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蓮華【改訂版】  作者: 釜瑪秋摩
西浜防衛戦
3/65

第3話 奇妙な敵兵

 堤防の上に立ち、海岸を振り返った麻乃の目に飛び込んできたのは、これまでに見たことがない数の戦艦と、船からこぼれ落ちるように砂浜に降り立ったロマジェリカ国の兵だった。


 黒い船体に赤い帆を張った戦艦が、水平線の向こうまで続いている。その数は優に五十隻を超えているだろう。普段なら十隻程度の小規模な襲撃だったのに、今日は明らかに様子が違う。波間に揺れる船影を見つめながら、麻乃は胸の奥に嫌な予感を抱いていた。


 藤川麻乃(ふじかわあさの)が隊長として受け持っている部隊は第七部隊。隣には第四部隊が立ち並んでいる。第四部隊は安倍修治(あべしゅうじ)が隊長だ。


 西浜、南浜、北浜の各詰所で、敵国の襲来を阻むために待機する部隊の組み合わせは、一番巫女であるシタラの占筮(せんぜい)によって、吉凶を見て取り決められていた。麻乃と修治の部隊は、ほぼ毎回と言っていいほど一緒の組になっている。


 シタラの占いは的中率が高く、これまでの戦いでも最適な配置を示してくれた。麻乃と修治の相性の良さも、きっと占いで見抜かれているのだろう。


 ほかの誰と組むことになってもうまくやれるつもりでいるけれど、昔から一緒に過ごしてきた修治と組むことで、わずかな不安もかき消され、いつでも心強さを感じている。お互いの動きを熟知しているからこそ、一ミリの不安を感じることなく背中を預けることができる。


 とは言え、今日の敵襲はいつもと大きく違う。

 とにかく敵兵の数が多い。

 海を渡ってくるせいか、いつもは一万には及ばない程度の数だったのが、今日はゆうに一万を超えている。南浜や北浜に比べると、格段に狭いのが西浜の入り江だ。そのせいで、視覚的にも余計に敵兵が多く感じるのだろう。


「なんだ……? 今日はやけに多いな」


「うん、多いねぇ」


 普段はあまり感情を顔に出すことの少ない修治が、唖然とした表情で海岸線を眺めている。麻乃もざっと海岸を見渡して答えた。敵兵たちは統制も取れずに砂浜を埋め尽くしている。その中には、いつものロマジェリカ兵とは明らかに違う者たちも混じっているようだった。服装も武器も統一されておらず、まるで寄せ集めの軍団のようだ。

 それでも妙に気負っているのか、勢いだけはあるようで、どの兵も既に武器を振り上げるようにして走ってくる。


「予備隊は?」


「今日は北浜で朝からジャセンベルと交戦中みたい。残りは南浜と中央。あたしらだけじゃキツイかな?」


 修治の表情が一瞬曇る。ジャセンベルは大陸の中でも特に手強い相手だ。予備隊がそちらに回されているとなると、こちらの戦力は心許ない……とでも思っているんだろうか?

 だとすれば、麻乃にとっては不本意だ。予備隊になど頼らずとも、このくらい蹴散らす自信があるというのに。それでも念のため、心にもないことを口にした。


「監視隊に連絡して中央に援軍の要請入れておく?」


 口調で麻乃の不満を感じ取ったのか、修治は問いかけた麻乃に視線を向けると、フッと表情を緩めた。


「ふん……まぁ、大したことはないだろう。腕の見せどころだな。銃や弓隊はいないようだし、さっさと散らしてお帰りいただこうか。麻乃、おまえは左手を頼む。俺たちは右手に向かう」


「わかった。じゃ、あとで」


 後ろに控えている隊員たちを振り返り、海岸の左手を守る指示を出して堤防から飛び降りた。高さ三メートルほどの堤防から軽やかに着地し、砂浜に足を着けた瞬間、敵兵の放つ殺気を肌で感じた。向かってくる敵兵を前に臆するものは一人もいない。

 麻乃の隊員たちは皆、幼い頃から剣術の訓練を積んできた精鋭揃いだ。恐れを知らない目で敵を見据え、得物を構えている。


 ――堤防の向こう側へは、決して敵兵を通さない――


 いつでも隊員たちの誰もが強い思いを抱いて戦い続けている。この思いこそが、彼らの力の源泉だった。


(今日だって、兵数は多いけど……)


 麻乃と修治の部隊なら、単純に一人当たり百人を倒せばいいと考えれば、苦戦を強いられることはないだろう。敵兵が多いことで多少の怪我を負う隊員はいるかもしれないけれど、戦士を引退しなければいけないほどの大けがや、命を落とす隊員までは出ないはずだ。


 現に麻乃の周りにいる隊員たちは、次々と敵兵を斬り伏せている。鋭い刃音が響き、血しぶきが砂浜に飛び散る。麻乃自身も愛刀である紅華炎(こうかえん)刀を振るい、敵兵の首筋を狙って一閃した。刃が肉を裂く鈍い音と共に、敵兵が崩れ落ちる。


(いつも通り。いつも通り戦えばいい。こいつらを一人残らず蹴散らして追い返す!)


