12歳-21-
その週の土曜日、15時。
ご丁寧にお風呂会の時刻に合わせた、ギリカの呼び出し日時。
他のご令嬢には、今週のお風呂会は欠席することを伝えてある。
――さあ、始めましょうか。
ゼルカ様と寮の四階の廊下を進む。
「こちらです」
ゼルカ様が一つのドアの前で足を止めた。
表札には『ギリカ・シーア・アーレスト』と書いてある。
ゼルカ様がノックをして、「ルナリア様をお連れしました」と声をかけた。
「どうぞ」
中に入ると、ギリカと侍女達が礼をした。
「お初にお目にかかります、ルナリア様。ギリカ・シーア・アーレストと申します」
緑色の髪はゼルカ様と同じだが、髪型は対照的なポニーテール。
頭を上げて開けた目は切れ長で、見覚えのある貼り付けた笑顔を振りまいている。そういうところは姉妹そっくり。
「どうぞ、こちらへ」
奥のソファを示される。
「いえ、このままで結構です」
私は立ったまま、そう応えた。
「今日この時間に招いたのは、お風呂会に行けないゼルカ様を詰るためですか?」
ギリカの笑みが僅かに崩れる。
「腹の探り合いは結構です。ゼルカ様から事情は伺っております」
「……左様でしたか」
ギリカは一度目を閉じて、また笑顔を貼り付け直した。
「はい。ゼルカには、ルナリア様との関係を作るよう指示しました。てっきり歯牙にもかけられていないかと思ってましたが、仲良くしていただいてるようで何よりです」
「私がここに来なければ、ゼルカ様を虐げたのでしょう? であれば来ないわけに行きません」
「虐げる……?」
「……惚けないで。ゼルカ様の体中の傷跡を見せてもらったわよ」
「ああ! そういうことですか」
にっこりと笑みを深め、ぽん、と両手を合わせる。
「あれは、異母姉として構ってあげているのですよ」
「一生物の傷を付けることが?」
「ゼルカの母親は男爵家の女で、父の妾です。普通だったら即刻処分すべき、忌み者なんですよ。
それを生かして、あまつさえストレス解消という役割をあげてるんだから、慈悲深いでしょう?」
――本当に、嫌になる。
もし前生で『お父様と妾の娘』なんて存在していたら、同じ思考に至ったかもしれない、と思えて。
「そうだ! ルナリア様も一緒にどうですか?」
「なに……?」
一瞬、本気で何を言ってるか理解できなかった。
「アーレスト家のお近づきの印として、是非使ってやってください。これはなかなかいい声で鳴きますよ。
人間が持つ暴力衝動の発散に、ちょうどいい玩具でございます」
「……確かに、色々事情はあったんでしょう。でも、どんな事情があろうと、今の私は看過する気なんてない。
本来守るべき妹を虐げるなんて……。
ゼルカ様だって、そういう風に生まれたくて生まれたわけじゃない! そこに寄り添って、守ってあげるのが姉の役目でしょう!」
「……分かりませんね。それは名ばかり貴族の出な上に、妾の子なんですよ?
