が、目を覚ますかもしれない。
でも、彼女は動かない。
僕は、スマートフォンを手に取る。
ライトをつけようとして、躊躇する。
これは、やってはいけないことだ。
彼女を疑っている。彼女のプライバシーを侵害しようとしている。
でも、僕は止められない。
知りたい。
真実を。
僕は、スマートフォンのライトを、最小限の明るさにして、彼女の左手に向ける。
薄い光が、彼女の手を照らす。
そして――
僕は、息を飲んだ。
彼女の左掌に、傷があった。
三日月型の、古い傷。
もう治りかけているが、まだ赤い線が残っている。
それは、記憶の中で見たものと、まったく同じ形をしていた。
僕の心臓が、激しく脈打つ。
これは、偶然なのか?
いや、偶然でこんな形になるわけがない。
三日月。
爪で引っ掻かれたような、鋭い曲線。
記憶の中で、父が男の左手を引っ掻いた。
そして、僕は痛みを感じた。
その傷が、彼女の手にある。
ということは――
あの男は、彼女だったのか?
記憶の中の、大柄な男。
あれは、偽装された姿だったのか?
本当は、彼女が、両親を殺したのか?
僕の手が、震える。
スマートフォンの光が、揺れる。
そして――
彼女の目が、開いた。
僕は、固まる。
彼女は、ぼんやりとした目で僕を見る。
「……どうしたの?」
眠そうな声。
僕は、何も言えない。
彼女は、僕の手を見る。
スマートフォンを持った手。
「眠れないの?」
「……ちょっと、トイレ」
僕は、なんとかそう答える。
「そっか。行っておいで」
彼女は、また目を閉じる。
僕は、ベッドから降りる。
足が、震えている。
トイレに入り、ドアを閉める。
鏡を見る。
顔が、真っ青だ。
僕は、両手で顔を覆う。
彼女の左手。
三日月型の傷。
記憶の中の、あの痛み。
これは、何を意味するんだ?
彼女が、あの男なのか?
いや、そんなはずがない。
でも、傷は確かにあった。
同じ形の傷が。
偶然なのか?
それとも――
僕は、混乱していた。
考えがまとまらない。
何が真実で、何が偶然なのか、わからない。
ただ、一つだけわかることがある。
僕は、もう平静ではいられない。
あの傷を見てしまった。
そして、それが記憶の中の傷と同じ形をしていた。
これは、ただの偶然なのか?
それとも――
僕は、トイレから出る。
ベッドに戻る。
彼女は、すやすやと眠っている。
何事もなかったかのように。
僕は、彼女の隣に横たわる。
でも、彼女に背を向ける。
眠れない。
もう、眠れない。
彼女の左手に残る、あの傷。
三日月型の傷。
それが、僕の脳裏に焼き付いて、離れなかった。
でも、まだわからない。
まだ、何もわからない。
これが何を意味するのか。
答えを出すには、もっと情報が必要だ。
僕は、明日、もう一度記憶屋に行こうと決めた。
店主なら、何か知っているかもしれない。
あの記憶が、どこから来たのか。
なぜ、僕に売られたのか。
その答えを、聞き出さなければ。




