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刃の尾

 松明が赤の光を照らす廊下でアンクレイ博士を抱えながらアリスは一人、エンリの帰りを待っていた。

 なぜアリスが廊下にいるかのとかというと、5分ほど前に起きた空気が裂けるような音と大きな揺れで部屋の中の瓦礫の山が崩れ、咄嗟に白銀糸で切断し塵としたが、危うく潰されたかけたため、自分の安全確保のため部屋の外へ避難してきたのだ。

 そんな彼女の姿は、壁を背もたれにしどこか不安げである。


 「エンリお兄ちゃん……」


 瓦礫を崩した揺れはおそらくハージ・ジェルクとエンリの戦闘によるものだとアリスは理解していた。だからこそ不安で仕方がない。アリスはアンクレイ博士、ひいてはハージ・ジェルクとの戦いでこの遺跡の強度を身に染みて感じている。だからこそこれほど大きく揺れるほどの攻撃とは一体、どんなものなのか。エンリは無事なのか。

 心配で心配でたまらない。


 カラン。そんな音が誰もいないはずの廊下に響いた。

 アリスは立ち上がり、咄嗟に白銀糸を錬成、音がした方を見つめる。

 廊下は松明がついているものの仄暗く、少し離れればそこはもう完全な暗闇で何も見ることはできない。


 「……誰かいるの?」


 そんな問いかけに返事は返ってこない。

 壁に触れ、松明を錬成、壁に掛けられた松明から火をもらい、音が聞こえた方へ投げる。

 木の小気味のいい音が響き渡り、音が聞こえた周辺を照らし出す。

 そこにいたのは一匹のネズミ、どうやらネズミが廊下にあった小石を蹴ったらしい。

 胸を撫で下ろし、緊張の息を吐くと暗闇の奥から音が響いてくる。


 その音は途切れない。足音だ。

 誰かがこちらに向かって歩いてきている。

 その事実に気づいた瞬間、アリスは周囲に白銀糸を張り巡らす。この足音がエンリのものであればいいが、もし別の誰かだったら、ハージ・ジェルクやその仲間、また別の人間だったら。どんなにエンリを信じていようと、暗闇に一人いれば不安な考えは尽きないものだ。

 間合いに入れば、いつでも寸断できる。


 先ほど投げた、松明が足音の正体を映し出した。

 そこにいたのは黒い髪の少年。左手にトランクケースを持ち、右手に灰色の髪をした男を担いでいる少年だ。


 「エンリお兄ちゃん……!」

 「遅くなって悪い」


 アリスは安堵したように警戒を解き、エンリに抱きつく。

 アリスの反応に若干戸惑いながら、少し横目で壁の方を見た後、視線をアリスに戻して、悪かったな、とポンと頭に手を置く。

 10秒ほど抱きついたあと、アリスはエンリから離れ、担いでいるハージ・ジェルクの方を見た。


 「死んでるの?」

 「うん?いや、生きてる。……やっぱり憎いか?」


 エンリは聞いた。


 「うん、ちょっぴり」

 「許せないか?」

 「うん、許せない。殺せるなら今、この場で殺したい」

 「今なら、誰にも気づかれない」

 「エンリお兄ちゃんがいる」

 「怪我人から目を離したうちに首がなくなってるなんて日常茶飯事だ」

 「……今、復讐っていう免罪符を使ってハージ・ジェルクを殺したら、多分、最高の気分になれる。『ざまあみろ』って言えたら、もう最高。だけどそんなことでお母さんの名前を汚したくない。感情だけで動きたくはない」

