第14話 協力者たち①
翌朝、クラウス・フォルスターがアルヴァトロス公爵家の離れに向かうと、いつにも増して落ち着かない空気が漂っているように感じられた。侍女や使用人たちは無言のまま忙しそうに歩き回り、何かを隠すように視線を避ける者もいる。
クラウスは書庫の扉を開き、先に来ていたレティシアに短く挨拶をする。彼女は前夜のうちにまとめた資料を机に広げ、黙々と確認していたが、顔を上げると小さく息を吐いて口を開いた。
「……少しだけ、状況が変わったわ。わたしの幼少期から仕えている侍女の一人が、先日『協力したい』と言ってきたの。どうやら、セレナの噂を信じたくないと公言する人が徐々に増えてきているらしいわ」
「それは朗報ですね。具体的に、どんな協力を申し出てくれたのですか?」
「まだ詳細は聞けていないけれど、わたしの昔の家庭教師や近しい使用人たちが『あなたの人となりを証言したい』と動き始めているよう。噂に惑わされる前に、わたしがどういう人間かをきちんと話そうということらしいわ」
それは確かに、大きな助けになりそうだった。いくらレティシアが証拠を提示しても、彼女自身の言葉が信用されないのであれば意味がない。だが、昔から見守ってきた侍女や家庭教師が「彼女は確かに厳格な面があるが、嘘をつくような人間ではない」と証言してくれれば、王太子派閥の流す噂に対する有力な反論材料となるだろう。
「なるほど……。公爵家の使用人であれば、あなたの努力や普段の様子をよく知っているはずだ。王太子派閥の噂とは大きく食い違うはずですね」
「ええ。小さい頃、わたしはかなりわがままだったらしいのだけど、それでも自分で決めた目標には徹底して取り組む性格だったと、昔の侍女たちは言うの。もしその当時の具体的なエピソードを語ってもらえれば、わたしが『すぐに手をあげるような凶悪な人間』ではないことを示せるわ」
レティシアは意識して淡々と語ろうとしているが、その口調の奥には微かな照れや戸惑いが感じられた。自分を「傲慢」と思っている人々に、いかにかつての努力や実直さを伝えるか――それを他者の口から語ってもらうのは、彼女にとっても少しばかり気恥ずかしいのだろう。
クラウスはそんな彼女の様子を感じ取りながら、前向きにうなずいた。
「ぜひ、彼らの協力を得ましょう。どんな些細なことでも『実際のあなた』を示す証言になり得ると思います」
「そうね。わたしとしては、王太子派閥の流す噂に反証する意味でも、過去のエピソードをいくつか示すのは悪くないと思う」
話が弾み始めたところで、ノックの音がして侍女が顔を覗かせる。彼女はやや緊張した面持ちで、レティシアに視線を向けた。
「お嬢様、先ほど申し上げた者たちが、少しだけお時間を頂戴したいとのことです。ご都合はいかがでしょうか」
「もちろん会うわ。書庫へ通しても構わない。今はクラウスもいるし、こちらとしては目の前で話を聞けるなら願ってもないことだもの」
それから数分後、レティシアの幼少期から仕えている侍女や、当時の家庭教師だった初老の女性など数名が書庫に入ってきた。皆、一礼してから控えめに立ち並び、レティシアを気遣う視線を向ける。
侍女のうち一人は、慣れ親しんだ様子でレティシアに言葉をかけた。
「お嬢様、お久しぶりにこうして直接お話しする機会をいただき光栄です。わたしどもは、今広がっている噂があまりに酷いと感じておりまして……。僭越ながら、皆で何かお力になれないかと話し合いました」
「ありがとう。正直、こうして進んで協力を申し出てくれるとは思っていなかった。あなたたちもリスクを負うことになるわ」
侍女たちが顔を見合わせ、意を決したように続ける。
「確かに、王太子殿下に逆らう形になるのは不安がないわけではありません。でも、お嬢様が幼い頃からどれだけ努力してきたか、わたしたちは知っています。今さら『恐ろしい人間だ』なんて言われるのは耐えられないんです」
「そうです。お嬢様は確かに厳格なところもありましたが、それは自分に対しても同じで、決して道理に外れたことで人を傷つけるような振る舞いはされなかったはずです」
