紅き月の夜<前>
16時41分、人間を魔獣化させるウイルスの治療薬が予定よ少し早く完成する。キリヤとオルト、他研究所の人たちが足りない資材と人員の中で最大限努力してくれたおかげである。
そしてそれから一時間後の17時43分、治療薬の試験的運用が開始される。すでに何度かのマウスと仮想魔法による試験は行われていたが、実際にウイルスにかかっている人間に使われるのはもちろん初めてのことである。本来なら幾らかの承認等が行われて初めて、人体実験となるのだが、今回は緊急事態につき、軍及び王国緊急医療処置法が適応され、最低限の試験と条件で人体実験が可能となった。
実験の結果は即効性は見られず、短期での効果は認められないものの、極低温化魔法治療と併用することで長期的であればウイルスの根絶、魔獣化からの回復が認めれるとの結果が出た。
19時57分、氷像化した魔獣化した人間から発生していた氷の欠片の回収が、軍と途中から応援にやってきた冒険者ギルドの冒険者たちの尽力により、完了する。
20時18分、魔獣化した人間の一時的拘束がシルバルサ全域で完了する。これによりシルバルサに常駐する軍及び国立組織、医療組織、冒険者ギルド他での、連携、連絡が用意となり、軍は今回のバイオテロは次の段階へ進んだと判断、研究所で開発された治療薬を計画の中心に、魔獣化した人間の治療計画を研究所とともに考え始める。そして同時刻、魔獣化した人間の治療の目処が立ち、バイオテロ騒動が一度落ち着いたことを受け、セレン・リオキル主体で、リリア・アンスバルトの捜索が少人数ながら開始される。
22時27分、外でリリアの捜索に出ていたエンリ及びリアナ・リバースが一度、研究所の様子を見に戻ってくるーー
研究所の扉を開けると中からコーヒーの匂いが香ってくる。
「ダメだ、痕跡一つ見つからない」
そんなこと言いながらエンリは近くの椅子に両手を上げながら、体を投げた。
「お疲れ様、二人とも」
机に向かい何かの資料を眺めていたキリヤがそう言ってくる。
手を天井につけんばかりに、体を伸ばし、軽くストレッチをするキリヤ。
「お疲れ」
「お疲れ様」
エンリとリアナはどこか疲れた様子でそう答えてくる。
「どうだった、外の様子は?」
「死臭と血で溢れてるよ。地獄の方がまだ綺麗だ」
「そんなレベルなのか」
「それにどこもかしこも壊れてて、移動するのも大変。馬車なんて走れたものじゃないわ」
「そのせいでここに戻ってくるのも大変だ」
「ありがとう、大変な中、リリアを探してくれて」
そうキリヤが頭を下げる。
「気にしないで、あんな知り合いが誘拐されて黙って見てるようなことしないわよ。リリアさんとは短い付き合いだけどあんなに優しくていい人をほっとくなんてできないもの。ねぇ、エンリ?」
「うん?ああ、そうだな……」
そんなふうに話を聞いていたのかいなかったのか、わからない返事をするエンリ。何かを考えているのか、肘をつき、一人の世界に入り込んでいる。
その姿を横目に、リアナはキリヤに聞く。
「そういえば、アリスは?」
「ああ、アリスならウルさんと一緒の部屋で寝てるよ。それはもう熟睡さ」
「そう、ならよかったわ。彼女最近、あんまり寝れてない様子だったから」
「疲れたんだろうね。今日は色々あったから」
「そうね……」
確かに今日はアリスにとってあまりにも濃すぎる一日だっただろう。このバイオテロから始まって、リリアの誘拐、ハージ・ジェルクとの戦闘、母親の死、あまりにも長い一日であったに違いない。
「そうだ!二人とも夕食はまだ何も食べてないよね?」
「え?言われてみれば、何も食べてないわね?」
「なら、さっきオルトさんが食堂からサンドウィッチを作って持ってきてくれたんだ。もしよかったら」
そう言って、キリヤは冷蔵庫にしまったあったサンドウィッチを取り出し、リアナに渡す。
「せっかくだし、いただこうかしら。お腹も空いたしね」
「どうぞどうぞ」
ぱく、リアナが小さくサンドウィッチにかぶり付く。その様は実に可愛らしく、何をしても可愛いのは美人の特権だな、と考え事を終え、自分の世界から帰ってきたエンリは思う。彼女のように目が焼けるほどの美人ならたとえ、ペンを握り手紙を書いているところですら、名匠たちが描いた絵画のように芸術品たり得る美しさであるだろう。
「エンリもどう?美味しいわよ?」
「なら、一つ、貰おうかな」
エンリがサンドウィッチに手を伸ばし、一番手前のを手に取る。どうやらレタスにハム、チーズにトマト、玉ねぎにマヨネーズにマスタードを混ぜたものをソースとして使った、意外と具沢山なサンドウィッチのようだ。マスタードのピリッとした辛さが実に良いアクセントとなり、食欲を誘う。
野菜も新鮮なものを使っているのだろう、レタスは水々しく、トマトは柔らかく、玉ねぎは甘い。それでいて、ハムとチーズがよく合う。
「うまいな、これ」
「ね、オルトさんって料理得意なのかしら?」
「さあ?」
「得意だと思うよ?ホームパーティーに呼ばれた時とか、全部オルトさんの手作り料理だったけど、どれもレストランに負けず劣らずの美味しさだったし」
