第21話 王太子の失墜①
大広間を包む騒然とした空気が、まるで大きな波のようにうねりを増していく。レティシア・アルヴァトロスとクラウス・フォルスターの手で暴かれた事実は、王太子エドワードとセレナ・グランが仕組んできた数々の虚構を白日の下に晒し、今まさに夜会の雰囲気を激変させていた。
先ほどまで壇上で微笑み合っていた王太子とセレナは、人々の前に立ち尽くしたまま、その視線をまともに受け止められないように見える。周囲の貴族たちは口々にささやき合い、ある者は怒りを、またある者は驚きを露わにし始めた。
セレナは涙目になりながらも何とか反論しようと、口を動かす。だが、証拠を伴った論理の前ではその言葉は空しく、彼女が自分を守るためについた嘘が次々に覆されている以上、取り繕うことも難しい。
「わ、わたしはただ……殿下に助けを求めたかっただけで……決して……」
そう呟いた瞬間、これまで同情的に見守っていた貴族の中にも失望の色が漂い始めた。もし本当に弱い存在ならば、それなりに整合性のある言動があるはずだ。それが今や様々な時系列や行動の矛盾が証明され、泣き伏す彼女を援護する声はごく一部しか聞こえてこない。
エドワードは王太子としての威厳を保とうとするが、さすがにこの状況では限界がある。周囲の貴族たちは直接的に王家を責める言葉を口にこそしないが、その視線には疑いの色がはっきりと浮かんでいた。特に、これまで誠実なイメージを持たれていたエドワードが、虚偽の情報をもとにレティシアを断罪したことへの批判は重く、大きな傷として彼に返ってくる。
「殿下、今回の件は……やはり何らかの誤解がおありでしたのでしょうか。もしセレナ・グラン様が嘘を重ねていたというのならば……」
ある公爵家の長老格が恐る恐る声を上げるが、その言葉こそ多くの貴族が内心で思っているところだろう。エドワードは人前で弁明すべきか迷うように視線を泳がせ、それでも王家の立場を失わない程度に体裁を保とうと必死だった。
「……わたしも、すべてを見誤っていたわけではないが、セレナに問題があったのなら、適切に対処せねばならないだろう」
ややしどろもどろになりながらも、エドワードはそう口にする。一方で、彼の周囲を取り巻いていた派閥の者たちは動揺を隠せない様子だ。彼らは今まで、「王太子とその伴侶」を信じて突き従ってきたという手前、行動を翻すのも簡単にはいかない。
そんな中、レティシアは音もなく歩み寄り、深く一礼してから壇上のエドワードを見上げた。表情には険しさこそ残るものの、憎悪ではなく毅然とした静かさがある。
「殿下がお認めになるにせよ、ならないにせよ、わたくしが『いじめの加害者』などではなかったという事実はすでに明白です。長らく誤解を受けてきたわたくしとしては、ようやく名誉を取り戻せたと言って差し支えありませんわね」
会場のあちこちで「その通りだ」「少なくともレティシア様の説明には筋が通っている」という声が上がる。彼女が受けた濡れ衣を晴らすと同時に、ここに集まった貴族たちは無意識のうちに「セレナと王太子が辿る道」に興味を強く抱き始める。
王太子の地位ゆえに、彼が完全に失脚することは考えにくい。それでも、これほどの醜聞は避けられないほどの評判の落ち込みを招くだろう。エドワード派閥の多くも、ここで王太子を弁護すれば自分たちまで傷を負うと察し、沈黙を保っている。
セレナは壇上で涙をこぼしながら取りすがるようにエドワードの腕に触れようとするが、エドワードはその手を払うわけにもいかず、かといって抱きしめて庇うわけにもいかず、中途半端な姿勢のまま視線を伏せた。
その光景に、会場の視線は厳しさを増す。セレナがまさに「自分の嘘」で自らを窮地に追い込んだのだと誰もが感じているし、王太子がその嘘を見抜けず踊らされたのか、あるいは共謀していたのかはわからないが、どちらにせよ名誉を失ったのは明らかだった。
クラウスはレティシアのそばで、あくまで脇役として振る舞うように控えている。だが、その胸には一種の達成感と安堵が混在していた。長かった闘いがここまで形になったのだ。もちろん、王家を相手に無事でいられるという保証はないが、少なくともレティシアに貼られた悪評が消え去るならば、目的は果たされる。
レティシアは壇上にいるエドワードを眺めて一瞬だけ複雑な表情を浮かべるが、すぐにそれを振り払う。彼女にとって、かつては婚約者として敬意を払い、共にある将来を信じていた相手だ。だが、今はもう別の道を歩む運命なのだと思えば、情けなど挟む余地はない。
「わたくしの名誉を奪おうとした方々が、結局は自らの立場を危うくしてしまうというのは皮肉なものですね」
そう小さく呟くと、レティシアは振り返ってクラウスに目を向ける。周囲の貴族たちはどよめきの中から何かを言い出す者もいるが、皆が彼女に注目している今、どう動くか判断がつかずにいるらしい。




