第18話 破滅への序曲②
もっとも、エドワードとセレナが何を仕掛けてくるかはわからない。脅迫や買収はすでに行われているし、場合によっては暴力的な手段が用いられる可能性すらある。実際、協力を申し出てくれた使用人や友人が妙な脅迫を受けているという噂も耳にした。
「殿下の取り巻きが不安定化しているといっても、王家という巨大な権力がある限り、彼らもいつまでも黙ってはいないわ。最後の最後で何をしてくるか……油断ならない」
「はい。僕たちはその覚悟をもって夜会に臨む必要がありますね。こちらも準備を万全にして、一瞬の隙も与えないように」
クラウスが強い決意を秘めた口調でそう言うと、レティシアも静かに頷いた。実際、レティシアはこの数日、公爵家の侍女や家臣と綿密な打ち合わせを重ねていた。王太子派閥の干渉が及ぶ前に、決定的な資料を複数箇所に保管し、いざというときに証拠を取り出せるよう手筈を整えている。
クラウスも伯爵家の内通者の可能性を警戒しながら、信頼できる友人へ情報を預ける形でリスク分散を図った。こうした対策が功を奏すかどうかは、当日になってみなければわからない。それでも何もしないよりは、はるかに勝算がある。
「……次の夜会が、本当の意味での勝負になるのね」
レティシアが遠くを見つめるように呟く。その姿に、クラウスは深い敬意を抱いていた。どれほどの困難を前にしても、彼女の背筋はまったく乱れず、凛としている。それは単なる強がりなどではなく、誇りを大切にする彼女の真髄だろう。
同時に、レティシアにとってはこれが一度しかない大きな機会でもある。王太子によって奪われかけた名誉を再び取り戻し、セレナの嘘を白日の下にさらすことができれば、長い間苦しめられてきた誤解から解放される日が来るかもしれない。
「……怖いですか?」
クラウスが低い声で問うと、レティシアは少し間を置いてから、微かに笑った。
「怖くないわけじゃない。でも、わたしはもう逃げるつもりはないの。これまで必死に築いてきたものを奪われるくらいなら、正面から戦うほうがずっといい」
「そうですね。僕もあなたと同じです。恐れていては先へ進めない」
こうして二人は改めて互いの手を確かめ合う。たとえエドワードやセレナが最後の手段に踏み切ろうとも、こちらは決定的な証拠と周到な準備をもって対抗する――その意志が、すでに揺るぎなく固まっていた。
そしてその一方、エドワード派閥の焦りと内部分裂の兆しは、二人にとっては大きな好機とも言える。あまりにも強引な手段が増えれば増えるほど、王太子に対する不信は広まり、セレナの演技にも疑問を抱く貴族が増えるだろう。
「破滅への序曲……というには大げさかもしれないけれど、あの方たちはもう止まれないのね」
レティシアが言葉にしなくても、クラウスも同じ考えだ。あれだけ周囲を押さえつけながらも、成果が得られないまま苛立ちを募らせるなら、やがて彼らは自滅の道を歩むかもしれない。
とはいえ、敵を甘く見るわけにはいかない。最後まで何が起こるか分からないし、王家という大きな後ろ盾がある限り、どんな手でも使ってくる覚悟があるはずだ。
「さて、わたしたちも急ぎましょうか。夜会の前に完璧な準備をしておかなければ、思わぬところで足元をすくわれるかもしれない。あなたも伯爵家での動きには細心の注意を払って」
「もちろんです。あちらも必死ですから、どんな妨害があるか分かりません。今のうちに複数の人脈を通じて安全策を練っておきます」
二人は、周囲でうごめく緊張感をひしひしと感じながらも、互いを信じて行動を続ける。もし夜会という舞台で勝利できれば、エドワードとセレナの目論見はすべて崩れ去り、レティシアの名誉は完全に回復するだろう。
書庫の窓辺を見やると、少し重たい雲が垂れ込みつつも、その合間から陽が差し込んでいる。まるで、嵐の前のかすかな光のようでもあり、二人の心を奮い立たせる象徴のようでもある。
「さあ、やるべきことは山ほどあるわ。無駄なためらいは捨てて、最後までやり遂げましょう」
「はい。わたしも最後までレティシア様と共に戦います。あの人たちに踏み潰される前に、わたしたちが先んじて真実を示しましょう」
こうして、レティシアとクラウスは最終的な決断を固める。王太子派閥の最後の策がより強硬な手段であるならば、こちらも遠慮なく証拠を公開し、自分たちの正統性を示すしかないのだ。
エドワードとセレナの焦りが最高潮に達する一方で、レティシアとクラウスは自らの手で真実を切り開こうとしていた。大規模な夜会で衝突する運命を予感しながら、二人は互いの背中を信頼で支え合う。
その夜会が、すべてを決する舞台になるに違いなかった。いよいよクライマックスへ突き進む物語の音が、書庫の静寂を裂くように響き始めている。