「女子力高いわね……」
そうリアナがどこか悔しそうに手に持ったサンドウィッチを眺めながらいう。
「それでエンリ、リリアの行方はわかりそう?率直な意見を知りたい」
不意に真剣な面持ちでいうキリヤ。おそらく切り出すタイミングをずっと伺っていたのだろう。もしかしたら疲れた様子で研究室に入ってきた二人を気遣って、ずっと気になって聴きたかったのを我慢していたのかもしれない。
その質問にサンドウィッチを食べる手を止め、答えるエンリ。
「正直、厳しいだろうな」
「厳しいっていうのは見つけるのが難しい的な意味で?」
「いや、性格には誘拐犯が目的を達成するまでリリアを見つけるのが難しいって話」
「目的?」
「ここから先は俺の考えた一つのシナリオの話だけどいい?」
「可能性の一つなら、聞く価値はあるってものだよ」
手に持ったサンドウィッチを三口で食べ切って、話し始める。
「まず、今回の件で最初に考えないといけないことは一つ、なぜリリアが誘拐されたのか。誘拐する以上、何かしらの目的があるはずだ。お金だったり、物だったり、何かの要求だったり。だけど、それらを要求する連絡が今までにないことを考えると、誘拐犯がリリアを誘拐した目的は違う」
「確かに。もしお金とかが目的ならリリアを誘拐するより、貴族や商人を誘拐したりする方が、リスクはあるけど自然な考え方だ」
「となると、誘拐犯の目的はリリアを誘拐した先にあるものではなく。リリアを誘拐した時点で達成している。つまりリリア本人が目的であると考えるのが妥当」
「え、でもそれだと、リリアさんに誘拐する理由があるってことでしょ?別に何かあるようには思えないけど」
「僕も誘拐されるほどのものは思い当たらないかな……」
「いや、一つある。リリアは封霊体質だろ?」
「あ!」
「封霊体質は世界的に見ても稀な体質で、そんじゃそこらにいるものじゃない。多分世界中探し回っても、人生でもう一人見つけるのが関の山、そのぐらいには希少な体質だ。それもそのほとんどが幼くしてなくなるから、リリアの年齢まで成長した人間はおそらく、歴史を振りかっても多くないはず」
「待ってくれ、確かにエンリの仮説は一理ある。封霊体質が目的なら、誘拐犯がリリアを誘拐した理由にもなるだろう。だとしたらだ。誘拐犯はリリアを……封霊体質を何に使うつもりなんだ?」
エンリは一瞬、口を噤む。
そして落ち着いた様子で話し始める。
「もし、俺がリリアを誘拐して、封霊体質を何かに使うなら、目的は一つしか、考えられない」
「それっていうのは……?」
「器」
「器?」
「ああ、神話的存在の器とし使う。つまり、リリアに神話的存在をインストールする。憑依や降臨って言葉の方が正しいかもしれない」
「そういうことか……」
「ひとつ質問いいかしら?」
リアナ、手を上げながら聞いてくる。
「どうぞ」
「リリアさんが封霊体質ってことは理解したは、その上で聞きたいのだけど、誘拐した際の目的に関しては完全なエンリの推測なんでしょ?なら、あまりこういうこと言うことではないかもしれないけど、リリアさんが既に殺されている可能性もあるんじゃないかしら?そんな特異体質なら神話的存在の降臨に、生贄や触媒として使うの可能性だってあるはずよね?」
「いや、それはない。そもそも生贄や触媒は神話的存在の器になるよりも条件がより厳しんだ」
「そうなの?」
「ああ、器に関しては正直な話、なんでもいいんだ。年齢も性別も関係ないし、生きてようが死んでようがどっちでも問題ない。それどころか人間じゃなくて、そこら辺にある人形や石ころでも器としては機能するんだよ。ただ、封霊体質は普通の人間より親和性が高くて、器として優秀なだけ。いわば量産品の器と職人が作った一流の器って程度の差しかない」
しかしその差は大きい。素人目には気づけない価値も職人からすれば一目瞭然の差があるのだ。
「だけど生贄の条件としては、体の一部や魔力量が一定以上、年齢や性別、処女、人殺しの有無、四肢の欠損、身体機能の欠損、特殊な工程を経て加工したものなどの、さまざまな条件があるし、触媒も生贄の条件と似たり寄ったりだけど、そこに価値や触媒となるまでの経緯とか、込められた感情や時間だったり、もっと概念的な条件が強くなってくる。だから、生贄や触媒を必要とする神話的存在によって条件は変わるけど、多分この中で一番、生贄に近いのはリリアよりもリアナだろうね。年齢的にも性別的にも、魔力量的にも」
最もスタンダードな生贄の条件は15~18歳の間で女性、高い魔力を持った人間だ。これはリリアよりもよりリアナの方が条件に近い。年齢に関してもリアナは既に二十を超えているし、魔力量に関してはリリアよりも遥かに高い。生贄として使うなら儀式の成功率が高いのは明らかにリアナの方だろう。
「それに封霊体質の人間を生贄に捧げるとか、受け取った側からすれば、中身に何が入ってるかわからないから、迷惑なんだよ。もし、中身が自分より高位の存在だったら逆にとって食われる可能性もあるわけで。実際に、過去には何度か知らずに封霊体質の人間を生贄にして、受取拒否や問題が起こった事例もあるんだよ」
