表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕は断罪される公爵令嬢に恋をした ~彼女を救うためなら王太子だって敵に回す~  作者: ぱる子
第2章:決意の代償

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/63

第5話 傷ついた公爵令嬢②

 一方で、レティシアは思い出す。あの最悪の場面で、一人だけ手を差し伸べてくれたクラウス・フォルスターの声を。彼が「証拠もないまま責めるのは正義ではない」と言った瞬間、不思議な静寂が自分の周囲に漂ったような気がした。ほんの少し、救われた思いがあったことも否定できない。


 しかし、それと同時に、彼の立場が心配になる。伯爵家の次男など、政治的に見てもどれほどの力があるわけでもない。あれほど堂々と王太子を否定するような言葉を放ったからには、きっと今ごろ世間から非難や圧力を受けているに違いない。


 それを思うと胸に奇妙な痛みを感じる。自分を助けてくれた人物が傷つけられるのは望むところではないし、そもそもなぜか彼の行動がどうしても気になってしまうからだ。


「どうして……あんな人がわたしを(かば)おうとしたの……?」


 繰り返される疑問。それは彼の行動の動機が計り知れず、かつ自分にとっては予想外すぎたからだ。たまたまその場で正義感に駆られただけなのか、あるいは何か別の意図があるのか――確かめようもないけれど、思考はいつの間にか同じ場所に戻ってきてしまう。


 とはいえ、このままそれに浸っているわけにもいかない。レティシアは一人、言いようのない苛立(いらだ)ちを抱えながらも、何とかして今の状況を打開する手立てを探りたいと考えていた。王太子があそこまで強硬に出た以上、並大抵の策では取り合ってもらえないだろうが、少なくとも「事実が曲げられている」部分は必ずあるはずだ。


 けれど、現状では公爵家そのものが揺らぎつつある。アルヴァトロス公爵は、王家に対して直接異議を唱えるだけの余裕を失いつつあるらしく、むしろ今は被害を最小限に食い止めることに注力している。


 そんな父をこれ以上苦しめたくない一方で、何もしなければ「レティシアは弱い者をいじめた」という不名誉な噂を確定させてしまう。


 複雑な思いに押し潰されそうになりながらも、レティシアは腹を決める。公爵令嬢としての矜持を失わないために、今やるべきことは、自分の名誉を守り抜く手段を探ること以外にない。


「……父上の負担にならぬ形で、何とか道を探さなければ……」


 そう口にしたとき、扉の外で控える侍女が再び小さくノックをする。公爵が庭園の離れに移動するので付き添ってほしい、とのことだ。


 レティシアは小さく頷いて了承の返事をし、ドレッサーへと向かった。しばらく引きこもっていた間に、やや乱れがちな自分の髪や肌を手入れする必要があるかもしれない。


 鏡に映った自分の姿を見て、ため息が漏れそうになる。心の疲労が顔に表れるのをどうにか隠したいが、それも容易ではない。けれど、ここで取り繕うことが貴族社会の作法でもある。それが、誇り高くあろうとする自分の選ぶ道だ。


「負けるわけには、いかない……」


 自分を奮い立たせるように(つぶや)き、そっとブラシを走らせる。銀色の髪が艶やかに広がるさまを見つめながら、思いは再び暗い影と戦う。


 あの夜会以降、公爵家に押し寄せている政治的な圧力を思えば、外の世界に飛び出すのは今は危険だ。だからこそ、彼女は家の中に留まりつつも、どんな情報も見逃さないよう耳を澄ませたい。王太子派閥が何を狙い、どのように世論を操ろうとしているのか、正確に知る必要がある。


 いつまでもこうして閉じこもっているわけにはいかない。だが、その瞬間を焦っては失策を招く。自分の名誉を守るには、確固たる証拠や周囲の支持が不可欠だ。そのためには、まずは冷静になること……それが今のレティシアにとって、最も難しい試練なのかもしれない。


 ふと、鏡に映る自分の瞳がわずかに(うる)んでいるのに気づき、レティシアは意地でもそれを拭おうとしない。落涙するのは、あまりに無様だと思うからだ。


 あの夜会で、王太子から決定的な宣言を突きつけられた瞬間も、彼女は泣かなかった。そのプライドこそが、自分をギリギリのところで支えているという自覚がある。


 たとえ今は孤立していようとも、いつか必ずこの不条理を覆してみせる――そう心に刻み込みながら、レティシアは静かに立ち上がる。


 ドレッサーから離れて扉へ向かうと、廊下では侍女が小さく会釈をして待っている。離れにいる公爵と話を交わすことになるだろうが、今はまだ具体的な策を講じる段階ではない。ただ少し、外の空気を吸って頭を冷やすぐらいがせいぜいかもしれない。


 それでも、彼女は歩みを止めない。誇り高い公爵令嬢として生きてきた自分を振り返れば、ここで(くじ)けるわけにはいかない理由は山ほどある。


 クラウス・フォルスターが助けてくれたあの一瞬の光を、彼女は心の片隅で思い出す。ひょっとすると、どこかでまた彼に会う機会があるのかもしれない。そのときこそ、きちんと礼を言えるように――いや、そんな素直な自分を認めるわけにはいかない、と心を振り切る。


「わたしは……絶対に屈しない」


 静かな決意を胸に、レティシアは廊下を進んでいく。長い日々が続くだろう。周囲は彼女を冷たい目で見るかもしれないし、下手をすればさらなる非難や陰口が浴びせられるだろう。


 それでも、自分が真実を握り、誇りを取り戻すまで、決して挫けはしない。そう強く誓いながら、彼女は父の待つ離れへ向かう。一歩ずつ、苦しい現実に立ち向かう道を探し出すために。


 窓から差し込む光は、先ほどよりも少しだけ強まっていた。薄暗かった室内がほんのわずかに明るくなる。その光に銀色の髪が淡く照らされ、かすかな輝きを帯びる。


 しかし、彼女の表情は曇ったままだ。傷ついた心と高いプライドを抱えながら、レティシア・アルヴァトロスは今日もまた、誰にも屈しないために自分を奮い立たせていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