カサブランカの夫になる者は尻に敷かれ、浮気をしようものなら血の雨が降るだろう
母方の祖父の領地に来てから一年が経った。
毎年盛大に行われていた誕生日の宴も開かれる事は無く、領地で二度目の家族とカサブランカだけの食事会が開かれた。
父上は、わたしや兄上を忘れたかのように手紙さえ寄越さなかった。
もしかしたら、こんな出来損ないのわたしは追い出されたのかもと不安になるほどだった。
そんな中でも、兄上が王子として立派に勉学に励んでいる姿を見るとわたしも頑張らなければと思い直す事ができた。
わたしは完全に身体から毒が抜け、背も伸び始めてきた。
今ではカサブランカよりも大きくなり、見おろすようになった。
体力もついてきて剣術も習うようになり、少しは王子らしく見えるようになってきたと思う。
カサブランカはというと……
「すっかり素敵な侯爵令嬢になったわ?」
「ええ。本当に素敵よ?」
母上と、兄上のお母上に令嬢としての立ち振る舞いを習い、すっかり侯爵令嬢らしく生まれ変わっていた。
あのガサツなカサブランカがここまで変わるとは……
すごいな……
「これでいつでもお嫁に行けるわね? ふふふ」
母上!?
カサブランカがお嫁に!?
そんな……
カサブランカの夫になる者は尻に敷かれて、浮気でもしようものなら血の雨が降るぞ。
今は令嬢として猫を被っているだけだからな。
昨夜も部屋をこっそり抜け出して『見た事の無い魔物を捕まえる』と虫取り網を振り回しながら意気込んでいたし。
邸宅に魔物が出るわけないのに。
付き合わされて寝不足だけどクマポイを一撃で倒した姿を見てからは逆らえない……
いや、その前から逆らった事は無かったな。
「母上、カサブランカはまだ十歳です。嫁入りなどまだ先の話です」
被害者を出すわけにはいかない!
阻止しなければ!
「あらあら、殿下は嫉妬でしょうか? それならば殿下が婚約なさればよろしいのでは? 母は賛成ですよ?」
「な!? 母上は誤解されています! カサブランカの夫になる者を救おうとしているだけです!」
「まあまあ、ふふふ。殿下ったら耳まで真っ赤ですよ?」
「本当に誤解です!」
母上!
心の底から完全否定しているのですよ!
絶対にあり得ません!
「では、わたしがカサブランカを幸せにしたいのだが……良いか?」
え?
兄上!?
なんて恐ろしい冗談を!?
「兄上……兄上もカサブランカの恐ろしさをご存知のはずです。浮気でもしようものなら血の雨が……」
「わたしは浮気はしないし側室も持つつもりは無い。正妻と側室の争いにはうんざりだ」
「兄上? 本当にカサブランカを?」
「許してくれるか? もしお前が許してくれるならわたしは婚約を申し込むつもりだ。もちろん父上が城内の争いを終結させた後に。そうでなければカサブランカの身も危なくなるかもしれないからな」
兄上がカサブランカを?
あのクマポイを一撃で倒すカサブランカを?
……でも、幼い頃からわたしを庇ってくださっていた兄上ならきっとカサブランカを幸せにできるはずだ。
寂しいな……
わたしだけのカサブランカが……
兄上だけのカサブランカになるのか……
胸が……痛い?
……?
そうか、分かったぞ。
これでカサブランカに振り回されなくなるという安心感だ!
そうに違いない!
もうこれからは虹の始まりを探しに崖に登って落ちそうになったり、薄い氷の上を歩かされなくて済むのだな。
馬に角をつけてユニコーンごっこもしなくて済むし、犬に紙で作った頭を二つ足してケルベロスごっこもさせられない!
天国だっ!
兄上、ありがとうございます!
