13歳-15-
地図を頼りに、王女の屋敷に辿り着く。
確かに大きな屋敷だけれど、王族が住むにはかなり控えめ。
門は閉じているものの、見張りの姿は見えない。
「ここか」
「ええ、そうみたい」
魔力の足場を階段状に作って、それを飛び移りながら塀の上に昇る。
一方ショコラは、助走を付けて一気に塀を駆け上った。
垂直の壁を足だけで昇り、最後に塀の縁に手をかけ、軽々と私の隣に立つ。
……相変わらずとんでもない身体能力。
そこから前庭を見渡すが、やはり警備の姿は見当たらない。
――ただ一人、噴水の前に女性が立っているだけ。
距離は遠いし、いつもと違うメイド服だけど、間違いない。ギルネリット先生だ。
私とショコラは塀から降りて、彼女の方へ向かう。
「……門、押せば簡単に開きましたのに」
そう言って、ギルネリット先生は苦笑した。
「ずいぶん警備が甘いんですね」
言いながら、ガンガルフォンに手をかける。
「今は私とドーズさんが居ますから。……無駄な頭数は、むしろ邪魔なので」
「……なるほどです」
説得力がとんでもない。
「ルナ、先行け。コイツは俺が引き受ける」
ショコラは戦爪を展開した。
「シウラディアさんは今、二階に居ますよ。……余計なことしないように、眠ってもらっています」
――どうしよう。
ショコラの言うとおり、シウラディアの救出を最優先したい。
けど、この二対一の有利状況を崩して良いのか……
「二人とも時間を稼がれてる間に、シウラディアに何かされるかもしれねえだろ。この前みたいな洗脳とか。
ただでさえここに来るまで時間使っちまってる。良いから急げ」
――確かに。
ここは戦闘の師匠に従うとしよう。
「……分かった。ここ任せるね」
「おう」
ぶっきらぼうに返事をするショコラは、もう私を見ていない。
ただ目の前の敵に、最大限の警戒を。
「どうぞ。玄関は開いてますよ」
ギルネリット先生もこちらを見ず、ショコラに正対する。
足の補助魔法を強め、一気に三歩で玄関まで到達。
不意打ちや罠などもなく、そのままピロティ下まで入り込んだ。
高さ2メートル、幅1.5メートルくらいの大きな両開きの扉。
両手で押すと、案外すんなりと動いた。
蝶番がギィギィと音を立てて、少しずつ開いていく。
そこで、背後から地面をえぐる振動と、炎が打ち放たれる音がした。
私は振り返りたい欲求を抑えて、周囲を警戒しながら屋敷の中へと進んだ。
中に入ると、広大な玄関ホールが目に飛び込んできた。
入り口から真っ直ぐに伸びる赤いカーペット。
正面には大階段。踊り場を経て、左右に階段が伸びている。
その大階段の踊り場。壁に立てかけられた大きな風景画の麓に、長身の人影。
似合わないスーツを着た男の傍らには、鞘に入ったシミターが立てかけてある。
何かを言おうとしたドーズ先生は一度口を開き……、けれどすぐに思い直した様子で、
「……言葉は不要か」
それだけ呟いて背広のボタンを外した。
脱いだ背広を放り捨て、シミターを取る。階段を降りながら、ネクタイを解きはじめた。
「見損ないました。貴方を尊敬していたのに……」
胸の奥から湧き出る言葉。
自分でも少し驚きながら、それでも右手をガンガルフォンの柄に伸ばした。
「勝手に尊敬して勝手に幻滅していろ。俺は生まれてこの方、こういう人間だ」
ドーズ先生がシャツの第一ボタンを外す頃、丁度階段を降りきった。
「そこを通してください。……じゃなくて、通せ」
ガシャンッ、とガンガルフォンを鞘から抜く。
「君こそ、回れ右して淑女らしく生きろ」
「あいにく、私の思う淑女は悪に屈しないので」
「……それはおてんばと言うんだ」
こんな時までいつもの掛け合いみたいになるのが、……少し嬉しくて、とても嫌だ。
ドーズ先生の呼気。
直後、金色のオーラを纏う。
良く見ると極聖とは少し色味が違った。極聖を黄金とするなら、闘神気は輝く山吹色といったところ。
私もエンチャント。
――格上相手の戦法なんて、いつだって変わらない。
