5 正当防衛
「悪く思うなよ。せめてもの情けだ」
騎士は、ゼンジの手を縛るロープを剣で切った。そして森の入り口へ消えて行った。
「イテテ……」
足の裏は血だらけで、左の顔は腫れ上がっている。
しかし痛みも忘れて、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
『ガッチャン』
金属音が頭の中で響いたが、今はそんな事どうでも良かった。
ゼンジは思った。
夢と希望に浮かれていた、あの頃の自分に言ってやりたい。職業は勇者にしろと。
森には蛍のような光がフワフワと漂い、淡い光を放っていた。それは赤や青や緑等、様々な色の美しいものであった。
「綺麗だな……」
それがゼンジの腫れた頬に触れると、わずかに腫れが引いていく。そして怒りも。
「暖かい……」
ゼンジは空を見上げた。
その時、紫色の光が、まるで流れ星のようにゼンジに向かい降ってきた。
「うおっ!」
直前でかわすと、それは地面に伸びるゼンジの影に落ち霧散した。
「危なかった……今のは?」
影と重なり淡く輝く残光が、アーノルド王を思い起こさせた。
「どうしてこんな事に……」
消えかけていた怒りの火種が、次第に大きくなり始めた。
青い光がゼンジの頬に触れる。
しかし、ゼンジは気付かない。
怒りで我を失っていた。
「くそっ!なんだこの世界は!」
美しい光たちが、ゼンジから離れるように距離を取った。
「ふざけるな!」
怒鳴り声に合わせ、ゼンジの影が紫色に禍々しい光を放った。
周囲の美しい光が、慌てるように飛び交い始める。
「アーノルド王!絶対に許さない!」
光はゼンジの体中を、そして影にまで触れるが、それでも気付かない。
「ギルダーツの野郎ぉぉ!」
ゼンジの心を表すように、影が歪に伸びていく。
「殺してや…」
その時、心臓が大きく脈を打った。
「コ・ロ・ス……」
破裂音のような心音と共に、視界が狭窄し意識が遠のいた。
「コロス………コロス……コロス…」
遠のく意識の中、ゼンジは自分が口走る言葉により我に帰った。
「ダメだ!何を言ってるんだ。自分は自衛官だ!国民の命を守る使命がある。この世界でもそれは変わらない!」
気付くと周囲の美しい光は消え失せていた。
それだけではなく、地面はえぐれており、木が何本も倒れていた。
「雷でもおちたのか?」
ゼンジは自分の体を確認するが、何の異常もなかった。
「はぁ。何なんだよ……異世界…それなのに職業…自衛官」
もう一度ステータスの確認をしてみる。
「ステータスオープン…」
上官の命令に服従する義務が消えていた。
「所属する場所がなくなったから、上官の命令に服従する義務が消えたのか…」
ゼンジはボソリと呟いた。
「しかし、ステータスがあるなんて本当にゲームみたいだ。HPはヒットポイントで、これが0になるとアウトだな。9って事は死ぬ寸前じゃないか…MPはMAXある。これはマジックポイントで、魔法が使えるんだろ?10あるってことは魔法を覚えたら使えるのか?」
ステータスウインドウを、ぼんやりと眺めているとスキル欄に、迷彩戦闘服がある事に気が付いた。
「これはもしかして!でも何処にあるんだ?一体どうすれば…」
ゼンジは取り敢えず声に出してみる事にした。
「迷彩戦闘服」
すると目の前に、綺麗に畳まれた緑色の迷彩戦闘服の上下と帽子、皮の手袋、半長靴が現れた。
「助かった!陸自用だ」
周囲を警戒しつつ、迷彩戦闘服を装備した。
左腕にはマジックテープで、日の丸のワッペンが付いていた。
「ふぅ〜これで何とかなりそうだ…」
ほっと一息つくと、腹の虫が主張した。
「腹減った…こんな時でも腹は減るんだな」
その時、左の藪の中から枝が折れる、乾いた音が響いた。
ゼンジは心臓が跳ねたのと同時に、音の鳴った方を凝視した。
それは雨の中、稲光に照らされて、不気味に笑いながらゼンジを見ていた。
(人!?)
しかしよく見ると子供ぐらいの身長で、体の色は緑色。人間にしては気持ち悪い顔をしている。そして耳と鼻は尖っていた。
(ま、まさか、あれはゴブリンじゃないか?ゲームの序盤に出てくる奴だろ?言葉は通じるのか?)
