第2話 泉翔国
誰もが日々の鍛錬を続けるようになり、それが子どもたちへと受け継がれていくようになったころ、巫女がまたご神託を受けた。
『十六の歳に洗礼を受けたものの中から戦士を選び、三日月の守護印を授けます。そして印を受けたものが迷わないように、率いる力を持つものを八人選び、蓮華の花の印を授けます。ただし、これは守る思いにのみ発揮される守護の証です。決してそれ以外のことに向かわないように。毎年、収穫の時期には収穫祭を執り行い、大陸に眠る女神さまの兄神さまのもとへ蓮華の印を持つものが奉納に行くこと。それを守ることで、守護の力を確固たるものとします』
その後、行われた洗礼の儀では、戦士として選ばれた数十人に三日月の形をした痣が浮かび出た。そして、その中に蓮華の花を象った痣を持つものが八人。彼らはそれまで以上に鍛錬を重ね、皆の思う以上の力をつけていった。
蓮華の印を持つものだけは、特別な存在の証であるかのように、八人を超えることはない。病気や不慮の事故、老齢で亡くなったときにだけ、翌年の洗礼で新たな蓮華の印を持つものが現れた。
巫女のご神託通りの戦士たちの誕生――。
これで万が一にも襲撃されるような事態に陥っても、何もできずに戸惑い逃げることなく立ち向かえる。戦士たちだけでは対応が出来なかったとしても、誰もが十六歳まで鍛錬を続けているのだから、易々とやられることはないだろう。
徐々に確立されていく人々の生活の中で、信仰もさらに発展していく。
島の人々は女神さまを『泉の女神』と呼び、その教えを女神信仰として守り続けている。収穫祭と奉納を執り行い、親から子へ、子から孫へと約束を語り継ぎ、それぞれが自らを鍛えながら大地を育み暮らした。
蓮華の印を持つ戦士たちだけは、毎年、収穫祭の時期が来るたびにひっそりと島を離れ、供物を手に何日もかけて大陸へと忍んだ。決して大陸の人間に見つからないよう、四つの国の中にある兄神さまたちの祠を探しだし、人目につかないように供物と祈りを捧げ続けている。そこで目にするのは、言い伝えに聞く通りの荒れ果てた土地であり、争いを続ける四つの国の人々だった。
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島の人々はやがて一つに結束し、泉翔という国を作った。そして国民の中から国王が選ばれた。
各地区を代表する長も決まり、新たなルールが次々と決まっていく。ゆっくりとではあるが、国としてのまとまりも人々の中で大きく育まれていった。
四方を海で囲まれた泉翔国は、城のある中央をはじめ、東、西、南、北の五つの区域に分けられた。どの区域もそれぞれの特色を持ち発展している。
中央区には王城と神殿があり、政治と信仰の中心となっていた。北区は漁業が盛んで、新鮮な海の幸が豊富だった。東区は手工芸が発達し、美しい織物や陶器、また、戦士たちのための武器や防具の製造が多く発達していた。西区は稲作や野菜、果樹栽培が盛んで、南区は山間部を活かした林業と鉱業が主要産業だった。
生活の基盤が発達してどんなに豊かになろうとも、人々は平和な日々を送りながら、いつか来るかもしれない脅威に備えて、日々鍛錬を怠らなかった。
そしてある時期から、ひっそりと大陸へ潜んで土地に慣れ親しみ、四つの国の情報を泉翔へ伝える役割を担う機関も作られた。彼らは危険を承知で役目を率先して引き受けてくれた。それもすべて、この国を守りたいからという純粋な思いからである。
荒廃した土地に危険を顧みず腰を据えることを選んだ彼らは、各国で虐げられる生活を送りながらも、着実に根を張り居場所を作り、やがては彼らだけのコミュニティの確立に成功した。各国に散った仲間たちとも密かに繋がりを持ち続け、収穫祭の時期に訪れてくる蓮華の印を持つ戦士たちを支援した。
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時が経ち、文明が発達すると大陸の人々は動き出し、海を渡り、ついにこの島を目にすることとなる。
そこはもはや枯れ果てた大陸とは違い、自然の溢れる島だった。青い海に囲まれた緑豊かな土地、豊富な水源、肥沃な大地――まさに楽園のような光景が広がっていた。
北のロマジェリカ、南のジャセンベル、西のヘイト、東の庸儀。四つの国が、それぞれの思惑をもって泉翔国を手に入れんとし、進軍を始めた。
ロマジェリカは厳しい寒さに苦しみ、温暖な土地を求めていた。ジャセンベルは砂漠化が進み、水源を必要としていた。ヘイトは人口増加に苦しみ、新天地を探していた。庸儀は資源の枯渇に悩み、豊かな鉱物資源を狙っていた。
泉翔国は、長い時をかけて鍛え上げた戦士たちの手によって、それを阻んだ。これより泉翔国は、思いとは裏腹に戦乱に巻き込まれていくこととなった。
戦士たちは決して流されず、すべての行動を防衛のためだけに働かせている。侵略者を撃退しても、決して追撃はしない。報復もしない。ただひたすら、故郷を守ることだけに専念していた。
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現在、泉翔には蓮華の印を持つ八人を筆頭に、五十人の戦士を一部隊として、全部で八部隊が存在していた。
そこに組み込まれていない戦士は、予備隊として同じく五十人を一組に数部隊がいた。洗礼で印を受けたばかりの者は、約二年間を訓練生として、戦うための体力の底上げや基礎を学んだ。
