10歳-7-
それから、五分は経ってないくらいだろうか。
イズファンさんが一人の小さな獣人を連れて戻ってきた。
細身の少女だ。身長は私より少し低い……ということは獣人にしてはかなり小さい。法定最小サイズの奴隷首輪が、いやに大きく見えた。
燃えるような緋色の髪は目に掛かる程度。髪と同じ色の獣耳が二つ生え、時々ピョコピョコ動いていた。
もふもふな尻尾は私を警戒して、ピンと立っている。
胸は左右二つの三角布を紐で括っているだけ。下はショートパンツで、お腹や太ももが眩しい。見てる方が恥ずかしいくらい。
これは獣人の若い女性の一般的な服装。ギリギリまで切り詰めたそのデザインは、とにかく機動性重視のためである。
ただ、その素肌よりも目につくのは……
無数の傷跡だった。
鼻上を横切る大きな裂傷。額にはX字傷。
胸から右脇腹にかけて三本の太い切り傷。左胸の上に火傷の跡などなど……
一目でカタギではないと分かる。
そんな傷が私よりも小さく、ともすれば可愛らしい女の子に付いていることが、妙にミスマッチだった。
「……なんすか」
私を見下ろすその目は、どこか濁っている。
「なんのご用でしょうか、だろう」
「結構ですよ。雇い主はお父様であって私ではありませんから。どうぞ楽な言葉遣いで」
イズファンさんを制してショコラに微笑みかけた。
「…………」
見極めるようにショコラは私を睨め付ける。
目付きは悪いが、可愛いらしい。もう少し髪を伸ばしてオシャレすれば、化けると思う。
いやでも傷があるから、逆にそれを生かしてワイルドな方が似合うかな。
――などと頭の片隅で考えながら、自分の用件を伝えた。
魔法剣を習得しようとしていること、
実戦経験を得て強くなりたいと思ってること、
そのために近接戦の相手になって欲しいこと、
その分の報酬はもちろん渡すこと……
一通り話した後、ショコラは口元だけをニヒルに歪ませ……
バンッ!
右手で机を強く叩いた。
「ふざけんな」
怒りを露に吐き捨てるショコラ。
「来たくも無い国に来させられて、やりたくも無い仕事させられて、あげくガキのサンドバッグに成り下がれって? まっぴらだね!」
「貴様!」
取り押さえようとするイズファンさんの前に手を出して制止する。
「この国には来たくなかったの?」
「当たり前だ。経験だの礼儀だの社会勉強だの、興味ないんだよ」
「ショコラのお父様……ローディ様の意向でこの国に来ている、と聞いているけど」
ショコラの表情がわずかに陰った。
「……小さくて弱い娘は、要らなくなったんだろ。俺は捨てられたんだ」
「そうかしら?」
「あんたらには分からん。宰相の娘が、戦祭で毎回ボロ負けし続ける惨めさが」
『戦祭』の結果は、要人の地位を決める重要な要素になっている。
アルトノアは強い者ほど出世しやすいのだ。
これは、かつて獣人は群れ内の争いでボスを決め、群れ同士の争いで勢力を拡大してきたためだと言われている。
「俺はもっと強くならなきゃならない。才能があるだなんてもてはやしておいて、あっさり見限った親父や兄貴たちを見返してやる」
少し、驚いた。
本当はやりたいことがあるのに、それを父親や環境に奪われて。
やりたくないことをしろと言われ。
覚えたくも無いことを覚えろと言われ。
それでも負けずに生きようとする彼女が、凄いと思った。
私は前生で、お父様や環境に折れた人間だから。
――創造神の力が無かったら抗うこともできなかった私と、雲泥の差。
「……凄いね。尊敬する」
万感を込めて、そう伝えた。
イズファンさんとショコラが不思議そうに見てくる。
「ねえショコラ。ローディ様は、本当に貴女を捨てたのかしら?
捨てるなら、友人とはいえ他国の貴族に預けるなんてしないじゃないかな。
貴女がこの国に来るまで、きっといろいろ面倒や手間、それに多くのお金が必要だったはずよ」
「……面倒と手間と金をかけて合法的に捨てた、とも言えるだろ」
どこか気勢をそがれた様子でショコラが反論してくる。
「本心は分からないけど……。きっと、このままじゃショコラにとってよくない、とお考えになったんじゃないかな。
世界は戦祭の結果だけじゃない、ってことを教えたかったんだと思うの」
「そんなの、別に奴隷じゃなくたって教えることはできるだろ」
――うーん。まあ、そう言われれば、確かに奴隷じゃなくてもいい気もする。
ただいずれにしても、ショコラとローディ様は上手く話し合えなかったんじゃないかな?
前生の私とお父様がそうだったように。
――異性の親子って、距離感難しい時あるからね……
「……確かに、反論が思い付かないわ。
そもそもローディ様の心なんて、私とショコラがいくら話しても解決しないし。
まあ、一旦過去の話はこの辺にして、未来の話に戻しましょう」
「お前のサンドバッグになれ、って話ならお断りだ」
「まあまあ。まずは状況整理から。
私は近接戦の訓練がしたい。貴女は近接戦の才能があると家族に言われるレベル。ますます私は、貴女と訓練がしたいと思ってる。これが、私の希望」
「だから……」
「次に、貴女は強くなって戦祭で勝ちたい」
ショコラを遮って話を続ける。
「でも、この家で奴隷をしていると訓練もできないし戦祭にも出られない。だから奴隷をやめて帰りたい。これが貴女の希望。合ってる?」
「……まあ、そうだ」
「なら、こういうのはどう? 明日から半年間、模擬戦で一度も私に負けなければ、貴女の希望を叶えるわ」
静まりかえる小部屋の中。
二人とも丸くした瞳に、それぞれ私が写っていた。
「なんだかんだお父様は私に甘いから。可愛くおねだりすれば多分なんとかなるでしょう」
ショコラの瞳の中で私が不敵に笑う。
「ショコラも奴隷仕事するだけの生活より、戦いの勘が錆びないはず。悪い話では無いと思うのだけど」
「人間の子供なんか相手したら逆に鈍る」
「半年間その子供をボコボコにし続けるだけで早く帰れるのよ? むしろラッキーでしょ?」
「…………」
ショコラは――さっきとは打って変わって――奇妙なモノを見たような目になった。
「それとも、私に一度でも負けるんじゃないか、って怖じ気づいてるのかしら?」
「……なんだと?」
ショコラが凄む。
が、見た目が可愛いからそんなに怖くはない。
前生の終盤で国中から浴びせられ続けた憎悪と悪意に比べたら、そよ風だ。
「私に負ける程度なら、戦祭で勝つなんて夢のまた夢。諦めた方が良いかもね」
「いいだろう。その話、乗ってやるよ」
「よかった、ありがとう」
「形代を使うんだろう? 奴隷契約に触れるギリギリまで、お前のこと痛めつけてやる」
「ええ、楽しみにしてるわ」
眉根を寄せるショコラ。
「……薄気味悪いヤツだ」
「それじゃ、まとまったところでスケジュールの話といきましょう。イズファンさん」
「あ、はい、かしこまりました……」
それから仕事を調整してもらい、私とショコラが訓練するスケジュールを組んでいった。
――私のワガママで負荷をかけてしまったイズファンさんと他の奴隷の皆さんには、後日、お礼の菓子折をお贈りしておいた。
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