62 終わりの始まり《Side.黒魔女天使》
笑顔が絶えない日々。
いつもの楽しい日常。
しかし、双子の声を皮切りに、それは突然終わりを迎えた。
「「何だあれは!?」」
ボッコスとバッコスの重なる声が響き渡る。
「スピードを上げます!」
「いや、城に戻ります!」
ボッコスとバッコスが珍しく違う反応を示した。
そして、馬車の速度が上がり始めた。
「どうしたの?」
右側のカーテンを開け、外を除いたヴァニラの目には、見たこともないモンスターが空に漂っているのが写った。
そこには、夜の闇より深く、馬車よりも大きな黒い煙の塊が並走していた。塊には、丸い二つの濁った白い光が揺らめいていた。それはまるで、目のように馬車を伺っていた。
「あ、あれは何?」
ヴァニラは黒い煙の塊にある、二つの光と目が合った。その光が赤く発光した途端に、体が動かなくなった。
『ミツケタ……』
すると、ヴァニラを見つけて喜んでいるかのように、二つの赤い光を細めて、黒い煙の塊がグングン近付いて来る。
「かっ、くっ!」
体の自由が効かなくなったヴァニラは、どうすることもできなかった。
唇の色は既に紫。しかし、大切なリップは落としてしまった。
「お嬢!下がってください!」
フランはカーテンを閉めて、ヴァニラを引っ張り自分の後ろに隠した。
「ダメだ追いつかれる!」
「いや、だから言ったんだ城に戻ろうと!」
ボッコスとバッコスが叫んだ直後、馬車に衝撃が走る。
何かに引き裂かれた音が車内に響き渡った。
そして、立て続けに激しく揺れた。
「お嬢ぉぉーーーーー!」
フランはヴァニラを庇うように覆いかぶさった。
「フラン!お嬢はご無事か!?」
「いや、お前のせいだぞ!ボッコス!」
今まで息の合っていた二人が、珍しくいがみ合っている。
「ボッコス!バッコス!言い争ってる場合では無い!もっと急ぐのだ!馬車ごと谷底へ突き落とされるぞ!ボッコス!バッコス!」
オブラートは、外の二人へと声をかけたが、既に遅かった。
「手遅れだ!回り込まれた!」
「いや!まだ間に合う!引き返すんだ!」
その言葉と、何かが爆ぜた音が聞こえた直後、馬車の速度が落ち始めた。右側の窓から前方を見て、渋い顔をしたオブラートは、並走する煙の塊に対して、モノクルのハートを引いた後、すぐさまカーテンを閉めた。
「お逃げ下さい!彼奴はガーランドレイス。上位のアンデッドです。このままでは全滅です。私奴が残って囮りになります!フラン!お嬢を頼んだぞ!命に代えてもお守りしろ!無理な時は、お嬢だけでも逃がすのだ!お嬢!私奴共に何があろうとも、お逃げ下さい!」
オブラートは懐から赤色のお札を取り出し、右側の扉を蹴り開けると、扉の枠に手を掛けクルリと回って天井に登った。
フランはオブラートが開けた扉から外を見た。
馬車を引く太いベルトは切れており、二人の御者は、二匹のバイコーンとともに姿を消していた。
「お嬢!飛び降ります!」
悲痛な叫びと共に、フランはヴァニラを抱えて外へと飛び出した。
しかし飛び出した瞬間、何かに弾かれて中へと戻されてしまった。
「うっ!」
周囲を見回すと、ぶつかって来た物がオブラートだったことに気付いた。
「オ、オブ、ラート……」
麻痺しているヴァニラは、声を出すのが精一杯であったが、その目には大粒の涙が溢れていた。
オブラートは、額から上が無くなっていた。
そしてオブラートの後から、ガーランドレイスが車内に入って来た。
『……ヨウヤク、ミツケタ。キサマノ「チ」ヲ、ヨコセ』
ガーランドレイスが、煙の一部を腕のようなモノに変え、更にそれを獣のような、三本の長い鉤爪に形を変えてヴァニラを斬りつけた。
「!?」
大量の血飛沫が辺りを赤く染めた。
ヴァニラの目の前に、フランが飛び出し仁王立ちで立っていた。
「お逃げ……くだ…さ…い」
フランは手に持っていた液体を、ヴァニラに掛けた。
その後も、何度も何度も斬りつけられたが、フランは倒れなかった。
「クソが!ハァハァ、動ける、ように、ハァハァ、なって来た!」
『サァ「チ」ヲ、ヨコセ』
ガーランドレイスは鉤爪を、細い棘に形を変えた。そして、フランの心臓を貫いた。
