古都シルバルサ
暗く冷たい岩の壁。異様に湿度の高い場所に作られた一室。四方は壁に囲われ地下のため窓もない。唯一、違う景色を見えるのは目の前にある鉄格子のだけ。
今、エンリがいるのは牢屋だった。
なぜこうなったか理由を知るには今から数時間前に遡ることになる。
そうあれは元冒険者で商人のリレアと別れた後の話だーー
シーベルトとダラバララたちから生き延びた俺たちは馬の体力や自分たちの体力の浪費を考え、近くの木陰に拠点を置き、一夜を越すことにした。
と言ってもリレアは商人ゆえの性かはたまた元冒険者としての性か。倒した魔獣の素材回収に勤しみ、俺もそれを横目に馬と一緒に馬車の荷台に積んであった食べ物で一人と二匹の大宴会をしていたので二人ともろくに寝ていない。
ちなみに久しぶりに食べたケーキは非常に美味しかった。
まあそんな感じで次の日の昼ごろ、また馬車で移動を始め、目的地であるシルバルサに着いたのは日も沈み始める夕方の出来事であった。
街は古い石造りの城壁で囲まれ、中心にはシルバルサの象徴であり観光名所であるシルバルサ城が建っている。
シルバルサは王国でも有数の歴史を持つ古都だ。その歴史だけ見れば現在の王都よりも長く、かつては前線基地、要塞都市としての役割を担っていた。街を覆う巨大な城壁や街の中心になる古城はその名残のものだ。
そして現在も街そのものの歴史的価値が高いため魔獣などに破壊されないよう多くの兵士が常駐している。
城門前は多くの観光客や商人の中に兵士が立っていることからその意識の高さがわかる。
「リレアさん、それじゃあ僕はここで」
「ああ、送ってくれて助かったよ。ありがとう」
「いえいえ、お安い御用です。あなたのおかげ僕も死なずにすみましたから、それに良質な素材も手に入ったので」
リレアはホクホク顔で話す。
そして思い出したように言葉を続ける。
「しばらくの間、僕はこの街にいるので何か困ったことがあったらこの住所に来てください。助けになりますよ」
そういってリレアはメモ書きに宿の住所を書き示す。
エンリはそのメモを受け取り首をかしげる。
それは当然の疑問だ。なぜリレアはここまで俺によくしてくれのだろう?
一緒に死地を超えたにしても出会って1日と少ししか経っていない俺にそこまでしてもらう義理立ても貸しもない筈だが。少し不気味だ。
エンリがそんなことを考えているリレアが何かを察したのか話し始める。
「別に貸しを作ろうとかしてるわけじゃないですよ。ただ少し縁を感じたんです」
「縁?」
「はい。エンリさんとは長い付き合いになりそうだなって言う感覚です。商人の感っていうんでしょうか?それとも冒険者時代の感ですかね?」
リレアは微笑浮かべながらそう答える。
まあ確かに、1日という短い時間だが旅をともにシーベルトとダラバララという強力な魔獣からともに生き延びたのは確かだ。
たったそれだけの関係性だけかもしれないが死地をともに乗り越えるというのは他の人間が思うより大きな信頼関係を生む。
おそらくリレアのいう縁というのもその類のものなのだろう。
まあたまには縁っていうのを信じてみるのも悪くない。
エンリはリレアから受け取ったメモを胸ポケットにしまう。
そしてエンリは城門前でリレアと別れた。
ーーーーー
城門前はごった返していた。
まるで縁日のようだ。
すでに夕刻だというのにこの人の量なら日中は一体どれだけ人がいるのだろうか?それこそ街を一周する勢いで人がいそうだ。
エンリはトランクケースを無くさぬよう手に力を入れ近くの列に並ぶ。
後ろにはどんどんどんどん人が並び大蛇のようになっていく。
目に入る人たちは皆、基本的に大きな荷物を持っておりエンリのようにトランクケース一つのような身軽な人はいない。
客層もまた家族連れや恋人同士で来た人たちが多く、若干若い層が目立つ。
やはり古都ということも観光名所となっているようだ。
エンリは行列の横に置いてあった観光パンフレットを手に取り適当に読みながら自分の番を待つ。
時間にして三十分、人数にしてみれば三十人以上待った。
エンリは受付の前に立ちカウンターの下にトランクケースを置く。
「こんばんは、古都シルバルスへようこそ。ご用件は?」
受付所の兵士が聞いて来た。
まだ年若い少女だ。雰囲気からして今年入ったばかりの新兵だろうか?
