13歳-12-
私が杖剣を渡して3日後。土曜日の昼過ぎ。
シウラディアが退院するということで、三人のご友人――アメリ、シェリ、メシュース――と共に迎えに行く。
ちなみに三人とは昨日、シウラディアと同じように様付けなしで呼び合うよう話を取り付けていた。
治療院の外に出てきたシウラディアは、すっかり健康そうで。
彼女はまず三人と抱き合うと、最後に私を強く、抱きしめてきた。
「ありがとうございます。ルナリアのおかげで、無事退院できました!」
「どういたしまして。……よく顔を見せてくれます?」
言って、シウラディアの両頬に手を添える。
そのまま、じっ、とシウの顔を眺めた。
「うん、隈もなくなってるし、血色も良い。いつもの可愛いシウラディアね」
「か、可愛いかどうかは分かりませんが……おかげさまで」
「あら、自分を客観視するのは大事ですよ」
「……ルナリアにだけは言われたくないです」
「私はただ色が白いだけの吊り目ですから。正当な評価です」
「そんなことないけどなあ……」
それから五人(その後ろにショコラとエルザ)で寮に向かう。
「あの、この後、お風呂会ですよね?」
シウラディアが思い出したように尋ねてきた。
「ええ。十五時からいつも通りの予定ですよ」
「あの後、皆さん、怒ったりされていませんでしたか?」
「怒る? まさか」
「ルナリアに酷いこと言ってしまったのに……」
「あの時言っていたことは誤解だと全員分かってますし。私はそんなものに屈しない、というのも全員分かってますからね」
「……すごい絆と信頼ですね」
――離れて行ってしまったという、平民の友人達のことを気にしているのだろうか。
とはいえ私がそちらまで介入するのも、逆にこじれちゃいそうだし。難しいところだ。
「あの、良ければ今日参加したいんですが、よろしいですか?」
「良いも何も、寮生は自由に入れる大浴場ですよ。貸し切ってるわけでもありません」
「そうですが……、私のせいで皆さんを不快にさせるのも嫌なので……」
「ありえません。お話相手が増えて皆さん喜びますよ」
シウラディアを心配していたのは、みんなも同じだったんだから。
「貴族の方々が大浴場に入ってるって話は、本当だったんですね……」
そこでアメリ――あの日最初に言葉を交わしたツインテールの子――が言う。
「シウ、一応退院したばっかりなのに、大丈夫?」
シェリ――あの日二番目に話したカチューシャの子――が心配そうにシウラディアに問いかけた。
「入院って言っても、病気じゃないから。それより早くお湯に浸かりたいのと……皆さんにも、お礼が言いたくて」
入院中はお湯に浸かれず、体を拭いてもらうだけだったそうだ。
と、そこでメシュース――カタコトの小柄な子――がビシッと勢いよく挙手した。
「メーもお風呂、入りたい! シウの背中、洗ってあげる」
驚いて振り返る全員。
「……中途半端な時間になっちゃうけど、大丈夫?」
シウラディアが聞き返した。
「夜入りたくなったら、また入ればいい」
「まあ、それもそうか。じゃ、一緒に入ろうか」
「うん!」
「ちょいちょい!」
まとまりかけたところにシェリが割って入る。
「メー、話聞いてた? 貴族の人達がいっぱい居るのよ?」
「そうよ。シウはルナリアのお友達だから良いだろうけど……」
とアメリもメシュースを止めようとする。
――うーん、まだまだ貴族と平民の隔たりは大きい。仕方ないけど。
「? ルナの友達なら、ザコ貴族じゃない。気にする必要ない」
思わず吹き出してしまう私。
――メシュースは確か、ドワーフとのハーフ。この中では一番、この国の常識に染まっていないのだろう。
「ふふっ、もちろん。私の友達にザコ貴族は居ませんよ。良ければアメリとシェリも一緒にいかがです?」
目配せし合うアメリとシェリ。
まあ、いきなり言われても困るだろう。無理強いはできない。
「名案! アメリ、シェリ、背中流しっこしよ!」
言うが早いか、メシュースは二人の手を取って、寮に向かって走り出した。
「ちょっと、引っ張らないで!」
「痛い痛い、力弱めろ馬鹿力!」