「フラァーーーン!」
それはフランを貫通させ、そのままヴァニラの頬を切った。
ヴァニラの血に触れた棘の先端が、紫色に発光した。
『オオ!コレダ!コノ「チ」ダ!モットヨコセ』
「お、おのれぇ!か、体の、ハァハァ、自由が効かない!みんな、ごめんね、ハァハァ、ホワイトリップを、塗らなかったから、ハァハァ、でもみんなの、死は無駄に、しない!」
ヴァニラは頬の血を、震える右手の親指で拭き、首にかけているペンダントに付けた。
「みんなが守ってくれた、ヴァニラの血を、お前にこれ以上渡さねぇ!」
その言葉を最後に、ペンダントが輝き、ヴァニラはペンダントの中に吸い込まれた。そのペンダントの鎖を、使い魔のベティが咥えて飛び去った。
『オノレ……ニガスモノカ』
棘を鉤爪に変えると、飛び去るベティへと振りかざした。
ベティは翼にダメージを負いつつも、必死に羽ばたきその場を後にした。
しかしガーランドレイスは、黒いウゾウゾを体から切り離すとベティに向け飛ばした。
ベティは上昇して紙一重でかわしたが、口から下がるペンダントに当たる事を余儀なくされた。それがペンダントに当たると、美しかった赤い宝石が黒く濁った。
『ニゲラレタカ。ダガ、マァイイ「チ」ハ、テニイレタ』
ガーランドレイスは、獣のような鉤爪を更に巨大な禍々しいモノに変えた。
そしてそれを、馬車の床に向かって振り下ろした。
馬車は床を失い橋ごと破壊され、そのまま谷底へと落ちて行った。
〜〜〜
「さて、一眠りするか」
ジュドウは左端の、一番豪華な棺にある突起物に触れた。
白い煙の演出が、不気味さに拍車を掛ける。
「ん?この音は……ベティか?もう戻ってきたのか?これは……血の匂い!!」
血だらけで飛んで来たベティは、部屋の入り口で力尽き、その場に落ちてしまった。
「どうした!?何があったのだ!」
弱々しく頭を上げるベティの口には、ヴァニラが身に付けていた、銀の十字架のネックレスがあった。しかしそれは黒く変色していた。
「ヴァニラは無事かぁ!!!」
気を失ったベティは、反応を示さなかった。
ジュドウは左手の親指の爪で、左手の人差し指に斬り傷をつけ、流れ出た血をベティにかけた。
「済まないがここにいてくれ。傷も治るはずだ」
先程開けた棺の中に、傷だらけのベティを寝かせて蓋を閉めた。
「魔眼!血界」
ジュドウの目が赤く輝き、周りの景色の色を消した。
その中に、ベティから流れていた、血の痕跡だけが赤く浮かび上がり始めた。
「無事でいてくれ!」
ジュドウは白い霧となりその場から消えた。
〜〜〜
数秒後、崩落した橋の上空に、白いマントを翻しながら、谷底を睨みつけるジュドウがいた。
しかしその顔には、間もなく顔を出す朝日の薄明が当たり、ジュウジュウと音を立てて、火傷が広がり始めていた。
「何ということだ……大量の血の痕跡が谷底へと向かっている……」
再び霧へと姿を変えたジュドウは、直後、崖下に姿を現した。
「オブラート!ボッコス!バッコス!何が起きたんだ……」
馬車の周りには、三人の執事たちの無残な姿があった。そこに生きている者はいなかった。
そして、下半分が無くなっている馬車の地面には、大量の血が流れ出ていた。
「……ま、まさか……まさか」
フラフラとした足取りで馬車まで歩き、震える手で扉をこじ開けた。
そこには無数の傷を負い、両目は潰れ、心臓にぽっかり穴の空いたフランの亡骸があった。
「フ、フラン……」
地面に膝をつき、冷たくなったフランを強く抱きしめた。
「誰の仕業だ……ヴァニラはどこだ!!」
大切な四人の死と、辺りに充満する血の匂いとで、ジュドウは理性を失う寸前であった。
周囲を見渡すが、ヴァニラの血の痕跡が途絶えていた。
「ヴァニラの痕跡が消えている……何者かに連れ去られたのか!?こ、この馬車の傷跡は……まさか!……おのれぇ!イヌどもがぁぁぁ!!」
車内の至る所に、三本の鉤爪の跡があったのを見たジュドウは、シルバーウルフ族に襲われたのだと勘違いをしたのだった。
「ヴァニラーーーー!!!」
三人の血に触れたジュドウの服は、真っ赤に変色していた。更に日の光を浴び、目から血の涙を流しながら、娘の名前を叫び続けた。