死にたくないので暴虐将軍にモブ酌婦としてすり寄り、媚びを売りまくった結果
保険とかではなく、がっつりR15のつもりで書きました(遊森比)
「フィルゼ! あんた、皇帝陛下に色目使うなんて、どーゆーつもり!?」
とんでもない言いがかりに、私は目をぱちくりさせた。
「色目、とは……?」
「とぼけんじゃないわよ!」
数人の侍女たちが詰め寄ってくる。
「陛下がいらっしゃる時に限って出しゃばって!」
「まさか自分も愛妾におさまろうってんじゃないでしょうね!?」
「姫様を差し置いて! タヌキ顔のくせに!」
ここは、イルシャド帝国の王城内にある、小さな宮殿だ。
最近、キーバンという小さな国が、帝国の支配下に入った。王族は皆殺しになったけれど、大臣の姫・ナーラは、皇帝に気に入られて召し上げられ、寵愛を受けている。私たちは姫の侍女だ。
陛下の寵愛の深さを示すかのように、ここはとにかく美しい宮殿である。部屋や調度品が豪華なのは言うまでもなく、庭には花が咲き乱れ、川が引かれて小さな滝が水音をたてている。
その川沿いに、私、タヌキ顔のフィルゼは追いつめられていた。
「私は何もっ。陛下に話しかけられたことがあるくらいで……」
「近寄るからでしょうが、図々しい!」
宮殿の二階のバルコニーから、ナーラ姫が手すりにもたれ、無表情でこちらを見下ろしているのが見えた。止めもせず。
(あっ、これ、ヤバいやつ!)
私は急いで、こっそり何度か深呼吸をした。
で、案の定。
「タヌキは鍋にされて食われるのがお似合いよ!」
ドン。
突き飛ばされ、足下から地面がなくなった。
どぼーん、と身体が水に包まれる。庭の景観としての川のくせに、無駄に深い。
(ど、どうしよう、どうしよう。泳ぐのは得意だけど、上がったところでまた沈められるっ)
バシャバシャと手を動かし、溺れる風を装いながら、あえて流された。宮を囲む石垣が目の前に迫り、頭をぶつけそうになって、あわてて潜った。
(宮から出たところで、川から上がれれば……)
しかし、石垣の下をくぐると急に流れが速くなった。身体が、落ちていくのを感じる。
(そうだった、宮は丘の上だった!)
丘の下は兵舎だと聞いている。兵たちに捕まったら、タヌキ鍋にされるかどうかはともかく、ひどい目に遭うだろう。
(途中でどこかに身を隠そう。早く、早く川から上がらなきゃ!)
「ぶはぁ!」
水面に顔を出し、私は息を吸い込んだ。
宮殿の外は暗い。わずかな月明かりを頼りに、必死で水をかき、少しずつ岸へ近づいていく。
(うそ、少し明るくなってきた!? まさかもう兵舎!?)
そう思った瞬間、手が細長いものに触れた。水辺に垂れ下がった枝か蔦のようだ。
たぐり寄せてしっかりつかみ、身体を引き上げた。侍女のお仕着せが、水を吸って重い。足が岩の出っ張りをとらえ、何とかよじ登ることに成功する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
手をついて、息を整えた。
そんな私の耳に、きゃあきゃあという嬌声が入ってくる。
強い視線を、感じる。
(えっ?)
私は顔を上げた。
(あ。終わった)
そこは、兵舎ではなかったものの、丘の中腹で。
小宮殿と兵舎の間に位置する、別の宮の庭だったのだ。
庭では、宴の真っ最中だった。
敷物の上に料理が盛られた大皿が並び、その向こうにしつらえられた座に、大柄な人物があぐらをかいて何人もの女をはべらせているのが見える。
長い黒髪、浅黒い肌、頬の傷。筋肉の盛り上がった上半身を晒すその人物。
キーバンの女王を晒し首にした、『暴虐将軍』カレドだ。
彼は、突然川から上がってきた私を、赤茶の瞳で射るように見ていた。
「何だぁ? お前は」
(ひっ……)
私は、濡れた身体で震え上がる。
(あっ、でも待って。これは生き延びるチャンス!)