 「そうか……」

 「ありがとう、エンリお兄ちゃん。チャンスをくれて。だけど私には必要ない」

 「了解。ならこの話はここまでだ」


 そういってエンリは担いでいたハージ・ジェルクに地面に置き。

 眠っているアンクレイ博士のそばに近寄る。


 「博士、あなたの最後の願い確かに、聞き届けました。これからは俺があなたの代わりにアリスを守ります。見守ります。だから安らかに眠ってください」


 そういうとエンリは立ち上がる。


 「アリス、帰るぞ。みんなが待ってる」

 「ちょっと待って、リリアお姉ちゃんを助けないと!ここいるはずなの!」

 「ああ、やっぱり、誘拐の件だったか」

 「やっぱり?」

 「あー、えっと……少し言いにくいんだが、アリス。それ勘違いなんだ」

 「え?」

 「多分、身近な誰かを襲うとでも脅されたんだろ」

 「うん」

 「それで、リリアが誘拐されたというセレンの知らせを聞き、自分を急かすためにハージ・ジェルクが行動を起こしたと思った。そしていてもたってもいられず、ハージ・ジェルクが約束に提示してきた場所へ向かった。アリスが焦ったってことは期限は今日か明日ぐらいだったのかな」

 「期限は今日で、理由はエンリお兄ちゃんの言った通り……」

 「だろうな。優しいお前だ。焦るなって方が難しいだろな。まあ、次回からは最後まで話を聞こうな」


 アリスは「はい」とどこか恥ずかしがっているような声でそう呟き、小さく首肯した。


 「さて、どうやって地上に出たものか……」

 「エンリお兄ちゃん道わからないの?」

 「まあな。この広い遺跡でアリスがどこにいるかなんてわからなかったから、探知魔法でアリスがいる場所を見つけて、壁と天井をぶち抜いて、直接向かったから」


 その言葉にアリスはそう言えばここにやってきた時にエンリが天井を破壊して降りてきたことを思い出す。あの時は特になにも思わなかったが、天井を壊して部屋に入ってくるとは随分と大胆なことをする。


 「アリス、道わかる?」

 「任せて」

 「頼りになるな」


 エンリにそう言われて少し誇らしげなアリス。そしてすぐにどこかもの悲しげな表情をした。

 不思議に思ってエンリは聞く。


 「どうした?」

 「お母さんは……」

 「アンクレイ博士を一人こんな暗い地下に放置なんかしないさ。お前にとっては母親だが、俺にとっては恩人なんだ」


 そういうとエンリはアンクレイ博士を抱き抱えた。

 そしてアリスに聞こえない小さな声で「それに約束もあるしな」とつぶやいた。


 「あれ?ハージ・ジェルクはじゃあどうするの?」


 不意にアリスが聞いた。

 今、エンリはアンクレイ博士を両腕で、俗にいうお姫様抱っこの状態で抱えている。この状態では地面に無造作に置かれたハージ・ジェルクを運ぶことは無理だろう。両脇に抱える方法なら、二人を連れて行くことはできるだろうが、できれば恩人の亡骸をそんなふうに扱いたくはなかった。

 悩むエンリに、アリスが口を開く。


 「私が運ぼうか?」

 「いや、それは……」


 流石に大の大人の体をアリスに運ばせるわけにはいかない。そもそもアリスの体は11歳程度の身体能力しか持ち合わせていない。そんな体で意外と筋肉質なハージ・ジェルクの体を抱え長距離移動するのは難しいだろう。もしできたとしてもそんな苦行をアリスにしいたくはない。

 この際体を紐で括って引きずっていこうか?だけどそんなことをすれば地上に出た瞬間、ハージ・ジェルクの体があの化け物たちの餌になるよな?俺からすればそれでも別に構わないけど、できる対策をしなっていうのも後味の悪いものを残すな。

 仕方がない、繋ぐか。


 エンリは鎖魔法で鎖を生成。空間魔法で作ったゲートからその鎖を伸ばし、ハージ・ジェルクの手足を縛り、空中に縛る。さらにいくつかの魔法と魔術を併用し、ハージ・ジェルクを空中に固定したまま、移動できるようにした。