「そうなの、生贄を受け取る方も色々あるのね……」
まあ、現在ではほとんどの国で生贄を用いた儀式等は禁止している。それはもちろん、人道的理由もあるが、ただ単に神話的生物の復活や召喚は国に対して不利益が大きいというのもある。
しかし一部の国では特殊な例においてのみ生贄を承認している国も少なからず存在している。
「まあ、このシナリオで行くとリリアは神話的存在の大事な器だ。少なからず傷つけられるようなことはない。一流の職人が作った受け皿も少し欠ければ単なるガラクタだからな。ただ問題はここからだ。リリアを誘拐した理由はわかる。ただ、なぜ、バイオテロなんかを起こした?」
「待って、エンリはこのバイオテロの犯人とセレンの誘拐犯が同一人物だって思ってるの?」
「ああ、だって、そうでもしないとこんな異常事態で、誘拐を決行するか?」
「それはほら、この混乱に乗じたとか」
「なら、なぜセレンの前で誘拐する必要性がある?混乱に乗じたのなら、誘拐の発覚を遅らせたかったはずだ。捜査の妨害の意図があったとしても、それなら尚更、気付かずに誘拐しべきだ。それに、誘拐犯は念入りに痕跡を決してる。まるで誰にも今いる場所を悟られたくないように……」
ふとエンリが何かに気づいたかのように二人への説明を放棄して一人思考始める。
そしてそこにどこか小さな足音が廊下の方から聞こえてくる。リアナとキリヤの視線は自然と、そちらへと向かい、扉を開けて、一つの影が現れる。そこにいたのは、白のワンピースのような服を着た白髪と緋色の瞳の少女であった。手にはいつしかの『賢者の天秤』の襲撃で壊れリアナが慣れない裁縫で直したクマが握られている。
「アリス?どうしたの?」
リアナがアリスの方へと駆け寄り優しい声音で話しかける。それにアリスはまだ少し眠いのか目を擦りながら、言う。
「なんか目が覚めちゃって……胸騒ぎがするの……」
「胸騒ぎ?」
「うん、なんか世界の気配が変わっていくような……」
「今日は色々あったからね。体に異変があってもおかしくない。僕が一度、見てみようか?」
アリスは横に首を振る。
「少しここにいていい?」
ただそう聞いて、リアナたちは首肯した。
「何か飲む?」
「ココア……」
「エンリも飲む?」
「うん?ああ、ならコーヒーでももらおうかな?」
「キリヤさんは?」
「いや、僕はまだ残ってるからいいよ」
そう言って机の上に置かれたコーヒーカップを見せる。
部屋の窓側に置かれた魔導具でお湯を沸かす。静かに水が沸けていく音が聞こえる。光のゆらめきがお湯を沸かす給湯器の影を揺らす。
「綺麗な赤き月……」
リアナが呟いた。
その呟きは静かな部屋にゆっくりと溶けていく。
窓の外には紅く輝く月が今宵の夜を照らし出している。
「は?」
不意にそんな声が響いた。
エンリが立ち上がる。
「リアナ、今なんて言った?」
「え?『綺麗な赤き月』って……」
「そんなはずがない。今夜は新月だぞ?」
「新月って、現に赤き月が……」
リアナがセリフを言い終わる前にエンリは窓の方へ駆け寄る。部屋の緊張感が徐々に高まるのつつあるのをキリヤは肌で感じていた。
そして身を乗り出すようにエリンが窓の外を見る。
瞬間、その顔面から赤みを失っていく。頬には冷や汗一つ流し、その横顔を見ていたリアナはこれまでにないほどエンリが慌てていることがすぐに理解できた。
「リアナ……」
「な、何よ?」
「あれは『赤き月』じゃない……『紅き月』だ」
その言葉の意味を三人はすぐに理解できなかっただろう。『紅き月』なんて言葉、そう聞くようなものでもない。むしろ人生において一度も聞かない可能性はもちろん、聞かない方がいい言葉かもしれない。
「そうか……だから、あの人は痕跡を徹底的に消したのか……」
何かに納得するエンリ。
ドンッ!そんなまるで心臓を突き上げるような衝撃が不安が体を貫いた。外を見る。紅き月にヒビが入り、その隙間から赤紫の何かが溢れ出ているのが見えた。
その瞬間、エンリは咄嗟にリアナに覆い被さるようにして、地面に押し倒す。
「きゅ、急にどうしたの!?」
「目を瞑れ!二人も目を瞑って、体を低くしろ!」
リアナ、キリヤ、アリスにそう叫んだ。椅子に座っていた二人は何が何だかわからないまま、エンリたちのように腹ばいになる。
次の瞬間、低い低音を鳴り響いた。それはまるでラッパのような下手なバイオリンのような耳を塞ぎたくなるような音。それが世界に広がり、まるで嵐のように一瞬で通り去っていく。
1秒の不快な音の後、何かが波及した。それは大気か、空間か、それとも時間か。少なからず何かが揺らいだのを感じた。
爆ぜる。そう言い表すしかなかった。まるで崩れた均衡を取り戻すかのように、張り詰めた布の上に重い物を落とした時のようにガラスが歪んだのだ。そして反発、ガラスはもちろん、粉々に砕け散り、地吹雪のようにガラスが周囲に散乱する。その威力は優に人体を貫通しいうる威力である。
「え!?」
「きゃっ!?」
「なに!?」
