表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

2.ようこそ「蒼の卓」へ(2)

ガタン――。

その音は、賑わいの中でもはっきりと耳に届いた。


「――誰か! 外で倒れてるぞ!」


店の喧騒が、一瞬にして静まり返った。

笑い声は掻き消え、冒険者たちのざわめきが緊張へと変わる。


ヴァルトの手が止まった。寸胴鍋の中でシチューが煮え立つ音だけが続いていた。


「ミーナ、毛布と湯を用意してくれ。」

迷いのない低い声。


「えっ? あっ、はい!」

驚きに一瞬固まったミーナだったが、すぐにトレイを置いて駆け出した。


ヴァルトは鍋を手早く火から下ろすと、カウンターを乗り越えるようにして店の外へ出る。


夕焼けが赤く、石畳を染めていた。

その上に、泥と埃に塗れた少年が倒れている。


浅い呼吸。かすかに動く胸。

全身には擦り傷や打撲の跡。だが、今この子を蝕んでいるのは――衰弱。


「……おい、聞こえるか。」


少年の肩をそっと支え、軽く揺する。

返事はない。唇は乾き切り、頬はひどくこけていた。


ヴァルトはその顔を見て、すぐに悟る。


――こいつは、空腹で死にかけてる。


「持つか?」


自問する間もなく、腕が少年を抱き上げていた。


「ヴァルトさん!」

毛布と湯を持ったミーナが駆け寄る。


「厨房だ。急ぐぞ。」

「はいっ!」


厨房の片隅、ミーナが素早く床に毛布を広げ、少年をそっと寝かせた。

ヴァルトはその傍らで鍋を火にかける。


「ヴァルトさん……大丈夫ですか? まだ息は――」

「心配するな。生きてる。あとは――」


火にかけられた鍋に、出汁と数種の乾燥野菜、わずかなハーブが放り込まれる。

そして、先ほど仕込んでいた鶏の出汁を注ぐと、ふわりと香ばしく優しい香りが立ち上った。

ミーナに背を向けて、ぼそりと呟いた。


「……あとは、食わせるだけだ。」


少年――テオは、重い瞼をわずかに持ち上げた。

目に映ったのは、無骨な顔の男と、心配そうに覗き込む金髪の少女。


「……ここは……?」

声は弱々しいが、意識は戻っている。


「食堂だ。」

低く短い答え。


「……これ……あんたが?」

「そうだ。食え。」


テオは、まだ震える手を伸ばし、スープの器を掴む。

恐る恐る口を付け、一口――。


その瞬間、じんわりと、体の奥から何かが解けていくような感覚が広がった。

温かさが、冷え切った身体の隅々まで染みわたり、枯れていた力を少しずつ呼び戻していく。


「……うまい……」


短い言葉に、ミーナの顔がぱっと綻んだ。


「よかった……!」


テオは、器を抱えたまま小さく息をついた。


「……俺、ギルドに入ったばかりで……初めてのクエストでした。」

「けど……準備不足のままダンジョンに突っ込んで……ダンジョンから帰ろうとしたときには疲労がたまりすぎてて……」


声が掠れる。

唇が震える。

生まれて初めて、死という概念と相対した。

遮二無二脱出して、もう立っていられるのがやっとという状況で、意識が曖昧になっていく中、最終的にたどり着いたのは、この食堂だった。


「……動けなくなって……怖くて……」


スープの表面が、一滴、濁った。


「でも」


顔を俯かせたまま、テオは声が小さくなりつつも言葉を紡ぐ。


「このスープを飲んで……あぁ、帰ってこれたんだって……そう、安心して。 うぐっ…。」


そのまま、静かに涙を流し始めた。


ヴァルトはしばし無言だった。

やがて、ぽつりと口を開く。


「……そうか。」


スープの器が、静かにテーブルに置かれた。

テオの小さな呼吸は、ゆっくりと安定していた。

まだ疲労の色は濃いが、その瞳にあった絶望は、少しだけ薄れている。


「……また、食べに来ても?」

かすれた声が、期待を滲ませる。


「ああ。いつでも来い。」

ヴァルトは短く答え、背を向けると再び厨房へと戻った。

鍋の音が、心地よく店内に響き渡る。


「ゆっくりしていっていいからね。」

ミーナが微笑んで言い添えると、テオは少しだけ目を丸くした。


「……ありがとう、ございます。」


その言葉は小さかったが、どこか温かく、確かだった。

ミーナは、その言葉を聞いて安心したように笑みを深めると、スッと立ち上がった。


「さてと、私は仕事に戻らないと。ヴァルトさんに怒られちゃうし。」


そう言って、軽い足取りでフロアへ戻っていく。

その背を見ながら、テオはぼんやりと思った。

(ここは、あったけぇ場所だな……)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