12歳-41-
ロマが小さくなってから一ヶ月。
一学期も終盤。みんな、近付いてきた長期休暇に気がそぞろな時期。
この日の戦闘実技はダンジョン演習ではなく、模擬戦だった。
魔法と武術のうち、私は女子で唯一の武術選択。
エンチャント2回まで、魔力剣5本までの縛りはダンジョン演習の時と変わらず。
今、私の相手はガウスト殿下。
彼の剣をいなし、小楯を弾き、返しの刃で地面に沈めた。
「ぐぁっ!」
形代があるとはいえ、衝撃までは消えない。
殿下は悶絶して、しばらく地面に横たわっていた。
――模擬戦の時は毎回、彼にだけ強めに攻撃している。
もちろん、一番の理由は彼に嫌われるため。
そして多分二番目に、前生の恨みが込められてるみたいだ。最近自分でも気づいてきた。
……自覚してる限り、もう吹っ切れてると思ってたんだけど。
婚約者の浮気は、思っていた以上に深い所まで傷を付けられていたらしい。
とはいえ12歳の彼に罪はないから、忘れなきゃと思うんだけど……
嫌われなければならないという一番目の理由が免罪符になって、前生の鬱憤を晴らしてるのは否定できなさそうだ。
ダン様の一件以降、殿下とは引き続き良い感じの距離感。
ダンジョン演習で同じチームになったときはどうなることかと思ったけど、あれ以来、特に踏み入った話もない。
――前生では今ごろ、必死にアプローチしていた時期だったっけ。
お茶に誘ったり、二人きりの時間をとろうとしたり。
好みや趣味を聞き出しては、勉強し、次会ったときに彼を喜ばす話ができるよう努力していた。
その甲斐あって、正式に婚約が決まったわけだけど……
――そんな努力できるなら、もっと周りに気を配ってあげれば良かったのに。
まあ、ともかく。
今生ではまかり間違っても婚約なんて話にはならなそうで、本当になによりである。
これだけ毎回ボコボコにされて、殿下も婚約とか言いたくないだろうしね。
†
「私と結婚を前提にお付き合いいただけないでしょうか」
――えっ?
「……えっ?」
思わず頭の中がそのまま口に出てしまった。
放課後、殿下の自室。
――いやまあ、急にお茶に誘われて、なにごとかと警戒はしていたけれど……
慌てる私を見てか、殿下は可笑しそうに笑う。
「ふふっ。模擬戦では負けっぱなしですが、一矢報いれたようですね」
完璧な美貌から繰り出されるイタズラっぽい笑みは、見た女性を一発で陥落させる破壊力を持っていそうだ。……今生の私じゃなければ。
「……殿下、お戯れを。そのようなご冗談はおよしください」
――そんな冗談を言う人だったんだ。意外……
「失敬。ですが冗談などではございませんよ」
イタズラな笑みを柔らかい微笑に変えて、殿下は私を真っ直ぐ見る。
「正式に婚約者として迎え、卒業の暁に結婚いただきたい、と考えております」
全身の血が、沸騰しそう。
――やっばい……!
冷や汗が出るのが止められない。
心臓の鼓動がうるさい。
それは、あまりに唐突に向けられた、死刑への切符。
(なんで!? 急にどうして……。これまで、ただのクラスメイトくらいの距離感で居られたと思っていたのに……)
そこで、カチャッ、とカップがテーブルに置かれた。
殿下の従者が、お茶とお菓子を運んできたのだ。
――私が拒否感を抱いてる、と従者達に感づかれるわけにはいかない。
バレたら不敬罪で処される可能性がある。
恐らく、殿下はもう察してるだろう。幼少の頃から帝王学や英才教育を受けた彼の洞察眼は伊達じゃない。
殿下本人は暗黙に見逃してくれているとしても、他の王宮の人間や両陛下はどう思うか分からない。私の気持ちはなんとしても隠し通さないと。
「これまで、婚約者候補らしいことを何もできなかったところ恐縮ですが。決意は早めにお伝えした方が良いと思いまして」
落ち着け私。
野盗やパルアスと戦ったときもそう。ロマの危機の時もそう。パニックになるな。前生のトラウマに飲み込まれるな。考えろ。
――生き延びる道を模索するんだ。
まさかこんな唐突に生死をかけた戦いが始まるとは……。でも始まってしまったモノは仕方ない。
私は一度、深呼吸をして、考えをまとめる。
――そもそも、このプロポーズは、色々とおかしい。
突き崩す隙は、必ずあるはずだ。
†
「……殿下。お申し出、非常に嬉しく存じます。ですが、王妃陛下は、この婚約に賛成されているのでしょうか?」
記憶を頼りに、そこに思い至る。
以前、お父様が言っていた。『王妃陛下はルナが剣を扱う事に眦をつり上げられたように見えた』と。
それがお父様の勘違いでないことを祈るしかない。
「いえ、両陛下にはまだ言っておりません。今の段階で言えば反対されるでしょう」
美微笑を崩して、殿下は言いづらそうに答える。
――よっしゃ、手がかりゲット!