突然のことに三人は驚きの声をあげる。突然のことに恐怖よりも先に驚きが来た。わけがわからない、それが率直な感想であったが、何かが起きていることは瞬時に理解できた。
時間にして10秒ほど経ってから、エンリがゆっくりと立ち上がる。三人もそれに合わせるようにして立つ。あたりには砕けたガラスが散乱し、研究室と廊下の境目であったガラスの壁はなくなり、まるで一つのフロアのようになる。窓ガラスも綺麗に砕け散って、随分と風通しが良くなっている。そのほかにもビーカーやプレート、レンズや薬品の入った瓶まで砕けてしまっている。見たかぎりこの研究室に存在している全てガラスが砕け散ってしまっていた。
それと同時に至る所から阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる。
「これはひどいな」
言葉を溢す。
「三人とも、目は見えるか?」
「僕は大丈夫だけど」
「私も大丈夫よ」
「見えてるよ……」
「ならいい」
ありとあらゆる警報が鳴り始める。
「早くしないと、医療インフラが終わるな」
「どういうこと?」
「さっきの音は実際には音と認識できるほど濃密な魔力の塊なんだ。あれをまともに喰らうとガラスや水晶、それに準ずるもの等々が破壊される。魔導具の内部にはガラスや水晶を使ってるものが多いだろ?治療系の魔導具なら尚更。それが全て破壊されたとなったら、後は言わなくてもわかるだろう?」
「あ、ああ。まずいな……」
「それにあの音は人間の水晶体を破壊する。三人は俺が守ったから無事だったけど、外の人たちは今頃、まともに輪郭も認識できない白く霞んだ世界を見てるはずだ。もちろん、医者も病人も避難してきた人たちも、平等に」
「つまり、この研究所内で無事な医者は僕だけの可能性があるのか……」
「いや、この街でだ。それで聞きたいんだが、水晶体を治した経験は?」
「多くはないかな」
「だけど治したことはあるわけだ。なら問題ない。アリス、キリヤを手伝ってやってくれ」
「わかった」
「よろしくね、アリス」
「うん……」
「リアナ、大至急、地図を持ってきてくれ。できる限り詳細な奴をだ」
「わかったわ。それであんたはなにをするわけ?」
「俺は、セレンを探してくる。リリアを見つけるにはあいつがいないと始まらない」
そういうと先に部屋を出ていったキリヤとアリスの背中を追うようにエンリが踵を返した時、
「み、みんな、いますか!?なにも見えなくなっちゃって、いたら返事して下さい!」
その声の主は紛れもないセレン本人であり、これから探しに行こうとしていた人物そのものである。渡りに船とはまさにこのことだ。
へっぴりごしでジリジリと前に進む様子は、どこか小動物が怯えているように見えて、オドオドと震えるその声は不安感と恐怖心を隠しきれていなかった。
「いいところに来た、セレン!」
「え、エンリさん!?そこにいるんですか!」
「ああ、ちょっと待ってろ、今、手を引いてやる」
そう言ってエンリはセレンの手を引き、今や部屋の意味をなしていない研究所内の椅子に座らせる。
「大丈夫、セレン?」
「その声、リアナ?」
「うん、よくその状態でここまで来れたわね?」
「魔力で周囲状況は認識できるからね。流石に視界ほど視野は広くないし、顔までは分からないけど。移動するぐらいには困らないよ」
「それにしてはへっぴり腰だったけどね」
「そりゃあ、急になにも見えなくなったら、怖いわよ」
そんなたわいのない会話をして、リアナはエンリに頼まれていた地図を探しに部屋を出ていく。
「セレン、今なにが見えてる?」
「え?なにも見えてないけど?。真っ暗闇だよ」
「そうか……セレンは、この街にある神話的存在の場所を覚えてるような?」
「うん。一応軍が把握しているものは全て」
「リリアの座標は未だにはっきりしないままか?」
「そうだね。でも動いてる様子はないよ。多分地下のどこかにいると思う」
「なるほど、とりあえず、なにをするにもその目を治さないとだな。なにも見えないんじゃあ、地図で場所の確認すらできない」
「治せるの?」
「やったことはないが、試してみる」
そう言ってエンリはトランクケースを開き始める。それを慌てるようにして止めるのはもちろんセレンだ。
「え、ちょ、待って!」
「なんだ?」
「治したことないの?」
「前に毒で失明した自分の目を霊薬で治したことはある。自前の技術で直すのはこれが初めてだ」
「もちろん、成功するよね?」
「安心しろ、『賢者の天秤』との戦いで瀕死だったお前たちを一体誰が延命していたと思う」
「そう、そうだよね!あの時、エンリが頑張ってくれていたんだもんね!大丈夫だよね」
「ああ。だけど、失敗しても訴えるなよ?」
「なんで!?ねぇ、なんで今、そんなこと言うの!?」
椅子から立ち上がり後退りするセレン。
それを宥めるようにエンリがいう。
「怖いのもわかる。素人の治療ほど怖いものはないって。だけど、俺は知識ある素人だ」
「結局素人じゃん!なんで、あれだけの延命処置ができて、目の治療にそんな不安を残してるわけ!?」
