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第6話 湖畔 LAKESHORE 『忘れることも、ひとつの魔法』

第6話 湖畔 LAKESHORE 『忘れることも、ひとつの魔法』


ミレニアムの南端には、小さな湖がある。

“湖”と呼ばれてはいるが、実際には深く掘られた魔法水脈の名残で、水面には常にかすかな光が漂っている。魚は棲まず、代わりに小さな精霊たちが水と風の合間を滑るように生きている。


湖畔に一軒の丸い石の家が建っていた。苔むした外壁と低い煙突をもつその家には、ヘルマン・グロースという老魔法使いが住んでいた。

かつては魔法学校でも名を知られた教師であり、図書館では「忘却術」の権威として記録されている。だが、今では町にも出ず、年に数回の郵便すら湖の鳥たちが代行していた。


その日、湖にひとつの気配が現れた。


夕暮れどきの水面をなぞるように、小さな風が現れて、湖畔の草を撫でる。

それは風の精霊だった。芽吹いて間もない若い存在で、人の言葉を話すには早すぎたが、その動き、震え、温度の変化が、確かに“意志”を伝えていた。

ヘルマンは窓辺からそれを見て、ゆっくりと立ち上がる。


「……お前は、誰に呼ばれた?」


精霊はくるくると旋回し、ひと吹きの風で一文字の“形”を草の上に残した。

 “リィア”


「……ああ。私の昔の魔法に、呼ばれたんだな」




焚き火を囲むころには、夜のしじまが湖面を包みこんでいた。

ヘルマンは椅子に腰かけ、静かに語りかける。精霊は言葉を持たず、ただ音と震えで答える。


「忘れてしまったことが多すぎる。

 けれど、君のように思い出してくれる存在があるなら、私の魔法も無駄ではなかった」


風がやさしく揺れた。少しだけ温かい感情が伝わった。


「私はかつて、“忘れる魔法”を作った。

 それは人を救うための魔法だった。辛いこと、苦しいことを、和らげるために」


焚き火がパチンと音を立てた。


「だがな、リィア。……忘れられることを恐れる者もいる。

 自分が、誰かの心から消えてしまうのではないかと。

 君も、きっと誰かがそう願ってくれたから、いまここにいるんだろう」




精霊はゆっくりと空に舞い、やがて小さな瓶をヘルマンの前に置いた。

風の魔法で作られた、魔力の結晶器だった。

中には、ささやかな風の流れがうずを巻いていた。


「……これに、私の“忘れた誰か”の記憶を吹き込んでほしいのか」


風は静かにうなずいた。言葉はないが、確かな願いがそこにあった。

 ヘルマンは瓶を手に取り、そっと耳元に当てるようにして囁いた。


「名前は……忘れた。でも、笑っていた」


そう言って、彼は瓶に息を吹きかけた。

風が一瞬だけ温かくなり、瓶の中で淡い光がひとつ、生まれた。


「これが、どんな精霊に育つかはわからないけれど。

 君がそれを大切にしてくれるなら、私はそれでいい」


精霊は瓶を抱えるようにして、夜の湖を越えて風に乗り、やがて空の向こうへと消えていった。




その姿を見送りながら、ヘルマン・グロースは独り言のように静かに言った。


「明日は……何を忘れようか。いや、何を“思い出そう”か、だったかね」


湖は何も答えず、ただ静かに月を映し続けていた。


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