表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】記憶の檻  作者: ドネルケバブ佐藤


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/12

第2章

# 第2章:記憶の注入


 帰り道、紙袋を抱えたまま、僕は早足で歩いた。


 すれ違う人々の視線が、やけに気になる。まるで、僕が何か悪いことをしているのがバレているような気がして、思わず紙袋を胸に抱き込む。


 でも、誰も僕を見ていない。

 みんな、自分のことで精一杯だ。


 僕はただの、どこにでもいる青年でしかない。


 アパートに着くと、郵便受けを確認する。

 チラシが数枚。それだけ。


 階段を上がり、部屋の鍵を開ける。

 ドアを閉め、チェーンをかける。


 ようやく、一人になれた。


 リビングに紙袋を置き、中身を取り出す。

 小さなバイアルと、注射器のようなデバイス。


 バイアルの中の液体は、今までのものとは違って、濃い赤色をしていた。まるで、血のように。


 僕は、それをデバイスにセットする。

 手が震える。興奮なのか、恐怖なのか、自分でもわからない。


 時計を見る。午後三時。

 彼女が来るのは、夕方だ。まだ時間はある。


 でも、急がなければ。

 今すぐ、この記憶を味わいたい。


 僕は自室へ向かい、カーテンを閉める。

 部屋が薄暗くなる。それだけで、少し落ち着いた。


 ベッドに横たわり、デバイスを右のこめかみに当てる。

 ひんやりとした感触。金属の冷たさが、肌に食い込む。


 心臓が、早鐘を打っている。

 怖い。でも、引き返せない。


 僕は、ボタンを押した。


---


 瞬間、視界が暗転した。


 真っ暗な闇の中に、僕は放り出される。

 浮遊感。それから、急激な落下。


 次の瞬間、僕は誰かの体の中にいた。


 いや、正確には「誰かの視界を、僕が覗いている」。


 これが、記憶再生。

 いつもの感覚だ。


 でも、今回は違う。

 没入感が、段違いだ。


 僕は、確かにその場所に立っている。

 空気の匂い、足裏の感触、耳に届く音。全てが、リアルだ。


 目の前には、玄関のドアがある。

 見覚えのあるドア。木製で、少し傷んでいる。


 ああ、そうだ。

 これは、実家のドアだ。


 僕の心臓が、跳ね上がる。


 まさか。

 いや、まさか。


 足が動く。僕の意思ではなく、記憶の持ち主の意思で。

 ドアノブに手をかける。


 大きな、ゴツゴツとした手。

 無骨な指。傷だらけの関節。


 これは、僕の手じゃない。


 ドアが開く。

 鍵は、かかっていなかった。


 玄関に入る。靴を脱がない。そのまま、廊下を進む。


 奥から、声が聞こえる。

 母の甲高い笑い声。父の低く抑揚のない返事。


 いつもの、あの音。


 僕の中で、憎しみが蘇る。

 ああ、そうだ。この声を、僕は心底嫌っていた。


 いや、違う。

 これは、僕の感情じゃない。記憶の持ち主の感情だ。


 でも、妙にシンクロする。

 まるで、僕自身の憎しみのように。


 廊下を進む。リビングのドアの前で、足が止まる。


 深呼吸。

 それから、ドアノブを掴む。


 ゆっくりと、ドアを開ける。


---


 リビングには、二人がいた。


 ソファに座る母。ワインを片手に、テレビを見ている。

 その隣には父。新聞を広げている。


 二人とも、こちらには気づいていない。


 僕の視界――いや、記憶の持ち主の視界が、ゆっくりと二人を捉える。


 母の白髪混じりの髪。父の疲れた背中。


 三年前の、あの日の二人だ。


 記憶の持ち主は、ポケットから何かを取り出す。

 紐のようなもの。細くて、丈夫そうな紐。


 そして、一歩、また一歩と、ソファに近づく。


 足音は、立てない。

