84 失墜の瞳《Side.黒魔女天使》
「ふぅ〜、シルヴァ許してくれるかな?」
ヴァニラは馬車の窓から、ボーッと遠くの景色を眺めていた。
「はぁ〜まだ喋った事が無いから何とも言えないけど、大丈夫じゃないかな?宵の花火もプレゼントするんでしょ?」
ヒメも窓から、ボーッと遠くの空を眺めていた。
「二人とも現実逃避はやめて目の前を見てください」
フランに言われ、ヒメとヴァニラは視線を落とした。そこには怒りに震えるシルバーウルフの群れが馬車を囲んでいた。
「おかしいなぁ〜」
〜〜〜
遡る事、数分前。
「宵の花火も手に入れたし、シルヴァに会いに行こう」
満面の笑みでヴァニラは馬車に乗り込んだ。
ヒメとフランも後に続いた。
「でも、どうやって行くの?また黒い門を潜るの?」
「ふふ〜ん。それはね、これ!」
「笛?」
ヴァニラはピンクの笛を取り出した。
「そう!ヴァニラの傑作。誘いの笛!これを吹くだけ」
そう言うとヴァニラは、窓を開けて笛を吹いた。
しかし音は聞こえなかった。
「何も聞こえないけど……え?危ない!止まって!」
外を見たヒメはたまらず声を上げた。馬車は真っ直ぐ崖に向かって進んでいたのだ。
「落ちる〜!」
足場が無くなる寸前で、低く重い音が、谷の方から聞こえて来た。
『ブォーン ブォーン』
すると目の前の空間が歪み、時計回りにゆっくり回転し始めた。
「きゃ〜〜〜!」
崖の足場も無くなり、とうとうバイコーンが谷へと足を出すと、崖の底から黒いコウモリが現れ、足元に集まった。車輪や馬車の底にも纏わり付くと、宙に浮きそのまま時空の歪みに入って行った。
真っ白な雪景色。
馬車は表の世界へ転移していた。
「ハァハァ。ちゃんと説明してよね」
バスタオルを着崩し、肩で息をするヒメ。
「ハイハイ」
それを楽しむヴァニラ。
「ハイは1回!」
「きひひひっ」
ヴァニラは、悪戯をした悪ガキのように笑った。
表の世界は、太陽は隠れたばかりで、双月が昇り始めている。
しかし前回と同じ三日月ではなく、赤い月が太く、青い月は細くなっていた。
「まだ夜が続くんだね。時差ぼけしそう」
「時差ぼけ?何だそれ?何、寝ぼけた事言ってるんだよ」
「う、うん。何となくその返しは合ってるよ」
「「お嬢!囲まれました」」
和やかな空気の中、突如声を張り上げる双子。
「何だって!モンスターか!?お前たち二人でいけるか?」
「「それが……その〜」」
何とも、歯切れが悪い答えが返って来た。
「どうした!裏の世界のクソ雑魚モンスターなんか一人でも十分だろ!軽く触っただけで泣き叫ぶようなクソ雑魚モン、ス…ター……」
窓を開けて外を確認したヴァニラの声は、徐々に小さくなり尻蕾となった。
「あら。どうしました?お嬢。そのような汚い物でも見るような顔をして」
「こら!馬鹿フラン!余計な事言うな!」
「あら。そちらにいるのはシルバーウルフ族の方たちですね。お嬢が失礼な事を言いました事をお詫びしますね」
窓の外には獣化した銀色に輝く毛並みのシルバーウルフが、牙を剥き出しにして馬車と並走しつつ、燃えるような赤い瞳で睨みつけていた。
窓を閉めたヴァニラは深いため息をついた。
「タイミング悪過ぎ〜!どうしていきなり囲まれてるの?聞こえたかな?ヴァニラが言った悪口。勘違いしてなきゃ良いけど」
「もしかして!私が拐われたから、救助する為にここで待ってたのかも!大丈夫だよヴァニラ。私に任せて!」
「お願いヒメ!誤解を解いて!」
涙目で見つめるヴァニラに、ヒメは胸を張って頷くと、窓を開け外に向かって話しかけた。
