64 二人の帰還《Side.黒魔女天使》
目を閉じるヒメの脳裏に、笑顔の少女が浮かんだ。
『ありがとう』
ゆっくりと目を開けると、ヒメの腕には傷を負ったベティが、気持ち良さそうに眠っていた。
そして黒かったペンダントは、真っ赤なサンストーンの輝きを取り戻していた。
「戻って来れた……」
「どういうことだ!何故、奈落の王が現れたのだ!」
ジュドウはアユナレスの前に立ち、後ろのアユナレスは両腕でしっかりとジュドウに抱きついていた。
「アバドンは私の契約者です。そしてヴァニラも」
ジュドウは目を見開き、その場に立ち上がった。
「そうだ!ヴァニラ!ベティは無事か!?ペンダントを見せてくれ!」
慌てて近寄り、ヒメの持つペンダントに右手を伸ばし、寸前で止めた。
「色が戻っている……触れてもいいのか?」
「もう大丈夫です」
ジュドウは左手も差し出し、震える両の手の平を上に向けた。そしてヒメは、ペンダントを掛けたまま、ジュドウの手の平に乗せた。
「魔眼。血界」
暫くペンダントを見ていたジュドウは、両目から涙を流し始めた。
「そうか……そうか……僅かに血の痕跡が見える。ペンダントの中へ……ヴァニラはこの中に居るのだな?」
ヒメは笑顔で答えた。
「はい。元気に生きてます」
そう言うと、ヒメは一歩下がった。
「召喚。ヴァニラ」
ペンダントから大量の黒のレースが溢れ出し、ヒメとジュドウの間に集まり始めた。
そして赤く輝いた後には、ヴァニラの姿があった。
「お父様。お母様。ただ今戻りました」
黒いゴスロリのスカートの両端を手で摘み、カーテシーを行うヴァニラは、可愛らしく微笑みながら、涙を流していた。そして、その唇はサンストーンのように赤く輝いていた。
「お帰りなさい。ヴァニラ」
エルフの妻はヴァニラを抱きしめた。
「ヴァニラ……お帰り」
ジュドウは涙を流し、ヴァニラと妻を抱きしめた。
「「お嬢……」」
ヒメの後ろで、揃えて声を発したボッコスとバッコスそして、オブラートもまた号泣していた。
「皆様……生きていたのですね」
「奇跡です……お嬢が、お嬢が戻られた。何処からどの様にして戻られたのか、聖女様のせいで全く見えなかったのが残念ですが、これはきっと、奇跡です」
(相変わらずオブラートの名前が負けてる……)
〜〜〜
その後ヴァニラは、ベティの治療を行い、皆に事の真相を話した。
皆、顔を歪めたり涙を流しながら、ヴァニラの話に黙って耳を傾けていた。
一部始終を聞いた。
ヴァニラが生きていた事に一喜一憂した。
そしてまた、シルバーウルフ族が無実だった事を知り、自分たちの勘違いと、今まで彼らに取ってきた行動を大いに後悔した。
「……そういうことだったのか。私は何て事をしてしまったのだ……ヴォルフたちに合わせる顔が無い」
特にジュドウは城主としてというよりも、娘を奪われた父親として動いてしまい、冷静さを失っていた。彼らを一人も殺さなかったのが、せめてもの救いである。
「お父様!謝りに行きましょう!」
「それは出来ない。行きたいのだが、こちらとあちらは昼夜が逆転しておるのを忘れてはおらぬか?
