第21話 王太子の失墜②
やがて、一人の貴婦人がゆっくり近づき、レティシアに頭を下げた。
「これまで早合点をしてしまい、大変失礼いたしました。あなたが真面目に努力を重ねていたことを知らずに、あらぬ噂を信じてしまって……本当に申し訳ありません」
その貴婦人に続くように何人かの貴族も、レティシアのもとへ詫びの言葉を申し出る。レティシアはそれを受け流すように軽く礼を返し、乱れぬ姿勢を保ち続けた。 その姿は、一昔前に「傲慢」と言われていたイメージとはまるで異なる。むしろ、堂々と真実を提示し、王太子にさえ引けを取らない気高さを示している。
こうして、夜会の空気は一変した。先ほどまでエドワードとセレナが主役として注目を集める構図から、今やレティシアが皆の話題の中心となり、多くの者が「彼女こそ本来、ふさわしい存在だったのではないか」と思い始めているかのように見えた。
「クラウス、わたしもうこの場に長居するつもりはないわ。すべきことは済ませたもの」
レティシアが小声で囁くと、クラウスは静かに微笑んで答える。
「はい。もう十分すぎるほど事実を示せました。あとは、この余韻を残して会場を後にするのが最善でしょうね」
二人は視線を交わし、言葉にならない勝利の感覚を共有する。もちろん、これで王太子派閥が完全に崩壊するわけではないし、エドワード自身が王太子の地位を失うわけでもない。しかし、少なくとも今回の策略が失敗に終わったのは間違いなく、レティシアへの濡れ衣は晴れたといってよいだろう。
クラウスはそっとレティシアに手を差し伸べる。数多の視線を受けながらも、彼女は躊躇わずにその手を取った。それは、まるで新たな幕開けを宣言するかのような仕草だ。 彼女がうつむくことなく誇り高く大広間を歩いていく姿に、周囲の貴族たちは思わず目を奪われる。
クラウスがエスコートする形で、二人は堂々と会場の出口へ向かう。後ろでは王太子とセレナが取り残されたように立ち尽くし、追いかけるでもなく、弁解する言葉も見つけられないまま人々の冷たい視線を受けていた。
その背中を見送る貴族たちの間からは、「まさか、あの伯爵家の次男があれほどの行動力を……」「レティシア様を支えるにふさわしい存在かもしれない」という囁きが聞こえてくる。否が応にも、二人の強固な繋がりが新たな評価を生み出し始めているのだ。
「どうやら、わたしたちは大きな一歩を踏み出したわね」
廊下へ出るやいなや、レティシアはほっとしたように小さく息を吐く。クラウスはそれを受け止めるように微笑む。
「ええ。王太子とセレナが、あそこまで動揺を隠せないとは。きっと今夜の一件で、あなたが負っていた汚名は完全に晴れたと思います」
「そうね。わたしも、まだ実感は薄いけれど、周囲の目が変わったのがはっきり分かったわ。もちろん、王太子という地位がある以上、あちらが失脚するわけではないにしても、この結果ならもう十分」
深まる夜の静かな廊下を歩きながら、二人はまだ余韻に包まれていた。長く続いた誤解の日々を耐え忍んだレティシアと、彼女を支え続けたクラウス。それぞれに背負ってきた苦しみや孤立が、ここでようやく報われる形になったのだ。
その足取りは、不思議と軽やかに感じられる。まだやるべきことが何もかも終わったわけではないが、とりあえず目的の大半を果たした今、二人の心にはかすかな祝福の気配が漂っていた。
「では、ここでおいとましましょう。あなたにも、わたしにも、今夜はもう十分な刺激だったものね」
レティシアがそう言うと、クラウスは少しだけ照れたように笑う。その仕草は、夜会の場で見せた凛とした態度とはまた違い、どこか柔らかく思いやりに満ちていた。
「ええ。お疲れ様でした、レティシア様。あなたが失いかけていたものは、きっともう手元に取り戻せていますよ」
彼女は短く笑んで頷く。記憶していた苦しさや不安を噛みしめながら、それを克服した自分を静かに認める。
こうして二人は祝福に似た空気に包まれながら、夜会の会場を後にする。背後では、まだ何人もの貴族が王太子とセレナを取り囲み、あれこれと問いただしているようだ。やがて彼らがどんな結末を迎えるかは、この夜会が終わってから改めて議論されることだろう。
しかし今は、レティシアの名誉を回復するという大きな使命を果たした満足感が、何よりも大きい。クラウスに腕を預けた彼女の姿は、まるで来るべき未来を約束するかのように誇り高く見えた。
王太子の名声は、ここに大きく傷ついた。立場がある以上、完全に地位を奪われるわけではないとしても、これまで築いた名誉は大きく衰えを見せるかもしれない。セレナの虚偽は多くの貴族に認知され、もう彼女をか弱い存在として庇う者はそう多くないだろう。
レティシアとクラウスは、今宵の勝利を胸にしながら、新たな一歩を踏み出す準備を整えつつあった。まだ残る課題や波紋があるにしても、二人はもう引き返さない。力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられると信じているからだ。
その想いは、夜会を出た後も消えることなく、まるで先の未来へと向かう道を照らす灯火のように、彼らの行く手をあたたかく照らしていた。