 その格好は実に滑稽であるが、まあ負かされた者の運命として受け入れてもらおう。

 エンリはハージ・ジェルクの首に巻きつけた鎖を握って、歩き出す。横へ水平移動する人間の姿は実に不可解で面白く愉快なものだ。

 しかしそれは第三者からの視点であり、当事者たちからすれば。


 「エンリお兄ちゃん、こ、この状態でみんなの場所に向かうの?」

 「……ああ」

 「その、なんというか、すごく言いにくいんだけど、なんか見てはいけないもものを見てる気分。……少し恥ずかしい……」

 「……ことが片付いたら、絶対に複数人を同時に運べる魔法作ってやる……」


 そうエンリは決意を固く心に決めた。


ーーーーー


 響く爆発音。研究所の窓ガラスが大気の揺れに共鳴して激しく震える。

 その普通では聞かない窓の揺れは研究所の人たちの不安感を駆り立てる。窓や壁にはベッタリと人間が魔獣へと変異した存在がくっついていた。どうにかガラスを割ってなに入ってこようとする。その様は心の奥底に眠る本能的恐怖を呼び起こす。

 パニックになるのはこの状況、実に簡単だ。それでも研究所の職員がパニックにならずにいるのはひとえに研究所の外で軍が戦っているのが大きいだろう。


 そして軍が研究所を守るように戦っている理由はただ一つ。


 「キリヤ、Aタイプの試薬の結果が出たわよ!」

 「どうでした、オルトさん」

 「ダメね。投与したら生物問わずに溶けるわ」

 「ならCタイプと真逆の結果だな……原因は薬の成分か?それとも付与してる魔力のほうか?CとAタイプの掛け合わせってできます?Aタイプの溶ける問題をCタイプの凝固問題で打ち消したい。うまくいけば、その二つも治療薬の選択肢になる」

 「試してみるわ」


 そう言ってオルトはAタイプとCタイプの試薬が入った試験管を持って、自分の席に戻っていく。


 「キリヤぁ〜、実験やってきたよぉ〜」


 そう言って入ってくるのは、地面につきそうなほど薄藍色の長い髪をまとめ上げたどこか眠たげな目をした少女。頭にかけたゴーグルと手首からぶら下げている革手袋はかなり使い込まれており、彼女が研究者というよりも技術屋という印象を与えている。ウル・スタンダード、それが彼女の名前であった。

 その手には実験結果が書かれた3枚の書類が握られている。


 「どうでした?」

 「ダメぇだったぁ。1タイプと2タイプは細胞が爆散した。文字通りねぇ〜。356は効果なし。4と7は最初の方は目立った問題もなかったけど、4の方は水に触れた瞬間、発火したぁ。7の方は時間が経つと結晶化するみたい〜。人工血管を使った実験もしたけど、15分後には血管を塞ぐぐらいになっちゃったぁ〜。人には使えないねぇ」

 「8と9は?」

 「良好かな?これといった問題もないし、実用たり得る効果はあると思うねぇ〜。私のお墨付き〜。あと効果自体は9の方が大きかったよぉ。でも個人的には8の方使って欲しいかなぁ?」

 「なんでですか?」

 「作るときの分子構造と原料の調達が楽ぅ。9の方は寒玄草が必要なんだよね。寒玄草はうちの研究所では飼育してないから、限りがあるし、この状態で入手も難しいから量産できないよぉ〜」

 「8なら量産できるんですか?」

 「今すぐぅ〜?」

 「今すぐ」

 「う〜ん……まあ、やってみるよ」

 「頼みます」

 「あ、あとこれ置いておくね。8タイプの試薬」


 そう言ってウルは部屋を出ていく。

 オルトの机の上に置かれた8タイプの試薬。キリヤは試薬を手に取る。

 今作っている薬は軍の研究所が秘密裏に開発し、この街に散布された人を魔獣へと変貌させる薬<DBB>の治療薬である。

 使う薬は二つ。一つはウイルスの効果を無力化する薬。もう一つはウイルスを細胞から取り出す薬である。


 <DBB>はタチの悪いことに、ウイルスが細胞一つ一つに感染させ、変化させている。一つの細胞につき一つのウイルスが、細胞および遺伝子単位での変化を及ぼしているのだ。