「やはり。以前父より、王妃陛下の覚えが良くない、と伺っておりましたので」
もちろん、少し残念そうな演技。
「仰るとおりです。母は『夫婦喧嘩になったら王妃が勝つ関係など、王の威厳が削がれる』と言っております」
――なんか意外と可愛い理由ね、王妃様。
まさか夫婦喧嘩の心配とは……
王妃といえど母親。息子に幸せな結婚をして欲しいみたいだ。
「父も、ルナリア嬢個人のことは評価していますが、最近は母に影響されてか『王宮に迎えるのは違う』などと仰っています」
「致し方ございません。自分で言うのもなんですが、誠にご尤もかと存じます」
陛下への媚びへつらいとかじゃなく、本心からそう思う。いやもう本当に。
「ですが、威厳などというものに固執するのは正しいでしょうか」
殿下は静かに言い募る。
「この国が良くなるのであれば、そんなことは些末ではありませんか?」
その真っ直ぐな目と言葉に、ただただ驚くばかりだった。
……婚約者がいるのに胸の大きな女に現を抜かす、我欲に忠実な人だと思っていたから。
でもそうではなかったこと、この瞬間理解した。
きっと前生では、私を妻に迎えるのが国害だと判断して切り捨てたのだ。
――いやまあ、大きな胸が好きなのを否定する証拠にはならないけど。
「殿下もまた、正しいと存じます。国を良くできればこそ、自ずと威厳も付いてくるかと」
そう答えながら、私はこの舌戦に勝機を見いだした。
「……失礼。ルナリア嬢の立場では、そう答える他ありませんよね」
「いえ、そんなことはございません。本心でございますとも」
「ありがとうございます。なにはともあれ、どうか私と共に、この国の未来を紡いでいただきたい」
――前生で言われてたら、それはそれは嬉しい言葉だっただろうなあ。
こんな前向きな言葉、前生では一回も言われたことないから。
でも、まさか頷くわけにはいかないのだ。来年にはシウラディアと結ばれるんだし。
「私を妻とすることが国のためになる……そう評していただいたこと、光栄の至りでございます。
そのようなお言葉を賜れたのは、もしかしてロマ……今代の聖女と関係がございますでしょうか」
殿下の眉が僅かに動く。
――ダン様との件から今の今まで、全くなかった交流。にもかかわらず、このタイミングでのプロポーズ。
さらに『この国のため』とか『この国の未来』という言葉……
そこから導き出せるのは、それしかなかった。
7歳の姿になっても変わらず学園に通うロマは、今や全学年の有名人だ。
最初のダンジョン演習で一緒だった殿下は、その小さくなった二年生こそが聖女だと知っているわけで。
私とロマが一緒に居るところも多く見られている。教室に来たことも何度もあるし。
「殿下は王宮と聖教会の関係改善に、私を役立てようとなさっているのですね」
殿下側の従者達が僅かに騒がしくなる。
『女ごときが殿下の御心を詮索するな』とでも思われてるかもしれない。
――関係ない。こっちは文字通り生死がかかってるんだから!
