第28話 婚約披露の宴②
拍手喝采が一段落すると、アルヴァトロス公爵が壇から降り、娘とクラウスのそばへ足を運ぶ。続いてフォルスター伯爵も歩み寄り、互いにまなざしを交わす。
「二人の婚約が、こうして盛大に祝福されることを嬉しく思います。今日から先は、皆の前で堂々と、互いを伴侶として支え合ってほしい」
公爵がそう告げると、伯爵も深くうなずく。
「はい。わたしも息子には、アルヴァトロス公爵家の名に恥じぬよう、日々の努力を怠らないよう言い聞かせるつもりです。どうか、公爵閣下も彼を見守っていただければ」
見ると、ハンス・フォルスター伯爵はどこか誇らしげに微笑んでいて、アルヴァトロス公爵もまた満足げな表情を浮かべている。大規模な騒動を乗り越えて導かれた結論に、親たちもまた、それなりの喜びを味わっているのだろう。
これで二人の婚約が正式に認められ、社交界でも公に通るものとなった。あの王太子との一件をめぐる陰謀や誤解はすっかり払拭され、レティシアが誇りを持って新たな道を選べる環境が整ったといっていい。
王都の貴族たちも、こうした形で「救いある結末」を迎えたことに安堵している。物語のヒロインのような復活を遂げたレティシアに、皆が穏やかな笑顔で近づき、祝福の言葉をかけてくる。クラウスも「おめでとう」や「よくぞ手に入れた」という茶化すような祝辞を冗談めかしに受けながら、嬉しそうに笑っている。
「これで、お嬢様はもう誰にも怯むことなく堂々と胸を張っていけますね」
そう囁いたのは、二人に仕える侍女の一人だ。レティシアは照れたように小さく頷く。
「ええ、わたしの悪名も、ようやく消え去ったみたい。すべて、彼のおかげかもしれないわ……」
その声をそっと聞き逃さないクラウスが、レティシアの耳元でかすかに囁き返す。
「いいえ、あなたが自分の力で戦ってきたことを、皆がようやく理解したのです。僕はただ、あなたを少しだけお手伝いしただけですよ」
その何気ない言葉のやりとりに、少し前のレティシアなら「そんな謙遜は要らないわ」とそっけなく返したかもしれない。しかし今は、目を伏せて静かに微笑み、かすかにクラウスの腕に寄り添うような仕草を見せる。彼女がこれほど柔らかい表情を見せる姿に、まわりの貴族たちは思わず感嘆を漏らす。
ゲストたちがそれぞれグラスを取り、長いテーブル越しに改めて祝いの言葉を述べ合う。今のレティシアを見れば、「気高く美しい公爵令嬢」として社交界に戻ったことは誰の目にも明らか。あの波乱の時代は過ぎ去り、ここに真の誇りと愛を得た姿があるのだ。
やがて司会役を務める家臣の声が響き、二人の婚約成立を祝して音楽が一層高らかに演奏される。客人たちは誰もが満足げに手を叩き、ある者はダンスの誘いを始め、ある者は二人に挨拶をするために行列を作り始める。その中心で、クラウスとレティシアは熱い視線を浴びながら、以前とは比べものにならない幸福感に浸っていた。
こうして夜が更けるまで続いた宴は、王都でも屈指の賑わいを見せた。あの王太子とセレナの事件を知る多くの者が、「愛の勝利」とでも呼ぶにふさわしい結末を迎えて安堵しているように思えた。そして、事件を経てなお二人が生き生きと笑い合う光景こそ、貴族社会に新たな風を吹き込むのではないかと期待を抱かせるには十分だった。
夜も更け、そろそろ宴もお開きの時刻が近づく。最後のダンスや乾杯の声が流れる中、レティシアはクラウスと共に大広間の出口へゆっくり歩みを進める。周囲の人々は、名残を惜しむように二人を見送っている。
「あなたが、わたしの婚約者としてここにいるなんて。少し前なら想像もしなかったわ」
「僕も同じです。あなたはかつて王太子の隣に立つと誰もが信じていた。それが、僕という伯爵家の次男と結ばれることになるとは……人生はわからないものですね」
そう言い合いながらも、二人の声には後悔の色はなかった。むしろ、王太子との道を選ばなかったからこそ得られた、真の信頼と愛を噛みしめているのだ。
きらめく装飾に彩られた廊下の先で、家臣たちが姿勢を正して二人を見送る。レティシアは微笑みで応じ、クラウスが目を細めてその背を支えるかたちをとる。
こうして「愛の勝利」を宣言した夜会は幕を閉じたが、まだ二人の未来は始まったばかり。戦い抜いた日々はもう過去のものとなり、彼らの「新たな物語」がここから展開するに違いない。
たとえ王家との間に何らかの波紋が起ころうと、二人は手を携えて乗り越えていくだろう。それこそが、先の事件を通じて培った絆の証明にほかならないと、周囲の人々は確信し始めていた。
夜空に浮かぶ月が、静かに彼らを見下ろす頃、クラウスとレティシアは手を取り合いながら屋敷の中庭へと消えていく。そこには、祝福を終えた安らぎの闇が広がっている。今回の婚約披露で、長かった苦闘に区切りをつけた二人は、自らの足で次のステップへ踏み出す覚悟を決めていた。
幾度の試練があったとしても、もう恐れることはない。今は手をつないだまま、月明かりの下をゆっくりと歩み始める――それが何より「愛の勝利」を象徴するかのように、静かな夜風が彼らの髪を撫でていた。




