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僕は断罪される公爵令嬢に恋をした ~彼女を救うためなら王太子だって敵に回す~  作者: ぱる子
第9章:結ばれる想い

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第27話 公爵令嬢の答え①

 アルヴァトロス公爵家の広い屋敷の一角にある応接間は、艶やかな絨毯(じゅうたん)と繊細な調度品で彩られ、静かな夕暮れの光に包まれていた。あの事件から日々が過ぎ、政治的にも家同士の話し合いが進む中、レティシア・アルヴァトロスは再び一つの大きな決断を下そうとしていた。


 書類や手紙が並ぶ机の前に座り、レティシアはしばらく目を閉じる。王太子との婚約解消から始まり、長い戦いを経て、ようやく平穏を取り戻した今、彼女に残るのは再び訪れた幸福の兆し――そして、新たに抱く悩みだった。


 近いうちにフォルスター伯爵家の次男、クラウス・フォルスターが正式に訪れ、求婚の意思を伝える場が設けられるだろう。既に伯爵家と公爵家の間で話は進みつつあり、両親ともに本人たちの意思を尊重する姿勢を示してくれた。だが、最終的に決断を下すのは、やはり彼女自身。


 応接間のドアがノックされ、侍女がクラウスの来訪を告げる。まだ正式な「儀式」ではないが、あらかじめ約束を交わしたプライベートな面談の時間――それは二人にとって、最後の大きな心の確認になるだろう。レティシアは深く息をつき、扉が開く気配に振り返った。


「レティシア様、ご無沙汰しております。お時間をいただき、ありがとうございます」


 クラウスは紺色の上着に控えめな装飾を施し、静かに一礼する。その姿にはいつもの落ち着きと、どこか胸の内に熱い思いを宿している雰囲気が混ざり合っていた。


「いいえ、わたくしこそ。こうして改めていらしてくれて嬉しいわ」


 言葉を交わすうち、侍女たちは気を利かせるように部屋を後にした。扉が閉じられると、レティシアはソファに腰を下ろし、隣の席を促す。柔らかなクッションに体を預けながら、彼女は遠慮がちに微笑んだ。


「父も、あなたを心待ちにしているの。……でも、その前にわたしとお話がしたいのでしょう?」

「はい。実は、正式な場で申し込みをするに先立ち、どうしてもあなたの答えを直接聞いておきたいと思いまして。伯爵家と公爵家の交渉で整えられる部分も多いでしょうが、やはり、あなたご自身の言葉が大切だと考えたんです」


 クラウスの誠実な眼差しに、レティシアは胸が熱くなる。かつて王太子に振り回されていたころを思うと、こんなふうに自分の意志を尊重してくれる相手がいることが、今もまだ信じられないような心地だった。


 しばらくしてクラウスは、懐から小さな箱を取り出し、少し緊張した様子で手のひらに載せる。そこには控えめな輝きを放つ指輪が据えられていた。(きら)びやかな宝石ではなく、落ち着いた色合いの石があしらわれており、飾り立てるというより「二人の想いを象徴する」ような(おもむき)が感じられる。


「僕は……レティシア様の隣にいたい。そのための覚悟として、この指輪を用意しました。公爵家の令嬢にふさわしい豪華なものかどうか、自分では判断しかねますが、心を込めて選んだつもりです」


 レティシアは目を伏せて、指輪を見つめる。今までは、豪華な装飾を(まと)うことが当たり前だと思ってきた。王太子との婚約時代、周囲が用意する宝石はどれも過度に派手で、逆に息苦しささえ覚えていたのを思い出す。


「とても素敵。わたしは、この控えめな美しさにあなたの誠実さを感じるわ。……ありがとう」


 そう言うと、クラウスがかすかに安堵の笑みを浮かべる。けれど、レティシアの声にはまだわずかな(ふる)えがあった。求婚を受け入れると告げるのは、簡単ではない。彼女のプライドと、不安の狭間で揺れているからだ。


「あなたは、わたしの欠点や、政治的な困難を全部引き受けるつもりなのね。伯爵家と公爵家では、いろいろ釣り合わない点もあるし、わたしは過去に王太子との一件で心を痛め、性格にも難しい面があると自覚している……それでも本当にいいの?」