 そのため、普通の薬では効果的な結果を得ることができない。変異させている細胞から引き剥がさなければ、人体への変化は終わらないのだ。その上、ただ引き剥がしただけではすぐに他の細胞に感染し、意味がなく。引き剥がした上でウイルスを倒さなければ行けないのだ。もちろん軍が兵器として使用していたために免疫が機能するわけもなく。専用の特効薬が必要なのである。

 そしてその特効薬を作る時間を短縮するために、一つの薬に効果をまとめるのではなく。二種類の薬を投与するという力技で解決しようとしているのである。時間があればもう少し試行錯誤ができるのだが、これが今できる最善である。

 そう信じるしかないのだ。


 不意に視界が揺れた。試験管に入っている薬品が波を立てる。

 ドン、ドン、まるで太鼓のような音が聞こえてきた。

 窓からの光が遮られ、部屋の中に影が落ちる。


 「地震かしら?」


 オルトが言った。もちろん本気じゃない。

 明らかに要因は別のものであった。

 キリヤが恐る恐る振り返る。そして窓の外を見た。そこには建物を優に超える巨体がまるで倒れてくようにこちらへ歩いてくる姿があった。


 「今日だけは君と一緒じゃなくても刺激的な日々を送れそうだよ、エンリ」


 その言葉は誰に聞こえるわけでもなく虚空に消えていく。


ーーーーー


 時間は、エンリとアリスが地上に向けて歩き始め、キリヤがオルトにAタイプの試薬が入った試験菅を渡していた頃。


 外の世界は限りなく劣勢に近かった。

 何せ、相手は無限に湧き出てくる化け物で、一人一人が個々の能力を持ち、並の兵士より強い上に、殺すこともできずにただただ攻撃を引きつけ受け流すことしかできない現状を鑑みれば致し方がないことだろう。

 今の所、どうにか前線を維持できているが、それもいつまで持つか。少なからず、研究所の安全を完全に保証するのは難しかった。


 「あー、もう!キリがない!」


 リアナが叫ぶ。

 四方八方から飛びかかってくる化け物たちを大剣で一蹴。大きく吹き飛び、地面に触れたと同時に足が凍りつく。それはまるで蔦が足に絡まっているかのように化け物たちを地面に縛り付けている。

 後方からの殺気。咄嗟に大剣を地面に突き刺し、体を隠す。次の瞬間、大剣越しに伝わる衝撃。抉り取られた地面がまるでカタパルトに乗せられた岩の如く丸められ、マグマのように溶けながら、敵味方問わずに撒き散らしながら飛んでくる。

 幸いにもこの大剣はマグマ程度の温度じゃびくともしないほどの強度を誇っている。父と母親仕立ての特別品だ。


 衝撃が無くなったと同時に大剣を地面から引き抜き、50メートルほど離れている化け物相手に投擲。10〜20程度の化け物を薙ぎ倒しながら、マグマのようなものを飛ばしてきた化け物を沈黙させる。


 地面から高温の水蒸気がリアナに吹き付ける。

 着ていったコートを脱ぎ、簡易的な防壁とすることで水蒸気を浴びることを防ぐ。しかしそれも束の間、次から次へと、リアナの足元が破裂するように水蒸気を噴き上げる。まるで地面に埋まっていた間欠泉が今になって目を覚ましたようだ。

