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蓮華【改訂版】  作者: 釜瑪秋摩
古巣での待ち人
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第11話 里帰り

 中央の宿舎に戻ると、早速、荷作りを始めた。

 三カ月も西区で過ごすとなると、あれもこれも必要な気がするし、いらない気もする。


 片付けることが苦手な麻乃の部屋は、いつも散らかしっぱなしで、なにから手をつけて箱詰めしていけばいいのか、それさえもよくわからない。気づけばすっかり陽が落ちて、部屋の中は薄暗くなっていた。

 途方に暮れながら、とりあえず着替えを箱詰めしようと衣類に手を伸ばすと、背後でため息が聞こえ、麻乃は飛び上がりそうなほど驚いた。


「ったく……おまえの部屋は相変わらずの散らかりようだな」


 いつの間に来ていたのか、ドアの前に立つ修治は呆れた表情をして部屋を眺めている。


「傷が痛んで、はかどらないだけだよ」


 麻乃は慌てて手元の本を積み上げ、痛みを堪えながら片付けをしているふりをした。


「そういう問題か? おまえの場合、それ以前の問題だろう?」


「だって……片付けとか掃除とか苦手なんだもん」


「大抵のものは自宅にあるだろうが。足りないものは、あとから巧にでも送ってもらえ」


 修治は衣類だけ箱詰めすると、さっさと運び出していく。そしてもう一度部屋に戻ってくると、麻乃の刀、紅華炎刀(こうかえんとう)に目を向けた。


「こいつはひどいな。柄糸が燃えちまってるじゃないか」


「うん、油が染みてたからかな。目釘も緩んじゃってるし、刀身はぶれてるし、帰ったら直しに出さないと」


「おまえのは周防(すおう)の爺さまのところだったな。戻ったら早いうちに持っていけ。ああ、それと、明日なぁ……」


 腰に手を置いて、言いにくそうに目をそらして外を見ている。修治がこんなふうに言葉に詰まったりためらったりするのは珍しい。なんとなく、嫌な予感がする。


「なに……? 明日の出発でなにか問題でもあるの?」


「いや……高田先生がな……戻り次第、なにを差し置いてもまず顔を出せ、だってよ。日が暮れてから行くわけにもいかない。早朝に出ないとまずいだろうな」


 うっ、と麻乃まで言葉に詰まった。

 朝早いのは特に問題はないけれど……。

 思わず両手で顔を覆うと、指の隙間から修治を覗き見て、念のため聞いてみる。


「それは、回避は不能?」


「……だろうな」


「あーっ! 嫌だなぁ……ねえ、今からでも帰るのやめにしよっか?」


「馬鹿か。そんなことをしたら、あとで余計にやっかいな目に遭うぞ。まあ……多分、呼ばれるとは思っていたし……仕方ないだろうな。諦めろ」


 修治は苦笑しながら最後の箱を手にすると、ドアを開けて振り返った。


「じゃあ、今夜中に荷物を送る手配はしておくから、明日は朝、四時に下でな。いいか? 四時だぞ」


 バタンとドアが閉まったのを見て、ため息をこぼした。


「そんなに念を押さなくたって、わかってるってのに」


 ブツブツと文句を言いながら、とりあえず最近手に入れたばかりの本を数冊、鞄に詰め込み、散らかったものを少しだけ片付けた。


(そういえば、軍部のほうにいくつか資料を置きっぱなしにしていたっけ)


 のろのろと立ち上がると、宿舎を出て軍部に向かった。

 個室で必要な資料をまとめて、これも鞄へと詰め込む。窓の外が普段より明るい気がして、屋上へ上がってみることにした。


(やけに明るいと思ったら、満月だったのか)


 鉄柵に寄りかかり、夜の闇に包まれた泉の森を見つめながら、亡くなった隊員たちを思った。

 医療所からの帰り道、遺体はすべて回収されたと修治から聞いていた。戦士が全員左腕に付けている白銅の腕輪には、識別番号が刻まれている。その番号で焼死した隊員が判別できたそうだ。


 近いうちに合同葬儀がある。

 きっと、これまでにない規模の葬儀になるだろう。


 強い胸の痛みと同時に、体のあちこちも痛む。左肩の傷も、思ったより浅かったとはいえ、斬られたのは事実だから。

 包帯の上から左腕をさすり、月を仰いだ。青白い光が全身に絡みついてくるようで、総毛立つような不気味さを感じる。

 それなのに、なぜか目が離せない。


 琥珀色の月は、気持ちを温かくしてくれるようで好きなのだけれど、今夜の青さはなんだか怖い。

 黒い塊に掴まれた腕がちりちりと痛むのは、火傷のせいだろうか……?


 不意に誰かの視線を感じて振り返った。辺りは暗闇が続くだけで、誰の姿もありはしない。重々しい空気が麻乃の周りに満ちているようで、膝を抱えてその場にうずくまると、ゆっくりと深く、呼吸を繰り返した。

 肩の傷も、腕の火傷も、みんなを失った胸の痛みも、すべてが重くのしかかってくるようで、苦しくてたまらない。


 気が遠くなりそうな、このまま眠ってしまいそうな、そんな感覚に陥っていると、突然、屋上の鉄扉がガーンと大きな音を立てて開いた。

 驚いて顔を向けると息を切らせた鴇汰が立っている。

 その姿を見て妙にほっとして、声をかけた。


「なんだ、鴇汰か。どうしたのさ? こんな時間に」


「なん……だ、じゃなく、て……あ……麻乃こそ、こんなトコで……」


 走ってきたのか、息が上がって言葉に詰まっている姿がおかしくて、麻乃はつい吹き出してしまった。


 これまでの重苦しさから、急に解き放たれた気がした。


 なにか言いたげに麻乃を一睨みし、大きく深呼吸して息を整えた鴇汰は、大股で歩み寄ってくると、腕を組んで麻乃を見下ろし、一気にまくし立てた。


「笑いごとじゃねーだろ! 下から姿が見えた気がして上がってきたら、本当にいやがる。なにしてんの? おまえ。こんなところで。ってか、医療所は? 怪我の具合はどうなってんのよ?」