今回は9000の防御力相手に、13000のHPを削り切らないといけない。
12000の攻撃力を防ぎつつ、それを強化したりする戦技をいなしながら。
考えれば考えるほど、絶望的すぎて笑えてくる。
けど、昼間のような恐怖は自然と感じていない。
慣れたのか麻痺したのか分からないけど、それよりもシウラディアを失う方がよっぽど怖い。
――……裏切られたと分かった瞬間から、今みたいなメンタルになってくれれたら良かったのに。
まあ、仕方ない。
助けるのが間に合ってくれるなら、それでいい。
重ね続けた魔力の層が剣身に圧縮。擦れ合い、反発し合って稲妻を生み出す。
高圧すぎる魔力に、周囲の空気が燃えて真空になった結果、炎が生まれて小さな竜巻がガンガルフォンに渦巻く。
=============
・右手装備 ガンガルフォン+306
・左手装備 (同右手)
・物理攻撃力 31073
・物理防御力 301
・魔法攻撃力 33427
・魔法防御力 404
・魔力神経負荷 102%
=============
――そっちが究極の戦技なら、こっちは究極の魔法剣よ。
これが今同時に重ね掛けできるエンチャントの、ありったけ。
防御系の戦技を加味しても、数値的には充分なはず。
――なんとか、一度でもこれを当てることができれば……
ドーズ先生がシミターを抜剣。
鞘を放り捨てて。
地面に落ちる音を合図に、一対一の戦争が始まった。
†
~~【幕間】ショコラ~~
「……ルナリアさんが行ってくれて良かった」
炎弾や雷幕が張り巡る中、ギルネリットの声がやけに鮮明に聞こえた。
「亜人なら、焼き殺そうが感電死させようが、気にならないもの」
そう言って、ギルネリットは大きな火球を生成する。
(いやいや……)
その顔を見て、ショコラは呆れてしまった。
「とてもじゃないが、気になってない顔には見えねーな」
そう言われて、ギルネリットの表情は強張る。
「疑問だったんだよ。なんでシウラディアを攫うとき、ドーズと一緒にアンタが居なかったか。
ドーズが裏切りを警戒して置いていったんじゃねーの?」
放たれた魔法を簡単に避け、戦技で打ち消しながら、ショコラは冷静に分析する。
「無理すんなセンセー。アンタみたいなお人好しが慣れない言葉使うと、こっちの歯が浮くんだよ」
獣人の男家庭生まれ、胎児の頃から汚い言葉で育てられたショコラからすれば、それが自然に出たかどうかすぐ分かる。
(……それでも昔だったら、売り言葉に買い言葉、『そっちこそズタズタに斬り殺してやる』とか言って特攻してただろうな)
今、冷静に『この人がそんなこと言うわけない』と思える自分が少しだけ可笑しいし、誇らしい。
――自分を変えてくれた、最愛の人の顔が思い浮かぶから。
「……黙りなさい」
ギルネリットが再度、火球を放つ。
「煽り耐性皆無かよ。まあ、センセー育ち良さそうだしな」
「うるさい!」
次々に放たれる魔法を、ショコラは軽々いなす。
ここには広大なスペースがある。回避自体はたやすい。
……とはいえ、攻め入る隙が見当たらないのも事実だけれど。
「……貴女に何が分かるのよ。何が……」
「あー、そういうの良いから。人間の女特有の、一方的に理解を強要するヤツ」
魔法だけでなく、言葉も軽くあしらうショコラである。
「何も分かるわけねーだろ。子供攫って、利用して、挙げ句殺そうとする奴らの考えなんて、分かりたくもねえ。
テメエの親玉はクズで、アンタはその片棒担いだ使いっ走り。それ以上でも以下でもねえよ」
「……違う、あの方は、あの方は……」
――そう言いつつ、内心では否定できないのか。
ギルネリットの攻勢と口勢は、目に見えて静かになってきた。
「ドーズの方は理由なんて知らなくても、主の命令ってだけでルナを殺そうとしたらしいじゃねえか。
違うってんなら、うじうじしてねえでそんくらいの気概見せろよ」
「…………」
ギルネリットは一度、強く食いしばる。