年々増えていく戦士を取りまとめるための組織も作られた。戦士長と呼ばれる蓮華の印を持つ八人が、それぞれ一部隊ずつを統率し、全体を統括する総戦士機関が置かれた。
大陸の四つの国が侵攻をしてくる西、南、北区には戦士たちのためのさまざまな設備が配置されている。
敵国の艦隊を監視するための塔は、海岸線に沿って建てられ、常に見張りが立っていた。訓練をするための演習場は、実戦を想定した様々な地形が再現されている。
いつ襲撃をされてもすぐに対応できるように、また、十分な休息が取れるようにと、戦士たちの詰める宿舎が整備された。食堂、浴場、医務室なども完備され、戦士たちが最高の状態で戦えるよう配慮されていた。
常にどの浜にも二部隊ずつが配備され、残る二部隊は休息を与えられた。この交代制により、戦士たちは常に万全の状態で任務に当たることができた。
他にも、巫女たちを頼り、組み合わせの吉凶を占ってもらったり、収穫祭や奉納を行うための教示を受けたりしている。戦士たちにとって、女神への信仰は戦う力の源でもあった。
国を、民を守るためならば、人を殺めることさえいとわない。たとえ自分が命を失うことになっても戦い続ける。そんな強い思いと覚悟を抱いて戦士たちは全力を尽くし続け、今に至る。
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神殿のそばにある泉の森で、集められた子どもたちは、巫女の長であるシタラの話を聞いていた。毎年、こうして昔話が語り継がれている。
「さてさて……戦士たちはこうして生まれることとなったのだけれど、この中の何人が、新たな戦士として印を受けるかのう」
泉翔ができるまでの古い言い伝えだ。それは神殿の近くにある資料館にも、文献として残っている。この島国で起こったさまざまな出来事や、いにしえの伝承とともに。
「もちろん、必ず戦士にならなければいけない、ということはないのだよ」
「農業を営むもの、狩りをするもの、この国にはたくさんの職業があるのだから」
年寄りは口をそろえて同じことを言う。確かにそのとおりだと思う。みんながみんな戦士になってしまったら、人々の生活が成り立たない。戦士たちが使う武器を作る職人だって、当然、必要だ。
ただ、この国では物心がついたころから必ず、誰もが十六歳を迎えるまで道場へ通っている。たとえ戦士にならなくても、体を鍛え、自分の身は自分で守れるようにとの願いを込めて。
泉の森に集められた大勢の子どもたちの中で、その一番後ろに腰を下ろして膝を抱えた少女がいた。
小さな体をさらに小さくし、なるべく人の目に触れないようにしながらも、戦士になることを誰よりも強く望んでいるのは自分だと信じている。それが麻乃だった。
そんな思いを察したかのように、隣から大きな手が伸び、赤茶色のくせ毛をそっとなでた。
「俺たちは絶対に戦士になる。そうだろ? 麻乃」
「うん。なるよ。修治もあたしも、絶対に」
修治は麻乃の二歳年上の幼馴染で、いつも彼女を守ってくれる頼もしい存在だった。体格も良く、剣術の腕前も同年代では群を抜いていた。
巫女たちを取りまとめる、一番巫女と呼ばれるシタラが立ち上がると、その場にいた子どもたちも全員が立ち上がり、麻乃も修治とともに慌ててそれにならった。
つと、シタラの視線が麻乃に向く。その、どこか冷たく憂いを含んだ視線を受けるたびに、麻乃自身、言いようのない不安を覚える。
(おまえは違うのだよ――)
そう言われているように思えて、麻乃はその目を避けてうつむいた。指先、つま先から、全身が冷えていくようだ。小刻みに震えた手を修治がグッと握りしめてきた。
「俺がいる。おまえは大丈夫だ」
小さくうなずいて唇を噛み、泣きそうになるのをこらえた。修治がここにいる。それだけが支えだった。だからいつでも立っていられた。
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数年の時を経て、麻乃も修治もこの国の戦士となった。
厳しい訓練を乗り越え、洗礼の儀式で蓮華の印を授けられた。麻乃は小柄で華奢な体つきだったが、その分、俊敏性と集中力に優れていた。修治は力強く、仲間たちからの信頼も厚かった。
二人は共に部隊を持ち、ほとんどの任務を一緒にこなした。戦士になりたての不安な時期も、修治が共にいることが麻乃にとって大きな安心に繋がっていた。
過ごす時間が多くなればなるほど、自分の部隊の隊員たちとの距離が近づく。それは両親を失っている麻乃にとって、新たな家族の形として大切にしたいと思える関係だった。決して誰にも崩されることも、壊されることもないように守りたい……。
――そう。
だから今、あたしはここに立っているんだ。
すべてのものから……すべての不穏から守るために。そう。守るために。
海風を背に受け、麻乃は大きく振り返った。
背後には愛する故郷、泉翔国が広がっている。緑豊かな森、清らかな泉、平和に暮らす人々。女神さまが命を賭けて守ってくださったこの島を、今度は自分たちが守る番だ。
修治が隣に立ち、いつものように心強い笑顔を向けてくれた。
「行くぞ、麻乃」
「うん」
二人は剣を抜き、迫り来る敵船に向かって駆け出した。
女神の加護を受けた戦士として、この国を、この島を、そして大切な人たちを守るために。
戦いは続く。しかし彼らは決して折れない。泉の女神への信仰と、仲間との絆を胸に、麻乃たちは今日も戦い続けている。