13歳-17-
「まさかドーズを破るか。重ね重ね、信じられない。本当に『あの』ルナリア・ゼー・トルスギットと同一人物なのか……」
可笑しそうに私を見下ろすと、次にギルネリット先生を見る。
「ギル。……済まなかったね。これからの人生は、悪い女狐に騙されないように」
「姫様、私は……。そんな……」
「諸々、積もる話もあるが……まずルナリア。
少し話をする余力はあるか? それとも、とっとと殺すか?」
「……殺す気なんてありません」
「こっちは殺す気だったのにか?
まあ、いずれにしても中庭に移ろう。話すにしても殺すにしても、中庭の方が都合が良いだろう。他の者は済まないが、外して欲しい」
そう言うと、リーゼァンナ王女殿下はスタスタと足早に歩き、倒れたドーズ先生の横を通る。
彼の息だけ確認すると、そのまま奥にあるドアまで進んでいった。
「ショコラ、皆、ごめんなさい。王女殿下と二人きりで話をさせて」
「大丈夫か?」
「戦闘能力はないし、危険はないわ」
リーゼァンナ王女が魔法を使えないのは有名で、前生の私と同じ魔法の無能者なのだ。
心配そうにこちらを見ていたギルネリット先生を見上げる。
「もちろん殺す気なんてありません。ご安心を」
「……いえ、殺す気だとしても、文句なんて言えません。それでも、ありがとうございます」
ギルネリット先生は深々と頭を下げた。
私は殿下が通ったルートをなぞるように後を追う。
殿下はちらりと私を振り返ると、閂を外して扉を開き、奥へ消えていった。
ドーズ先生の近くを通るとき、私も彼の顔を覗き込む……
と、丁度そこで彼が大きく咳き込んだ。私の体がビクッてなる。
荒い息で胸元を押さえながら、ゆっくりと体を起こした。
シャツは胸元が盛大に破れて血を流し、引き絞られた胸筋から腹筋の上半分を覗かせている。
膝立ちになって私を睨み付けてきた。
「……行かせん。殺させん、あの子は……」
苦しそうに譫言のように言って、ドーズ先生は手探りでシミターを取る。
「先生。約束します。殺しなどいたしません」
彼の目を真っ直ぐ見返した。
「信じ、られるか。……殺そうとしてきた相手を、殺さないなど……」
ふらふらと立ち上がり、震える腕でシミターを構える。
「ドーズさん、私達は負けたんです。もう……」
「黙れ、裏切り者。俺は諦めんぞ。あの子が幸せにならねば、俺ごときが生き永らえた意味もない……!」
ボロボロで、ふらふらで、傷だらけ。
闘神気も出せなくなって……それでも眼光は鋭く、彼の闘争心は収まらない。
「だから、殺したりしないって言ってるじゃないですか。分からず屋なんだから」
「分かるわけない。君が、あの子を恨まぬはずないだろう……」
「でも殺したりしたら、ドーズ先生は私に教えてくれなくなっちゃうじゃないですか」
ドーズ先生の目つきが、敵意のそれから、意外なそれに変化した。
「先生から教わりたいことは、まだまだいっぱいあるんですから」
にっこりと笑い返して見せる。
笑顔の裏を見極めようとしているのか、ドーズ先生は黙って私を見つめ返していた。
――お父様だったら、この笑顔で一発KOならぬ、一発OKなんだけど。ドーズ先生は流石にそんなに甘くないらしい。
「ドーズさん。これ以上の説得力、ありませんよ」
ギルネリット先生が私の真後ろに来て援護してくれた。
「ルナリアさんが姫様を殺すだなんて、本気で思ってるわけでもないでしょう? もしその気なら、私もドーズさんも、今頃生きていませんよ」
ぜーはー、と聞いてるこっちが心配になる呼吸しながら、ドーズ先生はジッと私から目を逸らさない。
「本当に、お話しするだけです。
……私は、王女殿下がこんなことをした原因に心当たりがあります。そこを問わせていただきたいだけです。
そしてその話は、皆がいるところではできないんです。
一番の目的のシウラディアは取り戻せましたし、これ以上の暴力を振るう気はありません。どうか、信じてください」
そこで、ドーズ先生の体が傾ぐ。シミターを杖代わりにして、再び膝を付いた。
呼吸はさらに荒くなり、明らかに立ってるだけで無理をしている。
「……土台、この体では、止めるなど、無理、か……」
――というか三万近い攻撃力を受けて、一度でも立って喋れる方が異常ですけどね。
闘神気で防がれたとはいえ、ほぼ直撃したはずなのに。
