63 終わりの終わり《Side.黒魔女天使》
泣き叫ぶジュドウを、ヒメは真っ暗なペンダントの中から見ていた。
一粒の血の涙がペンダントに落ちてきた。
それが不思議とそのまま、ペンダントの中へと入り、ヒメの目の前に落ちると『ぴちょん』と弾けて、波紋のように広がった。
真っ赤に輝く円の中に、膝を抱えて座る少女がいた。
「……ヴァニラのせいで、みんな死にました……この唇のせいで」
膝を抱えて、うつ向いたままヴァニラが呟いた。
「貴女も早く逃げてください……ヴァニラといると貴方も死んでしまいます」
優しい口調だが、悲しみが伝わってくる。
(私と同じだ!)
自室のベッドの上で、体育座りをしていた、当時の自分がフラッシュバックした。それがヴァニラと重なって見えた。
(自分ではどうする事も出来ないんだよね……)
「貴女を助けたい!」
「それは無理です……もう、誰も死なせたくありません。ヴァニラは人を不幸にしてしまいます。早くここから逃げてください」
ヴァニラが怒鳴り声をあげると、彼女を中心として、氷が地面を伝い広がり始めた。そして、ヒメの前で止まった。
「それ以上近寄らないでください」
しかし、ヒメの決心は変わらなかった。
「大丈夫!」
「大丈夫じゃありません」
そう言うとヴァニラは顔を上げた。その紫の唇からは、仄暗いウゾウゾが幾つも伸びていた。
「こんなモノまで、ヴァニラに取り憑いてしまいました。ヴァニラが抑えてる間に逃げてください」
ヴァニラは足元に作った、氷に写る自分を見て目を閉じた。
「貴女は私」
ヒメは一歩、そしてまた一歩ヴァニラ近づいた。
氷で足にダメージを受けるが止まらなかった。
「やめてください!それ以上、近付いてはいけません!」
ヴァニラは立ち上がり、右手を上げヒメに向けた。
その手の平には風が集まり始めた。
「来ないで!!」
手の平の風が無数の刃に変わり、ヒメに向けて放たれた。
「出て行ってください!」
「くっ!!」
ヒメの左肩を風の刃が擦り、切り傷から血が流れた。
「優しいね。幾つもの風の刃を飛ばしても、当たったのは浅い傷を付けた一つだけ。私を逃すために、驚かせようとしたんだね」
「お願いだから、それ以上近寄らないで!もう抑えきれません!早く逃げて!」
言うことを聞かないヒメに対し、ヴァニラは悲痛な叫び声を上げた。
それでもヒメは、ヴァニラに近付いて行く。
「大丈夫。私に呪いは効かないから!」
ヴァニラの唇から、ウゾウゾがヒメに向かって伸び始めた。
「逃げてぇぇぇ!」
しかしヒメに触れたと思われたウゾウゾが、音を立てて弾かれた。
「えっ……」
呆気に取られたヴァニラは動きが止まった。
「ほらね。大丈夫!私に呪いは効かない」
そして、おぞましい声が響いた。
『ナゼダ……』
ヒメは、目の前でうねるウゾウゾを引っ叩いた。
『グハッ!』
「この子の綺麗な唇から出て行きなさい!」
ウゾウゾは、叩かれた事に驚き動きを止めた。そしてヴァニラもまた、唇に指を触れ動きを止めた。
「綺麗な……唇?」
固まるウゾウゾに対してヒメは続けた。
「貴方とは契約しない!絶対に!」
ヒメは、頬を膨らませ進み始めた。
「何をしているのですか!早く逃げ……」
そこまで言った時、ヴァニラの唇に、左手の人差し指を当てた。
「しー。強がらなくていいんだよ。貴女は私に助けを求めた。もう大丈夫」
唇のウゾウゾは、ヒメの指を避けるように左右に分かれた。そしてそのまま、ヴァニラから離れて上へと逃れ集まり始めた。
『オノレ!キサマ……イヤナニオイガスルナ』
集まったウゾウゾは、ヒメの顔と同じ大きさの煙の塊となった。そこに、二つの光が目のように浮かんだ。
「レディに対して失礼過ぎ!」
「その光を見てはダメです!」
ヴァニラが慌ててヒメに伝えたが一足遅かった。
光が赤く不気味に輝く様を、ヒメはマジマジと見てしまった。
『オマエハ モウ シ……』
「気持ち悪い!貴方の方がイヤな匂いがしそう!」
『ナニ!キイテナイノカ?』
「召喚!アバドン!」
しかしアバドンは現れなかった。
「……あれ?……アバドン?……はは……MPが足りないのかな?……どうしよう」
「ヴァニラに任せてください!」
ヴァニラは両手を掲げて目を閉じた。すると両手の上に氷が集まり始めた。それが槍のようになると、少女は目を開けて両手を振り下ろした。