 避けようにもあまりは化け物だらけ下手に動けば、すぐに囲まれて化け物たちの仲間入りだろう。


 化け物の一匹がリアナの腕を掴んだ。

 すぐさま腕を掴み返し、足払い、体勢を崩したところを地面に叩きつけ、無理やり引き剥がす。

 父がよく、武器を持たないときこそ冒険者の実力が示されると言っていたが、本当にその通りだと思う。

 化け物たちと間欠泉を避けながら大剣の元へ向かったリアナは地面に突き刺さった大剣を掴みとり、魔力を流し込む。


 『氷柱水面』


 次の瞬間、半径80メートルが、まるで大剣に温度が奪われるがの如く、地面に立っていた化け物ごと冬の湖のように凍りつき、その中心の氷の柱を作り上げる。化け物たちはまるで氷像のように固まり、周りの風景は冬のように寒く感じる。

 どうやら無数にある氷像のどれかに間欠泉を操っていたものがいたらしく。リアナの足元に噴出寸前のところで凍った間欠泉が最後に、新しく弾きでることはない。

 他の地面から噴き出ていた水蒸気も凍りついており、その様は新しい観光名所にしたいぐらい美しくある。


 リアナは大剣を地面から引き抜き、柄を回して、カートリッジを取り出す。

 太ももにつけたカートリッジ用のベルトに手を伸ばす。そして気づく。


 「あと一つ……」


 手に持った藍黄色のカートリッジを大剣にセットしながら、そう呟く。

 次の瞬間、後ろから声がかかる。


 「リアナ、戦況は?」


 声の主人はセレンであった。どうやら座標魔術でこちらにやってきたらしい。

 こちらへ向かってくる化け物たちに大剣を構えながら答える。


 「芳しくないわね。カートリッジもこれで最後だし。あっちの仲間入りまで秒読みって感じかしら」

 「ここもか……」

 「ここもってことは。他もあまり良くないのね」


 今この研究所の周辺には軍の兵士が約50人存在している。

 理由は至極単純で、ここにバイオテロの発端となったウイルスの治療薬が試薬の状態とはいえ存在しているからだ。

 なんでも、セレンがエンリにキリヤがウイルスの治療薬を持っている可能性があると聞いたらしく。それを軍の上層部に伝えたところ、あくまで可能性であっても、これ以上被害が拡大しないようにしたい軍においては、この可能性が事実であるならば、最優先で守らなければいけないものであり、聞き捨てならないものであった。

 そこで研究所に緊急回線で連絡を取ったところこの可能性が事実であることの確認が取れ、急遽部隊を編成、研究所へと向かわせたのである。

 この緊急時、しかも多くの兵士たちが化け物へと変貌したという中で50人という大人数を派遣できたのは実は、かなりすごいことである。

 しかしそれでも状態が悪いことに変わりはない。やはり、数の暴力言うのは精神的にも体力的にも消耗するもので、それも個々の能力が一兵士よりも高く、並の魔獣よりも強い上、相手が元人間という精神的負担、さらには魔獣に変異したとはいえ、元人間。薬による治療が期待できる今、できる限り殺してはいけないという縛りつき。劣勢になるのも致し方がない。

 実際、軍もこの縛りがどれほどきついものかを理解した上で、行なっているため、ある程度この劣勢も織り込み済みである。唯一誤算があるとすれば、思ったよりも形勢が化け物側にあり、予想の数倍、劣勢であるということぐらいだろう。


