第16話 決定的証拠①
朝の光がまだ優しい頃、レティシア・アルヴァトロスは離れの書庫で静かに呼吸を整えていた。机の上に整然と並べられた書類の束は、セレナ・グランの偽証を証明しうる決定的な証拠だという。
前夜遅く、クラウス・フォルスターが入手してきたその資料を見た瞬間、レティシアは胸の奥が震えるのを抑えきれなかった。あの涙を武器にして自分を陥れようとしている少女が仕組んだ数々の虚偽――その一端を明確に示す内容が、今まさに彼女の手中にある。
扉をノックする音がして、クラウスが姿を見せる。少し寝不足のようだが、その目にははっきりと意志の光が宿っていた。
「おはようございます。もう、確認されましたか……あの書類を」
レティシアは深く頷きつつ、机上の封筒に指先を触れる。
「ええ。まさか、これほど具体的な証拠が手に入るとは思わなかったわ。あなた、よくここまで苦労を重ねたわね」
「僕だけの力じゃありません。協力者たちが危険を承知で動いてくれたおかげです。これは……偽証を裏付ける非常に有力な文書ですよね」
クラウスがそう言って手元の紙を指し示す。そこには、セレナが王太子派閥の一部とやり取りした痕跡が明確に記録されている。日付や会合の場所、セレナの口調や持ちかけた条件まで、かなり詳細に書かれており、当然ながら公式に公表されることは絶対に避けたい内容だろう。
たとえば、セレナが「涙ながらに訴えた」日時に、実は別の場所で談合のような打ち合わせをしていた痕跡がある。そこでは、あらかじめレティシアを悪者に仕立てるためのシナリオが協議され、王太子派閥がそれを後押ししていたことがうかがえる。話に出てくる人数や資金の流れまで書き残されており、単なる妄想や噂では説明できない具体性を伴っていた。
「これを世間に示せば、セレナがずっと偽りの被害者を演じ続けていたことがバレるはず……。わたしたちの立場を逆転させる切り札になるかもしれないわね」
レティシアの声には、期待と高揚感が混じっている一方、慎重さも感じられた。
「ただ問題は、どう公にするか。これをいきなりばらまくような真似をしては、王太子派閥の名誉を深く傷つけると同時に、相手からも激しい報復を招くはずよ」
「そうですね。王家に楯突くように映れば、貴族社会に大きな動揺が走るでしょう。ましてや、あなたは公爵家の令嬢でありながら、事実上、王太子殿下に反旗を翻す形になりますから……」
クラウスが神妙な面持ちで補足する。確かに、この資料を開示すれば、王太子がセレナと共謀し、あるいは知らずともその動きに加担していたことが表面化する可能性が高い。そうなれば、王家そのものへの批判が高まるかもしれない。
レティシアは思案げに視線を落としていたが、ほどなく覚悟を固めるように息をつき、机の書類をそっと閉じた。
「いずれにしても、わたしの名誉を回復するには、彼女の嘘を白日の下に晒すしかないわ。ここまで来たのに、最後の一線を越えずに終わらせるわけにはいかない」
「僕も同感です。これまで散々苦労して集めた証拠があるんですから、決して無駄にはできません。相手の出方を見ながら、最適な場を選んで提示する――それが僕たちの勝機です」
二人の心に迷いがないわけではない。大勢の前で王太子とその取り巻きを告発するのは、よほどのリスクを伴う。しかし、その代わりに得られるものが大きいこともわかっていた。誤解を被り、名誉を失いかけたレティシアにとっては、これ以上ないチャンスだ。