腰にぶら下げた剣が物騒である。
「あー、買い物と観光だ」
別に観光するつもりはなかったが行列を待っているうちに興味が湧いた。
新しい研究のアイデアが生まれるかもしれない。
「そうですか。では身分証明書とこの書類に記載をお願いします」
渡された書類には名前や年齢などの個人情報を記入する欄があった。
エンリは書類と一緒に渡された羽ペンを手に取りスラスラと書いていく。
30秒とかからず書類は書き終わる。
そしてそれを受付の新兵に渡し羽ペンを戻す。
新兵はその書類に一通り目を通し、近くの魔導具に挟む。
おそらく情報の記録、共有をするためのものだろう。
それらの行為が一通り終わると新兵は事務的なそしてどこか威圧的な表情と声で再び言う。
「身分証を見せてもらえますか?」
深く息を吸う。
エンリは身分証を出すことをためらった。
身分証とはその人物を社会的に判断するには実に確実的で堅実的な方法だ。
魔法や魔術、錬金術が発展した次世代。正当な機関と正当な理由があれば様々なデータベースからその人物の情報を探すことができる。
名前や年齢、性別に生年月日はもちろん犯罪歴まで、お手ものだ。
そんな世界で基本的に身分証を出し渋る人間は後ろにやましいことがある人間かよほどの秘密主義者ぐらいだ。
別に俺に暗い過去があるわけではない。犯罪歴はおろか虫も殺さぬ優しい心の持ち主の上、街に出ればゴミ拾いを率先してやり始めるぐらいには謙虚で平和的な男だ。
だがそれでも身分証を出し渋るには相応の理由がある。
おそらく誰が聞いても納得する答えだ。
「……です」
「なんて言いましたか?」
「……ないです」
「もう一度お願いします」
「身分証、持ってないです」
訪れたのは沈黙だった。
わかりやすいほどの静寂。
耳が痛くなるほどの音のない時間。
まるで一瞬が永遠にも感じるような感覚だった。
受付の新兵の表情は怒りや呆れを通り越してすでに悟りの境地に至っている。
しかし考えてみれば当たり前のことだ。
もともと俺は追放された身。その時すでに自分の身分を証明するなど取り上げられている。ましてやつい先日まで身分の証明など必要のない山の中に籠っていったのだ。
身分証の一つや二つ忘れるってものだ。
とまあ、開き直ってみたものの結論、身分証のことを忘れていた俺が悪いと言う結論に至る。
それにしても静寂が長い。
ふと受付の新兵に視線を向ける。
そこには白く染まり硬直したまま立っている女の姿があった。
「大丈夫か?」
軽く体を乗り出し新兵の肩を揺すってみる。
すると遥か遠くに飛んでいた意識が体に戻ってきたかのように急に動き出す。
「は!?すいません。ちょっと私では対応しきれないので上司を呼んできます」
そう言うと受付の新兵は少し先まで駆けていく。
そして待つこと5分、帰ってきた。ヒゲを携えた2メートル近い屈強な男を連れて。
その男はどうみても一般人ではなかった。全身を筋肉の鎧で固め、その肌にはいくつもの傷が刻まれている。顔には斜めに断つような傷跡があり、もとより強面な顔をより人相の悪いものへとしている。
眼力だけで昨日戦ったシーベルトを一蹴できそうだ。
「えっと、あんたが身分証のないって言う人かい?」
低い音が耳を揺らした。
エンリはその声につられるよう言葉を繋ぐ。
「ああ、恥ずかしながら俺だな」
「そうか……ついてきてくれ。あんたの入国審査を行う」
どうやら入国審査とやらは別の場所で行われるようだ。
エンリは男の言われるがまま後をついていく。
すると部屋に着くまでの間、男が軽い談笑を始める。
「先に自己紹介をしておくか。俺はハンベルマン。周りからはハンやハベルって呼ばれてる。そして後ろにいるのがセレンだ」
「セレン・リオキルです。不束者ですがよろしくお願いします」
「エンリだ。好きに呼んでくれ」
どうやら受付の新兵はセレンという名前らしい。
自分の自己紹介を適当に終え、エンリがハンに質問する。
「それにしても驚いた。身分証がなくても入れるんだな」
「まあ一応な。身分証の紛失は割とよくあることだし、来る途中に盗賊に襲われて身ぐるみ剥がされたなんて話も珍しくないからな」
「なるほど、そういう人間に対する応急処置が用意してあるわけだ」
「ちっとばかし手続きがめんどくせいがそんなところだ」
ハンは頭を軽く描き、一つの部屋に手を掛ける。
どうやら入国審査を行う場所にたどり着いたようだ。
俺は扉をくぐり部屋の中に入った。
この後自分が牢屋に入るとも知らず。
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