 余りの勢いにたじろいでしまう。怪我くらい、良くあることだし、今回程度で済んでいるんだから、麻乃がどこにいようと怒られるほどじゃないだろうに。


「うん、大したことはなかったんだ。すぐ帰っていいって言われたよ。今は薬で痛みもない。そうだ。医療所まで鴇汰が運んでくれたんだってね、面倒をかけたね。ありがとう」


 麻乃は抱えた膝頭に顎を乗せ、疑わしそうに睨む鴇汰を上目遣いに見上げた。


「そんなことはいいんだけどよ。でもよ、だからってこんな遅くまで、フラフラしてんのはどうかと思うぜ? 怪我人なんだから、こんなときくらいは早く寝とけよ」


「あのねぇ……あたし、子どもじゃないんだから。それよりあんたこそ、こんな時間にどうしたのさ?」


「俺? 俺は今から南詰所に行くトコよ」


「ああ……そっか……あたしらが出られないぶん、迷惑かけちゃうよね。ホントにごめんね」


 本当なら、明日から南詰所に待機するのは、麻乃と修治の部隊だった。今更ながら、前線に出られないんだということを実感する。

 こうやってみんなに迷惑をかけているんだ。

 不甲斐ない思いに、またため息がこぼれる。


「いいんじゃねーの? たまには。俺にとっちゃ持ち回りが少しくらい増えたところで、どうってことはねえんだし」


「けど……」


「でもまあ悪いと思うなら、今度メシでもおごってくれよ。俺は麻乃が作ったもの以外なら、なんでも好きだからよ」


 鴇汰はそう言って笑った。


「フン! どうせね、あたしは料理も苦手だよ」


 立ち上がると、鴇汰の足を思い切り踏みつけてやった。修治といい鴇汰といい、失礼なことを平気で言って腹立たしいったらない。痛がってしゃがみ込んだ鴇汰の背中を軽く叩いた。


「さてと……あたし、もう戻って寝るわ。鴇汰もこれから南なら、早く行かないと。下で部隊のやつらが待ってるんじゃないの?」


 振り返らずに階段へ向かう。なんとなく、それ以上鴇汰にかける言葉が見つからず、麻乃は無言で歩いた。

 鴇汰のほうも、特になにも声をかけてはこない。ただ、後ろから心配しているだろう思いだけが伝わってきた。その距離感が今の麻乃にとっては、とても楽であり、気持ちを和らげてくれる。


「じゃ、気をつけて。あとのこと、頼んだよ」


 軍部の玄関を出るところで声をかけると、鴇汰は答えの代わりに軽く手を上げ、隊員たちのところへ走っていった。鴇汰の後ろ姿を見送ってから、麻乃は部屋へ戻った。


 その夜は眠りが浅く、目が覚めたらまだ四時前だった。

 外は真っ暗でとても寒い。

 支度を済ませ、刀と鞄を両手に下げて宿舎の玄関を出ると、もう修治が待っていた。


「思ったより早かったな」


「だって、あんなに念を押されたら、早く来るしかないじゃないのさ」


「いい心がけじゃないか」


 意地悪な表情でにやりと笑った修治の後ろから、梁瀬が顔を出した。


「あれ? 梁瀬さん、見送りに来てくれたの?」


「うん。場合によっては送っていかないと駄目かと思ったんだけど、麻乃さん、意外と元気そうね」


 梁瀬は眠そうに大あくびをしている。送ってくれようという気持ちはありがたいけれど、麻乃も修治も、それは丁重にお断りした。なにしろ梁瀬は運転が危ない。


「うん、心配させたみたいでごめんね。おまけに迷惑もかけるけど……」


「迷惑をかけるのは、お互いさまだよ。僕だって、怪我で休むのなんかしょっちゅうなんだしね。せっかくなんだから、ゆっくりしてくればいいよ。僕は近いうちに、資料を届けがてら遊びに行くから」


「うん、ありがとう。向こうで待ってるよ」


「さてと、それじゃあ出かけるとするか。荷物は後部座席へでも放り込んでおけ」


 修治が運転席のドアを開けて車に乗り込むのを見て、急いで助手席に収まると、梁瀬に手を振って別れた。中央から西区へ向かう山道を、修治はまだ薄暗い中でも慣れた手つきでハンドルをさばいている。


 その隣で麻乃は、資料を読みながらうとうとしていた。

 途中で何度か休憩を取り、西区に入ったのは午前六時を回ったところだった。


「そろそろ稽古が始まるころか」


 道場へ向かう途中の道で、何人か子どもを追い越したのを横目に、修治が言う。

 敷地へ車を止めて道場の裏口に回った。


「あ~……気が重い……ねぇ、気が重いよ~」


「言うな。こっちまで気が重くなるだろうが」


 二人が幼いころから通い詰めた道場は、高齢の師範が道場の主だった。

 蓮華を引退した高田がその後を継ぐようにやってくると、数人の師範たちに他の子どもたちを任せ、麻乃と修治は高田から直々に、熱心に鍛え上げられた。


 両親のことも、麻乃の事情も知っていたから、武術以外でも常に目をかけて力になってくれる。それだけに、麻乃にとっては、高田は親同然でもあり、恐ろしい存在でもあった。

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