 「かなり。多分、持って1時間が限界だと思う」

 「それ以上は?」

 「他の部隊と合流、拠点を軍基地に移すのが第一案」

 「第二案は?」

 「研究所を放棄。研究データを持って街を脱出」

 「研究所内にはかなりの数の人間がいるはず。それだけの人間を連れて避難できる?」

 「第一、第二案ともに部隊は五つに分ける」

 「戦力が分散するわ」

 「被害も分散できる。それに母数が減れば、他の避難所に一時的逃げ込むことも容易になる」

 「なるほどね。その作戦なら研究所を出発する際、殿がいたほうが確実ね。私が殿を務めるわ」

 「リアナ、それは……!」

 「セレン、これは大事なことよ。友人として心配してくれるのは嬉しいけど。一人でもその生存率を上げるならこれが最適よ」


 セレンは何も言い返さない。

 ただただ作業的に目の前に襲いかかってきてくる化け物たちを地面に固定していく。

 リアナもまた、その後ろには会話中に倒した化け物たちが地面に転がっていた。

 もうすでに随分な数を戦闘不能にしているが、それでも数も勢いもとどまるところを知らない。まるで増殖しているかのようである。


 不意にセレンとリアナの間を熱風が通り過ぎていく。

 それは鎖状に連なった刃の尾。赤く燃え上がる炎に包まれて、隙間からは粘度の高い可燃性の物体が漏れ出ており、地面に落ちた炎はまるで熱したフライパンにバターを入れるがの如く広がっていく。

 もし触れれば火傷では済まないだろう。

 そして今二人の前には刃の尾の持ち主を捉えていた。


 推定年齢11歳、身長はアリスとさほど変わりなく。どこかあどけなさと幼さを残した顔は人間そのものである。口の周りには赤黒く染まった血が付いており、その手足は自らの炎に耐えるためか爬虫類のような鱗を持っている。足は変質し三本の以上発達した爪を持った指と踵側に一本爪があり、その足は鳥類のそれによく似ている。

 そしてその爪の間には誰かの臓物と思われる物体が付着しており、後ろにはここまでつけたまま引きずってきた跡がある。


 「セレン……」

 「わかってる。随分とやばそうなやつね」


 二人は剣を構える。

 額に汗が滲む。目の前の化け物は明らかに他の化け物たちとは一線を画す存在感を放っていた。威圧感にも似たその感覚は体の中で増長する。剣を握る手に力が入る。

 今この化け物たちは明らかに人間との戦闘を有利になるよう進化を進めている。その根拠として、最初に戦った化け物たちに比べ、最近戦った化け物たちは様々な能力、主に熱や炎など人間にとって致命的なものを取得している。それこそより魔獣に、それも危険度の高い魔獣と戦い方や能力が酷似し始めているのだ。

 まだ進化の過程ということもあるためか、その能力や戦い方の幅は狭いが、このままウイルスが進化、分岐していけば人間にとって致命的、それこそヒュドラやテルトリア、インセスなどの魔獣に酷似した能力を持つ存在が生まれてもおかしくなかった。

 目の前にいる少女の状態はその一歩と言っても過言ではない。


 刃の尾を持つ魔獣が、その右腕をあげた。

 その様はまるでリアナとセレンを指差すような仕草。

 それは合図であった。上官が部下に命令するかのような愚かで無策な突撃を開始させる。


 セレンとリアナの数メートル先にいた化け物はもちろん、後方で様子を見たり、遠距離での攻撃を試みていた化物たちも、さらには地面に固定した化け物や戦闘不能にした化け物たちまでもが、二人を目指して歩み始めたのだ。

 この事実は二人に一つの意識を生まれさせる。この化け物たちをこのままにするのはやばいという共通認識だ。

 今、刃の尾を持つ化け物が他の化け物たちに命令をした。これはつまり、組織的行為がこれから可能になる可能性を示していた。いや、考えてみれば当たり前のことである。当たり前のことすぎて失念していたのだ。

 魔獣の中にも組織的行動をするものは確かに存在している。ゴブリンやオーク、ダラバララやワイバーンなどはその代表格と言っても過言ではない。野生動物でもライオンなどの肉食動物は集団で狩りをするし、渡鳥だってその多くは集団でやってくる。

 それにそもそもが薬を打たれた魔獣に変異した人間である。そのため元が社会的動物の人間が組織的行動をするようになるのは自然な行動である。


 だがそれ故にやばい。もしこれが薬を打たれたことによっての進化ならいい。だがもし、これが人間本来の社会的動物という性質を失わなかったための行動だとしたらかなりやばい。