「皆さん私は無事戻りました。これからヴォルフさんの元へ参ります」
『グロロロロォ!』
シルバーウルフたちはヒメを睨むと、涎を垂らし唸り始めた。ヒメは無表情で窓を閉めた。
「あれ?」
ヒメはヴァニラを見てコトンと首を倒した。
「あれ?じゃねぇよ!何が大丈夫だって?めちゃめちゃ怒ってるじゃん!」
「別のオオカミさんたちかな?」
「シルバーウルフ族はヴォルフの一族の他にはいないんだよ!」
「私の事、忘れちゃったのかなぁ?」
「彼らの名誉の為に言いますと、シルバーウルフは一度忠誠を誓うと、それを生涯貫くと聞きます。忘れたと言う事は無いでしょう。」
その時、馬車が大きく揺れた。
「どうした!?」
「「雪道が終わりました」」
雪の上をソリで滑っていたのが、車輪に変わった衝撃だった。
「「速度を上げます」」
馬車の速度を上げてもシルバーウルフたちは、低い唸り声を上げて、付かず離れず距離を保ち並走を続けた。
「攻撃してこないって事は護衛かな?停まってみる?」
「あら。違うと思いますよ。このまま進むのが得策でしょうね」
「フ、フランの言う通りだ!停まったらどうなるか分からないぞ!」
そのまま馬車とシルバーウルフは、しばらく走り続けた。
そして冒頭へと戻る。
「ふぅ〜シルヴァ許してくれるかな?」
ヴァニラは馬車の窓から、ボーッと遠くの景色を眺めていた。
「はぁ〜まだ喋った事が無いから何とも言えないけど、大丈夫じゃないかな?宵の花火もプレゼントするんでしょ?」
ヒメも窓から、ボーッと遠くの空を眺めていた。
「二人とも現実逃避はやめて目の前の現実を見てください」
フランに言われ、ヒメとヴァニラは視線を落とした。そこには怒りに震えるシルバーウルフの群れが馬車を囲んでいた。
「おかしいなぁ〜」
バチバチに血走る目と、ヒメの目が合った。
ヒメが微笑むと、シルバーウルフは牙を剥き出しにして、怒りを露わにした。
頭のアバドンが、ヒメの頭をガシガシかじり始めた。
「ダメだよアバドン!吸い込んだら。仲間かも知れないんだからね」
「あら。アバドンはアイテムボックスだけではないのですか?」
「あっ。フランには言ってなかったね。私の職業と能力の説明をするね」
ヒメは、今の現状から逃げる良い口実を見つけたかの如く、時間をかけてじっくりとフランに説明した。地球から来たことは伏せて。
「「村が見えてきました!」」
馬車の道の先にはヴォルフたちの村が見えてきた。
民家の窓からは明かりが漏れていた。
「良かった!ボッコス、バッコスもっと急いで!」
ヴァニラは大声で双子に伝えると、そっと窓を閉めた。ヒメは反対側の窓から虚な瞳で、外を見続けている。
周囲のシルバーウルフは闇に紛れていたが、追いかけて来る目だけはハッキリと見えている。それは真っ赤に輝き残光を引いている。
ヒメは目から視線を切り離し、空に浮かぶ月を眺めた。
「あの目は怒ってるよね〜」
その時、揃った声で嬉しい報告が聞こえた。
「「そろそろです!」」
「ど、ど、ど、どうしよう!緊張してきた!」
「大丈夫だよ!きっと……いや、ダメかも」
「え〜!どうして!大丈夫って言ってよ!ねぇ!ヒメ!やっぱり怒ってるのかな!?だから」
「あらそうです。だから囲まれてるんですよ」
フランの厳しい一言と共に馬車は止まった。
バイコーンの蹄の音が止まるのと同時に、周囲を囲むシルバーウルフ族の唸り声も聞こえなくなった。
そこへ砂利道を踏む足音が、馬車へと近づいて来た。
「ボッコス!バッコス!誰か来たの?」
双子は、ヴァニラの問いには答えずにバイコーンから降りると、馬車の扉を外側から開けた。
