第9話 食堂 DINING HALL 『このスープには、秘密がある』
第9話 食堂 DINING HALL 『このスープには、秘密がある』
ミレニアム中央区の裏通り。
朝霧が溶けるころ、一軒の小さな食堂が店をあける。
“フォークと花”という名のその店は、魔法学校の生徒や図書館の司書、街の工匠や配達人まで、あらゆる人が足を運ぶ大衆食堂だ。
料理は平凡。席数も少ない。魔法的な装飾もない。だがこの食堂の味は、“どこか懐かしい”と評判だった。
店主の名はサヴィナ。魔法学校の元学生で、いまは魔法を使わずに料理をしている。
「サヴィナさん、このスープ……前より、ちょっと甘い気がします」
そう言ってきたのは、薬草学の学生だった。
サヴィナは厨房から顔を出し、静かに答える。
「あぁ、今朝の風が少し冷たかったからショウガの量を変えたの」
「えっ、それで甘くなるんですか?」
「そう感じたなら、そうなんだと思うよ」
彼女はそう言って微笑んだ。
サヴィナのスープには、不思議な“効果”があった。
癒しの魔法は使っていない。だが、落ち込んだ者は元気になり、興奮していた者は落ち着いた。
ある日、配達人のエドワードが尋ねた。
「なあ、あんた、こっそり魔法入れてるだろ」
「入れてないよ。……入れてないけど、
もしかしたら、“誰かを思う気持ち”が、魔法に近いのかもしれないね」
ある日、ひとりの見知らぬ客が現れた。
ボロボロのコートを着た旅人で、声を出さず、じっとスープを見つめていた。
サヴィナは黙って彼の前に、温かいパンとスープを置いた。
旅人はひとくち口にすると、すっと目を閉じる。
数分後、彼は立ち上がり、そっと一枚のコインをテーブルに置いて去っていった。
「お代を置いてくのはいいけど、こんなのどうしろっていうのかねぇ」
サヴィナはテーブルのコインをつまみあげると、困り顔で眉をさげる。
それは古代ミレニアム貨。
創世戦争以前の時代に使われていた、いまは魔法資料館でしか見ない貨幣だった。
その夜、常連のひとりがこう尋ねた。
「サヴィナさん。……ほんとうは、何者なんですか?」
サヴィナはにっこり笑ってこう答えた。
「ただの料理人よ。
でも、料理を食べてくれた人が“満たされた気分”になってくれるなら、
私の腕も捨てたもんじゃないってことかもね」
厨房には、魔法陣も杖もなかった。
けれど、鍋の中でコトコトと煮えるスープには、確かに何かが込められていた。
それが“魔法”と呼ばれないだけで。




