第6話 再会①
フォルスター伯爵家の屋敷で朝を迎えたクラウスは、壁に掛けられた時計の針を何度も気にしながら、落ち着かない様子で廊下を行き来していた。
夜会のあと、レティシアと一度も言葉を交わしていない。あの激しい場面で、王太子や周囲を敵に回してまで庇ったものの、それが彼女の助けになったのかどうかはわからないし、そもそも一方的な押しつけだったのかもしれない――そんな不安が日に日に大きくなっていた。
さらに、父ハンスに厳しく叱責されてからというもの、屋敷全体がどこか重苦しい空気に包まれ、クラウスの行動にも微妙な制限がかかっている。しかし、それでもレティシアと話をしたいという思いは消えなかった。彼女が今どんな苦境にいるのか、少しでも自分にできることはないか――そう考えると、いても立ってもいられなくなるのだ。
朝食を終えると同時に、クラウスは父の執事を呼び止め、思い切って切り出した。
「お聞きしたいことがあるのですが……わたしが、アルヴァトロス公爵家の令嬢と会う機会を頂けるかどうか、何か方法はありませんか?」
執事は目を丸くし、表情を曇らせた。「わざわざ火中の栗を拾おうというのか」というような顔に見える。
「若様、その話は伯爵様にもすでにお伝えになったのですか? 今の公爵家には王太子派閥の圧力もかかっており、外部の者が面会を申し込むのは難しいかと……」
「それは承知している。しかし、何とか連絡を取りたいのだ。無理を言っているのはわかる。もし取り次ぎが叶わないようなら、別の手段も考えようと思っているが……」
意を決した表情のクラウスを見て、執事は困り果てたように溜め息をつき、小声で続ける。
「……わかりました。念のため、私から公爵家に伺いを立ててみましょう。ですが、そちらから断られた場合は、どうか引き下がってくださいませ」
「ありがとう。無理を言ってすまない。返事を待つよ」
こうして、クラウスは一縷の望みをかけてアルヴァトロス公爵家へ面会申込みの書状を出した。もちろん父ハンスには事後報告となるが、いずれにせよ激怒されるのは目に見えている。だが、今さらそれを恐れても仕方がない。
翌日、公爵家からの返答が思いのほか早く届いた。それを知ったクラウスは驚きと緊張が入り混じった胸の高鳴りを抑えられない。書状には、簡素な言葉で「公爵家当主の許可を得たため、必要最低限の面会を認める」と記されていた。
おそらく、公爵自らがこの面会を望んだわけではないだろう。ただ、王太子と対立する立場に立たされた以上、外部の情報や助言をシャットアウトするわけにもいかない――そんな公爵の苦悩がうかがえるような文面だった。
同日、クラウスは早速屋敷を出てアルヴァトロス公爵家へ向かう。王都の中心部にそびえる公爵家の壮麗な門扉には、見慣れぬ兵士が配置されていた。内部の警戒態勢を強めているのかもしれない。
案内された客間は豪華な装飾に彩られ、まさに公爵家らしい威厳を備えている。けれど、その華麗さとは裏腹に、どこか張り詰めた空気が感じられた。広い部屋だというのに、温かみが薄く、静まりかえっている。
しばらく待っていると、やがてドアが開き、レティシアが姿を見せた。銀色の髪を上品にまとめ、落ち着いた色味のドレスを纏っている。夜会で見たあの圧倒的な華やぎに比べると、やや控えめな印象だ。しかし、その視線は相変わらず鋭く、近寄り難い雰囲気をまとっている。
クラウスは思わず立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お忙しいところ、面会の機会を頂き感謝します。フォルスター伯爵家の次男、クラウス・フォルスターです。あの夜会以来……お姿を拝見するのは初めてになりますね」
レティシアは彼を一瞥し、そのまま席に腰掛ける。まるで「あなたに礼を述べるつもりはない」と言わんばかりに無言の時間が流れた。
客間に流れる張り詰めた沈黙を断ち切るように、クラウスは姿勢を正して言葉を継ぐ。
「まずは、あの夜……突然大きな声を出し、殿下に反論するような形で、あなたを庇おうとしてしまいました。本当に……迷惑だったかもしれません。もしそうなら、謝罪を申し上げます」
それを聞くと、レティシアの眉がわずかに動いた。しかし、すぐに冷やかな視線でクラウスを見据える。
「……謝罪? わたしはあなたに何か頼んだ覚えはありませんが。むしろ、あんな場で軽率な言動をすれば、あなた自身が危険に晒されることくらいわからなかったのですか?」
口調は冷ややかだが、その奥にはわずかな戸惑いが混じっているようにも感じられる。クラウスはそれを見逃さず、小さく息を整えた。
「ええ、わかっていました。けれど、あのままではあなたの言葉は誰にも届かないと思ったから……僕は黙っていられなかったんです」
レティシアは少し目を伏せる。何かを考えているのか、言葉が続かない。彼女はあくまでも冷静を装っているが、あの夜の出来事を思い出せば、胸に複雑な感情が湧き上がるはずだ。やがて、やや挑戦的な光を瞳に宿して問いかける。
「フォルスター伯爵家の次男として、王太子殿下と対立することの危険性も承知しているのでしょう? それでもわざわざ面会まで申し込んだ理由は何ですか?」
その問いにクラウスは、まっすぐ彼女を見返す。どんなに冷たい態度を取られようとも、今は退かない。
「あなたの名誉を取り戻したいんです。今のままでは、王太子殿下やセレナ嬢の言葉だけが事実のように扱われ、あなたが一方的に悪いと決めつけられてしまう。そんなのはおかしい。それに……あの夜の光景を思い出すたびに、どうしても放っておけないんです」
レティシアはその熱意に少し驚いたようだが、すぐに嘲るような口調を浮かべる。
「……あなた一人の力で、何ができるというのです? 伯爵家の次男であるあなたが、王太子派閥を相手に戦うとでも? それこそ無謀でしょう」
クラウスはうつむきかけたが、拳を握りしめ、覚悟を示すように顔を上げる。
「確かに、僕は大した権力も影響力も持っていません。でも、だからといって目の前の理不尽を見過ごすことはできない。あの日、あなたがどれだけ不当に追いつめられていたのか、見てしまったんです。あれを黙認するなんて、僕には……」
言い切るクラウスの声には真摯さがあり、虚飾めいた要素は感じられない。レティシアは視線を逸らしつつも、心がわずかに揺れるのを覚えた。
彼がなぜそこまで頑なに自分を助けたいと思うのか、完全には理解できない。けれど、あの夜と同じように、彼の言葉には不思議な説得力があり、少なくとも嘘や下心で動いているわけではないと感じさせる。