どう使おうが私の勝手でしょう? この国の法に反しているわけでもありませんもの」
――現行法では、目上の権力は強く保証されている。
この法は家族でも同様で、多少の暴力を振るおうが『教育の一環』『躾』などの言葉で簡単に許容される。
殺人に至らない限り、犯罪として立証するのは極めて困難だ。
ゼルカ様への虐待を罪として告発するのは、実質不可能だろう。
――だから、私が裁く。
前生で権力に溺れ、より強い権力に殺され、
今生で目下のレナを本当の意味で愛せるようになり、
さらに目下のエルザから人生を預けてもらえ、
もっと目下のショコラを友とする――
「この私が、気に入らないって言ってるのよ」
瞬間。
部屋全体がゆらりと揺れたような、違和感。
「……残念です。素直に仲良くなっていただければ良かったのに」
周囲にアナライズを走らせる。さっきまでなかった魔法を検知した。
=============
【ギリカの筺檻】
・攻撃力 0
・防御力 300
・魔法攻撃力 0
・魔法防御力 300
■概要
外部と内部を隔絶する上級結界魔法。
術者以外のあらゆる出入りを不可能にし、音や匂いなども漏れなくなる。
認識阻害効果もあり、外部の者は内部のことを意識しづらくなる。
■解除条件
施術者が外部に出る
=============
「ルナリア様、ご安心ください。これは、私に躾られることを喜んでおります。本心ではルナリア様にもご参加いただきたいと思ってるんですよ」
私がアナライズ結果を読んでいる一瞬の隙に、ギリカがゼルカ様の手を引いた。
もう片方の手をみぞおちにかざし、ゼロ距離で魔力弾が放たれる。
「がっ!?」
ゼルカ様が仰向けに倒れた。
流れるような動作でギリカがゼルカ様の下腹部を踏みつける。
ゼルカ様の口から絶叫が吐き出された。
「『姉上の躾の時間は私も楽しみにしています』
『もしよろしければ姉上と一緒に躾てください、私の悶える様をご笑覧ください』
……ほら、言いなさい」
痛みに呻くゼルカ様。
ギリカは足を下ろしてかがみ込むと、ゼルカ様の髪を掴んで無理矢理顔を持ち上げた。
妹を睨め付けるその顔は、貼り付けた笑顔が剥がされ、般若のごとき本性を晒している。
「やめなさい! ゼルカ様から離れろ!」
魔力神経起動。
「お前のせいでアーレスト家とトルスギット家の関係が悪化したらどうするの? 寄生虫のメスガキが。
さっさと言えって、この私が命令してるのよ」
「姉、上……」
魔力剣を生成……しようとしたところで、ゼルカ様が口を開く。
「私、もう、嫌です」
ゼルカ様は泣きながら、ギリカに手を伸ばした。
「お願いです、どうか、昔のような、優しい姉上に……」
「誰がそんなこと言えって言った?」
ギリカの掌に魔力が収束。
そのまま魔力弾をゼルカ様に振り落とした。
とっさに魔力剣を放って、ゼルカ様に当たる前に破壊。
パァン、と魔力が爆ぜる音がした。
「聞こえなかった? ゼルカ様から離れなさい!」
まるで能面のような表情で、前髪を垂らしたギリカが振り返る。
「少々お時間をくださいませ。生意気なセリフを覚えた家畜をすぐ調教し直します」
「離れろと言ってるの」
「申し訳ありませんがここでお待ちください。あいにく、今この部屋は結界魔法ですっぽり覆ってありますので、外に出られません」
「…………」
話の通じなさに、内心で戦慄する。
……前生でシウラディアをイジメていた頃の私は、今のギリカと同じような顔をしていたのだろうか。
「一度発動すると、条件を達するまで私も解除できません。もし気が変わりましたら、どうか躾をお手伝いくださいませ」
――この結界の名前、確か筺檻だっけ。
外部に音も漏れず、認識阻害効果もある。
……本当は裏山にでも連れて行くつもりだったけど。手間が省けるというものだ。
「……多分、この場で一番貴女のことを理解できるのは、私でしょうね」
一歩近付く。
「……なんのことでしょう?」
「嫌になるやら、幸運なのやら。どう捉えて良いか……。未だに心の整理が付かないわ」
「何を仰ってるか良く分かりませんが、終わるまでそこで見ていてくださいませ」
ギリカが棚に手を伸ばす。
取り出したのは、先端が細く三つに分かれたムチのような拷問道具だった。
「さしあたり、先ほど言った鳴き声をご披露いたしましょう」
ゼルカ様にそれを振り下ろそうと、振りかぶった瞬間――
「公爵令嬢を監禁した事実に気づけないくらい狭窄した性根、たたき直してあげる」




