３３ 最初の眷属 《Side.黒魔女天使》
目の前にドアップの魔王が現れた。
「！？ビックリしたぁ〜！」
（アンジュ様の所に居たのは一瞬だったんだ！）
『余の攻撃を防ぐとは、貴様は…まさか！何故ここにいる！余を封印しに来たか！』
バレッタから巨大な頭だけが出ており、魔王の額からは煙が上がっていた。
ヒメが攻撃を弾いたからだろう。
（ウゾウゾの正体が見える！）
バッタのような頭をした緑の魔王が、大きな口を開けて喋っている。
口の中には人間の歯が生えていた。しかしその奥には、何も無い深い闇が広がっている。
「封印じゃないよ！彼女を貴方から解放します！」
（血の味がする。魔王の頭突きは当たってなくても、その反動で口の中が切れたんだ。彼女自身の攻撃だったら、この程度じゃ済まなかったのかな？）
「大丈夫か！？」
声のする方を見ると、屋敷の主が心配そうな表情で近付いて来た。
「大丈夫です！まずはこの子を解放します！」
『やめろぉ！この娘を喰らい尽くすぞぉ〜！』
魔王は大きな口を更に大きく開けて威嚇した。
「何をなさるおつもりですか！」
犬耳の執事が屋敷の主の前に出て、主人を庇うように片腕を上げている。
ヒメは、ニ人が近付かないように声を張り上げた。
「私に任せて下さい！」
『貴様を喰えぬのであれば、潰してやるわ！」
そう言ってバレッタの中に入ったかと思うと、目の前の少女の体から黒紫のオーラが立ち昇った。
『死ねぇ〜！』
（クッ！締め付ける力が…強くなった。両腕が……使えない！）
「こ、こうなったら」
血だらけになった口の中から、ペロリと舌を出して唇に血を付けた。そして普段リップを塗った後に、上唇と下唇を合わせて、馴染ませる動作と同じ事を行った。
「これでどう！？」
ヒメは、禍々しいオーラを放つ、女性のオデコにキスをした。
『グワァァァ！貴様ぁ！！何をしたぁぁ！！！』
苦しそうにバレッタから出てきた魔王は、必死に抵抗しようとしている。
「彼女に取り憑くのは止めて！」
『ふざけるなぁぁぁ！！何という…こと…を……』
その言葉を最後に、魔王はバレッタに吸い込まれた。それから声は聞こえなくなった。
禍々しいオーラが消えると、女性の力がストンと抜けた。締め付けられていた腕が解放されたため、女性がその場に倒れそうになったのを、ヒメは抱き止めた。
「ふぅ。これで良いのかな？」
「な、何をしたのだぁ〜！」
屋敷の主が執事を突き飛ばし、血相を変えて近寄って来た。
「か、彼女を呪いから解放しました。もう大丈夫？な、はず、です」
ヒメはあまりの迫力に顔を引いた。
「おお……何てことだ…そ、それは、それは本当か？」
屋敷の主は震える手で、気絶している少女に触れようとした。
「ヴォルフ様！なりません！精気を喰われてしまいます！」
執事が慌てて、ヴォルフと呼ぶ主人の前に出た。
「しかし、アルベルトよ。聖女様がシルヴァの呪いを解いて下さったのだ。見よ、肌の色が戻っておる」
「ですが…でしたらまず私めが、ヴォルフ様に代わりシルヴァ様に触れましょう」
そう言ってアルベルトと呼ばれた執事は、シルヴァと呼ばれた女性に触れようとしたが、ヴォルフに止められた。
「シルヴァは私の大切な子だ。この子に最初に触れるのは私だ」
ヒメはシルヴァをヴォルフへと渡した。
そのままヴォルフは精気を失った干からびた腕で、シルヴァを強く抱きしめた。
「おお……こんなにも痩せ細ってしまうなんて。何も出来なかったワシを許してくれ…」
ヴォルフは、シルヴァを抱きしめたまま大粒の涙を流した。
「奇跡だ……良かった…本当に良かった」
そしてまた、アルベルトも泣いていた。
「これは没収です」
ヒメはシルヴァの頭に付いていたバレッタを外し、自分の髪に付けた。
「ふぅ。良かった…アレ？」
ヒメは体に違和感を感じた。
「力が、抜け、て……」
そうしてその場にしゃがみ込み、そのまま気を失ってしまった。
――――――
深い霧の中に、巨大なバッタの頭と、一人の少女が立っていた。
『余の名は〈魔王 アバドン〉奈落の王である』
「私は〈北野 姫〉貴方と血の契約を行う者です」
『ヒメに忠誠を誓おう』
「宜しくねアバドン」
２人を包む霧が、より深くなって行った。
――――――
パチパチと、何かが弾ける音でヒメは目を開けた。
「ここは……」
また、同じ木目の、同じ天井の、同じ暖炉の、同じ部屋の、同じベッドに横になっていた。
「夢……だったのかな？」
その時、軽快にドアをノックする音が聞こえた。
「はい！」
ヒメは驚き、元気よく返事をした。
ドアノブがキュルリと回り、あの時と同じように、手元に湯気の出ているコップとパンが乗ったお盆を持つ、執事アルベルトが入ってきた。
「よく眠れましたかな？」
それをヒメに渡した。
（あの時と同じだ…夢だったのかな）
アルベルトが微笑んだのを確認して、ヒメはホットミルクを飲んだ。
