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第2話 魅惑と傲慢②

 少し離れた場所では、王太子殿下がセレナの肩にそっと手を置き、何かを(ささや)いている姿が見えた。セレナは伏し目がちに微笑んで、殿下の言葉に(うなず)いている。まるで庇護(ひご)を求めるようにも見えるその仕草は、レティシアの持つ雰囲気とは正反対だ。


 殿下は柔らかな口調で周囲にも声を掛けているらしく、近くにいた子爵やその令嬢たちが明るい笑顔を浮かべて応じていた。そこには確かに和やかさがあるが、どこか作り物めいた均衡にも思えてしまう。


 私はちらりとレティシアの方を見たが、彼女はまるで「ここにいる誰とも関係がない」と言わんばかりに、正面を見つめたまま動かない。王太子殿下があれほど目立っているというのに、不思議とそちらへ赴こうという気配も感じられない。


 やがて私は、ほんの少しでも彼女に近づいてみようと意を決して、グラスを持ち替えながら人混みをかき分けて進んだ。ちょうど周囲に大勢が集まり始め、自然と彼女に目を向ける人も多くなっている。


 近くまで行くと、彼女の美貌はさらに鮮烈に胸を打つ。銀色の髪はまるで月光を(まと)ったかのように艶めき、その瞳は淡い青のようにも見えた。ひとたび見つめられたなら、射すくめられて動けなくなるだろうという確信すらある。


 しかし、肝心の彼女は、周囲の視線を気にも留めないような落ち着いた面持ちで、わずかに笑みのようなものを浮かべている――ただし、その笑みが愛想にあふれたものではないのは明らかだった。うかつに声をかけたら、その場で切り捨てられそうな気さえする。


「……すごいね。あの態度」


 肩越しに聞こえた若い声に振り向くと、貴族らしき青年が仲間と一緒に彼女を見やっていた。


「王太子殿下の婚約者となれば普通はもっと人前で振る舞い方があるだろうに。まるで誰も目に入ってないみたいだ。いや、実際に王太子殿下が隣にいるわけじゃないし、あれでいいのかもしれないが……」


 青年の口調は軽い驚嘆と批判が混じったものだったが、内心では「あれほどの美貌を持ちながら、どうにも近寄りがたい」という苛立(いらだ)ちのようなものも感じられた。周囲の視線を総取りしておきながら、まるで興味のない様子でそっぽを向く。そんな彼女の態度を「傲慢」だと見る者も多いだろう。


 けれど、私はその姿にこそ猛烈に惹かれた。まるで高みに立つ鷲のように、どこへも()びることなく、悠然とそこにいて周囲を従わせるオーラ。そう感じてしまう自分に少し驚きながら、しかし視線を外すことができない。


 この場にいる誰もが、少なからず彼女の存在を意識している。その証拠に、レティシアの周囲には微妙な距離を保つ貴族が散らばっていて、まるで「あと一歩は踏み込めない」という無言の圧力を感じているのだろう。


 そんな中、私は一人、ひたすらに彼女を目で追いかけていた。

 こんな気持ちは初めてだ。決して近寄りがたい相手なのに、強い興味をかき立てられる。それが一時の憧れなのか、あるいはもっと深い何かなのか、まだ自分でもわからない。ただ、この瞬間、私の人生の方向が変わりつつあるのではとさえ思えてくる。


 レティシアは、そっと視線を動かして何かを探すように見渡しはじめたが、結局、誰とも目を合わせることなくゆるやかに踵を返した。少し首を傾けると、銀色の髪が流れるようにゆらめく。その一挙動さえ舞いのような美しさを伴っている。


 会場の熱気の中、冷たい風がさっと吹き抜けたような錯覚を覚え、私は足元がぐらつくような感覚になった。心臓の鼓動がいつもより速いのを感じる。まさか一瞬でここまで強く惹かれるなど、想像もしていなかった。


 遠くのほうで、王太子殿下が新たに来場した貴族に挨拶を始めた。セレナはそんな殿下の傍らに寄り添い、はにかむように微笑んでいる。周りの令嬢たちも穏やかな会話を交わしながら、時に殿下の言葉に頷いたり手を叩いたりして楽しげだ。だが、その場の華やかさとはまるで対照的に、レティシアの存在が際立っている。


 私はそのコントラストに、たまらなく胸がざわつくのを感じた。

 あの高貴な令嬢がもし、自分の隣で微笑んでくれる日が来たら、どんな景色が見えるのだろうか――そんな思いが、ほんのわずかだけ頭をかすめる。それが叶わない願いだとわかっていても、ひそかに心の中で膨らんでいく。


 それからしばらくして、私はレティシアから距離をとるようにして会場を少し歩き回った。彼女の周囲には自然とあまり人が寄りつかないせいか、その姿だけがぽつんと浮かび上がる。その間にもエドワード殿下は忙しそうに挨拶を続け、セレナと並んで微笑んでいた。