 その問いにクラウスは迷いなく微笑み返す。


「そのすべてを、僕は承知の上です。あなたがどれほど人を寄せつけずに努力していたかも、あの王太子との婚約破棄で負った傷が深いことも。いまさら後戻りはできませんよ、あなたを見てしまった以上」


 一度は王太子に裏切られた――その事実がレティシアに強い不信を植え付けてきた。けれど、クラウスは自分の誇りや心の痛みを理解し、さらに知ろうとしてくれる。


 彼の言葉に、レティシアはそっと手を伸ばし、机の上に置かれた指輪を取り上げる。控えめな(きら)めきはこの場の空気を優しく彩るように光る。それを指に通せば、もう後戻りはできない――そんな緊張感が、胸を締めつけるようだった。


「……あなたと生きていく未来を、わたしは一度も考えたことがなかったわけじゃない。でも、王家との対立を恐れたり、家同士の釣り合いを気にしたりで、はっきり言葉にはできずにいたの」

「ええ、僕も同じように迷いました。伯爵家の次男として、公爵令嬢にふさわしい存在かどうか……何度も自問しました。でも、今こうしてあなたと向き合う以上、その答えを『僕がふさわしいかどうか』ではなく、『僕がふさわしくなるよう努力する』に変えていきたいんです」


 その決意を聞き、レティシアの胸中で何かがほどけるように感じられる。かつて王太子の隣に立つため、どんな努力も(いと)わずに自分を鍛えてきた。だが、一方的に切り捨てられたあの苦い記憶は、彼女に「他者を信じること」を躊躇(ちゅうちょ)させていた。


 けれど、クラウスはあえて困難を受け止めると宣言した。お互いの力で未来を築く覚悟を示してくれることが、レティシアには新鮮で、心を(ふる)わすほど嬉しい。


「そう……なら、あなたの努力が報われるよう、わたしも自分にできることをするわ。もしかしたら、あなたの家との交渉が難航するかもしれないけれど、わたしも人任せにせず、自分で動いてみせる」

「それは頼もしいですね。僕の父も、あなたの父上も、今は二人を認めようと動いてくださっています。ただ、僕たちがどれほど真剣かを証明しないと、周囲が納得しない可能性も高いでしょう」


 言い終わると同時に、二人は視線を重ねた。もう互いを誤解して傷つけ合うことはない――そう強く確信できる瞬間。レティシアは思わず吐息をつき、机の上にあった指輪をそっと手の中で握りしめる。


「クラウス……わたし、あなたの気持ちを受け止めるわ。だから……わたしと一緒に歩んでほしい」


 それは事実上の婚約成立宣言だった。高慢と評されてきたレティシアが、こんなにも素直に気持ちを表すのは初めてだ。


 クラウスの口元から安堵と喜びが一気に弾け、彼女の手を軽く取る。


「……ありがとうございます。これが正式に婚約だと、僕は信じています。あなたに違うと言われない限り、わたしはずっとレティシア様の隣に」


 そう(つぶや)くと、レティシアの頬がかすかに染まる。目元には笑みが浮かんでいるのに、どこか恥ずかしそうで、しかし満足げでもあった。今まで保ち続けてきた「公爵家の令嬢」という冷徹な威厳が、やわらかな温度を伴って解けていく感覚。彼女がついに、かたくなな自尊心を超え、誰かを頼ろうと決めた瞬間だった。


 部屋を出ていった侍女たちが外で耳をそばだてている気配があるが、もう小細工をする必要もないだろう。二人がこうして正式に結ばれるという事実は、屋敷の人間にもすぐ伝わるに違いない。


 レティシアは少し迷ったあと、机の上で握りしめた指輪をクラウスの方へ差し出した。


「これ、もう少しわたしのために磨いておいて。いまここで付けてもいいけれど、もっと整った形でみんなに披露したいわ。きっと、侍女たちも喜んでくれると思うから」


 クラウスはその意図を悟り、うなずく。公爵家の伝統ある儀式の中で、改めて指輪を交換することになるのだろう。そんな儀式が待っているという期待だけでも、彼の心は熱くなった。


「わかりました。では、これは後日、正式な場で渡しますね。あなたが満足する形で」


 そう言いながら、クラウスは再度深く頭を下げる。今この瞬間、レティシアが婚約を受け入れたのだ――それは彼の人生を大きく変える出来事であり、彼女にもまた新たな未来を開く決断だった。

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