第9話 誇り高き令嬢①
夕刻、王都の空が橙色に染まり始めたころ、クラウス・フォルスターは再びアルヴァトロス公爵家の門をくぐった。前回の訪問は、ごく短時間の面会に終わったが、今回はなるべくしっかりと話をするつもりだ。そうしなければ、今後の調査に取りかかれないと思っていた。
緩やかな車寄せを通り、使用人に通されたのは前と同じ客間だった。豪奢な装飾品が目を惹くが、部屋の空気にはやはりどこか張り詰めた雰囲気がある。
しばらく待っていると、レティシア・アルヴァトロスが姿を現した。銀色の髪をきっちりまとめ、背筋を伸ばして歩み寄ってくる。その表情は、前に会ったときと同様に冷静そのものだが、今日こそは多少長い会話をする心づもりがあるのだろう。わずかながら周囲を払うような苛立ちは感じられない。
「お待たせしました。……また来たのですね」
レティシアが淡々と声をかける。クラウスは立ち上がり、深く一礼してから静かに口を開いた。
「はい。突然のお願いに応じていただき感謝いたします。前回、お話しできなかったことを、今日こそご説明したいのです」
レティシアは無言で席をすすめる。クラウスが腰を下ろすと、彼女も向かいの椅子に落ち着いた。微妙な距離感があるが、これまでよりは多少余裕を持って対峙している印象だ。
クラウスは緊張を噛みしめつつ鞄を開き、そこから数枚のメモや書簡の写しを取り出した。
「先日から、いろいろなところへ当たってみました。おそらく、セレナ・グランが主張している『いじめ』の内容にはいくつもの矛盾があると感じています。その一部をここにまとめてきました」
「矛盾、というと……具体的には?」
レティシアが身を乗り出すことはないが、彼女の瞳には興味が宿っている。クラウスは書簡の一節を指し示しながら説明を始めた。
「これは、ある侍女がこっそり耳打ちしてくれた内容です。セレナが『あなたに呼び出され、ひどい侮蔑を受けた』と主張している日付と、実際に彼女が行動していた先のスケジュールがまるで合わないのです。その日、彼女は公的な任務の一環で別の貴族邸を訪問していたらしく、とてもあなたと二人きりになる時間はなかった可能性が高い」
「ふむ……。わたしもその日については何の記憶もありません。彼女を呼び出したなど、ありえませんから」
レティシアの声には少なからぬ安堵が混じっているようにも聞こえる。自分に関する疑惑が事実無根である証拠を、他者からも示されつつあるのだから当然だろう。
クラウスはさらに、貴族学校時代の元教師から得た断片的な証言についても言及した。セレナが「あの方に厳しく当たられていた」と語っていた頃、実際にはレティシアと接点がほとんどなかったことや、むしろレティシアの方が周囲に干渉せず、一人で黙々と勉学に励むタイプだったことなど。
それらを受け、レティシアは少し視線を伏せ、記憶を呼び起こすように静かに考え込んだ。
「確かに、わたしは当時、あまり他者と積極的に関わる方ではありませんでした。特に、セレナと親しくした覚えはないわ。何かを仕掛ける理由もなければ、そもそも興味を持っていなかった……。なのに、どうしてそんな話を作り出すのかしら」
唇をかすかに噛むレティシアからは、怒りだけでなく、わずかな悲しみも滲んでいる。根も葉もない疑惑を向けられ、さらに王太子陣営によって追いつめられているのだから無理もない。
クラウスは一呼吸おいてから、彼女の表情を窺うように言葉を継いだ。
「そこで、僕はあなたと情報をすり合わせたいと思っています。今の段階では僕一人の力では不十分ですし、正直なところ、セレナがどうしてここまで周到に話を作り上げられるのか、その理由が見えていません。王太子派閥の後ろ盾があるからなのか、あるいは彼女自身の思惑があるのか……」
「なるほど。確かに、一人で動き回るには危険でしょう。それに、こちらとしても、外から見える情報だけではわからないことがあるはず。あなたが得た手掛かりを精査し、必要に応じてわたしの人脈を使えば、もっと確かな証拠を掴めるかもしれない」
レティシアは静かに言いながら、指先でテーブルの縁をなぞる。公爵令嬢として培った知識や人脈は無視できない武器だが、それを生かすには、彼女が積極的に動かねばならない。もちろん、それには大きなリスクも伴う。
すると、クラウスがさらりと口を挟んだ。
「もちろん、あなたの立場を危うくするような無理はさせません。僕もできる限りのことをやります。ただ、あなた自身の名誉を取り戻すためには、やはりあなたご本人が動いてくださらないと大きく前進しないと思うのです」
「……そうね。わたしの名誉を守るのは、わたし自身しかいない。あなたがいくら頑張ってくれても、当事者が黙っていればそれこそ都合よく改ざんされかねないもの」
レティシアの瞳に、強い決意が灯った。それでも、まだ素直に「協力してほしい」とは口にしないあたりが、彼女らしいといえばらしい。
だが、クラウスはそれを責めるつもりもなく、むしろレティシアの強さを頼もしく感じた。外から見ると冷淡な印象だが、その芯にあるプライドと行動力は何者にも折れない意志だと理解できるからだ。
「では、共に進めましょう。王太子殿下やセレナ、そしてその取り巻きがどんな手を使おうとも、事実無根の話をそのままにしておくわけにはいかない」
クラウスの言葉を聞いて、レティシアはわずかに微笑む……かに見えたが、それは一瞬の錯覚だったのかもしれない。すぐにいつものクールな表情へと戻る。
「あなたがどこまでやれるのか、正直わたしはまだ半信半疑。だけど、今は他に手段もないし、わたし自身も闇雲に動くには状況が厳しすぎる。ならば、利害は一致しているわね」
「はい。僕も、あなたが納得する結果を出すために全力を尽くすつもりです」
そう言い合った瞬間、二人の間にかすかな共鳴が生まれた。微妙な温度差はありつつも、目標が一つに定まったことで確かな共闘の空気が育ち始めたのだ。