 はたから見れば、誰もが「王太子と婚約者」の絵面を期待するだろうに、実際にはエドワード殿下とレティシアが言葉を交わす場面は一向に訪れない。どこか不自然な雰囲気だ。


「どうしてあの公爵令嬢は殿下のもとへ行かないのかしら……」

「うわさによると、最近は全然会っていないらしいわ。何があったのかしらね」


 耳を澄ませなくても、さまざまな思惑と興味がそこかしこで交錯しているのがわかる。


 この夜会は、ただ華やかなだけでは終わらないかもしれない。そう感じさせる、どこか淀んだ空気の流れがある。レティシアのプライドともいえるあの態度と、エドワード殿下の横に控えめに立つセレナ。


 これらを結びつける裏事情を正確に把握しているわけではないが、少なくとも何かが起こるのではないかという予感が拭えない。


 私は改めてレティシアの姿を探した。彼女は深く息をついたのか、わずかに胸元が上下するのが見えた。その表情は美しく、しかし無表情に近い。何かを感じているのかどうか、外からうかがい知ることはできなかった。


 もし彼女が王太子殿下に直接歩み寄ったら、この場の空気はどう変わるのだろう。少なくとも多くの人々の視線は、二人を中心に集まるはずだ。その瞬間を、皆が半ば期待し、半ば怖れているような空気さえ感じる。


 私はふと、彼女の瞳が少しだけ不安げに揺れているように見えた気がした。あれほど強そうに見える人が、何らかの心配を抱いているのだとしたら……それはどんな悩みなのだろう。


 近くに寄って、その胸の内を聞いてみたい衝動に駆られる。でも今の私には、それを実行する勇気も立場もない。ただ、ひたすらに目を奪われるばかりだった。


「……本当に、本物だ」


 声に出さずそうつぶやいて、私はまたグラスを置いた。味わうことすらできないまま、心は彼女の存在だけに囚われている。まるで頭上に輝くシャンデリアさえ霞んで見えるほど、レティシアの姿だけがくっきりと目に焼きついて離れなかった。


 これが「ひと目惚れ」というものなのだろうか。私は過去にそれほど熱を上げる恋などしたことはないし、顔見知り程度の令嬢たちと数度の会話を交わしただけで終わってきた。だが、今感じているこの胸の高鳴りは、確かにそれに近い衝動に思えてしまう。


 彼女の横顔、銀髪のきらめき、淡い青の瞳。思い出そうとせずとも、目を閉じれば脳裏に焼き付いている。きっと今夜の夢にさえ出てくるだろう。


 そのとき、エドワード殿下の側近が会場の中央あたりで人々を誘導し始めた。まもなく殿下からの挨拶があるのだろうか。人波がそちらへ集まり、皆が静かに耳を傾けようとしている。


 レティシアはどうするのだろうと目をやると、彼女もまた、その場からは離れずに待機しているようだった。その凛とした(たたず)まいは相変わらずで、周囲に混ざるような気配はない。それでも、王太子殿下の動きには注意を払っているように見える。


 私の胸は、不安と期待が入り混じったまま高鳴りを続けていた。きな臭い噂と、尊厳を張り詰めた公爵令嬢。何かが起きる、そんな確信めいた予感が、会場の熱気とは別の形で私を包んでいる。


 このまま夜会が何事もなく終わるとは思えない。その根拠は薄いが、先ほど感じたざわついた空気がそう告げていた。レティシアの傍には誰も寄りつかないが、まるで静かな嵐の目のようでもある。


 彼女がどんな言葉を発し、どんな表情を見せるのか、私はただ静かに見守るしかない。けれど、これだけは確かだった。


 私はすでに、この銀髪の令嬢に「心を奪われている」――それを自覚すると、まるで熱にうかされたような、甘くも苦い感覚が体を満たしていく。


 だからこそ、目を逸らせない。彼女が今夜、どのようにしてその「誇り」を保つのか、あるいは誰かがそれを揺るがすのか。この目でしっかりと見届けようという、奇妙な決意が私の中で生まれつつあった。


 人々は少しずつ会場の中央へ移動し、音楽も一旦小休止になったようだ。王太子殿下が一言挨拶を述べるのだろうか。そのとき、レティシアの姿がスッと私の視界から外れた。彼女も中央に近づくのか、それとも人混みを避けて端へ回るのか。


 見失ったことで少し焦りを感じたが、同時に次に姿を見かけたとき、彼女は何をしているだろうと想像が膨らむ。いや、想像などせずとも、きっと何か大きな出来事がここで待ち受けている――そんな予感が、胸の鼓動をさらに速めるのだった。

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