「返事くらいしなさいよ!」
ヴァニラは眉間にシワを寄せ、可愛く唇を尖らせている。
「「それが……」」
「ヒメ様ですか?」
双子の後ろには、この村の領主ヴォルフが立っていた。
「ヴォルフさん!」
「ヒメ様!!」
ヒメは勢いよく立ち上がると、そのまま馬車から降りてヴォルフの前まで駆け寄った。
するとヴォルフはその場に跪いた。
しかしヒメは、そのままの勢いでヴォルフの右腕を掴み引っ張り上げた。
「やめてください!」
「おっと。ヒメ様で間違いないようですな。しかしどうしてそのような物を頭に被っておられるのかな?奴らに無理矢理被らされておるのですか?」
目の前の少女はヒメと酷似していたが、奇妙な被り物により顔がハッキリ見えなかったのだ。
しかしヴォルフは腕を引っ張ってでも、無理矢理立ち上がらせるこの少女は、ヒメであると確信したのであった。
「これはアバドンですよ」
「なんと!それがあの魔王ですか!」
ヴォルフは顔を上げ、ヒメの頭の帽子をマジマジと見つめた。
「ヴォルフさん!その……目は……」
ヴォルフは、左目を失っていた。縦に深い傷跡を残して。
「……」
ヒメは絶句した。
「しかしヒメ様よくぞご無事で!!」
「ヴォルフさん、その怪我は!ごめんなさい!私のせいで!アルベルトさんは無事ですか!?」
ヒメが話しかけるが、ヴォルフの視線は馬車へと向けられている。
「!?か、彼女は!!」
ヴォルフは馬車を見て固まった。
「ええ、ヴァニラです」
ヴァニラとフランは馬車から降りた。
「ゆ、行方不明では。なかったのか?無事だったのか!!」
「叔父様お久しぶりです」
ヴァニラはゴスロリのスカートの裾を摘んで、流れるようなカーテシーを行った。
「ヴァニラ!無事だったんだな!良かった!」
「ごめんなさいっ!お父様が勘違いをして、叔父様たちを悪者と決めつけてしまってたの!でもヴァニラが行方不明だったのは本当で、え〜っと、お父様もお母様も今までの事を謝りたくて、その〜」
ヴォルフは深く頷いた。
「分かっているよ。分かっていた。きっと逆の立場だと、私もジュドウと同じ事をしていたに違いない」
「叔父様……ありがとうございます」
「まさか……隣の亜人は、フランなのか?」
「そのまさかですヴォルフ様。お久しぶりです」
「なんと!!死んだと聞いていたが、その姿はまさか、ホムンクルスなのか!?」
「あら。ホムンクルスではありません。ジュドウ様により改造を施された、フランケンシュタインですよ」
「改造?……造魔か!ジュドウの奴、とうとう成功させたのか!と言うことは、そこの二人もホムンクルスではなく、フランケンシュタインなのか?」
「「はい。フランケンシュタインの、ボッコスとバッコスでございます」」
「……今日はなんて素晴らしい日だ。死んだはずの双子にまで会えるとは……知らなかったとは言え、攻撃してしまいすまなかった。コテンパンにやられたのは私の方だがな」
「「我らの方こそ、申し訳ありません出した」」
「別人格のホムンクルスとして生まれたのだと、勘違いをしていたよ」
ヴォルフは目に涙を浮かべて、笑っている。しかしどこか切なそうだ。
「叔父様、それで……シルヴァはどちらですか?」
ヴァニラは早く会いたいが、久しぶりに会う親友に恥ずかしさを感じ、モジモジとしている。
それとは逆に、ヴォルフは暗い表情で自分の左腕へと視線を落とした。
「それが、シルヴァは死ぬかもしれんのだ」
冷たい風がヒメたちの間に吹いた。
ヴォルフの服の、左腕の部分が力なく風に揺れた。
左の袖口からは手が出ていない。
ヴォルフは、左腕をも失っていた。