第13話 動き出した策略①
灰色の雲がうっすらと広がる王都の空。華やかな貴族社会の裏側では、見えない糸が複雑に絡み合い、目に見えない争いが静かに進行していた。
王太子エドワード・オルディスと、彼に寄り添うセレナ・グラン。その二人を取り巻く派閥が、レティシア・アルヴァトロスとクラウス・フォルスターの行動を警戒し始めたのは、ごく最近のことではない。だが、ここにきて二人が本格的に証拠を集め始めたという噂が広まりつつあると知って、彼らはさらに敏感に動き出していた。
エドワードとセレナは、王宮の奥深くにある一室で密やかに言葉を交わしている。分厚いカーテンが窓を覆い、外の光を遠ざけるようにして、二人の会話は低い声で進んでいた。
「……最近、あの公爵令嬢が再び動き出しているようですね。例の伯爵家の次男と共に、何やら証拠らしきものを集めているとか」
エドワードはそう口にしながら、机に並べられた書類を睨んだ。朝のうちに取り寄せた報告書には、「レティシアが関係者を巡って調査を行っている」という情報が記されている。
「ええ、わたしのほうにも、あの二人が裏で動いているという噂がちらほら届いています。あまり面白くありませんわね」
セレナは唇をかすかに歪め、書類を一瞥する。表向きは儚げな雰囲気を装っていても、二人きりのこの場では、その眼差しにわずかな敵意が宿っていた。
「今さら彼女が何をしようと、わたしの立場が脅かされることなどない……と思いたいけれど、念には念を入れませんと」
「そうだ。ここでレティシアの名誉が回復してしまえば、わたしにも余計な面倒が降りかかる。もとは『彼女が悪い』という大前提を崩してはならないからね」
エドワードの声はひどく静かだが、その奥には冷ややかな意思が感じられる。そうでもしなければ、自分の決断に疑いを抱く者が増えてしまう――つまり、王太子としての威厳が揺らぐ可能性があるというわけだ。
「だったら、もっと彼女の評判を落とすよう、噂を流してしまいましょうか。具体的な被害者を増やしたり、金銭の疑惑をちらつかせたり……。方法はいくらでもありますわ」
「そこまで直接的な手を打つのは危険も伴うが……。今のままでは彼女が反撃の準備を整えているかもしれない。放置しておくのは得策ではないね」
そう言いながら、エドワードは細いペンを手に取り、書類の端に何やらメモを書き込む。計画が頭の中で形作られつつあるのだろう。
「大事なのは、レティシアが反論する前に、周囲を味方につけてしまうことだ。あの誇り高い令嬢が多少事実を示したところで、『彼女こそ嘘つき』と思わせられればいい」
「そうですわね。わたしのほうでも、いくつか根回しをしておきます。先日も泣いているふりをしたら、すんなり信じ込んでくれる貴族が多くて驚くほどでした」
セレナが小さく笑うと、エドワードは苦笑まじりに頷いた。王太子の庇護のもと、彼女が撒き散らす涙という同情票は強力だ。貴族たちは表面上、心優しき王太子と可憐な少女という構図を疑わず、レティシアを「傲慢で冷酷」という方向へ追いやりたがる。
さらに、二人はクラウスの存在にも注意を払う必要があると認識していた。あの伯爵家次男が思いのほか手際よく裏を取っているという噂を聞き、警戒しているのだ。
「クラウス・フォルスター、だったか。あの若造が、どれほどの力を持ち得るんだろうね。伯爵家としては大した権勢はないが、最近の行動は目障りだ」
「彼が動いているのは純粋な正義感でしょうか。それとも、レティシアが色仕掛けでもしているのかしら? どちらにしても、彼の存在を野放しにはできませんわ」
セレナが小首をかしげて呟くと、エドワードはわずかに表情を曇らせる。実際、伯爵家の次男がここまで積極的に動くのは珍しい上に、レティシアとの連携が予想以上にスムーズだと聞く。
それだけでなく、最近は「密偵」の報告によれば、彼らの動きが事前に把握しづらくなっているらしい。まるで王太子派閥の目をかいくぐるように細心の注意を払いながら証拠を集めているという。
「彼らの行動を監視できるよう、手を回しておく。フォルスター伯爵家の中にも協力者はいるはずだ。……言い方は悪いが、伯爵家はそれほど安泰というわけでもないしね」
「王太子殿下のご命令とあらば、誰だって動かざるを得ないでしょう。伯爵家の使用人や周辺の人物から情報を得るのも容易ですわね」
セレナはそう言いながら微笑む。その表情には、儚げな少女の面影など微塵もない。
こうして二人の策略が静かに進められていく一方、貴族社会の一角では早速、新たな噂が流れ始めていた。
「レティシア・アルヴァトロスは、疑わしい資金の流用をしていたらしいぞ……」
「伯爵家の次男が彼女に買収されているという話もあるらしい」
根拠不明の噂が手を変え品を変えて拡散され、しかもそれを否定する者が出づらいように、王太子派閥が裏で根回ししているのは明白だ。貴族たちは、王家を敵に回すかもしれないリスクを冒すより、無難に「流れ」に乗る方を選びがちである。
この波は確実にレティシアとクラウスの活動を阻害する要因となっていた。例えば、彼らが問い合わせようとした証人が、急に証言を渋りだしたり、あるはずの資料が「失くなった」と言い張られたりと、目に見えない妨害が増えてきたのだ。




