最終話 幸せの形①
季節がめぐり、穏やかな風が王都の街並みを優しく撫でる頃、アルヴァトロス公爵家の屋敷では、いつにも増して豪華な装飾が施されていた。あの騒動を経て、伯爵家の次男クラウス・フォルスターと、かつて王家の縁を持っていたレティシア・アルヴァトロスが正式に婚姻を結ぶ――その知らせはすでに王都中に伝わり、多くの貴族や市民が興味と祝福を持ってこの日を待ちわびていた。
屋敷の庭園に設えられた特別な祭壇。純白の花々が列をなし、石畳の通路には華麗な花びらが撒かれている。晴れ渡った空の下で、集まった貴族や関係者がはやる気持ちを抑えつつ、今か今かと式の開始を待ち受けていた。公爵家と伯爵家の家紋が並ぶ大きな垂れ幕が風にはためき、まるで新時代の到来を象徴するかのように見える。
やがて、荘重な音楽が静かに流れ始めた。庭の正面に立つアルヴァトロス公爵が腕を伸ばし、緩やかに拍子を取る。その奥には、フォルスター伯爵も息をのみながら立ち会っている。周囲の人々はその合図を合図に、自然と道を開けた。
通路の先に姿を見せたのは、美しい白のドレスを纏ったレティシア・アルヴァトロス。銀色の髪はゆるやかにまとめられ、上品なヴェールが光を透かして輝いている。彼女はいつものように背筋を伸ばしながらも、どこかはにかむような笑みを浮かべ、父親である公爵の腕を取ってゆっくりと歩みを進めた。
その先で待つのは、クラウス・フォルスター。淡い色味の礼装を見事に着こなし、落ち着いたまなざしでレティシアを迎えようと目を細めている。かつては波乱の中心であった二人の結びつきも、今では多くの祝福に包まれ、誰もが「よかった」と微笑みを交わすようになった。
レティシアが父と別れて一人で歩を進めた瞬間、クラウスは深く息をついて静かに一礼する。そして彼女の手を丁寧に受け取り、二人は並び立った。眼下に続く観客の列の隙間から、屋敷の外をうかがうと、大勢の人々が祝福を送るために集まっている様子が窺える。かつては物珍しげな視線に心を痛めたレティシアも、今は胸を張ってその視線を受けとめられる。
「クラウス……あなたが、ここまで来るのに、どれほど大きな決断が必要だったか、わたしは理解しているわ」
かすかに唇を震わせながらレティシアが言うと、クラウスは小さく頷き、深い眼差しを交わした。
「僕も、レティシアが辛い過去を乗り越えて、この手を取り戻してくれたことに、心から感謝しています。あなたの隣に立つためなら、何だって耐えてみせると決めた日々が、ようやく報われるんですから」
過去の苦しみや孤立、偽りの断罪。そのすべてを乗り越えてきたからこそ、二人の手にある温もりがより大きな安心感をもたらすのだ。レティシアは静かに目を閉じ、気高い笑みを浮かべる。
「あなたといると、今までかたくなだったわたしが信じられないほど心を解放できる気がするの。これが、愛というものなのかしら……正直、まだ慣れないわね」
照れくさそうに語るレティシアを前に、クラウスも自然と微笑む。ふと、周囲からはくすりと笑う声が聞こえ、祝福と感動の拍手がわきあがる。二人を立ち会うためにここへ来た貴族たちは、彼女がこんなに率直な言葉を口にする姿を見て、胸を打たれているようだ。
やがて、司祭が式を取り仕切るために前へ進み、二人へ静かに問いかける。
「この先、いかなる困難が訪れようと、互いを支え合い、共に生きることを誓いますか」
レティシアは一瞬だけクラウスと視線を合わせ、そしてはっきりと答えた。
「はい。わたしは、この方と生きる道を選びました。どんな試練があろうとも、二人で乗り越えられると信じています」
続いてクラウスも力強く答える。
「私も、彼女を支え、守り続けると誓います。伯爵家の次男としての責任はもちろん、何よりも彼女との絆こそ、私の誇りにしたいのです」
その直後、観客たちから大きな拍手と歓声が湧き上がった。事件を経て互いを知り、認め合った若い二人が、こうして誓いを交わしている光景は、夜会の事件を知る者には感慨深いものがある。かつての「彼女の冷酷な姿」や「王太子との亀裂」というイメージは完全に覆り、今は「誇り高い令嬢が自分で選んだ道」として祝福されているのだ。
王太子エドワードの姿はない。セレナ・グランもここにはいない。けれども、かつて彼らが残した傷は、もうこの二人の新しい歩みを邪魔することはない。社交界は、この結婚が王家との新たな波乱をもたらすかもしれないと考えながらも、圧倒的に「これは愛の勝利」だと認めている。何より、共に辛い日々を超えた二人の絆を前に、いかなる陰謀も影を落とせずにいた。