すぐに婚約すると思っていたけれど、兄上はカサブランカへの気持ちを本人に伝える事も無く、また一年が経った。
そして、わたしは十二歳になった。
「カサブランカ、ほら、あそこに鳥がいるよ?」
「はい! とてもかわいいです。木の実を食べているようです」
「そうだね」
兄上はカサブランカと過ごす時間が増えていった。
そして、カサブランカはわたしの隣にずっといるから……
三人で過ごす時間が増えているという事でもある。
兄上がカサブランカを大切に想っている事は誰の目から見ても明らかだった。
そんなある日、ついに父上からの手紙が届いた。
『状況が落ち着いた為、城に戻れ』
ついに……
ついに帰れるのか……
長かった。
本当に長かった。
約二年ぶりの父上は……
かなり痩せ細り体調が悪そうだった。
もともと患っていた病がこの二年でかなり進行していたようだ。
大きく成長して帰ったわたしを優しく抱きしめると父上は涙を流された。
「すまなかった……長くかかってしまったな。大切な話がある」
そう言うと父上はこの二年の出来事を話し始めた。
まず、わたしに毒を盛るように指示したりクマポイの洞窟に行くように仕向けていたのは、側室である第二王子の母だったらしい。
側室と第二王子は最後まで罪を認めなかったものの逃げ切れないと思ったのか最期は服毒自殺をしたようだった。
『ようだった』とつけるのには理由があった。
側室と第二王子はすでに幽閉されていて毒を入手できる状態にはなかったのだ。
つまり……王妃様が『服毒自殺』に見せかけて側室と第二王子を殺害した、と父上は考えたようだ。
でも証拠が無く、父上自身も『最期は家族と共に』と望まれて、側室が首謀者だった事件として捜査を打ち切ったらしい。
そして、わたしと第三王子の兄上が戻る直前、王妃様に誓約書へサインさせたとも聞かされた。
絶対に第三王子、第四王子、またその親族には手を出さないという内容だったらしい。
つまり、今回の側室の事件を自殺として終わらせる代わりに、わたし達の命を守ろうとしてくださったのだ。
王妃様は最後まで側室の殺害を認めず自らの子、第一王子を王太子にする事を条件にわたしと兄上の命を保証したようだった。
もしかしたら、わたしにずっと毒を盛り続けていたのは王妃様だったのかもしれないが、主治医も服毒自殺をした為に証言できる者はもうこの世にはいなかった。
主治医の服毒自殺も王妃様が……?
考えるだけで恐ろしい。
第三王子の兄上とは二ヶ月違いの生まれで、わたしが十四歳になる前日までそれぞれの宮で暮らし続けられる事にもなっていた。
正直、あのまま母方の領地にいたかったがそういうわけにもいかないらしい。
誓約書があったとしても、父上が崩御された瞬間にわたしと兄上は命を奪われるかもしれない……
誓約書など父上が崩御されれば反故にされるに違いない。
そこで父上は兄上を辺境伯の養子に、わたしを四大国のひとつリコリス王国のアカデミーに入学させる準備を進めていた。
辺境伯は王妃派ではない為きっと兄上は生き延びられるだろう。
もちろん側室であるお母上も共に行かれるようだ。
わたしも母上と共にリコリス王国に邸宅を建てそこで一生を終える事になりそうだ。
もうアルストロメリア王国には帰ってこられないだろう。
あと二年か……
あと二年でわたしはアルストロメリアから出ていく事になるのか。
兄上は父上にカサブランカとの事を話したらしいが、今は身の安全を優先させる為に辺境伯の領地に行ってから婚約する事になったようだ。
カサブランカはわたしと共にリコリス王国には行けないのか。
知らない土地で母上と二人きりなんて、寂しいし不安しかない。
カサブランカが隣で笑っていてくれたら……
ダメだ……
カサブランカはもう兄上の……
はぁ……
最近はため息しかでない。
それから一年ほどで父上は崩御された。
わたしと兄上は静かに残りの一年を過ごす事になった。
そんな時、カサブランカの父親が騎士団長を解任され領地に戻る事になった。
解任理由は、新王への不敬らしいが……
そんな事はあり得なかった。
あの真面目が服を着ているような団長が不敬だなんて。
そして、人質に取られるかのようにカサブランカは侍女として城に残る事になった。
この状況で兄上はカサブランカと辺境の地に行けるのだろうか。
まさか、どこからかカサブランカと兄上の話を聞きつけて邪魔をするつもりなのか?