ヴォルフたちがあちらに逃げたのも、私が表裏を移動出来ないことを逆手に取っての事だ。しかし、今回はそれに救われたがな」
苦虫を噛み潰したように、厳しい表情をするジュドウに、アユナレスは優しく声をかけた。
「シルバーウルフ側に死者を出さなかったのは、不幸中の幸いでしたね」
「では、ヴァニラたちが、お父様の分も謝ってきます」
「済まぬが頼んだ」
ジュドウはヴァニラに深く頭を下げた。
「しかし、まずはフランが先だ。ヴァニラが姿を消して一年間、フランは眠ったままだ。頼むヴァニラ、フランを目覚めさせてやってくれ」
「「お嬢!」」
ジュドウ、ボッコス、バッコス、オブラート、皆頭を下げた。母であるアユナレスは優しく微笑んでいた。
「勿論です」
ヴァニラはヒメを見た。ヒメもヴァニラを見て頷いた。
「お父様。魔石はありますか?」
「ああ。地下室に置いてある」
ジュドウは暖炉へと向き直り、コツコツと歩き始めた。ヒメたちもジュドウに続いた。
〜〜〜
フランの眠るコフィンの前に、全員が揃ったところでジュドウは蓋を開けた。
空気が抜けるのと同時に蓋が自動で開いた。
そこには声をかけると、今にも起きそうなフランが眠っている。
「ごめんねフラン」
ヴァニラは泣きそうな自分を抑えて、父親のジュドウを見た。
「フランの皮膚、筋肉、骨、細胞に至るまで、ほぼ全てグリーンドラゴンを使用している」
ジュドウはヴァニラに、エメラルドグリーンに輝く魔石を手渡した。
「これもグリーンドラゴンの魔石だ。頼む」
「承知しました」
ヴァニラは魔石を両手で受け取り、顔の前まで持ってきた。
「遅くなってごめんね。ありがとうフラン。金緑の息吹」
ヴァニラは『ふー』っと魔石に息を吹きかけた。
『ドックン……ドックン』
すると魔石はキラキラと輝き、脈を打ち始めた。
「綺麗」
輝き脈打つ緑の魔石に、ヒメは心を奪われた。
そんなヒメにヴァニラは微笑んだ後、フランの胸の窪みへ魔石をカチャリと嵌めた。
「フラン。起きてください」
ヴァニラが優しく話しかけた。
「まだ、あの時のお礼を言ってません」
歯に噛むように微笑み、フランの目覚めを待っている。
「あの時まだ途中だった『宵の花火』を、これから一緒に摘みに行きましょう!」
笑顔のヴァニラの顔が引きつった。
「だ〜!もう我慢の限界!」
そう言うと、赤い唇は徐々に紫に変わり始めた。
「おい!フランこの野郎!人がウルトラ下手に出てりゃあ、良い気に眠りこけやがって!あ!?起きろって言ってんのが聞こえねぇのか!?ウラウラウラウラ!」
紫の唇のヴァニラは、眠るフランの顔に向けて、左右の拳でパンチのラッシュを放った。
部屋にはパン、パンと、拳が当たる音が響き渡る。
「何してるんですか?当たると痛いでしょう?」
フランはコフィンに寝たまま、ヴァニラのパンチを左右の手の平で受け止めていた。
「フラン。おかえり」
涙を流すヴァニラの瞳には、無表情ではあるが、どこか優しく微笑むフランの姿が映っていた。
「只今戻りました。お嬢」
フランは涙を見せない。流せないのである。
三人の執事とは違い、体はモンスター。心は魔石。完全なフランケンシュタインとなり、人間のそれとは全く異なるものであるから。
しかし美しい瞳は、左目は赤く、右目は青く、美しく輝いていた。
この目は両目を失った妹へと、兄二人が片目ずつ贈っていたのであった。
そしてヴァニラの唇もまた、赤いサンストーンの色へと戻っていた。
「お、お、おい、ヴァ、ヴァニ、ヴァニラ。い、今のは、な、なん、なん、なんなんだ?」
ジュドウは見たこともない、娘の言動の悪さに、頬をピクピクさせながら、それでも平静を保ったフリをして質問した。
それに対してヴァニラは、『しまった』という顔をして、フランを見た。そしてフランにウィンクをして、ジュドウに答えた。
「フルムーンジョークですわ。お父様」
ジュドウは何の事だか、さっぱり分からなかった。
「あ、ああ、そ、そうか、だったらいいんだが」
「「フラン!」」
「ボ兄。バ兄」
動揺が隠せないジュドウを突き飛ばし、双子がコフィンに駆け寄った。
「「その呼び方は止めろと言ってるだろう!」」
二人に抱きついたフランに対し、双子の兄弟は泣きながら抗議をした。
「良かった!良かった!本当に!良かった!良かった!」
オブラートも、抱き合う三人を見つめて泣いていた。
妻のアユナレスは、ジュドウの左腕に抱きついて微笑んでいた。
ジュドウは妻の目を見て頷くと、妻と二人その場に跪いた。
「聖女よ!我らヴァンパイアの一族は聖女に忠誠を誓おう!」
それを見たヴァニラも跪いた。
「え?」
突然の事で驚くヒメに、執事たちもまた跪いた。
「聖女様。我らフランケンシュタインの一族もまた、忠誠をお誓い致します。聖女様」
「こ、困ります。そんなこと言われても……私は聖女様ではありませんし……」
誰も何も言わずに、頭を下げ続けた。
ヒメはヴォルフ達のことを思い出した。
「承知しました。これを受け取ってください」
ショルダーバッグから、ビー玉を二つ取り出した。
ジュドウには、透明なガラス玉に赤と緑の模様が、渦のように絡み合ったものを。そしてオブラートには、乳白色に紺、赤、青、緑のラインが入ったものを、それぞれ手渡した。
「くっ……」
ビー玉を手にしたジュドウは、涙を流し言葉を詰まらせた。
「……」
オブラートもまた、ビー玉を握りしめ大粒の涙を流した。
「あらあら、ありがとうの一言が言えないなんて、男の人は肝心な時に弱いのよね。聖女様、ありがとうございます」
アユナレスは、震える二人を見ながら笑顔で皮肉を言った。
「あら。全くです。女は損ですね。ヒメ様、ありがとうございます」
フランも続けて皮肉に乗っかり、ヒメに頭を下げた。