52 二色の訪問者《Side.黒魔女天使》
ヒメが、再び毛布一枚にショルダーバッグの姿で、露天風呂から出た頃には既に日は落ちていた。
通路には、アルベルトが頭を下げて待っていた。
「ヒメ様、宴の準備が出来ております」
「ありがとうございます」
ヒメはアルベルトの後に続いた。
食堂に近づくにつれて、賑やかな声が聞こえてきた。
(宴って言ってたから、人がたくさんいるのかな?)
「何やら騒がしいですな」
「え!?宴だからじゃないんですか?」
しかし、その声は食堂ではなく、屋敷の外から聞こえており、賑やかを通り越して喧騒に騒ぎ立てている。
曇った窓を開けて外を見ると、松明を持つ人だかりが出来ていた。しかし彼らは、ヒメに背を向けていたため、何をしているのかは分からなかった。
「この匂いは……ヒメ様!奥の部屋に避難いたします!」
アルベルトは血相を変えてヒメを誘導した。
「ど、どうしたのですか?」
ヒメは何が起こったのか訳も分からず、慌てて避難しようと言うアルベルトに質問をした。
「人ならざる者が来ました!」
「人ならざる者?モンスターですか?」
(流石異世界!初のモンスターは町の中!?)
「いいえ。モンスターであれば良かったのですが、奴らは、生ある者ではありません!危険ですので、お早く!」
「不死者!?まさかゾンビ?」
「アンデッドでもありません!良いですか!モンスターではないのです!とにかく早く逃げますぞ!!」
「アルベルトさん!きゃっ!」
突然の爆発音とともに、屋敷が激しく揺れた。
「「うわぁぁぁぁ」」
大きな爆発音の後、大勢の叫び声が聞こえ、先程までの喧騒が嘘のように静まり返った。
ヒメは窓から外を覗いた。
そこには先程まであった、人だかりが無くなっていた。
松明の炎が、周りの草や木に燃え移り始めた。
そして、地面に倒れている人や、うずくまる人の中心に、大きな人影が一つあった。
その人影はヒメを見ていた。
「あれだな」
「いや、あれではないか?」
声が聞こえたと同時に人影が視界から消えた。
「しまった!ヒメ様、窓から離れなさい!」
「きゃっ!」
アルベルトの叫び声の後、ヒメの後方の壁が大きな音と共に弾け飛んだ。
「そいつが聖女だな?」
「いや、そいつが聖女ではないか?」
瓦礫と砂埃の中から、それは現れた。
およそ二メートルはあろう、見上げる程の大男が。
「な、何?」
それは腕を組み、見下ろすように立っていた。
黒のシャツの上には、襟を立てた茶色のコートを羽織り、今にも、はち切れんばかりの筋肉が隆起している。緑のズボンを履き、足元は瓦礫と砂埃で見えないが、その姿を見て、立ち向かう者は皆無であった。
そう思わせるのは、体格からだけではなく、顔の異形さからも畏怖してしまうからである。
人ならざる者の顔は、中心から左右に色が分かれていた。左は赤、右は青であり、双月の色と同じであった。そして眼球もまた、それぞれの皮膚と同じ色をしていた。
髪は短くて逆立っている。左が黄色、右が薄い白色。やはり真ん中から色が違った。額には黒い皮のバンダナを巻いている。
手にも黒い皮の手袋をしているため、皮膚が見える箇所は限られていて、全身がそうなのかは定かではないが、胸元までは左右の色が分かれているのが確認できた。
「聖女は頂く」
「いや、聖女は頂くのではないか?」
目の前の異形の言葉に続けて、ヒメの後ろにいるアルベルトが声を上げ姿を変え始めた。
「グロロロロォォォォ!!!」
「アルベルトさん!?」
ヒメは驚き振り返った。
アルベルトは前傾姿勢になり、腕はダラリと垂らした状態で、手の平だけを上に上げて、指先には力を入れていた。メキメキと爪が伸びるのと同時に、手の甲や顔等、肌が露出している部分が、次第に毛深くなり始める。
毛深くなった顔は、今度は徐々に鼻と口が盛り上がり、口からは牙が伸び、狼のそれへと変わっていく。ズボンの裾からは、毛深い足が伸び始め、膝から下が見えるようになった。服はビリビリと破れ、体は倍に膨れ上がった。
アルベルトは、二足歩行の茶色い狼に変形した。
「ワオオォォォォーーン!」
アルベルトであった狼男は、天井を仰ぎ、体を後方へ仰け反らせて大声で吠えた。
「いっ!耳が!」
ビリビリと身体中に響く声に耐え兼ねたヒメは、両手で耳を塞いだ。