ナーラ姫は侍女たちを止めなかった。姫も、私が皇帝に『色目』(?)を使ったと思っている。
姫は亡国の運命を受け入れる代わり、皇帝の愛妾の地位は死守なさるおつもりだ。あのまま小宮殿に残っていたら、姫に毒殺処分されてたかもしれない。川に落とされただけマシだったのだ。
カレド将軍なら、あんなにたくさん女の人をはべらせているのだから、タヌキ娘の一匹や二匹、増えても許して下さるかもしれない。
(命さえ助かればめっけもの! 権力にすり寄ろう! 全力で、媚びよう!)
「カレドさまぁっ」
私は、わしわしと四つん這いで将軍に近づいた。
「やだー」
「目の周りが真っ黒」
「濡れダヌキ」
露出の高い女たちが騒ぐ。化粧が崩れた私は、ますますタヌキ風の顔になってるらしいけど、構うもんか。
「私にも、お酌させてくだしゃ、へっきゅしゅ!」
くしゃみが出てしまった。
将軍はニヤニヤと笑う。
「惨めな姿で何を言ってる。ああ、その格好、キーバンの姫の侍女だな?」
カレド将軍の声……キーバン王宮が襲われた時にも聞いた。
『王族は一人も逃すな』
燃える王宮を背景に、黒々と浮かび上がるその姿は、悪魔のようで。
その顔には、いっさいの表情がなかった。
声も、今と違って、凍りつきそうなほど冷たかった。
ビクビクしながら答える。
「はいっ、フィルゼと申します! 侍女でしたが追い出されました! 皇帝陛下に、イロメ? を使ったらしいです! よくわかりません!」
「あの子が色目?」
「無理無理ー」
また女たちの笑い声。
(なんかわからないけどウケてる! 将軍も、お止めにならない!)
こちらは必死なので、話を聞いてもらえているうちにと、言葉をつなぐ。
「セタール(三弦の楽器)と料理は得意ですっ、あっでも何でもします! どうかお仕えさせて下さいっ!」
「お仕え、ね」
クックッと笑いながら、将軍はあぐらを崩して立ち上がった。
しなだれかかっていた女たちも、砂糖の山が崩れるようにいったん離れ、そして再び彼にまとわりつく。
「まあ、試してやるか。俺に気に入られるようなことをしてみせろ。三日、時間をやる。じゃあな」
それだけ言って、将軍は踵を返した。庭の奥に宮殿があり、女たちとともに外廊下から上がって、扉から室内へと消えていく。
「…………試すって! やったー!」
私は思わずバンザイした。
「でも失敗したら殺されるかもよ」
「えっ」
急に話しかけられて振り向くと、料理を片づけている使用人のおばさんたちだった。
「将軍がああおっしゃるから、あたしたちの寮に泊めてやるけど」
「カレド様に気に入られるようなこと、できるの?」
「あんた、若いは若いけど、美貌や身体で勝負ってタイプじゃなさそうだしねえ」
「わ、わかってますようっ!」
丸顔で、上半身はすっきりなのにお尻は大きく、そしてチビ。子どもの頃からタヌキっ子と言われてきた私である。
半泣きになりつつも、私は必死で手だてを考えながら視線を巡らせた。そして、「あっ」と声を上げた。
「あの、それ、ちょっともらっていいですかっ?」
「……これかい? いいけど」
おばさんが首を傾げながら差し出したのは、パンに塗る蜜の入った壷だった。
三日後。
服を借り、化粧をし、今度こそちゃんとした(?)格好で、私はカレド将軍の御前にいた。膝を突いて、伏してお辞儀をする。