「アイスジャベリン!」
氷の槍は煙の塊に真っ直ぐ飛んでいき、二つの光の間に刺さった。その瞬間ヴァニラが拳を握ると、氷の槍が弾けて粉々になった。
『グオオォォォ!!オノレ!オノレ!オノ……』
粉々の氷がまとわりつき、煙の塊が瞬く間に凍りついた。
そして今度は両手を前に突き出すと、両手の平に風が集まり始めた。
「エアリアルスラッシュ」
ヴァニラの言葉とともに、無数の風の刃が、氷の塊に向かって飛んで行った。
全ての風の刃を受け、氷の塊が弾け飛び、キラキラと紫色に輝いて消えた。
「ほらね。結果オーライ、なんとかなった(汗)」
ヒメが微笑んだ。
「ふふ……」
ヴァニラは少し微笑んで、また悲しい顔をした。
「ありがとう……でもこれだけじゃダメです……不幸をばら撒いてるのはヴァニラだから。ここに居るのが一番いいんです。紫の唇は不幸を呼ぶから」
「呪いは消えたから、もう大丈夫だよ。ここから出よう!」
ヒメは優しく微笑んだ。
「ありがとう、でもそれは……出来ません……ここはヴァニラが作り出した空間……アイテムボックスを作る途中の試作品に、無理矢理自分から逃げ込んだ場所。ここからは出られません。出る方法も分からないのです。ヴァニラがここで生きてるのも奇跡です。精神体の貴女だけでも早く逃げてください」
腕組みをして、眉間に皺を寄せ、ヒメは目を閉じた。
「……それなら、ここからの脱出方法を一緒に探そう!」
ヴァニラの悲しい顔が、苛立ちの表情へと変わって行く。
「……一体何を言ってるのですか?ヴァニラはここに居たいんです!何度も言わせないでください!聞いてますか?」
しかしヒメは閃いたとでも言わんばかりに、目を開けて手を叩き声を上げた。
「私の目的!!必ず貴女をここから出す方法を見つける!!」
一瞬だけ目を大きく開けたが、やはりヴァニラは視線を落とした。
「勝手なことを!……言わないでください」
そんなヴァニラにヒメは言った。
「そうだ!だったら貴女が作れば良いんじゃない?ここから出る道具を」
苛立ちと焦りが入り混じり、ボルテージはどんどん上がって行く。
「……!?ここから出られないのに、道具を作るなんて無理です!」
「貴女は生きているんでしょ?待ってる人たちがいるよ。ここから出ましょう」
とうとうボルテージはMAXになった。ヴァニラのこめかみに、青筋が浮かび上がった。
「あ?何言ってんだ?ちゃんと聞いてんのか?出られないって何度も言ってるだろ!あ?言っている事が支離滅裂だ!待ってる人たちがいる?あ?みんな死んだんだ!ヴァニラはここから出たくない!さっさと消えろ!」
(コロコロ表情が変わる!生きたいんだね)
「嘘ばっかり。その紫の唇が原因だよね?」
「違う……ヴァニラが悪いんだ!」
少女は悲しい顔で微笑んだ。
「それなら、色を変えればいいかな」
そう言ってヒメは、左肩から流れる血を右手の人差し指で拭って、少女の上唇に右から左へと塗った。
「やめろ!」
ヴァニラは、勝手な事をされ苛立ち、おもむろに腕で唇を擦り顔を背けた。そして、地面の氷に写った自分の顔を見て、目を大きく見開いた。
「く、唇が……赤い……」
信じ難いことに、指で触れても、手で拭っても、何秒経っても、上唇の色は赤いままだった。
ヴァニラはその場に崩れ落ち、ポロポロと涙を流し始めた。
「紫に……ならない!」
涙は、次から次へと溢れ出した。
「嘘……ありがとう……ありがとう……ありがとう!」
涙で自分の顔が見えなくなったが、ぼやけた視界に映る唇は赤かった。
「ここからの脱出方法を一緒に探そう!私があなたを呼び出してあげる!だから、私と契約してくれる?貴女の名前を教えて」
そう言って先程のように、左肩の血を少女の下唇に塗った。
「……」
少女は足元の氷を覗いて、大粒の涙を流し始めた。
ヒメは少女を優しく抱きしめた。
ヴァニラはひとしきり泣いた。しかしどんなに時間が経とうとも、唇はペンダントのサンストーンのように、美しい赤色に輝いていた。
ヴァニラは、足元の氷に魔力を流し、氷を粉々に砕いた。
氷の破片がキラキラ輝いている中、二人の少女が向かい合っていた。
『ヴァニラの名前は〈ヴァニラ・ムスタカリファ・ドラグ〉ヴァンパイアとエルフの子』
「私は〈北野 姫〉貴方と血の契約を行う者です」
『ありがとう……ありがとう、ヒメ』
「ヴァニラ、宜しくね」