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蓮華【改訂版】  作者: 釜瑪秋摩
西浜防衛戦
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第4話 混戦の中で

 麻乃の指示で足を攻撃された敵兵たちは、立ち上がることができずにもがくだけに留まっていた。通常なら致命傷となるはずの傷を負っているにも関わらず、彼らは諦めることなく這いずりながらも前進を続けようとしている。その異様な光景に、麻乃は改めて寒気を感じた。


 これでようやく海岸を埋める人影が少しずつ減って見えるようになった。気持ちに余裕が出てくると、今度は修治のことが気になってくる。


(修治は……? 修治も敵兵がおかしいことに気づいているはず……)


 戦場を見渡しながら、麻乃は修治の姿を探した。いつもなら真っ先に敵陣に切り込んでいく彼の姿が見えないことに、不安が募る。その姿を探して足を止めた瞬間、麻乃は背中に殺気を含む視線を感じた。


 耳もとに息づかいを感じるくらい近くに誰かが立っている……そんな錯覚を起こさせるほどの強い視線だ。振り返ってみても、もちろん誰もいない。


 混乱した戦場から波打ち際へ、そしてロマジェリカ国の戦艦の一隻に視線を移したとき、誰かの視線とぶつかった。


(あたしを見ている……?)


 姿が見えるわけでもなく、向き合っているわけでもないのに、深く青い瞳が麻乃をじっと見つめているのがわかった。魂を見透かされているような、そんな恐ろしい感覚だった。


 全身が粟立つような感覚に、神経が張り詰めていく。本能的に危険を察知した麻乃は、無意識のうちに刀の柄に手を伸ばしていた。目を細めてロマジェリカの戦艦を睨み、視線の正体が何なのかを確認しようとした瞬間、戦艦から一斉に弓矢が放たれたのが見えた。


「弓隊はいないと思っていたのに……!」


 緩やかな弧を描いて真っ赤な塊が近づいてくる。


「あれは……火だ!」


 威力はなくとも先端に火のついた矢は、標的を選ばず砂浜や敵兵にも突き立った。あの不自然な胴着には、すべて油が染み込んでいたのだろう。火矢が触れた瞬間、敵兵の体が炎に包まれ始めた。


 砂浜に滴った油を介して急速に燃え上がり、あっという間に海岸沿いが炎で埋め尽くされていく。風に煽られた炎は勢いを増し、黒煙が空を覆い隠していく。


(火をかけた! まだ生きている兵もいたのに……味方だろうに!)


 敵兵のこととはいえ、あまりの仕打ちに憤りを感じる。炎に包まれた敵兵たちは苦悶の表情すら浮かべることなく、ただ機械的に動き続けているのが見えた。その光景に、麻乃は思わず後ずさりをした。僅かながらも恐怖を感じたことに、麻乃自身が一番驚いた。戦闘に立って恐怖など、感じたことはなかったのに――。


 ただ、今はそれどころではない。両腕で熱と煙を避け、炎で囲まれた状況をどう判断するか迷っていると、修治の怒号が麻乃の耳に届いた。


「退けーっ! 海岸沿いから離れろ! 堤防側へ向かえ!」


 修治の指示に弾かれたように、近くにいた隊員たちは堤防へ向かって走り出した。砂浜の炎は壁のように広がり、波打ち際を舐めるように伸びていく。


 海側にいた隊員たちの何人かが、炎を越えてこちら側へと転がり出てきた。麻乃はすぐさま駆け寄ると、上着を脱いで隊員たちの服についた火を叩き消した。麻乃自身の袖口にも油が染みていて、火が燃え移ったせいで火傷を負っている。じりじりと焼ける痛みが腕を走った。


 勢いよく燃え上がる炎と黒煙に包まれて、しっかりと確認ができないけれど、体についた火を消すために海へ飛び込んだ隊員もいるようだ。しかし、海の中にも油が流れ込んでいるらしく、海面の一部も炎を上げている。


「隊長! これ以上は危険です! いったん、堤防へ退いてください!」


「あたしはいいから! あんたたちが先に……」


 隊員の小坂(こさか)に答えたのと同時に、炎の向こうから悲鳴に近い叫び声が響いてきた。敵艦からさらに弓矢が放たれたようで、麻乃と小坂の足もとに矢が突き立ち、慌てて飛び退いた。矢尻は熱で真っ赤に焼けており、砂に突き刺さると小さく煙を上げている。


 煙と熱気で視界が悪く、握り直した刀で矢を打ち払うだけで精一杯で、この場から身動きが取れない。汗で手が滑りそうになるのを必死に堪えながら、麻乃は刀を振るい続けた。


 炎を通しても、かなりの本数が麻乃たちのもとまで届いていることを考えると、海側にいる隊員たちはもっと多くの矢を受けているだろう。状況も見えず、助けにも行けず、何もできないことに焦れている。仲間を見捨てることになるかもしれないという恐怖が、麻乃の心を締め付けた。


 煙を吸い込んだせいで咳き込み、目からは涙が止まらない。


「麻乃っ!」


 呼び声に振り返ると、斧を振り上げた敵兵が麻乃の背後に迫っていた。咄嗟に構えるも刀を弾き飛ばされた上に左肩を斬りつけられて、生温かい血が腕を伝った。傷口は思ったより深く、痛みで意識が遠のきそうになる。


(反撃しなければ……! やられてしまう……!)


 腰に帯びたもう一刀の柄を握り、ハッと我に返った。


(駄目だ……これは炎魔刀……!)