「カレド様のお気に召しそうなものを、持って参りました!」
私の目の前には、布のかかった、スイカくらいの大きさのものが置いてある。
将軍は鼻で笑い、それに視線を落とした。
「お前が? 亡国の姫つきのただの侍女、今では捨てられタヌキのお前が、俺の喜ぶものを……だと?」
「はいっ」
私は顔を上げ、それを持って立ち上がると、おずおずと将軍に近づいた。あぐらをかいた膝に触れられそうなところまできて、再び膝を突いて差し出す。
「お納め下さい」
将軍は無造作に左手を差し出した。私は、それを乗せる。
「軽いな」
つぶやきながら、ぱっ、と将軍は右手で布を取り去った。
現れたのは、目の粗い籠である。中に入っているのは──
──つやつやした黒い角、虹色に輝く羽を持つ、大きな昆虫だった。
「…………」
将軍は、まじまじとそれを見つめた。
私は両手を拳にして力説する。
「タラガリード・アクラン・オオカブトです! いやぁ、大物がかかりました! 宮殿の庭にアクランの木があったので、もしかしてと思って蜜を塗っておいたら今朝早くに!」
私は木登りも得意である。
「……カブトムシを、俺が喜ぶと?」
「そりゃあ」
色気がないので愛嬌で勝負するしかない私は、両手を頬に当てるなどしてポーズ。
「男の子って、こういうの、お好きでしょ?」
「ぶっ。はははは!」
いきなり、将軍は笑い出した。
「男の子、と来たか! このカレドを! ははは!」
(あら? ひょっとして、何か間違った!?)
一抹の不安が脳裏をよぎったものの、今さら引き返せない。両手を組み合わせて媚びながら、強引にぶっ込む。
「殿方はいつまでも、心の中に少年の部分をお持ちだって聞きました!」
「もしかしてお前、男のきょうだいがいるか」
さすが将軍、鋭い。弟がいる。
昔、カブトムシ大好きな弟のため、捕まえる方法をあれこれ考えたものだ。
「それで、蜜を使って捕った、と」
くっくっくっ、と笑い続けながら、将軍は籠を脇に置くと、いきなり身を乗り出して私の手をつかんだ。
「ひゃあ!?」
ぐいっ、と引っ張られて──
──気がついたら、将軍の膝の上に乗せられていた。
「カレ」
言いかけた口が、何か柔らかいもので、むちゅっとふさがれる。
(!?)
口づけられたと気づいたのは、すでに顔が離れた後だった。
(はわ……)
クラクラしていると、聞かれる。
「お前、名前はなんと言ったか」
「フィルゼ……」
「いいだろうフィルゼ、合格だ。お前、俺の側にはべれ」
一瞬、ぽかんとしてしまったが、私は急いで返事をした。
「──はいっ!」
この際、初めての口づけだったのにとか、権力の前では些末なこと。
ひとまずは命を長らえた、めでたい瞬間だった。やったー!
その夜はさっそく、将軍のすぐ側にはべって、酌婦をした。
胸当て、ヘソ出し、膨らんだパンツ。似合わないのはわかっているけど権力の前では以下略。というか、帝国の下女はこの格好と決まっているのだ。
大きな手が美しい酒杯を干す横で待機し、せっせと酒を注ぐ。
「えー、なんでこの子がいるのぉ?」
「ねぇカレドさまぁ」
女たちが私を見て、ぶーぶー言っている。
「フィルゼはな、『男の子』を喜ばすのがうまいんだ。おらフィルゼ、お前も飲め」
壷を奪われたと思ったら強引に酒杯を渡され、どぼどぼと注がれる。
(えっ、私、お酒は弱いんだけど……なんて言ってられない!)