 まるで、何度も練習したかのように、静かに。


 母が、ワインを口に運ぶ。

 父が、新聞のページをめくる。


 そして――


 記憶の持ち主は、一瞬で母の背後に回り込んだ。


 紐を、母の首に巻きつける。


 母の悲鳴。

 ワイングラスが手から滑り落ち、床に叩きつけられて砕ける。


 赤い液体が、床に広がる。

 ワインか、血か、区別がつかない。


 父が振り返る。

 その顔に浮かぶのは、驚愕。そして、恐怖。


「な、何を――」


 父の言葉は、途中で途切れる。


 記憶の持ち主は、容赦なく母の首を絞め続ける。

 母の手が、必死に紐を引き剥がそうとする。でも、力が足りない。


 母の顔が、紫に染まっていく。

 目が見開かれ、白目を剥く。


 やがて、母の手が力なく垂れ下がる。


 記憶の持ち主は、母の体をソファに放り投げる。

 そして、父に視線を向ける。


 父は、逃げようとした。

 立ち上がり、リビングのドアへ向かう。


 でも、記憶の持ち主は、速い。


 一瞬で父に追いつき、背後から紐を首に巻きつける。


 父は抵抗する。

 母よりも力がある。必死に暴れ、後ろを向こうとする。


 そして、父の爪が、記憶の持ち主の左手を引っ掻いた。


 その瞬間――


 僕の左掌に、焼けるような痛みが走った。


 熱い。

 痛い。

 鋭い。


 鉄の匂い。血の匂い。


 僕は、記憶の中にいるのに、確かにその痛みを感じていた。


 これは、何だ?

 なぜ、僕が痛みを感じるんだ?


 混乱する間もなく、記憶は続く。


 父の抵抗も、やがて弱まる。

 首を絞められ、酸素を奪われ、やがて動かなくなる。


 記憶の持ち主は、父の体を床に落とす。

 ドスン、と鈍い音。


 それから、静寂。


 リビングには、二つの死体だけが残る。


 記憶の持ち主は、静かに息を吐く。

 仕事を終えた、とでも言いたげに。


 そして、左手を見る。


 傷ができている。

 父の爪が引っ掻いた、三日月型の傷。


 血が、滲んでいる。


 記憶の持ち主は、それを無表情に見つめる。

 痛みを感じているのか、いないのか、わからない。


 ただ、淡々と、その傷を見ているだけ。


 そして――


 記憶の持ち主は、リビングを出た。


 廊下を歩き、玄関へ向かう。

 ドアを開け、外へ出る。


 夜の闇に、消えていく。


---


 視界が、途切れた。


 僕は、ベッドの上で、荒い息をついていた。


 全身が汗でびっしょりだ。

 シーツが、湿っている。


 心臓が、まだ激しく脈打っている。


 そして、左手が、痛い。


 僕は、左手を見る。

 そこには、何もない。傷も、血も、何もない。


 でも、痛みだけは、確かに残っている。


 焼けるような、鋭い痛み。


 僕は、自分の左掌を撫でる。

 何もない。でも、痛い。


 これは、何だ?


 そして、僕の中に、別の感情が湧き上がってくる。


 カタルシス。


 ああ、終わった。

 ああ、これでよかった。


 あの男が、母を殺した。父を殺した。

 僕の代わりに。


 僕は、それを見て、満足していた。


 醜い。最低だ。

 でも、本当だ。


 僕は、両親が死ぬのを見て、喜んでいる。


 自分が最低な人間だと、わかっている。

 でも、止められない。


 僕は、ベッドに横たわったまま、天井を見つめる。


 記憶は、終わった。

 でも、余韻が残っている。


 あの男は、誰だ?

 なぜ、両親を殺したんだ?


 そして、なぜ、僕はあの男の痛みを感じたんだ?


 答えは、わからない。


 ただ、一つだけわかることがある。


 僕は、この記憶を買ってよかった。


 そう思っている自分が、怖かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