「仕方がないだろ。目が見えない状態で、治療なんできるわけないんだから。目だけは自分で治療した経験がないんだよ」
「それは……そうか。……いや、そもそもなんで自分の怪我を自分で治療する経験があるの?」
「人間、生きれてば傷跡に絆創膏の一つでも貼るだろ。それだよ」
「納得できない……」
「納得できなくて結構、覚悟を決めろ、セレン。軍人だろ!」
「そんな、男の子だろ、みたいなノリで言われても……!」
後退りをし続けるセレンに絶妙な間合いで壁へと追い詰めていくエンリ、その手には謎の注射針とピンセットが握られている。もちろん、魔力で周囲を感知できているセレンにはエンリの手に持たれているそれの具体的な用途は分からなくても、何かまでは理解できた。
その注射器の針がセレンの目前にまで届いた頃、どこか呆れた声が研究室に響く。
「随分と楽しそうなことしてるわね?」
エンリが振り返る。
そこにいたのはオルトであった。
「その声、オルトさんですか!助けて下さい!このままじゃ、エンリさんに目の治療をされそうなんです!」
「ああ、あなたもさっきの魔力で目をやられた口ね」
そう言いながらセレンの頬にそっと手を伸ばす。淡い緑のような魔力がセレンを包む。それと同時に感じた確かな霊力をエンリは顔には出さないものの内心驚く。
霊力を使える人間は限られている。魔法使いや魔術師、錬金術師なんかは魔力の運用こそ特であっても霊力を使える人間はそういないだろう。むしろ霊力を感知できる人間すら稀かもしれない。元々は神々や天使などが使う力であり、人間では主に、シスターや神父などの教会の人間、聖女と呼ばれる神話の域に足を踏み入れている存在、神話的存在の力を宿した人間などそれこと特殊なケースがほとんどであり、基本的に霊力は魔力や神力などとは違い、訓練を経てその力を感知できるようになる代物である。そのため、一般人が霊力を使えるのをみるのは実に珍しいことである。
それもオルトが今使ったのは魔力と霊力による併用魔法神術の治療型。下手をすれば、霊力が魔力回路を通るためその難易度は並の魔法とは比較にならない。
オルトは先ほどの魔力で目の水晶体も破壊されていないようだし、おそらく相当の実力の持ち主であることは間違いないだろ。もしかしたら過去に神話的存在と会った経験があるのかもしれない。霊力は神話的存在と遭遇したことがある人間は知覚しやすくなると言われているし、過去に似たような経験があったからこそ、先ほどの魔力で水晶体が破壊されることを知っていて、避けれたのかも。もし、知識だけであの魔力を回避したのならそれはそれで怖いが、オルトならできてしまいそうだなと思えてしまうところもある。
むしろオルト自身が神で同じことができるから……なんていうくだらないことを考えてみたりもする。
「あ、あれ?見える。見えますよ、目が!」
「それは良かったわ」
「ありがとうございます、オルトさん!ほんとなんとお礼を言ったらいいか!」
セレンはオルトの手を握りぴょんぴょんと飛び跳ねる。そんなに俺の治療が嫌だったのか。流石の俺も、適当な治療で知り合いの目を無駄にしたりしない。ある程度の確証がないとやろうとは思わないさ。これでも人並みの常識はあると思っている。
「それとエンリ、あなたもあまり無理するものじゃないわよ」
そう言ってオルトはエンリのこめかみに手を当てる。するとセレンと同じ淡い緑のような魔力と霊力がエンリを包む。
「気づいてたのか」
「これでも医者ですもの、怪我人ぐらい見ればわかるわ」
どうやら医者の目を誤魔化すほどの演技力はエンリにはなかったようだ。
そう先ほどの魔力でエンリの左目はほぼ視力を失った。左目が映す世界は白く霞んだ曇りガラスのような世界となり、左半分の世界がうまく見えない状況となっていたのだ。 もちろん万全の防御を施したつもりだった。だが所詮はつもりだったらしい。まるで俺を念入りに潰すかのように来た想像の上をいく魔力は自分に施したいくつかの防御結界を魔力の量と質だけで押し切り破壊、右目は途中でより強固な結界などを張ったため無事だったが、左目は間に合わず、そのまま水晶体を破壊される事態となった。
「え!?そんな状態で私の目を治療するつもりだったんですか!?」
「安心しろ、俺は魔力で二次元情報まで認識できる」
魔力で二次元情報を認識できるというのはつまり、目を使わず、魔力だけで地図や紙に書かれたものを読み取ることができるということである。これは魔力操作に長けた人間でも極めて難しいものであり、セレンの三次元情報の数段上の凄さを有している。
「え、すごい……じゃなくて、だとしてもやめてください!普通に怖いです!もしするなら説明の一つぐらいしてからにしてください」
説明すればやってもいいのか。むしろそれだけ信頼してもらえているという証なのかもしれない。ありがたいことだ。
「それじゃあ、私は目的のものも手に入ったし、行くわね。あーあ、これからの薬品や機器の管理について考えないといけないわね」