レティシアは静かに彼女たちの言葉を受け止める。こうして身内とも言える存在に認められるのは、やはり嬉しいことだ。もっとも、それを素直に表現できないのが彼女の不器用なところでもあるが。
クラウスは、その場面をそっと見守っていた。普段のレティシアは強く威厳をまとっているが、こうして幼い頃からの関係者と会話するときには、わずかに肩の力が抜けているように見える。
「お嬢様には、王太子妃になるために、一時期は睡眠時間を削ってまで勉強に取り組んでいらした時期がありました。周りは誰もが『あれほど努力する方はいない』と舌を巻いていましたが、それをご本人は当然のようにこなしていて……」
その家庭教師だった女性が、懐かしそうに語るエピソードは、まさにレティシアの真面目さを裏付けるものだった。幼い頃は「完璧に振る舞わねば」と己を律し、誰にも文句を言わせない力を身につけるために、一日も怠けず努力してきたという。
その証言を聞きながら、クラウスは「彼女が努力家だった」という噂をようやく確信へと変えていく。これまでも断片的には聞いていたが、こうして具体的な姿を示されることで、レティシアという人間像がよりクリアになった。
「……ありがとう。あなたたちの協力は心強いわ。わたしが実際にどんな人間かを知らない人ほど、王太子派閥の噂を信じるから、その点を説明してくれる人がいるのは大きい」
レティシアが感謝を口にすると、侍女や家庭教師たちは一斉に頭を下げ、「微力ながらお力になります」と応じる。
さらにその場には、クラウスが連れてきた青年もいた。彼は中立的な立場の貴族の子息で、幼少期からのクラウスの友人だという。
「クラウスに協力する形で来ました。わたしは王太子派閥と積極的に関係を持っているわけでもなく、かといって公爵家の派閥にも属していない中途半端な人間です。でも、だからこそ客観的な目で証言を集められると思います」
青年はそう言って軽く会釈し、資料を机に差し出す。そこには、王都の各所で流れ始めた新たな噂についてまとめられていたが、その噂を否定する意見や「レティシアを実際に見知っている人の弁」も添えられていた。
読み進めるうち、クラウスとレティシアは思わず視線を交わす。この青年は自分たちのためにかなり労力をかけて聞き込みをしてくれたらしく、セレナが流している噂の矛盾点もいくつか整理してある。いずれも確固たる証拠とまでは言えないが、王太子派閥の不自然な動きを示唆する材料にはなり得る。
「あなたも、相当苦労して集めてくれたみたいね。本来ならわざわざこんな厄介ごとに首を突っ込む必要はなかったでしょうに……」
「正直、伯爵家の次男であるクラウスがそこまで必死になるのを見て、わたしも何かしなくてはと思ったんです。実際、わたし自身も王太子派閥があまりにも恣意的に噂を流しているのを感じていましたし」
青年が真面目な顔で応じると、クラウスは心からの礼を述べた。持つべきものは友――そんな言葉が頭をよぎる。
こうして、侍女や家庭教師、そしてクラウスの友人という多方面からの協力が少しずつ集まり始めた。
しかし、彼らが全員そろって賛同してくれるわけではない。ある者は家族の身を案じて撤退を余儀なくされ、またある者は王太子派閥の干渉を恐れて証言を避けるなど、必ずしも順調とはいえなかった。
「敵側もただ黙ってはいないでしょうね。わたしの侍女の中にも、『王太子派閥の人が屋敷周辺を探りに来ていた』という話を耳にした子がいるわ」
レティシアの言葉は決して大げさではない。何しろ王家の後ろ盾がある以上、政治的な圧力は非常に効果的だ。ギリギリのところで姿を隠している協力者も少なくないという。
それでも、こうして「彼女は本当はどういう人間なのか」を証言してくれる者が現れ始めたのは大きい。努力家としての素顔、幼い頃からの真面目さを知る人々が、それを否定するわけもなく、「もし真実を捻じ曲げられるなら我慢できない」と言って立ち上がる例が増えてきたのだ。
クラウスは書庫の一角で資料を整理しながら、思わず胸が熱くなる。レティシアは決して万人から好かれる性格ではないが、それでも嘘をつく人間ではないと信じる者がこんなにもいる――その事実が、あらためて彼女の本質を証明しているように思えたからだ。