……と、ゆっくりその力を緩めていった。
「……分かってるわ。割り切れてないのも、姫様を信じ切れてないのも……」
「信じられねえ主人なら見限りゃ良いのに」
「そんなわけにいかない。……私はあの方に、命を救われたのに」
「たかが命救われた程度、見限らねえ理由にならねえな」
「……たかが……?」
――まるで隙だらけなのに、なぜだろう。
ショコラは、ここで攻撃を仕掛ける気にならなかった。
それよりも、言いたいことの方が多い。
「俺は迷わない、って断言できる。
……ってより、迷う余地をくれねえ、ってだけだけど。
なんせうちのご主人様と来たら、『自分の指示を全部好きになれ』とか命令してきやがる」
言って、ショコラは笑った。
そんな自分に、ショコラ自身も驚く。
――敵の前で笑うなんて、以前だったら考えられなかった。
けれど、ショコラはそんな自分に委ねることにした。
「ルナリアは、俺に傀儡を求めてない。
テメエのご主人様と違ってな。
……まあ、身も心も支配しようとしてくるって意味じゃ、タチが悪いとも言えるが」
――なぜ自分は攻撃を仕掛けないのか。
喋り続けながら、ショコラは自覚した。
単に、ご主人様を自慢したかったのだ。
信じ切れない主を持った女に対して、『自分の主はこんなにすごいんだぞ!』と言いたかっただけ。
それが心底可笑しくて、ショコラは静かに笑った。
「……つまり、身も心もルナリアさんに支配されている、と?」
「ああ。そりゃもう見事すぎて、こっちが拍手したくなるくらいだぜ」
「……凄いわね、貴女。そんなこと言い切れるなんて……。それに引き換え、私は……」
「違う。俺は何も凄くねえ。従者が主人を好きなのは、主人側が凄いだけだ。
逆に、従者が主人を信じらねえなら、主人側が悪いに決まってる。
恩とか金で従者をねじ伏せるような奴ら、古今東西没落していくだろ。
順序が違えのよ。『従者だから主人を慕わなきゃいけない』んじゃない。
慕って、尊敬して、愛してる。だから、従う。
少なくとも俺は、それが正しい順序だし、奴隷の矜恃でもあると思うがな」
「……やっぱり貴女、凄いわよ。自信持っていいと思う」
「敵にそんなこといわれてもな」
「ふふっ、確かに。これは失礼」
気付けば、前庭に浮かぶ攻撃魔法はひとつも無くなっていた。
元々、ギルネリットは戦う心構えができていなかったのだろう。強い言葉を言って無理矢理鼓舞していただけ。
「アンタに責任があるとすれば、従者の好感度も管理できねえ無能主の下で優柔不断なところだよ」
「……こんな年下の子に説教されちゃって。情けない教師ね」
「そりゃ同意だが……でもしゃあねえさ。俺だって、ルナに会えなきゃこうは考えられなかった」
ショコラはギルネリットに近づく。
戦爪こそ納めないものの、今の彼女に攻撃する気は失せていた。
「だから、そろそろ決めようぜセンセー。いつまでこんなガキ相手に情けねえところ晒し続けんのさ」
「貴女……ショコラさんだっけ。かっこいいわね」
「どうも。最近は可愛いしか言われねえから、最高の褒め言葉だ」
「貴女の場合、可愛いって言われても嬉しがりそうだけど」
「相手による。ルナなら毎日言われても言われ飽きねえ」
「それを聞くと確かに、かっこいいより可愛いの方が上回るかも」
「やかましいわ」
気付けば、戦爪が届く距離まで近づいていた。
「……『たかが命救われた程度』か。考えたこともなかったな」
「死んでた方がマシな命なら永らえる意味もねえ。
で? センセーの命はシウラディアを殺すために永らえたのか? 時間ねえんだ。早く決めてくれや」
ギルネリットが穏やかな声で答える。
『命の恩』という強すぎる拘束を解かれた彼女の目は、力強く。意思が灯っている。
――いつも生徒に向けている、優しさがこもった意思を。
それは、長年戦いこそが全てだったショコラにとって、初めて戦わず掴んだ勝利だった。
~~【幕間】ショコラ 終~~




