第26話 父たちの決断②
「わたしとしては、まずは本人たちの意思を確認し、話を進める準備をしておきたい。いきなり結婚を公に宣言したり、政略的に利用するつもりはありません。伯爵家としても、息子の真摯さを証明するために、いくつか条件を提示する必要があるでしょう」
ハンスが丁寧に言葉を探しながら述べると、公爵はうなずきつつ軽くメモを取るような仕草をする。
「それはありがたい。わたしの方も、娘がまた王太子に振り回されるようなことは断じて避けたい。とはいえ、外野が何を言い出すかわからない時代です。お互い、条件や確認事項を持ち寄って、少し時間をかけてすり合わせたいと思いますが、いかがでしょう?」
「賛成です。急いては事を仕損じますからね。わたしも自家の使用人や顧問役とよく相談し、伯爵家として何ができるかを探ってみます」
こうして、二人は互いに理解を示しながらも、最後の結論を急がない形で話を締めくくろうとしていた。難しいのは、王太子エドワードの名声が落ちたとはいえ、まだ王家の影響力は絶大だという点だ。今後、政略的にレティシアに近づく派閥が生まれる可能性もある。
しかし、今のところはクラウス以外に明確な「求婚者」が現れていないのが救いだ。それでも、油断すれば社交界で「令嬢を奪い合う構図」に巻き込まれるかもしれない。そんな懸念も、公爵と伯爵の両者は共有していた。
「わたしとしては……娘に笑顔でいてほしい。それだけが願いです。伯爵殿、あなたの息子さんは娘を本当に大切に思ってくれていると信じていいのでしょうか」
公爵がそう問いかけると、ハンスは一瞬微笑んでから、きっぱりと答える。
「わたしがあの子を見てきた限りでは、その心情は間違いありません。わたしでさえ驚くほど、レティシア嬢を想う気持ちは強い。けれど、彼は無計画に突き進むタイプでもない。誠実に一歩ずつ進もうとしているのが父親の目には見えます」
その言葉に、公爵も柔らかな笑みを浮かべる。
「では、レティシアの側がどう出るか……わたしは娘の意志を信じるつもりです。あの子は誇りこそ高いが、自分の道を見極める力もある。今度こそ、周囲の政治や王太子の都合に振り回されず、自らが望む相手を選んでほしいと思っています」
二人は再び視線を交わし、穏やかな沈黙を保った。窓の外からは夕陽の名残りが燃えるような赤を落とし、その光が応接間の壁を静かに染めていく。
「本日は、わざわざお時間をいただきありがとうございました。伯爵として、息子がご令嬢の心を射止めたいと願うなら、わたしもできる限りの後押しをしましょう。ただし、無理をしてまで押し通すようなことは致しません」
ハンスが立ち上がり、深く一礼すると、公爵もまた同様に腰を上げた。
「そちらこそ、誠実なお話をいただき感謝いたします。わたしも、娘を大事にしてくれるなら拒む理由はありません。ただし、結婚となれば、双方の責任や条件が伴うのは言うまでもありませんね」
そう言って二人は握手こそしないが、それに近い気持ちをこめて軽く頷き合う。政治的な問題は残るにせよ、両者が「本人たちの意志を尊重する」方向で動き始めたのは大きな一歩と言えるだろう。
こうして、「息子の強行」として始まった求婚騒動は、少なくとも親同士が打ち解け合う形で進展を見せた。アルヴァトロス公爵もフォルスター伯爵も、政治的にも人格的にも信頼に足る人物だとお互い理解し合い、最終的には子どもたちの幸せを願っていることを確認できたのである。
伯爵邸へ帰る馬車に揺られながら、ハンスはほっとしたように息を吐く。まだ簡単に事が進むはずもないが、最低限の対話が始まったことは喜ばしい。クラウスがそれを聞けば、さぞ安心するだろう。
一方、公爵は執事に見送られながら書斎へ戻ると、自分の机に置かれた家臣からの報告書に目を落とす。政治的にはまだまだ綱渡りが続くかもしれないが、娘が本当に望む相手を選べるのなら、王家との軋轢や世間の噂とも向き合う覚悟があるという思いがにじむ。
「レティシア……お前があの伯爵家の次男と歩む道を選ぶのなら、わたしも全力で守るつもりだ。王太子との一件を経て、あの子も強くなったはず。あとは、本当に二人が支え合えるかどうか……見極めが必要だな」
公爵は静かにそう呟き、近くに控える家臣は軽く頭を下げるだけで何も言わない。娘を思う父の気持ちが、王家への遠慮を越えるほどの強さを持っている――それが、今回の一連の対応で改めて浮き彫りになった。
こうして、クラウスの求婚をめぐる両家の思惑と調整は動き始めた。表向きはまだ確定した話ではないが、互いに歩み寄ろうとする姿勢を見せ、少なくとも「本人たちの意志を尊重する」という結論へ向かいつつある。
もちろん、貴族社会がすんなりと二人の結婚を認めるとは限らない。王家の不安定さが増している今、レティシアのように有力な公爵令嬢に伯爵家の次男が手を伸ばす形は、驚きと刺激をもって受け止められるだろう。しかし、親たちの静かな決断が、一歩ずつその道筋を整えていく。
夜が訪れ、アルヴァトロス公爵家の窓に明かりがともる頃、レティシアは廊下を静かに歩いていた。扉の向こうから、父と家臣が相談を続ける低い声が聞こえてくる。どうやら自身の縁談にまつわる調整をしているらしいと察しながら、複雑な気持ちで足を止める。
同じころ、フォルスター伯爵家でもハンスが執事に向かって、「あの子が帰ったら、わたしの書斎に通すように」と言い置いている。きっとクラウスは、父が公爵との会合を終えたことを聞けば、すぐにでも話を聞きたがるだろう。
こうして、二人を取り巻く家同士の交渉は始まったばかり。クラウスとレティシア本人の意思があればこそ成立する話ではあるが、伯爵家と公爵家が政治的な条件や確認事項をクリアにしていくのにも時間がかかるだろう。
だが、親たちの決断は、少なくとも二人を否定するものではない。むしろ「子どもたちの幸福を優先したい」という親心が大きく動いている。
試練はまだ山ほど残っている。二人の愛情と信念が本物であれば、そこを乗り越えて新しい未来を切り開く可能性は高い。アルヴァトロス公爵とフォルスター伯爵、それぞれが子どもを思うがゆえに試行錯誤を始めた今、クラウスとレティシアの旅路はさらに大きな流れに乗り出すのだ。
廊下の灯が揺れ、夜の闇が深まっていく中、二つの家の思いが静かに重なり合う。息子の強行と呼ばれた行動が、まさしく新たな縁を生み出す可能性を秘めているのを、親たちは薄々感じ始めている。愛と誇りの物語が、また新しい展開へと動き出した。




