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第1話 噂の令嬢①

 青々とした平野と緩やかな丘陵に囲まれたこの王国は、古くから貴族社会が栄えてきた土地として知られている。伝統的な爵位制度が根強く残り、公爵や伯爵などの高位貴族が各地を治め、王都を中心に政治と社交が回っていた。そんな王都の一角に屋敷を構えるのが、フォルスター伯爵家である。


 フォルスター伯爵家は、先祖代々、穏健な姿勢を貫くことで知られてきた。領民にも比較的優しく接し、過激な派閥争いとは距離を置く、いわば中庸を是とする家柄だと言われている。伯爵家としてはさほど華々しい功績を打ち立てたわけではないが、それでも王国に一定の貢献を重ねてきた名家のひとつではあった。


 そのフォルスター伯爵家の次男が、十八歳になるクラウス・フォルスターだ。彼には兄が一人いて、すでに正式な嫡子として実務を学び、いずれは家督を継ぐことが決まっている。クラウスは幼いころから「将来を託される立場ではない」という意識が強く、そのためどこか客観的に周囲を見つめる癖がついていた。今もまた、朝の光が差し込む窓辺に立ち、これから行われる夜会について考え込んでいる。


「今夜は王城の大広間で盛大な夜会が開かれるそうだな。王太子殿下も出席されるとか……」


 自室から出てきたクラウスは、廊下ですれ違った年配の執事に声をかけられ、軽く微笑んで応じた。


 夜会というのは、貴族たちが集まる華やかな社交の場である。音楽と舞踏、美食に彩られるその席では、時に政治的な駆け引きや婚約の打診なども行われる。表向きはただの娯楽のようでいて、実際には各家同士の関係を深めるための重要な場所なのだ。


 とりわけ今回の夜会は、王太子エドワード・オルディス殿下が正式に主催するものだと聞く。エドワード殿下は穏やかな人柄で有名だが、同時に優秀な側近を多く抱え、周囲を巧みに掌握する手腕を持っているという噂もある。いずれ王位を継ぐ人物として、すでに社交界では大きな影響力を持ちつつあった。


 そんな王太子の婚約者とされているのが、公爵家の令嬢レティシア・アルヴァトロスである。彼女は王都でも屈指の美貌と高い誇りを併せ持ち、まるで浮世離れしたような存在感を放つと聞く。周囲からは「高慢だ」「誰とも馴れ合わない」といった声が上がり、賛辞と批判が入り混じった評価が絶えない。


 クラウスはまだ彼女に直接会ったことはなかったが、その名前を耳にしない日はないほど有名だ。特に最近は、彼女と王太子の仲が注目の的らしく、どこからともなく多種多様な噂が流れてくる。


 例えば、ある者はこう言う。「あの公爵令嬢は美しく聡明だが、人を見下すような態度が目立つ」と。また別の者は、「陰では本当に努力を惜しまないらしい」としきりに褒めそやす。クラウス自身、どれだけ誇り高い人なのか興味がある一方、正直なところ「自分には関係ない世界の人」だとも感じていた。


 朝食の席に着くと、父ハンス・フォルスター伯爵が新聞や書簡を整理しながら、「王都は落ち着かないな」と小さくつぶやいた。


「エドワード殿下主催の夜会は久々だ。多くの貴族が集まるだろう。クラウス、お前も出席するんだな?」


 少し険のある声音に、クラウスは苦笑する。


「ええ。兄は急な用事が入って出席できないようなので、代わりに私が顔を出すことになりました」

「そうか。あまり軽率な振る舞いはしないでくれよ。殿下や公爵家の人々に失礼があってはいけないからな」

「わかっていますよ、父上」


 伯爵家の次男であるクラウスには、普段それほど大きな責任は課されていない。ただ、こういった王都の催しに顔を出し、家の存在を示すことも立派な役目のひとつだ。特に王太子の主催ともなれば、参加を見送るわけにはいかない。


 長男が行く予定だったところ、急に他領へ出向く用事ができたため、急きょクラウスが代理を務めることとなった。クラウスとしては自由に過ごせる時間が減るが、社交界には普段あまり出ないぶん、新鮮な刺激が得られるかもしれないと感じている。


 それにしても、レティシア・アルヴァトロスという公爵令嬢はどんな人物なのだろうか。

 クラウスは屋敷の書庫に足を運び、ささやかながら公爵家に関する記述を調べてみた。公爵家は先祖代々、王家と密接な関係を築き、時には国の方針にも強い影響力を及ぼしたらしい。その地位の高さはもちろん、莫大な財力と広い領地も誇っている。


 そんな家の令嬢が王太子と婚約しているというのは、ある意味、当然の流れにも思える。美しいだけでなく、相応の教養や修養を重ねてきたに違いない。


 だが、一方では「容姿と血筋を過信していて態度が傲慢だ」という声も根強い。どうやら、人に頭を下げるようなことはほとんどしないらしく、まるで誰もが彼女の下僕かのように振る舞うのだとか。あまりにも過激な噂なので、どこまでが本当かはわからないが。


 昼下がり、クラウスは執事を通じて夜会用の礼服を念入りに準備させた。普段の彼なら、そこまで細部にこだわることはないのだが、王太子主催ということもあり、さすがに粗相があってはならないと考えたのだ。


「まったく、最近は兄さまの代理続きで忙しいな……」


 ベッドの端に腰かけ、クラウスはそうぼやきつつも、何やら心が落ち着かない自分を感じ取っていた。

 夜会で多くの貴族たちが集まれば、新しい話題や人脈が生まれるだろう。その中には、レティシア・アルヴァトロスも当然いるはずだ。直接に話を交わす機会など巡ってくるのかは不透明だが、少なくとも実際に彼女の姿を目にすることはできるかもしれない。


 あれほど名高い女性がいったいどんな人柄なのか。

 もしかしたら「高慢」という評価が誤解の産物かもしれないし、逆に噂以上に近寄りがたい存在かもしれない。どちらにせよ、いままで名前だけでしか知らなかった相手と同じ場で息をするというのは、どこか胸をざわつかせるものだ。

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