覚悟を決めて、
「いただきます!」
と軽く掲げてから、一気に飲み干す。
「っくうぅ」
「いい飲みっぷりだな。さあフィルゼ、今日も俺を喜ばせてもらおうか」
「……今日も? しょうがないれすね。いいれすよぉ」
ゆらり、と立ち上がる。
女たちが「えっ」と私を見上げ、将軍も「あ?」と目を見開いた。
私はビシッと、将軍に指を突きつける。
「カレドしゃま、げーむをしましょ」
「ゲーム?」
「あい。ちょっとまっててくらさいねぇ」
私はふらふらと将軍から離れ、衛兵に近寄った。つま先立ちをし、耳打ちする。
兵は「え?」という顔になったものの、うなずいてどこかへ駆け去っていく。
やがて戻ってきた彼は、手に革製の鞠を持っていた。
「んふ、ありがと」
私はにっこりと微笑んで兵にお礼を言い、鞠を受け取った。そして将軍の前に進み出る。
「んじゃ、いきましゅよー」
ぽん、と鞠を投げ、それを自分の膝で受けた。
右膝、左膝、また右膝。ぽんぽんと、一度も落とさずに鞠を弾ませていく。男の子なら誰もがやる遊びなのだけれど、私は弟と一緒によくやったので、できるのだ。
私の最高記録は、八百十四回である。
「すごい」
酌婦の一人がつぶやいた。将軍はじっと見ている。
十回弾ませたところで、私はぽーんと高く蹴り上げ、首の後ろでぴたりと止めた。
「おつぎはカレドしゃま!」
「…………」
にやり、と笑ってカレド様が立ち上がった。
私はすかさず、鞠を再び跳ね上げ、足の裏を使ってカレド様の方へと蹴る。
ぽん、ぽん、と、カレド様は頭だけで連続して鞠を弾ませた。
女たちが「さすが!」「すごい!」と盛り上げる。
「ほらよ」
いきなり、将軍が私の方へと蹴り上げた。私は胸でそれを受ける。
「よーし、まけないぞぉ」
私は足の甲を使って、左右交互に蹴り上げた。最後は高く蹴り上げ、その場でくるりと一回転してから、額で止める。
「よっとっと、それっ!」
技の見せ合いになった。将軍は踵も使って鞠を蹴ったり、片足で蹴り上げておいてもう片方の足を鞠に触れずに周りを一回転させたり、めちゃくちゃうまい。
「あああ、私それ、できないれすぅ! まけたぁ!」
私は思わずぱちぱちと拍手をした。将軍がドヤ顔になる。
「俺に勝てると思ったか」
「すごいれすねぇ、さすがは男の子。こんど、おしえてくらさ……」
酔いが回って、ふらふらして。
意識が遠くなった。
気がついたら──
ランプにぼんやりと照らされた、広い広い寝台の上、シーツの海。
背後から寝息が聞こえると思ったら、カレド将軍のぶっとい腕に、がっちりと抱きしめられていた。
全裸で。
(ぎゃああ、まさかの夜伽を命じられた!? 私、酔っぱらってて何も覚えてない……!)