「……ギル、俺の上着を」
言って、ドーズ先生は最初に脱ぎ捨てた背広を指さす。
「この時間、中庭は、冷える……。俺のなら、下まで隠せるだろう」
言われて、改めて自分の服に目を落とした。
スカートはズタズタ、キュロットも穴だらけ、ブラウスは左半分が吹き飛んで、キャミソールは右肩の紐が千切れている。……いろいろとギリギリだった。
「すみません、気が回らなくて……。ちょっと待っててくださいね」
ギルネリット先生が小走りで去って行く。
「……殺す殺さないの話しながら、脚出てるな、とか思ってたんですか?」
気付いたらちょっと恥ずかしくなって、手で隠した。ほとんど隠れてくれないけど。
「……たまたま、目に付いただけだ」
「あんまりこっち見ないでください」
「……三年は経ってから、出直してこい」
「うわあ、女子に一番言っちゃダメなことを。殺されかけたことより、その発言が許せませんけど?」
「気を使ってやったのに、面倒くせえな……」
「あはは、冗談ですよ。怒らないでください」
「……誰の、せいだ……」
戻ってきたギルネリット先生から背広を受け取って、上から着る。
ぶかぶかの背広をめいっぱい体の前で閉じた。
「……風邪、引くなよ」
「ありがとうございます。お借りします」
小さく礼をして、私は小走りで中庭に向かう。
「ドーズさん!」
ギルネリット先生の声で一度振り返ると、ドーズ先生はうつ伏せに倒れていた。
心配は心配だけど、治癒魔法を発動したギルネリット先生に任せて、中庭の扉に手をかける。
†
中庭に出る。
リーゼァンナ王女殿下は、夕暮れの空を見上げていた。
「美しい夕日だ。処刑にはうってつけだな」
「……勝負は付いたんです。死ぬだの殺すだの、もうやめましょうよ」
そう答えると、殿下は視線を下げて、私に振り向いた。
「おや、可愛らしい。憧れのドーズ先生の上着がそんなに欲しかったのか?」
ぶかぶかな背広の私の膝まで届き、指先もすっぽり覆ってなお余りある。
「んなわけないです。先生が起きて、色々あって最終的に羽織っていけ、ってくれたんです。
というか、聞こえてましたよね? 途中扉開けてたの見えてましたよ」
「なんだ、つまらん」
「……意外と俗っぽいんですね、殿下」
「実はそうなんだよ。君の友人からはザコ呼ばわりされたしな」
隣に並んで、私も空を見上げた。
目が痛いくらいに鮮やかなオレンジ色。
「ルナリア。君は、回生者だな?」
盗み聞きに配慮してか、殿下は小声で尋ねてきた。
「はい。……殿下も?」
「ああ。一兆一人目のニアピン賞だとさ。舐めた神様だ」
「私は丁度一兆人目、と書いてました。ということは、私達ほぼ同時に命を落としたんですね」
「そういうことらしいな」
どちらからともなく視線を交わす。
「なぜ、シウラディアを聖女から引きずり下ろした」
「引きずり下ろしたわけではなく、ロマを助けたかっただけです。その分、シウラディアは私が幸せにすると決めました」
「ならガウストはどうなる?」
「どうなる……と言いますと?」
「シウラディアが聖女にならねば、あと一年もせず死んでしまう」
その言葉に、ハッとする。
「私はいい。どうせ近く死ぬ身だ。だがガウストだけは……助けてやりたい」
つまり、私とロマを殺そうとした理由は……
「……ガウスト殿下を、助けるためだったんですか?」
「まあね。これでも、あの子の姉なんだから」
(……どうして、気付かなかったんだろう)
歴史が逸れたら、ガウスト殿下が助かる保証もない。
だからリーゼァンナ殿下は、歴史を戻そうとしたんだ。
――私がレナを命がけで守ったように。
この方はガウスト殿下を、なにがなんでも守ろうとしただけ。
たとえ部下に人殺しを強いても。自分が報復を受けたとしても。
「……申し訳ございません。私、ロマやシウラディアのことばっかりで、ガウスト殿下のこと一瞬たりとも考えたことありませんでした」
「ははっ、正直に言うじゃないか」
リーゼァンナ殿下は笑ってくれた。
「前生での仕打ちがまだ尾を引いてるのかな?」
「そう……なのかもしれません。自分が悪かったと、頭では分かってるんですが」
「てっきり母上が反対してるからかと思っていたが、そういうことか」
「むしろ利用させてもらっています」
「だから、ガウストは見殺しにするか?」
「とんでもありません!