「正直申しますと、その通りです」
殿下は隠そうともせず、私を非難することもなく、堂々と頷いてくれた。
「無論、ルナリア嬢を好ましく思っていることも事実です。剣を振るう姿が美しいと感じたことは本心ですし、快活な性格も非常に好ましいと思っております」
私は姿勢を正して、軽く右手を胸元に置き、殿下に向き合う。
「両陛下の反対を覚悟の上、殿下自らこのようなお話をくださったこと、恐悦至極に存じます。もちろん、私からお断りする言葉など出ようはずもございません」
――本当はめちゃくちゃ出したいけど。
「ですが……殿下の方には、その言葉を取り消す理由が存在しているのではないでしょうか?」
「……? 取り消す理由、ですか?」
「もちろん一つは国王王妃両陛下のこと。お二人に反対されれば婚約は成立できません」
「それは、なんとか説得して見せます」
「はい。そちらは今後なんとかできたとしても、もう一つ……。
聖教会との関係改善、という打算で選ばれた王妃など、国民は認めますでしょうか?」
はっ、と殿下は動きを止めた。
「両陛下が大恋愛の末、異例とも言える一夫一妻となられたことはあまりにも有名です。
国民全てがそんなお二人を心から祝福し、慕い、信頼し、支持するようになったのが、今日の我が国です」
――まあ、そのせいで改心する前のギリカみたいな人間も出てきちゃったけど。
「それは、そうですが……」
反論したくて、けれど上手い言葉が出てこない様子の殿下。
私は意識して笑みを深めて見せる。
「そうでなくても、殿下はまだ12歳。これからもっと、心惹かれる出会いが待っているかもしれません。往年の両陛下のように。
今急いで婚約を成立させる必要はないのでは……、と愚考しております」
――もし殿下が一夫一妻をやめ、私を側室の一人にするならアリかもしれないけど。
もちろん、そんな不利益になるアドバイスしてあげない。
「それに、聖教会との関係改善にも不安要素はございます。
今でこそ私とロマは仲良しですが、私も彼女もまだ子供。半年もせずあっさり喧嘩別れしてるかもしれません。
ですので、もろもろ勘案して、そうですね……三年生になるまで、婚約の話は進めずにおくのはいかがでしょうか?」
――もちろん、いくら喧嘩したってロマから離れる気は全くない。
けど私もロマも自我強い方だし。喧嘩する光景は殿下も容易に想像つくだろう。
……殿下はかなり長い時間、俯いて考えていた。
私は少しぬるくなったお茶をいただく。その時初めて、喉が枯れている事に気がついた。
「……確かに。わかりました。そのようにしようと思います。有意義な提案をありがとうございます」
(勝った……!)
心が晴れ渡るような、清々しい開放感。
と共に、死闘を経た後の疲労感がのしかかってきた。
「……私の発言が、女性としての尊厳を踏みにじるようなものであったこと、大変申し訳ありませんでした」
殿下はテーブルに手を付いて、深々と頭を下げる。
本気で何を言ってるか分からなかった。
「決してルナリア嬢をけなす意味はございませんでしたが……。それでも、国益を第一にしたこと……、そしてそれを見抜かれるまで言わなかったこと。謝罪いたします」
――いや、ホントマジで心の底からどうでも良い……
彼が国益を第一に考えるのは当然だ。むしろそれで見直したんだから。
「とんでもございません、殿下。どうかお顔をお上げください。
私も父を公爵に持つ身、殿下の憂いの排除に役立つこと吝かでございません」
なんとかテーブルから頭を上げて貰った。
「……ありがとうございます」
殿下はそこでまた、柔らかく、あどけない微笑で私を見上げた。
それから、時間つぶしと状況証拠的な世間話を交わしてから、私は暇を告げた。
立ち上がって、帰り支度をする。
「ルナリア嬢」
と、殿下が一人、私に近づいてきた。
「はい、……っ!?」
振り返ると、彼は私の目の前まで近づいていて。
「今回はあしらわれてしまいましたが、また三年生になったらリベンジに参ります」
と、従者達には聞こえないくらいの小声で、そう囁いた。
「な、なにをおっしゃってるかよくわかりませんが……」
声が引きつらないように、なんとか答える。
殿下の完璧なプリンススマイル。
「貴女に見合う男になるよう、精進して出直します。それでは、また学園で」
そう言うと、両目を閉じるくらい深く笑った。
そのままくるりときびすを返して、私の前から去る。
――殿下は私の気持ちに気付いてるだろう、とは思ってたけど。
振られたと気付きながら、あんな綺麗な笑顔でリベンジ宣言してくるなんて。
(……でも、そのリベンジ宣言は聞かなかった事にしておきますね、殿下)
来年には、運命の人と出会えますから。
今生では邪魔者も居ませんので、どうか幸せになってくださいませ。