そう言ってオルトはいくつかの机と棚を漁って、使える薬品と道具を抱えるだけ抱えて、部屋を出ていく。どうやら使えるものをかき集めているようだ。やはり予想通り、医療インフレが崩壊寸前のようだ。そうでなければ、実験用の薬品や本来医療用とでない裁縫用の針まで持っていくわけがない。ありとあらゆる薬や道具が足りていないのだろう。となるとアリスをキリヤに同伴させたのはやはり間違いじゃなかったかものしれない。
アリスなら理論上『ルーゼルバッハの石』でこの世に存在するほぼ全ての薬品を生成できるだろう。もちろんそれを扱え切れるほどアリスにはまだ錬金術の技術はないため、できて精々道具の修理や生成ぐらいだろうが、役に立てることには間違いないはずだ。
「それでエンリさん、私に何かようですか?」
「うん?ああ、そうだった。この街にあるベガ神話に関する神話的存在が何個存在しているかを知りたい」
ベガ神話、天使、悪魔、神獣というを内包せず、世界で唯一邪神のみで構成された神話。その多くの神が別神話の神や人間、天使等に討たれ今なおこの世界に封印されている。メイリス神話の大聖人イシュルタが齢67の時に改宗し始めたことで有名。教典は『メルッカータ』と呼ばれる書物の序文の11の文章、象徴は激しい渓流、代表讃歌は『暖かき昼より冷たき夜』、教会は無く、礼拝は夜の11時から12時の間に月に向かって行うが、新月の際は行わない。世界に残したものといえば祝福よりも負債の方が多い。
「ベガ神話ですか?そうですね、この街は他の街に比べてベガ神話由来のものが多いですから。物品として残っているのが16個、場所として残っているのが7個ですかね」
「なるほど」
「エンリ、地図持ってきたわよ」
リアナが戻ってくる。ありがとう、と小さく返し、地図を受け取る。そして、机の上に転がっていたペンをセレンに渡すと、ベガ神話にまつわる場所の位置を記述してもらう。
「ざっとこんなもんですかね」
「この中に、神話的存在が封印されてたり、降臨に使ったりする場所は?」
「そうですね、軍に保存されている『キッシュの石板』は邪神の降臨に必要な触媒でミルク地区の『ウーライス』は邪神を地中に縛り付ける杭です。あとは地下にある『ガルの尺骨』と『ガルの橈骨』もそうですね」
「それでベガ神話の該当する場所は終わりか?」
「はい、少なからず、軍が把握していて、封印や降臨に必要なものはこれだけですね」
「想像より少ないな。この中で警備が常駐してるものってあるか?」
「ありません。『キッシュの石板』は軍の基地で管理しているので警備が常駐しているといえばしていますが、別に保管場所の前に軍人が立ってたりはしませんね。もちろんセキュリティシステムはありますけど」
「ならベガ神話に関する儀式に関係するものは?移動できるやつは除外して」
「思いつくものはありませんね。儀式に関係するものはいくつかありますよ、触媒やら呪文書やら」
「そうか……」
そう言ってエンリは地図に視線を落とす。
ベガ神話の最大の特徴として神々の降臨、再臨時には『紅き月』が夜空に現れると言うものがある。実際、外にある月は明らかにベガ神話の神々の降臨もしくは再臨の予兆であり、そこに疑う余地はない。これはおそらく誘拐犯がリリアを使い儀式を開始したと考えて間違いないだろう。
もしこれが別の人間がまた別の計画で行われているものだった時はもう知らない。今日一日で一体何個、問題が起これば気がするんだと、頭でも抱えよう。
それで空に『紅き月』が現れたことにより、誘拐犯の目的がベガ神話に関わるものだとわかり、それが儀式によるものでその目的は神々の降臨だと分かった。だとしたら、誘拐犯が念入りに痕跡を消したのも、セレンの目の前で誘拐を強行したのも、何時間もの間、動きがなかったのも説明がつく。
痕跡を消したのは儀式を行う場所は決まっており、移動できない。そのため見つかった場合、面倒になるのが分かっていたため。セレンの目の前で誘拐したのは事件が明るみに出ることよりも、儀式に使うリリアの確保を優先したため、わざわざ待たなかったのは何か急ぐ理由があったのだろう。何時間もの間、動きがなかったのは儀式を始める条件があったのだろう。たとえば新月の夜などそういった条件だ。
ここまではわかる。ここまではわかるんだ。だが、もし誘拐犯がバイオテロと同一犯だとするなら、なんのためにバイオテロを行ったのか理解ができない。騒ぎを起こして一体なんの徳がある。
個人的には警備を排するのが目的かと思っていた。これだけの大事になれば警備の軍人たちもいつもの持ち場で立っているだけにはいられないだろう。盗みたいことがあるなら、今が盗みどきと言わんばかりにありとあらゆる場所の警備が薄くなっているだろう。もちろん、こんな事態では空き巣も化け物の仲間入りになっているだろうがね。
少なからず、これが理由ならバイオテロを起こした理由も理解できなくなはない。まあ、たかが数人の警備にこんな大事を起こすかと考えると少し違和感が残るが。
結局のところ、セレンお話からベガ神話に関わる場所で警備が常駐している場所はないって話だし、話はまたもや振り出しに戻ってしまった。
まさかバイオテロと誘拐犯は別物なのか?