タヌキ娘がそういう意味で求められると思っていなかったので、正直、油断していた。
でも、覚悟を決めていなかったわけではない。
ナーラ姫のおまけとはいえ、亡国の女が戦利品として帝国に連れてこられたのだから、運命などわかり切っている。
奪われる覚悟、殺される覚悟。小さな国で生きていた私たちはいつも、心のどこかにそういう覚悟を持っていた。
(とりあえず、粗相をしていませんように)
身体を固くしていると、低い声がした。
「起きたのか」
私は震え上がった。ヤッたんですか、とも、今からヤるところですか、とも聞けず、とにかく寝てしまったみたいなので謝る。
「も、申し訳ありません」
「何を今さら」
将軍はあくびを一つして、私を改めて抱き締め直した。獰猛な匂いがする。
「フィルゼは、生きるのに必死のようだな」
「両親は死に際に、私が元気でいるのを見ているからね、と言いました。だから私は生きたいです」
正直に答える。
「弟は今、どうしている」
「わかりません。しばらく会っていませんでしたので」
「兵士か」
「十二歳で、兵士たちの身の回りの世話をしていました。だから、戦場には出ていただろうと思います」
「ふーん。じゃあ死んだかもな」
「…………」
黙っていると腕が緩み、将軍は仰向けになった。
「キーバンの女王も晒し首にしてやったし、さぞ俺を恨んでいるだろう」
「女王様……」
「何だ」
「あ、いえ、その」
私はポツポツと話す。
「私の両親は、政争によって死に、その結果、女王が即位しました。だから、女王が殺されて恨んでいるかと言うと微妙と申しますか……」
「…………」
「その女王も、ご両親を殺されています。恨もうとしても、いったいどこまで遡ればいいのか、私にはわかりません」
私も仰向けになって、両手の親指と人差し指を出し、四角い形を作った。
「だから、心の中に箱を作って、恨みはそこに封じました」
「はっ。心を封じているから、そんなふうにあっけらかんと生きていられるわけだ」
低い笑い声に、私は少し不思議に思って、尋ねた。
「でも、カレド様も、封じている心がおありですよね?」
「……何だと?」
ちょっと、驚いたような声音だ。
身体をひねり、将軍の方を向く。
「カレド様がキーバンの王宮に攻め入ってこられたところを、私、柱の影で見てました。『王族は一人たりとも逃がすな』と命じてらっしゃいました」
「ああ。皆殺しにし、女王の首を広場に掲げた。暴虐将軍の名にふさわしいだろう?」
「でも、殺している時のカレド様は、顔にも、声にも、表情がなくて……この宮に来て川から這い上がって、目の前にカレド様がいらっしゃるのを見た時、笑っておられてびっくりしました。それで思いました、殺す時は何かを封じておいでなのかも、って」
私のような小娘と、帝国の大将軍でも、似ているところがあるのだなと。
そう思ったのだ。
将軍は少しの間、黙っていたけれど、やがて口を開いた。
「十年ほど前か、侵略した国の王子に情けをかけて、殺さなかった。するとその王子は、不意をついて俺の父を殺した。誰かを助けたことで、自分の大事な者が死ぬなら、助ける意味がない。そもそも王族は民のためにいる、死ぬ覚悟があるはずだ。民を救う代わりに王族は皆殺しにし、見せしめにして余計な反抗を封じることにした」
誰かを生かすために、必要だと判断した者は殺す。感情は封じて。
少なくとも、目の前のこの人はそうなのだ……と思いながら、将軍の目を見つめる。
「殺す必要がなかったから、姫や私たちは生きているんですね」
「そうだ。だから役に立ってもらわんとな」
くるり、と視界が回って、仰向けになった私に将軍が覆い被さった。
「酔いも醒めたみたいだな。ヤるか」
(ハイこれからでした──!)
寝室の隅に置かれた籠の中で、カブトムシががさごそ動いていたのを、覚えている。
以来、カレド将軍は常に、私を側に置くようになった。
鞠の技を教え合うこともあったし、ボードゲームで対戦することもあったし、普通に浴室や閨にも呼ばれる。
すると面白くないのが、以前からの酌婦たちである。さりげなくちくちくと、いじめられるようになった。
そうこうするうちに月日が流れ、皇帝から将軍に命令が下った。
とある国を侵略せよ、と。
「容赦なく暴れてくる。これでまた、暴虐将軍としての俺の名は知れ渡るだろう」
出発の前夜。私にセタールを弾かせながら、将軍は酒杯を傾けている。
「じゃあ、また、王族はみんな」
「ああ。殺す。後顧の憂いのないようにな」
「カレド様」
私は、なるべく怖い顔をしてみせた。
「そんなに感情をどんどん心の箱に封じていったら、しまいには箱がぶっ壊れてしまいますよ」
「それならそれで、本物の暴虐将軍になれるだろう」
手招きされ、楽器を置いて近づくと、将軍は私を膝に乗せた。
髪に顔を埋め、匂いをかいでいる。
「本物の暴虐将軍になったら、カレド様の心の中の男の子は、どうなりますか?」
「うーん、まあ、死ぬだろうな」
(それは嫌だな。一緒に遊べなくなっちゃう。……はっ。今こそ、悲しいですぅって申し上げて媚びる時じゃないの!)