アメリとシェリの抗議は、けれど『みんなでお風呂』にテンション上がってるメシュースの耳には届いていない様子。
「まだお風呂開いてませんよー」
と、両手でメガホンを作って呼びかけるも、時すでに遅し。
そのまま三人はみるみる離れて行ってしまった。
私とシウラディアは、互いの顔を見やって……
同時に、笑い合った。
†
ということで大浴場。
いつものお風呂会に、シウと三人が加わった。
「こうして同じお湯に浸かれる日が来てなによりです」
シャミア様がぽんと手を叩いて、三人に微笑みかける。
「いえ、こちらこそ……」
「すごっ……皆、肌綺麗……」
呟くシェリを、メアリが肘で小突いていた。
「じろじろ見ない! 失礼でしょ」
「シウラディア様、退院おめでとうございます。……大変でしたね」
エープル様がシウラディアに声をかける。
「ありがとうございます。……お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありませんでした」
「とんでもございません。お母様のご容態はいかがですか?」
「それなんですが……昨日、父が見舞いに来まして。『大勢の貴族から援助の申し込みが来たぞ!? どうなってる?』と混乱した様子でした……」
「ルナリア様の主導で、この場の全員で出資させていただきましたからね」
何でも無いことのように言いのけるエープル様。
全員がそれぞれ彼女の家に援助を送ったのが、シウラディアが倒れた翌日のことである。
「おかげさまで、母はほとんど元の体調に戻ったそうです。
皆さんは母の恩人です。このような場で恐縮ですが、本当にありがとうございました」
お湯に顔が付くか付かないか、というところまで頭を下げるシウラディア。
「ルナリア様とゼルカ様以外は、最初『平民に援助なんかしたら、親に怒られるかも』と尻込みしていたんですから。
私どもはお礼を言われる立場ではございません」
とエープル様。
「ですね。ルナリア様が『彼女の母を見殺しにするのと、自分の親に怒られるのなら後者一択です』と仰ったから、覚悟が決まったまでです」
シャミア様もそう続く。
――別に、過程なんて気にしなくていいと思うんだけどなあ。
「そのお覚悟を決めていただけたから母は助かりました」
シウラディアが真っ直ぐに皆を見渡す。
「このご恩は必ずお返しいたします。何年かかっても、必ず」
すると、そこでアリア様が、
「なら、また困ったことがあったら、真っ先に私たちに相談してください」
そう言った。
「それ以外のモノを返してもらっても、私達は受け取る気も無いです。『まずルナリア様か、次点でゼルカ様に』としか思いませんから」
アリア様の言葉に、皆も揃って頷いて見せる。
「……ありがとうございます。こんなに良くしていただいて、なんと言って良いか……」
シウラディアが一人一人を見やる。
目尻に僅かに光るモノを浮かべて。
「のびのびと学園に毎日来てもらって、週末にこうしてお風呂でお喋り相手になってくれて、ルナリア様と仲良くされている姿を横で見られる。……それだけで、少なくとも私は充分です」
「アリア様……」
「ただそれとは別に、ファンクラブに入ってもらいたいとは思ってたので。その話はまた今度しましょうね」
「……ファンクラブ?」
「聞かなくて良いですよ、シウラディア」
私が言うと、令嬢達がドッと笑い出した。
そんな空気に、シウラディア達の表情も少しずつほぐれていく。
†
まったりとした、穏やかな時間が過ぎていく。
ジョセフィカ様とアイリン様とシャミア様でメシュースを可愛がったり、アメリとシェリはアリア様エープル様と話していた。
「……あの、皆さんは本当に、私達とこうしていて平気なんですか……?」
そんな時、不意にシェリが全員に問いかけた。
「私は、私が皆さんの立場だったら、嫌です。……こんな、肌も日に焼けて、手だって家の仕事でガサガサだし。
なにより、心が汚い女」
そこで彼女は僅かに涙を浮かべる。
「シェリ……」
アメリがそっと彼女の肩に触れた。