そんな考えが脳裏を過った時、リアナが言う。
「ねえ、エンリ、ベガ神話の話ならシルバルサ城にレプリカがあった『レンヴェルク』の封印もそうじゃないの?あれも一応、ベガ神話の邪神よね?」
「えぇ?『レンヴェルク』はナルシャ神話の神だったと思うんだけど?」
「いや『レンヴェルク』の伝説や神話はナルシャ神話の神によって討たれたからナルシャ神話に内包されてるだけで、『レンヴェルク』自体はベガ神話の神だ」
「そうよね!前三人でシルバルサ城に観光に行った時に見た『レンヴェルク』の解説に書いてあった気がしたの」
「と言ってもあれはレプリカで本物は……セレン、まさかあるのか?」
「はい、残念ながら……」
「場所は?」
「今まさにリアナが言った場所、シルバルサ城の地下です」
「は?」
言葉を失うエンリ。
「何かの冗談か?」
「本当です」
「え、軍は神話の時代に2度世界を滅ぼした邪神が封印されている場所を観光地にしたのか?」
「だからシルバルサ城は他の場所より軍の警備が多いんですよ。この事実を知っているのもこの街に駐在する軍人の中尉以上の軍人と軍上層部の一部、冒険者ギルドの上層部と情報規制はされていますし」
言われてみれば、城の中は街中と違い、まるで軍基地の如く軍人の数が多かった。一つ柱を挟むごとに軍人が立っていたり、巡回をしていたり、それはただ単純に古代の遺物など貴重品が多いがゆえの警備だと思っていたが、どうやらもっと大事なものを守るため、監視するための警備だったらしい。
となると城を一般開放して観光地にしたのは、変な噂が生まれて、この事実が露呈しないようにするためだろう。
「いや待て、となると今、城の警備は?機能してるのか?」
「機能はしているはずです。バイオテロの発生時に無線で軍人の招集命令が出されましたが、城の警備は例外で、全員が来るわけじゃないんです。もちろん警備の人数自体は減りますが、城へと続く道は閉門されるし、橋もあげられますから一般人は入れなくなります。そのため最小限の人数で穴を開けずに警備を回せるんです。地下に入るための入り口も一つしかありませんし」
「だが、人数が減った分、戦力も減るよな?」
「でもあそこにいる警備は万が一に備え、一定以上の実戦経験と実力を持つものだけで構成されています。確かに戦力は減りますが、並の実力では潜入は愚か、侵入すら難しいかと」
「あくまで難しいだけだろ?不可能じゃない。少なからずハージ・ジェルクなら必ず突破するぞ」
「それはそうですが……」
「『レンヴェルク』が封印されている場所は封印陣は存在しているか?」
「え?どうでしょう……私は入ったことないのでわかりませんが、伝承通りならあると思いますよ」
「中に魔力妨害用の術式は?」
「いくつかあるはずです。でも神話の時代の産物ですからいまはもう失伝した技術も使われていると聞いてます。そもそも部屋に使われてる材質が魔力不導体ですから外部からの魔力は攪拌されて。探知魔法や感知魔法と知った魔法はもちろん、魔術での確認もできません」
「となるとセレンの座標魔術があやふやのにも説明がつく。『紅き月』が出ているということは確実にベガ神話の邪神の降臨や再臨もしくは復活。もしこれが『レンヴェルク』の復活となると『紅き月』にも説明がいく。痕跡を消したのは封印されている場所から動けなかったから。あの人がセレンの前でリリアを無理やり誘拐したのは時間制限があったから。俺から液体魔力を盗んだのは儀式の際に大量の魔力が必要だったから」
全ては状況証拠で確実たるものは一つもないが、『紅き月』が空に浮かんだ以上、時間はもはやそう多く残されていない。あれが浮かんだ時点で、ベガ神話における何らかの神話的存在が降臨するのは確定している。
確実性が惜しくても、一応全ての理由に説明ができる。多少粗が目立つ推理だとしても今は他に該当する場所も、これ以上に確証を持てる推理もない。ゆえに今、それに追い縋るしかない。
そして閃く。
「待て、セレンさっき地下への入り口は一つしかないって言ったよな?」
「ええ、そう言いました」
「他のベガ神話にまつわる場所で地下のような周りに逃げ場がなく閉鎖的な空間で入り口が一つしかない場所ってあるか?」
「少し待ってください……一応、『ウーライス』は完全に地下に埋まってる杭ですが上は開けた場所ですし、閉鎖的空間にあるとは言い難いですね。地下都市にある『ガルの巨像』も地下で閉鎖空間といえば閉鎖空間ですが、地下都市に行ったならわかると思いますが、閉鎖空間とはいえないぐらい広いです。それにガルの巨像がある部屋に入る入り口は一つですが、周りにはいくつも部屋や廊下がありますし、条件に該当するかどうかは人次第って感じですね」
「なるほど、その二つに警備は?」
「いません」
「なら、あの人がいるのはシルバルサ城しかない」
「なんで言い切れるんですか?」
「誘拐犯が今回のバイオテロを起こした犯人と同一犯として考えた場合、バイオテロを起こすことによる明確なメリットが存在する。それは誘拐犯が浸透魔法の特性だ」
「浸透魔法の特性?」
「ああ、浸透魔法は自らの体を世界に溶かす。理論上ありとあらゆるものをすり抜けることができるが、すり抜けた先に空間がないと生き埋めにない窒息する。そして魔法であるがためにその使用時には必ず魔力を使うことになる。なら浸透中に魔力不導体を通り抜けようとするとどうなると思う?」
「なるほど、魔力不導体は魔力を反対側へ通さない。つまり浸透中は魔力不導体が使用されている部屋の内側へ行くことは不可能」
「ああ、もし無理矢理通り抜けようものなら、魔力が魔力不動体の壁にぶつかり、実体化した肉体が地面に叩きつけられたトマトみたいな状態になって、生き埋めにされる。そうなると本来の入り口から入るしかない」