本当に悲しくなった自分にびっくりして、あわてて将軍の首に手を回し、甘える。
「そんなの嫌です、悲しいです。悲しすぎて、私の箱も壊れちゃうかも」
「お前の箱には、恨みが入ってるんだったな。壊れたらどうなるんだ?」
「ええと……皇帝陛下を、お恨み申し上げてしまうかもっ」
将軍は、片方の眉を上げた。
「陛下を? 何でだ」
「だって、カレド様に嫌なことをさせるから!」
「陛下に代わって血なまぐさい仕事をするのが、俺の役目なんだが。……しかし、うん、なるほど」
私の首筋に唇を這わせながら、将軍はもう一度、つぶやいた。
「なるほど」
翌日、将軍は出発していった。
出発する前に、なぜか、タラガリード・アクラン・オオカブトを籠から逃がしていった。
(カレド様……お帰りになる頃には、変わってしまっているのかな)
寄る辺ない気持ちで、将軍の留守中の日々を過ごしていた私は。
何やら、前にもこれありましたね? という状況に陥った。
「フィルゼ! あんた、カレド様べったりで、どーゆーつもり!?」
「まさか愛妾におさまろうってんじゃないでしょうね!?」
「あたしたちを差し置いて! タヌキ顔のくせに!」
セクシー美女酌婦の大群に、川岸へと追いつめられる。
(どひゃー!)
こっそり、深呼吸をした。
どぼーん。
川に落とされ、流される。
(もう、戻れないんだ)
気づいていなかったけれど、媚びるためと心では言い訳しつつ、私は将軍と過ごす時間が好きだったんだ。
(さようなら、カレド様)
涙が、川の水に混じっていく。
(な、泣いてる場合じゃないわ。私は生きるんだから!)
危険度が一番高かった兵舎の付近を、水に潜ってやり過ごした先で、流れはどんどん緩やかになっていった。
幸い、私は親切な漁師の網に引っかかり、生き延びることができた。
身につけていたものを売ってお金を作り、ぼろっちい格好で旅をする。
よく知っている場所でなら、生き延びられるかもしれない。
死にたくない。私は、生きるんだ。
数ヶ月が過ぎた。
私は、旧キーバン女王国の、実家の領地だった村で暮らしていた。
亡き父は染色や織物に力を入れて領地を繁栄させており、人々は今も織り機を操り、染料の畑を世話している。帝国の支配下で、税はキツくなったものの、領民は脈々と生きている。
畑を耕し、せっせと雑草を取り除いているところに、声がかかった。
「姉ちゃん!?」
ぱっ、と振り向くと、林の木々の合間、懐かしい顔がそこにあった。
キーバンが滅びてから消息不明だった、私の弟・トウマだ。小柄だけれど、弾けるように元気な子が、走り寄ってくる。
「トウマ!? 生きてたの!?」
ぎゅっ、と弟を抱きしめた。
「うわっぷ、姉ちゃんこそ! よく生きてたね、王宮が燃えたときはダメだと思った」
「私も死んだと思ってたわよ! あんたなんて戦場にいたでしょ!?」
「王族が皆殺しになったって知らせで、俺らすぐに投降したからさ」
『生きていてよかった』、本当にそれだけでありがたい。弟の身体にはあちこち傷があったし、私も色々あったから、『無事でよかった』とは言わないけれど。
しかし投降したということは、帝国軍に捕まっていたはずだ。解放されたのだろうか。
それを聞く前に、先に質問される。
「で、姉ちゃん、なんかカレド将軍の宮殿でいじめられて追い出されたって?」
「え、何で知ってるの!?」
びっくりして聞くと、弟のトウマは「ちょっと待ってて」と踵を返し、林の中に駆け戻っていく。