「やっぱり甘くて美味しい！」
そしてパンを一口かじった。
「良かった。今度は泣かれませんね」
アルベルトは、笑顔で頷きながら言った。
「…言葉が分かります」
「はい。これで御礼が言えますな」
ヒメは嬉しさのあまり一筋の涙をこぼした。
「おやおや、やはり泣かれましたな」
「嬉しくて……涙が出てしまいました」
「嬉しいのはこちらの方です。この屋敷の主を始め皆、聖女様に感謝しております。
詳しくはこの後、主の方からあると思います。また、一応ドレスもご用意しておりますが、お気に召さなければ無理に着る必要はありません。それでは、どうぞ、ごゆるりと」
アルベルトはそのままドアを開け、部屋から出て行った。
ヒメは涙を拭いて自分を確認したが、やはり何も着ていなかった。しかし、ベッドサイドテーブルを見ると、そこにはビー玉の入ったショルダーバッグが置かれていた。
（夢じゃない！アンジュ様ありがとうございます）
ヒメはショルダーバッグを手に取り、その中から一つ、ビー玉を取り出した。
透明なガラス玉の中に、銀色のスクリューマーブル模様が入ったそれを、手の平に載せて眺めた。
窓から差し込む美しい夕日を浴びて、キラキラと輝いていた。
「ふわぁ〜……」
あまりの美しさに時を忘れ、見たこともない輝きを放つビー玉を愛でていた。
その後、ショルダーバッグはベッドサイドテーブルに置き、銀色のビー玉を眺めながら出されたパンを食べ、甘いホットミルクを飲み、そして一息付いた。
「そうだ！この後、お屋敷の偉い人から話があるって言ってたような……結構のんびりしちゃった。早く行かないと怒られちゃうかも」
慌ててベッドから立ち上がり、毛布を体に巻いた。
前回はアルベルトが入って来たが、今回は自分からドアを開けて廊下に出た。
するとそこには、左膝を地面に付け、首を垂れる、屋敷の主ヴォルフがいた。その直ぐ斜め後方には、同じ体勢のアルベルトがいた。
「獣人ライカンスロープにして、シルバーウルフ族の長、ヴォルフが申し上げます。聖女様、我が子の命を救って頂き、心より感謝申し上げます。本人はまだ眠っておりますゆえ、この場にはおりませぬが、どうか御無礼御許しください」
ヴォルフが、跪いたまま感謝の言葉を述べた。
「やめてください。早く立ってください。命を助けられたのはこちらの方です。ありがとうございます」
ヒメも慌てて頭を下げた。
「勿体なきお言葉。聖女様！我らシルバーウルフ族は、これより聖女様に忠誠を誓います」
突然の言葉に意味もわからず、慌てふためくヒメを他所に、ヴォルフたちは微動だにしなかった。
「！？私は聖女様ではありません。と、とにかく顔を上げてください！！」
しかしヴォルフたちは、身動き一つしなかった。
自分だけ立っている事に慌てたヒメは、彼らを立たせようと通路へと出た。
しかし、その時ヒメの視界に入って来たのは、通路一面に片膝を立てて跪く、シルバーウルフ族の姿であった。
それは、この屋敷の召使い、そしてこの村に住んでいるのであろう男たちが、所狭しと集まっていたのである。
絶句するヒメに、ヴォルフは静かに話し始めた。
「聖女様、我らの意思は既に決まっております。聖女様に忠誠を違います！！」
そして何も喋らなくなった。
（そんな…どうすればいいんだろう。忠誠って…私じゃなくて、アンジュ様にだよね？）
「ありがとうございます。女神様の意思の賜物です。それでは皆さん立ち上がってください」
（…どうしよう。誰も動かない）
堪らなくなったヒメは再度女神のせいにした。
「今回は女神様のお力です。皆さんに女神アンジュ様の祝福を」
（動かない…どうしたらいいの？そうだ！）
「承知しました。あなた方の忠誠、ちゃんと受け取ります。良ければこれを受け取ってください。だから言うことを聞いてください。お願いだから立って！」
そう言ってヴォルフの前にしゃがみ、銀色のビー玉を一つ手渡した。
「こ、これは！！！美しい……しかと賜りました」
「はい！宜しくお願いします。早く立ってください！皆さんもお願いします！」
ヴォルフはその場に立ち上がった。
「聖女様の御命令だ！皆の者立つのだ！
これより我らシルバーウルフ族は、聖女様の配下となる。聖女様を命に変えても御守りするのだ！」
「「「「はっ！」」」
凛々しい声と共に、全員が立ち上がった。
その表情は安堵、喜び、希望に満ち溢れていた。
「命には変えないでください！それと聖女様はやめて下さい！」
ヒメは慌てて両手を前に出し、手を振って否定した。すると、体に巻いていた毛布がハラリと落ちた。
「……」
しばらくの沈黙の後、ヒメを除いた全員が、再び下を向き跪いた。
ヒメは、皆の頭を上げさせたことを後悔しながら、いそいそと毛布を拾い体に巻いた。
こうしてヒメの、縛りがエグい異世界の再出発が始まった。
