第8話 動き始めた調査②
そんな苦戦が続く中、クラウスは偶然にも小さな手がかりを得ることになる。ある侍女から、セレナが王都に出入りする際のスケジュールに矛盾があるという話を聞かされたのだ。
「私も詳しいことはわかりませんが、セレナ様が『レティシア様に呼び出されて嫌がらせを受けた』と噂になっている日の記録を見ますと、実際にはその日にセレナ様は別の場所へ赴いていたようなのです。ですが、その話を広めようとしたら、即座に誰かに止められて……」
クラウスは目を見開いた。もしその侍女の話が確かなら、セレナが主張している「嫌がらせ」の一例が完全に虚偽である可能性が高い。この侍女はあくまで断片しか語らなかったが、その経緯を詳しく調べれば、大きな矛盾が浮かび上がるかもしれない。
「ぜひ、その当日の詳細をもう少し教えていただきたいのですが……」
「すみません、わたしもそこまでで精一杯なんです。これ以上は、私の立場が……」
そう言って侍女は顔を曇らせる。王太子派閥の存在を恐れているのか、あるいはセレナの背後にいる勢力が何らかの圧力をかけているのか。いずれにせよ、簡単には深堀りできないようだ。クラウスはやむを得ず礼を述べてその場を後にした。
幾つかの手掛かりを集める中で、クラウスはますます「セレナの言動」に疑問を感じる。まるで、噂が立ち上がるたびに彼女が語る話が少しずつ変化しているようでもあり、その空白を王太子派閥が埋める形で「レティシアの悪行」として固められていくのだ。
しかし、手掛かりをつなぎ合わせていく作業はそう簡単ではない。表に出ない不正な動きがあると感じても、具体的な証拠を押さえるには、大胆な調査が必要だろう。そして、今のクラウス一人の力では、あまりにもリスクが高い。下手をすれば、自分自身が王太子派閥の標的となり、伯爵家全体が損害を被る可能性もあるのだ。
「やはり……レティシア本人と話して、情報をすり合わせる必要があるな」
そう痛感したのは、いくつかの矛盾した証言をまとめているときだった。彼女こそが当事者であり、セレナが受けたとされる「いじめ」を実際には行っていないという確信を持っているはず。ならば、どの部分が真実とかけ離れているのか、確実に指摘できるかもしれない。
夕刻に差し掛かり、クラウスは疲労混じりに馬車へ戻った。周囲を見回すと、通りの人々は誰も彼に関心を向けていないように見える。しかし、彼の行動を監視する視線がまったくないとも限らない。
「もし今の段階でレティシアと直接話をするのが難しいなら、彼女の周囲……公爵家の執事などに当たる手もあるが」
しかし、王太子派閥の圧力を考えれば、公爵家の内部も同様に慎重な態度を取るに違いない。昨日の時点で、どうにか面会を許される可能性は示唆されたものの、公爵家からしてみれば、これ以上騒ぎを大きくしたくない気持ちもあるだろう。
「それでも、放っておけばどんどんレティシアの立場が悪くなるだけだ。僕が動かないと」
自分で自分に言い聞かせるようにつぶやき、馬車の扉を閉めた。背中にはじっとりとした汗が滲んでいる。今日は一日中足を使い、さまざまな人物に話を聞いてきたが、まとまった証言はわずかしか得られなかった。王太子派閥の力があまりにも大きく、人々が萎縮しているのを痛感させられる。
馬車がゆっくりと伯爵家への道をたどり始める。薄暗くなった街角を抜けていくうちに、クラウスの胸には焦燥感が高まるばかりだった。王太子の取り巻きが意図的に噂を流している証拠はある程度見えてきたものの、それを公に示すだけの裏付けはまだ足りない。今のままでは、王太子派閥はおろか、第三者すら納得させられないだろう。
「……ここまでの調査で見えてきたのは、『セレナがいじめ被害を受けていた』という噂に具体的な裏付けがないこと。逆に言うと、レティシアが潔白であると証明するためには、さらに確かな証拠が必要だ。加えて、セレナの行動に何らかの意図があるという確証をつかまねばならない……」
揺れる車内で、クラウスは頭を抱える。自分が得た小さな矛盾をどう活かすか――そのためには、やはり本人であるレティシアに詳しく聞く必要がある。彼女が何を知っていて、どの部分に不自然さを見いだすのか。協力なしでは一歩も進めないというのが現状だろう。
家に着く頃には、夜の帳が下り始めていた。車庫に馬車が収まるやいなや、使用人がクラウスに近づき、「ハンス伯爵がすぐお会いになりたいと」と耳打ちする。父が今日の彼の外出に不快感を募らせているのは容易に想像がつくが、このまま黙って従うつもりもない。
「……一度話をして、意見を聞かなければならないな。だけど、ここで退けと言われても、もう退くわけにはいかないんだ」
心中でそうつぶやき、クラウスは意を決して執事の後ろを歩き出す。伯爵家の廊下には重々しい空気が満ちているが、今はそれよりも「レティシアとの再会と協力」が最優先だという思いが強い。もし必要とあらば、どんな反対を受けても次の手を打つだろう。
「レティシア……あなたが今、どれほど孤立しているかを考えると、僕だって何もできないわけじゃない。いや、そう信じたいんだ。やるしかない」
たとえ王太子派閥が暗躍しようとも、セレナが巧みに同情を集め続けようとも、真実を見極めるために足を止めるわけにはいかない――クラウスは夕闇の中、己の決意を再度確かめながら、重い扉の向こうへと消えていった。