ゼンジの知る、ゴブリンに良く似た特徴を持つ緑の小人が、ゆっくりと目を細め、値踏みするかのように、足の先から頭まで舐めるように見ている。
『ゲギャギャギャ』
目が合うと牙を剥き出し、気味の悪い笑い声をあげた。そして、錆びついたショートソードを振り回しながら走りだした。
「うわぁー!何だ!来るな、止まれ!」
ゼンジの静止も聞かず、直前でジャンプしてショートソードを振り下ろす。
それを、咄嗟に左へ転がってかわした。
『ゲギャ』
「おいおいちょっと待て!言語理解はモンスターには通じないのか!?何言ってるかわからん!」
辺りを見回すと、木の枝が転がっていた。手元にあるそれを拾い立ち上がった。
ゴブリンは、おちょくるようにその場で何度も飛び跳ねている。
「ハァハァ。こっちに来るなよ」
その言葉が合図となり、武器を振り回しながらゼンジへ向けて走り出した。
それを見たゼンジも、木の枝を正面に構えた。
『ゲギャッ』
短くそう鳴くと、再びジャンプをして武器を振り下ろした。
タイミング良く木の枝で弾いたが、剣に枝が敵う訳がなく、例外なく折れてしまった。
「クソッ!ゴブリンのくせに!」
バックステップで距離を取って辺りを探すが、近くに武器になるようなものはない。
「ハァハァ。足の裏が痛い…そうだ。スキルがあった。警棒!」
そう叫んだが武器は出てこない。
「警棒、警棒、警棒ぉ〜!」
やはり何も起こらない。
『ゲギャ〜』
ゴブリンは飛び跳ねて喜んでいる。
「何でだよ!迷彩戦闘服は出てきたのに!まさか、スキルは一つずつなのか!?」
そして、ゴブリンは飛び跳ねるのをやめて、武器を振り回しながら、再び走り出した。
「ヤバイ、警棒!」
右手を前で構えるようにして、声を出したが警棒は現れなかった。
「やめろ!」
迫り来るショートソードを、無我夢中で右腕で弾くと激痛が走った。
「ぐっ!痛ぇ!こんなのまともに食らったら、一撃で死んじまうぞ!」
ショートソードの横っ腹を、上手くはじく事が出来たが、それでも刃の部分にも触れていた。しかし錆びていたため、痛みはあるが血はそれ程出なかった。
『ガチャッ』
その時、城で聞こえた音が頭の中で響いた。
(今の音は…これはもしかして!)
「警棒!」
今度こそ、目の前に出した右手に警棒が現れた。
ゼンジは警棒をホルダーから取り外し、力一杯振りジャキンと音を立てて伸ばした。
それから警棒を中段に構えた。
「ちょっと待ってくれ!」
しかしゴブリンは飛び掛かって来た。
「待てって言っただろっ!」
警棒を、空中にいるゴブリンの胴体目掛け、横薙ぎに振り抜いた。
脇腹にクリーンヒットさせると、ゴブリンは吹き飛び木に当たって地面に落ちた。
『ゲゲゲギャ』
腹を抑えて転げ回っている。
それを見て、すかさずステータスの確認を行った。
「ステータスオープン……」
ウィンドウをよく見ると、スキルの横に南京錠のアイコンがあり、それが開錠されている。そして自衛官の誇りの欄には、正当防衛と表示されていた。
「正当防衛!」
(やっぱりそうだ。あの音は鍵が外れた合図。ゴブリンに危害を加えられ、正当防衛が成立したから、攻撃系のスキルが使えるようになったんだな?)
ゴブリンは立ち上がり、憎らしそうに睨んでいる。
そして、ゼンジが足を一歩出した途端に、ショートソードを投げた。
「嘘だろ!」
ゼンジは左腕を前に出し、盾を構える態勢を取った。
「大楯!出てくれ!」
悲鳴に似た叫び声を上げた。
するとゼンジの目の前に、長方形の覗き穴がある、真っ黒な大楯が現れた。
「良し出た!」
すかさず大楯の持ち手を握りしめ、体に寄せて地面に固定する。
それは飛んで来たショートソードを弾き飛ばした。
覗き穴から見えるゴブリンは、明らかに狼狽えている。
「完全に殺す気じゃないか!」
武器を持っていない今がチャンス。
ゼンジは大盾を手放し、ゴブリンに向かって駆け出した。
そして警棒を思い切り振り下ろす。
『ゲギャッ』
それを最後に、ゴブリンは動かなくなった。
「ハァハァ。いたたっ。スキルの説明くらいしてくれよ」
こちらの世界へ来て、初めてのモンスターとの戦いであった。
こうしてゼンジの、縛りがエグい異世界行軍が始まった。
(女神様こちら自衛官。
やっぱり怒ってますね。モンスター相手に正当防衛とか、いらないでしょ……どうぞ)