第9話 誇り高き令嬢③
最後に、レティシアが彼を見つめる。瞳は相変わらず鋭く、しかしどこか期待をかけるような色が混ざっている。
「ここまで来たからには、わたしもあなたを疑ったりはしないわ。少なくとも、あなたの誠実さは嘘ではないとわかったもの。でも……もし途中で怖じ気づいたり、王太子派閥の脅しに屈するようなら、わたしは遠慮なくあなたを切り捨てる。いいわね?」
威圧的にも聞こえる言葉だが、クラウスにはそれが彼女なりの信頼の表明だとわかる。ここのところずっと危うい綱渡りをしてきたのだから、自分の身を守るためには当然の用心も必要だろう。
「承知しています。僕は覚悟を持ってここに来ました。何が起ころうとも、最後まであなたの名誉を守るために行動します」
レティシアは小さく息を吐き、わずかに目を伏せる。彼女の強い意志とクラウスの誠実さが交わった瞬間、部屋の空気が変わったように感じられた。冷淡に見えた彼女のまわりに、一瞬だけ柔らかい空気が漂ったのは気のせいだろうか。
「ならば、今日から正式に協力しましょう。わたしのプライドを守るのは、わたし自身……でも、そのためにあなたの力を借りることも受け入れます」
言い終えると、レティシアはテーブルの上のメモや手帳をまとめ、クラウスの手元に少し分け与えた。そこには、彼女が厳選した一部のスケジュールや、王都で把握している人脈図など、調査に活用できる情報が記されている。
「これを基に、次回までに計画を立て直しましょう。いつまでも受け身でいては、王太子殿下たちの思うつぼだから」
「わかりました。やるべきことが明確になってきましたね。これからが本当の勝負かもしれません」
二人は立ち上がる。レティシアが先に客間の扉まで歩き、控えていた侍女を呼び寄せる。おそらく見送りの段取りを整えるのだろう。
クラウスは鞄に書類を仕舞い、そっと小さく微笑んだ。何度となく葛藤し、危険を承知で踏み込んできたが、ようやく彼女と肩を並べて真実を探る道が開けた。もちろん、この先に困難が待ち受けているのは承知のうえだ。王太子派閥の圧力はさらに強まり、セレナの涙を武器にした陰謀が加速するかもしれない。
それでも、クラウスの胸には不思議な高揚感があった。あの誇り高いレティシア・アルヴァトロスが、自分を仲間とみなし、その知性と人脈を活かして共に戦ってくれる。少し前までの彼なら想像もできなかった展開だろう。
一方、レティシアの横顔にもわずかな覚悟の色が映っている。彼女は冷静さを保ちながらも、クラウスの誠実さをすでに信じ始めているのだ。これまで築いてきた厳しい殻を破らぬまでも、ほんの少しだけ道を開いたことに自分でも気づいている。
侍女が一礼して客間の扉を開く。クラウスが先に出ようとすると、レティシアが軽く咳払いをした。
「……あなたが集めた資料、絶対に紛失しないこと。わたしの記録も含めて、よそへ漏れないようにしてちょうだい。わたしにとっても、あなたにとっても大事なものだもの」
「承知しています。今日いただいた情報は大切に管理します。次にお会いするときまでに、できるだけ整理しておきましょう」
そう誓うと、レティシアは小さく頷き、クラウスを見送った。広い廊下を歩いていく後ろ姿を見届ける間、彼女の胸にはほんのわずかばかりの安堵が広がっている。まだ厳しい戦いが続くが、完全に一人きりというわけでもなくなった――そんな思いが、張り詰めた気持ちをほんの少しだけ緩めていた。
その姿を視界から消した後、レティシアは振り向き、客間の机の上を片付ける。ここからが正念場だと自分に言い聞かせる。
王太子やセレナが、今以上に強引な手を打ってくる可能性は高い。政治的な駆け引きだけでなく、社交界を巻き込んだ世論の操作も進むだろう。だが、ここで引くわけにはいかない。誇りを守るためには、あらゆる手段を尽くす必要がある。
「大丈夫。わたしは、誰かの支えがなくても前に進むつもりだった。でも……もし必要なら、あの青年を利用するぐらいの度胸はある。今はそれを『利用』と呼ぶべきかどうか、まだわからないけれど……」
それが本音だった。レティシアは自分を裏切らないだろうという直感で、クラウスを信じつつある。とはいえ、心のどこかには彼がいつか怯えて逃げ出すのではないかという不安もある。しかし、今はそれを確かめるには至らない。まずは行動がすべてだと心得ている。
「さあ、始めましょう。わたしも公爵家の人脈を総動員して、王太子殿下の陰謀を暴く手段を探らなくては」
そう小さく呟いたとき、彼女の銀色の髪が窓からの微かな光を受けて揺れた。まるで決意を象徴するような輝きが、薄暗い室内を一瞬だけ照らす。
こうして、公爵令嬢レティシアと伯爵家次男クラウスの間に、本格的な共闘関係が結ばれた。互いに利害が一致し、理不尽を正そうとする強い意志を共有した瞬間。
この先待ち受ける逆風を思えば、決して楽な道ではない。それでも、二人で手を携えていけば見えてくる突破口がある――そんな期待が、ふたりの心の奥で芽生えようとしていた。




