第29話 それぞれの道②
こうして、長く続いた騒動は完全に収束したと言える。レティシアはもはや「王太子妃としての将来」ではなく、「伯爵家の未来を背負う伴侶」として新たな道を歩む。クラウスも政治的な基盤を確立するために多忙な日々を送っているが、心の底にはレティシアの笑顔を守るという決意が変わらず存在する。
事件が解決した今、二人の周囲にはさらに広大な世界が広がっていた。伯爵家と公爵家を結ぶ関係は、いつしか王都の政治に大きな影響を及ぼすかもしれないし、二人が協力して新しい派閥の中心人物となる可能性もある。
ともあれ、今はまだ婚約を終えたばかりで、レティシアやクラウスも日常の些事をこなしながら、互いにゆっくりと距離を縮めているところだ。周囲からの祝福を受け、時間をかけて挙式の段取りを整え、貴族社会の色めき立った視線を感じながらも、二人はこれまでになく穏やかな時間を過ごしていた。
「あなたはこれから政治の世界でどんな働きをするの?」
レティシアが興味深げに尋ねると、クラウスは笑みを浮かべつつ答える。
「まだ先の話ですが、伯爵家の次男として自分ができることを模索しています。公爵家と提携して何か新しい案を試してみるのも面白いかもしれない。王太子殿下がいつか本格的に国政を握られる時には、僕たちも国を支える立場でありたいですね」
それが王太子に対する敵対心に変わることはない。あの事件後、二人はむしろ「王家を補佐する役割を担う」形で自分たちが力を尽くすことに意味を感じているのだ。
かたやレティシアも、王太子妃候補として磨いてきた知識や社交の経験が無駄にならないことを知っている。自らが切り拓く道が、公爵家と伯爵家の連携を生み、王家との関係をより安定させる可能性はある。もちろん、個人的には「王太子に取り入る気などない」と思っているが、その理不尽な政治を正す手助けくらいなら、やぶさかではない。
そして彼女は、今までは一人ですべてを抱え込もうとしていたが、クラウスの存在が大きな支えとなっていると強く実感していた。もう、自分がどんな陰謀やゴシップに巻き込まれようと、彼が一緒なら乗り越えられる。そんな確信があるからこそ、自らの将来へ意欲を持って向き合えるのだ。
その後、二人の元には祝福や贈り物が絶えない。かつてセレナを同情していた人々さえ、今は「誤解が解けてよかった」「レティシア様の誇り高さが王都の宝になった」などと手のひらを返して讃えている。
レティシアが黙って聞き流していると、クラウスが笑いながら「まあ、こういうものですよ。貴族社会は移ろいやすいので」と耳打ちしてくれる。真実を求めた先に得られた自由なのだと、二人は自分たちの絆を確かめ合うように微笑む。
それぞれの道はこれからも続く。王太子エドワードは今後、何らかの形で国を統治する立場になろうが、しばらくは周囲の冷たい目を浴び続けるだろう。セレナ・グランは姿を消したまま戻ることなく、もし別の土地でささやかな暮らしを送っているなら、これまでの自分の行いを省みる時間を与えられているのかもしれない。
そして、クラウスとレティシアは、互いを唯一無二の存在として選び、それを公の形にした。その先にある将来がどう展開しようとも、どんな障害が待ち受けようとも、二人ならば乗り越えられると確信している。
「わたしたちにも、いろいろあったわね。今は少し休んで、新しい一歩を踏み出す準備をしたいと思っているわ」
「そうですね。急がず、でも必ず一歩ずつ進めばいい。王太子の件も、セレナの件も、もう僕たちにとって大きな影ではないでしょう?」
「ええ。そう言ってもらえるだけで、わたしは充分よ」
そう囁き合う二人の背中を、屋敷の使用人や家臣、そして周囲の友人たちが温かく見送っている。あれほど厳しい現実の中で、「誇り」と「愛」を両立させた姿を誰が想像できただろうか。名誉と真実を取り戻したレティシア、そして彼女を支えぬいたクラウス――彼らを祝う人々がいる一方で、セレナのように自滅していく者もいるのが貴族社会の常。
いまや、レティシアはもう昔のように必要以上に警戒することなく自分の道を選べる。王太子の過ちや陰謀に失望し、長らく孤立していたが、新たな絆を得て笑顔を取り戻したのだ。
フォルスター伯爵家やアルヴァトロス公爵家にも波及する幸福の連鎖が始まり、周囲の協力者たちも新しい安寧の中でそれぞれの将来を描き出している。それこそ、幾度の試練を乗り越えた先に訪れた「それぞれの道」の姿である。
こうして、一連の騒動が完全に幕を下ろしたあと、それぞれが選んだ道を歩み始めた。王太子は王太子としての立場を維持しながらも評判は大きく揺らぎ、セレナは姿を消して静かに暮らす道を選んだ様子。一方、クラウスとレティシアは堂々と婚約を発表し、家同士の交渉を綿密に重ねつつ、着実に絆を深めている。
あの夜会で巻き起こった惨劇から遠く離れ、今は純粋に「自分たちがどう生きたいか」を見据える自由がある。この自由は多くの人の理解と労力を得てようやく手に入れたものだから、二人にとってはいっそう大切な宝物だ。
名誉を取り戻したレティシアと、彼女を支えるクラウス。その物語の節目は、国全体を驚かせた大事件からは想像もつかないほど穏やかな結末へ向かい、さらに新たな始まりを示す。王太子やセレナ、あるいは周囲の協力者たちの「その後」がどう展開しようとも、二人はもう揺るがない。
「わたしの名誉を取り戻してくれて、本当にありがとう。クラウス、あなたがいなければ、こんな未来はなかったわ」
「僕も、レティシアが傍で笑ってくれるなら、命をかける価値がありました。今度は、一緒に笑い合う日々を築いていきましょう」
二人はそう約束を交わし、並んだ姿で新たな日常へと帰っていく。王太子事件の傷痕も、今は遠くかすんだ過去の一部になりつつあった。貴族社会の興味はすでに、クラウスとレティシアのこれからに移りつつあるのだから。
花咲く未来を予感させるその歩みこそ、彼らが選び取った生き方だ。かつての誤解や苦しみを晴らし、それぞれの道を静かに歩み始める――それが、長く続いた物語のほんの一区切りであり、さらなる可能性を秘めた「次なる始まり」でもあった。