「確か入り口には魔力不導体の他に十八霊錠戒に解術、十六進法の占星術仕掛け、隙間から侵入することもできません」
「となると、誘拐犯が自分の手で扉を開けないといけなくなるな。魔法を解いて。そうなると警備の人間と戦闘になる確率が上がる。バイオテロで戦力を削ったのにも納得がいく」
「いや、多分戦力を削ったのは戦闘の確率を下げるためではなく、戦闘を優位に進めるためだと思います」
「なんでだ?」
「『レイヴェルク』が封印されている地下室の前には警備兵が立っていますし、もしその警備兵だけを倒しても、時間になれば巡回の警備が来ます。その上、警備を行なっている軍人同士は三時間毎に連絡を行い異常がないことを確認しています。その連絡がなければ、異常を発生として即座に、軍基地へと連絡する手筈になっているため、もし『レンヴェルク』が封印されているシルバルサ城の地下室に侵入したければ、城内を完全に制圧することが必要不可欠です。この状況であれば、完全に閉ざされている城の様子を、わざわざ他の軍人が確認しに来るなんてこともないでしょうし、城内さえ制圧すれば軍は、少なくとも今日一日ぐらいは異常に気付かない可能性が高いです。現に今までにシルバルサ城で異常が発生したなんて報告を受けていませんから、もしエンリさんの推理が当たって、リリアさんが誘拐犯と共にシルバルサ城にいるならおそらく城はすでに敵の手かと」
「なるほどね……」
「とりあえず、確認のため、人を集められるだけ集めてみます。もし警備を全員倒しているなら相手の実力は相当なものでしょうし、こちらも準備が必要です」
「いや、そんな時間はない。『紅き月』が空に現れたということはすでに『レンヴェルク』の復活の儀式は始まってる。次の瞬間には復活してもおかしくない。それにシルバルサ城にいるというのは、あくまで俺の推測だ。他の場所にいる可能性もゼロじゃない。だから軍には他のベガ神話にまつわる場所を探してもらった方がいいだろ」
ベガ神話の『紅き月』は邪神の降臨や復活時にしか現れない。ゆえに今からこの世界に顕現しようとしているのは確実に神であり、それ以外にはあり得ない。そのため、シルバルサ城だけに焦点を合わせてしまうと、もしこの推理が外れていて、別の場所だった場合、邪神の降臨を止めることは難しくなるだろう。
そのため時間を無駄にしないためにも軍にはリリアの捜索、ひいては『紅き月』が現れた原因の捜索を続けてもらった方がいいだろう。
「とりあえず、シルバルサ城には俺が行く。邪神が降臨する前だったらまだどうにかなるだろう。リアナ、ついてきてくれるか?」
「任せて」
そう言ってリアナはリリアを探している時に補充したカートリッジの一つを大剣にセットする。
「そうだ、セレン。お前が使ってる無線機の周波数って何?」
「えっと、101f367Nek番ですね」
セレンが無線機を確認しながら教えてくれる。
しかしその頭にはどうやら疑問符があるらしくエンリに聞いてくる。
「でもどうしたんですか?無線機の周波数なんて」
「ん?いや、俺も無線機を作ってみたから、試運転を兼ねて使ってみようと思って。何かあったら、連絡するよ」
「そうなんですか……うん?作った?」
「エンリ、あなたサラッとおかしなこと言わなかった?」
二人はどこか不思議そうな表情を浮かべる。
エンリの手にはセレンが使っているものとは違う手作り感満載の無線機が握られている。大きさはセレンが使っているものより若干小さく、握りやすいように側面には両面テープで固定されたグリップ、アンテナは透明なパイプの中に銀線とガラスパイプを使用した開放式のものを使用。周波数などの調整は衝撃に強く砂地や湿地帯などでも使えるように入力式ではなく、頑丈で腰などに固定すれば片手で操作が可能なダイヤル式。用途に合わせてカスタムができるよう用意した拡張端子は、別途で作成した魔導具と合わせることで無線傍受や無線妨害を起こすことも可能。
「作ったって、それを?」
「ああ」
「無線機ってそんな簡単に作れるんですか?」
「人間、知識と材料があればなんでも作れる」
「そういうものなんですか?」
「そういうものだよ。できればもう少しクオリティーを上げたかったけどね」
「個人で作ったものとしては十分すぎると思いますけど……あれ、でももし地下に入ったなら魔力不導体が邪魔して連絡取れないんじゃないですか?その時は一度地上に上がって連絡を?」
「いや、この無線機、どんな状況でも連絡が取れるように、神力も使えるようにしてるから問題ない」
「え、でも私たちの無線機って魔力の周波数を受信してるから連絡できるだけで、神力での連絡は無理だと思うんですけど?」
「安心してくれ」
そう言ってエンリはトランクケースを開く、中から縦50センチ横30センチ高さ40センチほどの箱型の魔道具を取り出す。
「これで神力の周波数を魔力の周波数に変換する。一度、この魔導具を通すわけだから少しラグが大きくなるけど、まあ許容範囲ないだろ」
「これも自作ですか?」
「もちろん」
「えぇ……」
セレンの表情には色濃く困惑が映る。
そしてエンリは変換用の魔導具を適当な場所に設置して、起動し、正常に動くことを確認してからトランクケースをいつものように手に持ち、研究室を出る。
「それじゃあ、セレン何かあったらその時は連絡するからよろしく」
「わかりました。エンリさんもリアナも気をつけてください。私たちもベガ神話ゆかりの場所を重点的に探してみます」
「ああ、よろしく」
「セレンも気をつけてね?」
「うん」
そう言ってエンリとリアナは研究室を後にした。
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