第10章
# 第10章:責任の所在
僕は、何も言えなかった。
彼女の言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。
「殺してくれ」
僕が、そう言った。
「記憶を消してくれ」
僕が、そう頼んだ。
本当に?
本当に、僕はそんなことを言ったのか?
記憶がない。
何も、覚えていない。
でも、彼女は嘘をついているようには見えない。
その目は、真剣だった。
その声は、確信に満ちていた。
「信じられない……」
僕は、ようやく声を絞り出す。
「僕が、そんなことを……」
「信じられないのも、わかるわ」
彼女は、僕の肩に手を置いたまま、静かに言う。
「だって、あなたは覚えていないんだもの」
「なぜ……なぜ、記憶がないんだ?」
「それは、あなたが望んだからよ」
彼女は、立ち上がる。
そして、窓辺へ歩く。
「あの夜、両親が死んだ後、あなたは完全に壊れた」
彼女は、外を見つめる。
「自分が言ったことなのに、現実になったら、受け入れられなかった」
彼女の声は、静かだ。
でも、その静けさが、余計に怖い。
「あなたは、床に座り込んで、ずっと震えていた。『どうしよう』『どうしよう』って、繰り返していた」
僕は、その光景を想像しようとする。
でも、何も浮かんでこない。
まるで、他人の話を聞いているようだ。
「私は、現場を片付けた。窓を壊して、物を散乱させて、証拠を消した」
彼女は、振り返る。
「その間、あなたはずっと震えていた。何も手伝わなかった。ただ、怯えていた」
彼女は、僕に近づく。
「全部終わった後、あなたは私に縋り付いてきた」
彼女は、僕の目の前にしゃがみ込む。
「『怖い。怖い。これが現実だなんて信じられない』って」
彼女の手が、僕の頬に触れる。
「『忘れたい。何もかも忘れたい。記憶を消してくれ』って」
僕は、彼女の目を見つめる。
その目には、悲しみがあった。
「私は、悩んだわ」
彼女は、立ち上がる。
「記憶を消すなんて、危険なこと。でも、あなたがあまりにも苦しそうで……」
彼女は、リビングを歩き回る。
「私は、知り合いを頼った。裏社会に詳しい人間。記憶を操作できる技術者を、紹介してもらった」
僕は、息を飲む。
「記憶屋……」
「そう。あの店の店主よ」
彼女は、頷く。
「彼は、記憶の消去ができた。でも、完全に消すことはできない、と言った」
彼女は、僕を見る。
「記憶は、脳の奥深くに残る。完全に消去すると、人格が崩壊する危険がある。だから、『上書き』するしかない、と」
「上書き……」
「ええ。あなたの記憶を、別の記憶で覆い隠す。そうすれば、元の記憶には辿り着けなくなる」
彼女は、ソファに座る。
「でも、それでも完全じゃない。何かのきっかけで、元の記憶が蘇る可能性がある」
彼女は、テーブルの上に視線を落とす。
「だから、店主は提案した。『少しずつ、真実を思い出させる方法がある』と」
「それが……あの記憶?」
「そう」
彼女は、頷く。
「あなた専用の記憶。あなたの記憶を元に、加工した記憶」
彼女は、左手を見る。
「姿は男に変えた。でも、感覚――特に痛みは、そのまま残した」
「なぜ?」
「あなたに、少しずつ気づいてほしかったから」
彼女は、僕を見る。
「いきなり真実を突きつけたら、あなたはまた壊れる。だから、段階を踏んで、真実に辿り着けるように」
彼女は、微笑む。
でも、その笑顔は、どこか悲しい。
「記憶屋に通い始めたあなたを見て、私はチャンスだと思った」
「チャンス……」
「あなたが、他人の記憶を求めているなら、その中に『真実』を紛れ込ませればいい」
彼女は、立ち上がる。
「だから、店主に頼んだ。あなたがいつか、必ずあの記憶を買うように、高額に設定して、特別扱いして」
彼女は、僕に近づく。
「そして、あなたは買った。見事に、私の計画通りに」
僕は、震える。
全てが、仕組まれていた。
記憶屋も。
あの記憶も。
全て、彼女の計画だった。
「なぜ……」
僕は、声を震わせる。
「なぜ、そんなことを? 僕が忘れたままでいれば、君は安全だったのに」
「安全?」
彼女は、首を傾げる。
「私は、安全なんて求めていなかった」
「じゃあ、何を?」
「あなたよ」
彼女は、僕の両手を取る。
「私は、あなたが欲しかった。本当のあなたが」
彼女の目が、僕を捉える。
「記憶を失ったあなたは、空っぽだった。何も覚えていない。何も感じない。ただ、私に依存しているだけ」
彼女の声が、震える。
「それは、あなたじゃなかった」
彼女は、涙を流す。
「私は、本当のあなたと向き合いたかった。真実を知ったあなたと、話がしたかった」
彼女は、僕の手を強く握る。
「あなたは、私に殺人を依頼した。そして、私はそれを実行した」
彼女の声が、部屋に響く。
「でも、あなたは怖くなって逃げた。記憶を消して、全部忘れて、被害者のフリをした」
彼女の目から、涙が止まらない。
でも、その顔には、笑みが浮かんでいる。
「私だけが、全部背負った。罪も、記憶も、全部」
彼女は、僕の顔に自分の額を押し付ける。
「私は、あなたの罪を被って、怪物になった」
彼女の声が、囁きになる。
「記憶を消して逃げたあなたを、ずっと待っていた」