殿下。悪魔の襲撃で甚大な被害を被った理由は、聖女が不在だったからです。
でも、今はロマが居ます。それに、私も一部ですが極聖魔法が使えます。なのでガウスト殿下に危険が迫る前に、なんとしても私達が駆逐して見せます!」
「……なるほど。確かに言われてみれば、その通りかもしれないな」
そこで、殿下は顔だけでなく、体ごと私に向き直る。
「まあ、ドーズが負けた今、私はお前を信じるしかない。
……ガウストを、頼むよ」
「はい。ガウスト殿下も、それ以外の方々も、とにかく被害最小限に食い止めてみませす」
「ガウストが助かるなら未練も無い。
さあ、早いところ殺すといい。もたもたしてるとドーズやギルネリットが止めに来るかもしれん」
「だから、そういうのはもう良いです」
「私の気が変わって、また君を殺しに掛かるかもしれんぞ?」
「その時はその時です。またドーズ先生を倒すだけですよ」
「ドーズがさらに強くなっていたらどうする?」
「私がそれより強くなっておくだけです」
言ってから、思わず笑ってしまった。
――喉元過ぎれば熱さを忘れる、なんていうけど。
ドーズ先生の言うとおり、戦闘狂の素質あるな、と思っちゃった。
「なぜだ? 王族殺しの罪に問われるからか?」
「だーかーらー、もうそんなのどうでも良いですよ。全部許します」
「……なに……?」
理解できない物体を見つけたような目で、王女殿下は私を見下ろす。
「上の子が下の子のためにしたことなんですから。全部無かったことにします。恩に着せる気もありません」
「自分で言うのもなんだが、それで済むことではないだろう」
「済みます。シウラディアや他の子にも被害らしい被害ないですし。むしろ、今回の件で私とシウラディアの仲が深まったまである。それでいいんですよ」
「…………」
殿下はまじまじと私の頭の先から爪先までを見渡す。
見渡されても私の思考が理解できるとは思えないけど。
「でも、昔教わりました。上の子が下の子のために犠牲になろうとするなら、親は怒るって。子供側が無理することじゃない、もっと周りを頼りなさい、って。
その時、その方は『自分は貴女達の親じゃないから怒らない』と仰いました。
けれど、回生が理由なら、殿下の親すら殿下を怒れないでしょう。
だから、私が怒ります。弟の命を一人で背負い込んだ、貴女を」
「……なんだ、おしりぺんぺんでもされるのか?」
「体罰まではしませんけど。ダメなことはダメだよ、って教えるまでです」
私は彼女を見上げ、にっこりと笑って見せた。
「まあ、今回は仕方ありません。けど、こうして知り合えたわけですから。今後、回生関係で困ったら、すぐに私を頼ること。約束してくださいね」
殿下はしばし目を白黒させたあと、どこか観念したように息を吐く。
「分かったよ。……ありがとう」
無表情に近いけれど、どこか穏やかに殿下は微笑んだ。