 帯刀しているのは麻乃の母親の形見だけれど、麻乃はこの刀を扱うことができない。敵兵の瞳には生者の光が宿っておらず、まるで操り人形のようだった。


 直後、麻乃の右肩を掴んだ手に引き寄せられ、倒れるようにして何かにもたれかかった。顔の横から空を切って誰かの腕が伸び、正面の敵兵が吹き飛んだ。強烈な一撃で、敵兵は数メートル先まで吹き飛ばされ、砂浜に叩きつけられた。


「麻乃、大丈夫かい?」


「穂高! どうしてここに……」


 肩を引き寄せたのは、麻乃と同じ蓮華で第八部隊隊長である上田穂高(うえだほだか)だった。穂高は上着の袖を裂いて麻乃の肩口を強めに縛り、落とした刀を拾ってきてくれた。その手際の良さに、麻乃は改めて穂高の冷静さを実感した。


 穂高はすぐに第八部隊の隊員たちに指示を出し始め、隊員たちは援護と救助に散っていった。


「西詰所の監視隊から中央に連絡があったんだよ。敵艦の数が多いってね。俺と梁瀬(やなせ)さん、今日は休みで中央にいたから連絡を受けてすぐに来たんだ」


「そうか……ありがとう、本当に助かったよ」


 第八部隊の隊員たちが加勢してくれたことで、一気に敵兵の数が減って見える。何より心強いのは、怪我を負った隊員たちを堤防まで速やかに撤退させることができていることだった。穂高たちの到着により、戦況は明らかに好転している。


「急いで来てみて良かったよ。それより、敵兵の様子がおかしいって?」


「そう! あいつら、斬り倒しても起き上がってくるんだよ……」


 喉から血を溢れさせても立ち上がる敵兵を思い出しながら、麻乃は穂高に話した。あの光景は、どれだけ時間が経っても忘れることはできないだろう。


「うん、梁瀬さんがね、敵兵は何か術にでもかけられているんじゃないか、って言っていたよ」


「術……? そうかもしれないけど……確実に仕留めたはずなのに起き上がってくるような、そんな術があるのかな?」


 穂高はまだ止まない弓の攻撃を、器用に槍で払い落とした。


「起き上がってくる? それで足を狙っているのか。それにしても……仕留めても起き上がってくるっていうのは一体……」


 穂高の言葉は、新たに飛来した矢の束によって遮られた。二人は身を寄せ合って矢の雨を凌ぎながら、この異常な戦いの正体を探ろうとしていた。


 炎の壁の向こうで響く隊員たちの声、海面を照らす戦艦の灯り、そして敵兵たちの不気味な沈黙。すべてが麻乃の心に不安を刻み込んでいく。普通の戦いなら、これほど長時間続くことはない。敵も味方も、どこか消耗戦の様相を呈していた。


 それでも今、穂高の頼もしい存在が、絶望的な状況に一筋の光を与えてくれた。


「とにかく、いったん隊員たちを安全な場所へ避難させよう。この異常な敵兵のことは、その後でゆっくり考えればいい」


 穂高の冷静な判断に、麻乃は深くうなずいた。


「そうだね。まずは仲間の命を優先しよう」


 二人は互いに頷き合うと、炎の海と化した戦場で、残された隊員たちの救出に向かった。戦いはまだ終わらない。しかし、少なくとも一人ではないという安心感が、麻乃の心を支えていた。



-----



 麻乃は穂高と共に海岸を見渡した。もうすぐ潮が引き始めるはずで、いつもならその前に敵兵を撤退させるけれど、今日はなかなか引き下がらない。


 射掛けられた弓の数を思えば、まだかなりの兵が控えているだろう。あんなにも戦艦の数が多いのは、そのためでもあるのか。


 ロマジェリカの敵兵に対して、こちらは今、半数ほどしか残っていないだろう……。その隊員たちも疲弊していて、ほとんどが矢を避けきれずに腕や足に怪我を負っている。穂高たちの部隊が加わったとはいえ、麻乃たちの分が悪いのは明らかだ。


 今は、まだ炎が邪魔をしているからか、敵艦から援軍が出てくる様子は見られないけれど、潮が引いて足場が広がれば必ず出てくるに違いない。恐らく次に出てくる部隊こそが、いつもの正規軍だ。


 たとえ先の対処が難しいと感じても、黙って侵入を許すことなどあり得ない。


(堤防の向こうへは……一歩たりとも行かせるわけにはいかないんだ……)


 敵艦の動きを一瞬でも見逃すまいと睨み据えていると、背後でざわめきが起こり、誰かが穂高を呼んだ。その慌てぶりに嫌な予感がして、穂高と共に堤防まで駆け戻った。


 呆然と立ち尽くしている第八部隊の隊員たちをかき分けて前に出ると、麻乃の隊員たちが胸を掻きむしって痙攣している。何人かは青白い顔で泡を吹き、倒れたまま動かない。


「何? 一体、何があったの!」


 気を失っている隊員の頬を叩き、その手を握って麻乃は大声で名前を呼び掛けた。


「これは……何があったんだ?」


「わかりません。急に苦しみだして……」


「まさか……毒矢か! 誰か、修治さんの部隊へ連絡を! それから、彼らは医療所に連れて……」


 穂高が言い終わる前に、苦しんでいた隊員たちも次々と息を引き取った。その場にいる全員が、突然のことに呆然としたまま、誰も口を開くこともできずに立ち尽くした。麻乃自身も目の前で起こったことを受け止めることができず、見開かれたままの隊員の目をじっと見つめた。麻乃が握りしめていた隊員の手も、まったく力を感じない。残っているのは重力に引かれる重みだけだった。

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