そちらから、声がした。
「カレド様、ここにいました!」
「え」
ぎょっ、として、息を止める。
すぐに、トウマの案内で、大きな大きな、筋骨隆々とした姿が現れた。
数人の兵を引き連れた、暴虐将軍。
カレド様だ。
「案内ご苦労、トウマ。……フィルゼ」
その表情は静かで、読めない。
「生きてたか」
将軍は、大股に近づいてくる。
動けないでいると、彼は私をひょいっと抱き上げ、子どものように高い高いした。
探るように見つめていると、口元が嬉しそうにニッと笑みを作る。
将軍の中の男の子は、生きていた。
「カレド様!」
勝手に頬がほころび、私は思わず将軍の首にしがみついた。
「悪かったな、こんな目に遭わせて。お前も連れていけばよかった」
「それはちょっと……でもっ、どうしてここが!? それに弟と」
「お前には言わなかったが」
カレド様は私を下ろし、腰を抱いたままトウマを振り向く。
「キーバンで捕虜にした者たちの中に、タヌキ顔の少年がいたのを覚えていた。そいつに、姉が行きそうな場所を案内させて来たんだ。しかし本当にそっくりだな、お前ら」
私は目と口をまん丸にした後で、思わず大声を出した。
「死んだだろうなっておっしゃったじゃないですかっ!」
なんてことだ。将軍は、私の弟が生きてるってご存じだったんだ。
「姉弟で結託して俺を殺そうとするかもしれないだろ。そうしたら俺は、お前を殺さなくてはならない。だがまあ……その様子もないな」
頭を撫でられる。
私のことなんか、ちょちょいのちょいで殺してしまえるお方なのに、どうやら殺したくないと思っておいでのようだ。
「なかなかいい場所だな」
将軍は私を抱いたまま、平屋の家々や畑が続く土地を眺め渡す。
「あれが地主の屋敷か。あそこを拠点に仲間を集めて蜂起するのもいいな」
(ん? 何か、不穏な単語が聞こえたような)
いぶかしんでいると、将軍は「ああそうだ」と続ける。
「フィルゼ。もうお前を濡れダヌキにする女たちは一人もいないから、安心しろ」
「一人も、って!?」
「酌婦たち大勢とフィルゼ一人なら、フィルゼがいればいい。お前は俺の酌婦で、遊び相手で、愛妾で家族で妃なんだから」
(は?)
「あの、最後、なんておっしゃいました?」
質問したけれど聞いていないのか、将軍はトウマを振り向く。
「トウマ、お前は姉の護衛につけ。妃の護衛長だ。大出世だな」
「はあ」
「カレド様? ナニをなさろうとしてマスか? 怖い怖い怖い」
「怖いことなどない。俺は、殺したり奪ったりするかどうかを自分で決めたくなっただけだ。お前の心の箱も、壊れないようにしたい。これから、そのために必要なことをする」
ニヤッ、と。
将軍は、少年のような笑みを見せた。
数ヶ月後、暴虐将軍カレドは謀反を起こし、イルシャド帝国皇帝を殺害。新皇帝の地位に就いた。
そして今は、酌婦に過ぎなかったタヌキ顔の妃を、皇后として周囲に認めさせようと動いている。
夜の褥で、カレド様は甘く囁く。
「フィルゼの地位を危うくする者は、殺す。必要なんだからな」
ひ、必要、かなぁ?
【完】
ふっと思いついて3日で書いたので、細かいところは突っ込まないで下さい(笑)
でも、勢いよく書けてとても楽しかったです。
読んで下さった方、ありがとうございました!
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