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第4話 孤立の始まり①

 夜会の余韻を残して深夜に帰宅した私を待ち受けていたのは、ただならぬ父の怒りだった。屋敷に足を踏み入れた途端、いつもは穏やかな物腰で知られる執事が緊張した面持ちをしており、「ご主人様が書斎でお待ちです」と小声で告げる。その言葉だけで、何か大きな問題が起きていることは明白だった。


 書斎の扉を開けると、父ハンス・フォルスター伯爵が書類も手紙も脇へ放り出したような形で机に肘をつき、苦い表情を浮かべている。部屋はどこか暗く、ランプの明かりだけが父の顔を照らしていた。扉を閉めると同時に、父は苛立ちを押し殺した声で私を呼ぶ。


「……クラウス、そこへ座れ」


 言われるがまま、机の正面にある椅子に身を下ろすと、父はしばしの沈黙を置いてから低く口を開いた。


「今夜の夜会で、お前は何をやらかしたのだ」


 その問いには、明確な答えが求められているわけではないとわかる。父はすでに事情を大方つかんでいるのだろう。ほんの数時間でどれだけの報告が屋敷に届いたのか、想像するだけで気が重い。


 私はゆっくりと息を整えながら、夜会での出来事を思い出す。王太子エドワード殿下がレティシア・アルヴァトロスへの婚約破棄を宣言し、セレナ・グランの訴えをもとに、レティシアを一方的に断罪しようとしたあの場面――そして、私が抑えきれない衝動に駆られ、殿下に堂々と異を唱えてしまったこと。


「……私は、どうしても見過ごせなかったのです。あの状況は、彼女の言い分がまるで無視されているように見えましたから……」


 正直にそう伝えると、父は辛そうに眉を寄せ、机の上に拳を置く。


「見過ごせない? だからといって、王太子殿下を正面から否定するような言葉を口にするとはどういう了見だ」

「ですが、あまりにも理不尽な……」

「理不尽かどうかはともかく、殿下の不興を買えば、どういう不利益が我が家に及ぶか、お前にはわからないのか!」


 最後の一言は鋭く吠えるような口調だった。普段はどちらかといえば穏やかな父だけに、その怒りはよりいっそう強く響いてくる。


 夜会が終わった直後だというのに、すでに伯爵家の使用人や関係者を通じてさまざまな報告が届いているらしい。王太子派閥の貴族の何人かから「フォルスター伯爵家の次男は、殿下を侮辱するに等しい行動をとった」といった苦情が寄せられているという。あるいは、伯爵家が王太子を裏切るのではないかと疑われ始めたとも聞く。


 私は、その報せに何とも言えぬ苦さを感じつつも、後悔の念は湧いてこなかった。むしろ、あのとき黙っていたら、レティシアが完全に言葉を封じられてしまっただろう。私には、彼女を孤独にするわけにはいかないという思いが強くあった。


「父上が仰ることはわかります。でも、私には……あれほど一方的に断罪されている彼女を放っておけませんでした。もし私が黙っていたら、きっとあの場で彼女の立場はさらに悪化していたはずです」


 言い終わるか否か、父は息を荒くして立ち上がる。


「お前は公爵令嬢を助けたつもりかもしれんが、相手は王太子殿下だぞ! 今後、王宮から何らかの圧力がかかったとして、我が伯爵家にそれを跳ねのける力があると思うのか?」


 その言葉に私は返す言葉を失った。父の心配も、もっともなことだ。フォルスター伯爵家は伝統ある家柄だが、決して絶大な権力を持つわけではない。王太子を敵に回せば、どんな嫌がらせが待ち受けているかわからない。


「……どれだけの処罰が下されるかは、今はわからん。だが、事によってはお前自身だけでなく、この家も巻き添えを食う可能性だってあるんだぞ。お前はそれを理解しているのか」


 重苦しい静寂が書斎を覆う。私は父の視線をまっすぐ受け止められず、少しうつむきながら吐き出した。


「はい……わかっているつもりです。それでも……あれは私がしなければならなかったことだと思うのです」


 父は一瞬眉をひそめ、まるで私の言葉が信じられないとでも言うように険しい表情になる。書斎には父と私しかいないのに、その空気がひどく息苦しく感じられる。


「なぜ、そこまでして……。相手は、王太子殿下の婚約者だった女だ。家柄も違うし、そもそもお前が関与する必要はなかっただろう。なぜそこまでして彼女を(かば)う?」


 問い詰められると、私自身もどう答えるべきか迷う。確かに、あの場で彼女を救うのは「私の役目」などとは到底言えない。ほんの数時間前までは見たことすらなかった相手だ。それなのに、どうしても目を背けられなかったのは事実だ。


「……うまく言葉にはできません。ただ……あのとき、どれだけ周囲が非難しようとも、彼女の声を聞いてやろうとする人がいなかった。それがどうにも耐えがたくて。もし何か誤解や事実無根の話があるのなら、正す機会くらい与えられるべきだと、そう思ったんです」


 父は苛立(いらだ)ちを帯びた息を吐くと、机に置いた手の拳を握りしめる。


「……お前の考えはわかった。それでも、世の中はそんなに甘くない。貴族社会では、力のある者が『白』と宣言すれば、たとえそれが『黒』であっても周囲は従ってしまうものだ。それをあえて覆そうとすれば、相応の代償を払うことになる」

「覚悟はしています」


 私が即答すると、父はわずかに目を見開いたが、すぐに険しい表情に戻った。


「そうか。ならば、今後何が起きても自分で責任をとれ。ハンス・フォルスターの息子であるという立場を捨てろとまでは言わないが……私ができることには限度があるということを、肝に銘じておくんだな」


 そう言い捨てると、父は書斎の椅子に再び沈み、手元の書類に視線を落とした。私にかける言葉はもうないらしい。


 静かに礼をして部屋を出る。廊下には疲れた顔の執事が控えており、私が目を合わせると気まずそうに頭を下げた。どうやら、すでに屋敷全体に私の「無謀」な行動が伝わっているのだろう。おそらく明日から、使用人たちの態度も変わるに違いない。


 実際に、その兆候はすでに始まっていた。夜中にもかかわらず、部屋に戻るまでの道すがら、使用人たちはみな私を避けるように通り過ぎていく。深夜勤務のメイドも、私に丁寧な挨拶をするふりをしながら、どこかぎこちない。まるで「伯爵家の一員を怒らせないように」と過剰に気を遣っているか、あるいは「厄介事には関わりたくない」と距離をとっているのかもしれない。

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