 敵兵は数が多いだけで動きは素人同然、やみくもに武器を振り回しているだけに見える。剣筋は定まらず、足運びもふらつき、まるで酔っぱらいのようだ。


(武器も使い古した(やり)()びた剣と斧ばかりじゃないか)


 刃こぼれした剣、柄の腐った槍、錆で茶色に変色した斧――。

 どれも実戦で使うには心許ない代物ばかりだ。ただ、防具だけは妙に厚手の胴衣を巻いていてバランスが悪く、何か不自然な気がした。


 それに――。


 ロマジェリカの戦士たちが常に身にまとっている、淡い黄色の軍服を着ている兵士の数が少なすぎる。

 周囲の敵兵を斬り倒した麻乃は、もう一度、海岸に視線を走らせた。ロマジェリカの襲撃のときには必ずと言っていいほど、前線まで出てくる強者や指揮官の姿が見えない。


(こいつら……一体、誰が指揮をとっているんだろう?)


 これだけの兵数に対して指揮官が一人もいないのは、どう考えてもおかしい。

 いつもとは違う部隊なのだろうか?

 仮に違う部隊だったとしても、指揮官くらいはいるはずだ。軍隊として機能するには、必ず指揮系統が必要になる。これほどの大軍が指揮官なしで動いているとは考えにくいし、それが軍服を着ていない理由とは考えにくい。


 開戦から時間が経ち、麻乃だけでも七十の兵を倒しているけれど、なぜか敵兵が減ったように感じない。額に汗が滲み、息も荒くなってきた。刀を振るう腕に疲労が蓄積し、動きが鈍くなっているのが、自分でも分かる。足元が重く、もつれるような感覚に、疲労だけが重なっていくようだ。


(おかしい……こんなに倒したのに、なぜ数が減らない?)


 振り返れば、砂浜には無数の敵兵の死体が転がっているはずなのに、目の前には相変わらず大勢の敵兵が立っている。まるでどこからか湧いて出てくるかのように。大きく息をついて刀を構え直し、向かってくる敵兵へと切っ先を向けた瞬間、傍らで敵兵を相手にしていた隊員の川上(かわかみ)が、突然、麻乃の背後に寄り添ってきた。


「隊長! こいつら変です!」


「変? 何が……」


 手にした刀を構え直し、ひどく焦った様子の川上を振り返ると、その足元に転がっていた敵兵がむっくりと起き上がった。


 喉から溢れ出た血が、その胸元を濡らしている。それはどう見ても致命傷で、普通であればこと切れているはずなのに、武器を振りかぶって近づいてくる。その目は虚ろで、意識がないかのようだ。同じように周辺でも、倒れた敵兵たちが何人も起き上がりはじめた。胸を貫かれた者、首を半ば切り落とされた者——どれも生きているはずがない傷を負いながら、ゆらゆらと立ち上がる。生気のない敵兵の表情に、麻乃はゾッと背筋を震わせた。


「なんだ……こいつら……」


 戸惑う麻乃に向かって伸びてくる敵兵の腕を、川上が次々に斬り落としていく。切り落とされた腕は砂浜に転がり、そこからも透明な液体が流れ出している。背後から斬りつけてきたのを、身を低くしてかわし、回り込んですり抜けざまに胴を斬り払った。


 深く食いこんだ刃と吹き出す血しぶきに、明らかに命を絶った感触が伝わってくるのに、また、起き上がってきた。傷口からは血と共に、あの透明な液体がねっとりと流れ出している。


 あまりにも異様な光景にこらえ切れなかったのか、川上が嘔吐した。


(死んでない……死なないっていうのか? さっきからロマジェリカの兵が減った気がしないのはこのせい?)


 斬り払ったままの格好で呆然としていた麻乃の手に、生温かいものが滴ってきた。刀身を伝って(つば)を濡らし、柄糸にまで染みているのは、血ではなく透明な液体だ。濡れた指先をすり合わせると、ぬるりとした感触だ。


「血……? じゃあない……油だ……」


 たった今、斬ったばかりの胴衣からジワリと染み出して砂浜を湿らせている。足元が妙に重く感じていたのは油で濡れた砂のせいか。


 奇妙な敵兵はどういうわけか、麻乃の周辺に群がってくる。まるで自分を狙い撃ちにしているかのように感じる。隊長である麻乃を倒せば、部隊全体の士気を削げると考えているのかもしれない。小柄な体を生かして敵兵の腕を掻い潜り、今度は膝下あたりから足を斬り落とした。ざくりと肉を断つ感触と共に、敵兵がバランスを崩して倒れる。


 敵兵は足を失って立ち上がることができずに、ただ、もがいている。両手で砂浜を掻きながら、這いずるようにして麻乃に向かってくる異様な光景に肌が粟立つ。その顔には表情がなく、まるで人形のようだった。


「川上! 足だ! 足を落として動きを止めるんだよ! 誰か! 伝令を! 起き上がる兵は足を狙うように! 第四にも回るように、周囲への伝達を怠るんじゃないよ!」


 倒しても倒しても向かってくる敵兵に苦戦を強いられている川上だけでなく、周辺の隊員たちにも行き届くように大声で指示を出した。麻乃の声は戦場の喧騒の中でも大きく響き渡り、隊員たちがハッと顔を上げる。


 すぐに隊員たちの戦い方が変わった。胴体を狙っていた攻撃を足に集中させ、敵兵の動きを封じることに専念する。効果は絶大で、動きを止められた敵兵たちは、もはや脅威ではなくなった。


(一体、この敵兵たちは何なんだ……?)


 戦いながらも、麻乃の頭の中では疑問が渦巻いていた。死んでも起き上がる兵士、透明な油のような液体、そして指揮官の不在——すべてが異常だった。これまでの戦いとは根本的に何かが違う。

 敵兵の数はようやく減り始めていたが、戦いはまだ終わらない。麻乃は紅華炎刀を構え直し、次なる脅威に備えた。


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