アルベルトの遠吠えの後、食堂の方からヴォルフが駆けつけ、アルベルトの横に並んだ。
「な、何故貴様らがここにいる!?」
「イヌ、それはこっちのセリフだ!」
「いや、イヌ、それはこっちのセリフではないか?」
人ならざる者は、口を赤青交互に開けて器用に答えている。
「何をしに来た!ホムンクルスよ!グワォォォォォォ!」
ヴォルフもまた変形し始めた。瞬く間に狼男となった。
「ホ、ホ、ホムンクルス?ホムンクルスって、フラスコの中から錬金術で生み出されるあの?」
ヒメは、興奮気味に捲し立ててヴォルフに聞いた。
「よくご存知で……奴は不死身……我らが時間を稼ぎます。ヒメ様はお逃げください」
「一緒にするな」
「いや、一緒にするなではないか?」
「どういうこと?」
ヒメは興味本位で聞き返していた。
するとホムンクルスは腕組みをしたまま、わずかに前傾姿勢となった。
「ヒメ様!早くお逃げください!話など通じる相手ではありませぬぞ!!グルルルァァ!」
アルベルトは、唸り声を上げながらホムンクルスに飛び掛かった。
ホムンクルスは腕組みを止め、右手を握り拳に変えて後ろへ引き、殴る体勢に構えた。
「……ウノ」
しかし何を思ったのか、更に左手も拳に変えて後ろへ引き、殴る体勢をとった。
「……リョク」
そして、ホムンクルスは何かを呟いた。
「戻れ!アルベルト!」
ヴォルフの制止を聞かず、ヒメの横をすり抜けたアルベルトは、右腕を振りかぶり、そのまま大振りで右手の爪をホムンクルスに斬りつけた。
「ガアアァァァ!!!」
「「ふん!」」
しかし、ホムンクルスは引いた両腕を、ハンマーのように頭の上からアルベルトへと叩きつけた。
右腕はアルベルトの頭に、左腕はアルベルトの右腕をそれぞれ叩きつけた。
それを受けたアルベルトは、床と天井に二、三度弾かれ、ヒメの前まで転がってきた。
「ゴホッ」
「アルベルトさん!」
血を吐き出し、頭からは血を流し、右腕は骨が折れ、あらぬ方向へ曲がっていた。
アルベルトへと駆け寄ったヒメは、ホムンクルスを睨みつけた。
砂埃が収まり始めると、そこにいたのは先程までのホムンクルスではなかった。
両の拳を地面に叩きつけた状態で、頭はそのままではあるが、体が中心から左右に割れていた。
更に足は、アルベルトの右腕同様、あらぬ方向へ曲がっており、ダメージを受けたのはホムンクルスではないかと思える程、原型を保てていなかった。
「え?何があったの?」
ヒメは目を細めてよく見ると、足が四つに増えており、左右に分かれた体からは、内側に腕がそれぞれ一本ずつ増えていた。つまり、左右対象に野球のピッチャーが投球を終えたフォームで止まっていた。
ヴォルフはヒメの前に立った。
「ヒメ様!奴は、いや、奴らは元々二体なのです。何故かは分かりませんが、赤と青のホムンクルスが二体おります!」
「くっ付いていたの?な、何で?」
ヒメは信じられない目の前の状況に、頭の理解が追いついていなかった。
「聖女を寄越せ」
「いや、聖女を寄越せではないか?」
そう言うと、赤と青のホムンクルスは互いの体に抱きついて、くっ付いた。
すると、元どおり腕を組んでいるように見えた。
「本当だ……二人が一人になった」
ヒメは呆然と立ち尽くしている。
「ホムンクルスーッ!!」
ヴォルフはそう叫ぶと、低い姿勢で駆け出し、両手の爪で上下から挟むように斬りつけた。
するとまるで、金属同士をぶつけたような、硬質な音が響いた。ヴォルフを見ると両手の爪が割れて、血を流している。
一方のホムンクルスは、全くの無傷であった。
「我らはホムンクルスなどではない」
「いや、我らはホムンクルスなどではないのではないか?」
(この強さは一体……身体中、鋼鉄で出来てるの!?)
「あのように貧弱ではない」
「いや、あのように貧弱ではないのではないか?」
ヴォルフは、バックステップでヒメの側まで戻り、片膝をつき相手を睨みつけたまま小声で話した。
「ヒメ様!我が子がおらぬ今、我々が敵う相手ではありません。逃げて下さい!」
「ですが……」
戸惑うヒメに対し、ホムンクルスは信じられない言葉を発した。
「我らが召喚した聖女を取り戻しに来た」
「いや、我らが召喚した聖女を取りしに来たのではないか?」
その場の空気が一変した。