「私ずっと、貴族なんてクズだって、そう思ってたし、実際口に出して言ってました。……平民にだってクズは居る、って知ってるのに。人による、って考えられなくて」
シェリがそう言って俯くと、アメリも皆に向き直る。
「……私もです。ただ、『貴族』ってだけで、一括りしていました。確かに嫌がらせしてくるような貴族は多いけど、それだけで皆さんのことも悪く言ってきたんです」
「私も」
シャミア様の膝の上で、メシュースも言った。
「……可愛いがってもらう資格、ない。頭撫でてもらう資格、私にない」
三人が沈鬱に下を向く。
和やかな空気から一転、重い空気が流れる。
「……ふふっ」
その重圧を斬り裂くように、エープル様の笑い声が反響した。
「失礼。なんだか、懐かしいな、と思ってしまいまして」
三人が不思議そうにエープル様を見る。
「そちらのショコラさん、ご存じですよね」
そう言って、私の隣のショコラに視線を移す。
「もう一年前ですか。私はルナリア様に言ったんです。
あんなに小さくて容姿のいい獣人は珍しいから、多少傷があっても愛玩用として高価だ、と」
エープル様は少し悲しげに笑みを浮かべた。
「そう言われたときのルナリア様のショックは、私には計り知れません。親友を愛玩用呼ばわりされて、私だったら怒るか、悲しくて泣いてしまうかもしれません。
……それでもルナリア様は、私と友になりたい、と仰ってくれたんです」
エープル様は私に微笑むと、今度は晴れやかな顔で三人と目を合わせた。
「シェリ様の心が汚い? とんでもありません。
過去の発言を悔いて泣ける貴女は、私より心の美しい方ですよ」
そこで、ジョセフィカ様が立ち上がった。
アメリとシェリの前に行くと、自分の両掌を見せる。
幼少の頃から土仕事で酷使した、その掌を。
「私は貧乏男爵家の娘なので、ご覧の通りです。
……貴族の端くれではありますが、ここに居る皆様とは家格が違いすぎて、お三方の気持ちも良く分かります。
ですがこの手を最初に優しく握ってくれたのは、他でもない、ルナリア様でした」
ジョセフィカ様は左手だけを下ろして、右手をシェリの前に差し出した。
「見た目に劣等感を抱くことも、地位で屈辱感を抱くことも、あります。
……でも少なくとも、この方々の前では、気にしなくて良いと思いますよ。こうして、服も地位も脱ぎ捨てて知り合えたんですから」
シェリはそこに右手を――ガサガサ、と自ら評したその手を――そっと重ねる。
ジョセフィカ様はそれを強く握り返して、満面の笑みをシェリに見せた。
「ここに居るのは全員、事情は異なれど、偏見を見事にルナリア様に吹き飛ばされた者ばかりです。
だから、これから皆さんがすべきなのは、貴族と仲良くすることだと思います」
そこでシャミア様が、メシュースを撫でる手を再び動かし始める。
「エープル様の仰るとおりです。とはいえ、仲良くしたくない相手にまで媚びる必要はありません。先ほど仰っていたとおり、貴族の中にもどうしようもないヤツは居ます」
シャミア様はメシュースに、にっこりと微笑みかけた。
「……仲良く、していいんですか?」
問い掛けるシェリ。
「もちろんです。というか、私達はもう仲良くなったと思ってますけど」
「一緒にお風呂まで入っておいて、仲悪いっていうのも変ですものね」
「あはは、確かに」
「……ありがとう、ございます」
シェリは笑い泣きのような顔で。
「本当に、申し訳ありませんでした。いまさらですが、あらためてよろしくお願いします!」
アメリは少しだけ明るい笑顔で。
「……やっぱり、ザコ貴族じゃなかった。みんな、大好き!」
とメシュースが言うと、シャミア様が「かわいいー」と抱きしめた。
それからは、もう全員が笑顔で裏表もない、仲良し空間で。
――私はただただ、驚いた。
貴族の皆は、平民に対してもう少し抵抗があると思っていた。
だから、いくつか仲介の言葉も考えてきたつもりだった。
けれど、実際は全く不要で。
全員が、満場一致で、この四人を迎えている。
そのことが、戸惑ってしまうけど、でもすごく嬉しくて。
――そして、心が打ち震えた。
彼女達全員の精神的な成長に、内緒で暖かい涙が出ちゃった昼下がりだった。