 それはつまり、人間本来の知能も失っていない可能性があるからだ。人類を食物連鎖の頂点たらしめる知能の高さを失っていないとすればそれはかなりの脅威になり得る。時間が経てば経つほど、その手段や行動がより狡猾にそして確実性を増していく可能性が十二分に存在しているのだ。

 それはつまり、この状況の早期解決が求められるということを示していた。


 そのためにはやはり、今、研究所で行われている治療薬は絶対死守しなければならず、もし治療薬の開発が遅れれば、人間は致命的な危機に陥れられる可能性が高かった。

 それこそ『ロールズエッジの人体実験』の二の前、街にいるすべての人間を……という最悪の事態があり得るということだ。


 「これで一歩も引けなくなったわね」

 「そうだね。これで一歩も引けなくなった」


 二人はそう苦笑いする。その頬には冷や汗が流れる。


 剣が化け物たちに触れた。

 骨が折る感触と骨が再生する感触を同時に感じる。

 群がるように押し寄せてくる化け物たちを背中合わせに押し退けて、次々と追い払う。普通であれば一瞬で押し潰されてしまいそうな物量だが、それをこうも凌ぐことができているのは二人の力量ゆえのものだろう。


 時間にして何分だろうか?五分か十分か、もしかしたら二十分は猛攻を凌いでいたのかもしれない。

 今この場に立っているのはリアナとセレン、そして刃の尾を持つ化け物だけだ。それ以外のものは皆、死なない程度に行動を制限した。手足を折るなり、半身ごと地面に拘束したり、さまざまだ。それほど長く熾烈な攻撃であった。

 一人一人もまた決して弱くはない。だが少なからず二人からすれば、大した脅威にもならない。しかしそれも限りがあり、戦闘の主導権をこちらが持っている時に限る。終わりのない攻撃は、二人の体力と精神力を削り、疲弊させた。

 むしろ一撃でも攻撃を貰えば化け物の仲間入りしかねないこの状況、一撃も貰わずに、あれだけの猛攻を凌ぎ切ったことを褒めてあげたい。少なからず二人には、それをやり切るだけの胆力と精神力を有していた。それも卓越したものをだ。

 だがそれでも、二人は人間である。体力も精神も限りがあるのだ。一撃ももらえない極限状態、敵の猛攻がいつ終わるかもわからないそんな状況、二人の体力と精神は加速度的に、その削り幅を増やしていっただろう。

 ここまで倒れずにいたのは奇跡というに近かった。


 現に今の二人は息が上がり、肩で呼吸をしている。おそらく立っているのも辛いはずだ。それこそ食事後に1時間全力疾走したような苦痛が訪れているに違いない。


 「はぁはぁ、セレン、大丈夫?」

 「うん、なんとか……リアナは?」

 「楽勝よ……」


 そんな風に強がるリアナ。

 周囲の温度が上がるのを感じた。

 視線を前に向ければそこにいるのはぼたぼたと炎を垂れ流す刃の尾を持った化け物。地面に落ちた炎が炎壁となって化け物の背中を照らした。ただでさえ明るい昼がより明るくなった。

 熱で目が痛い。まるで目の水分が蒸発していっているかのようである。


 火花を散らし、地面を走る刃の尾。まるで鞭のように二人の足を薙ぐように振られる。

 セレンが剣で刃の尾を受け、同時にリアナが大剣を刃の尾ごと地面に突き刺した。しかし刃の尾が切断されることがなく。ただただ地面にめり込むだけとなる。

 そして刃の尾に触れた二人の剣はまるで溶けたチョコにマシュマロを入れるかの如く、刃の尾から生成された油が纏わりつき、炎がつく。


 二人がそれに気付き剣を離した時にはすでにその大部分が油で塗れていた。

 一度距離をとるセレンとは反対にリアナが刃の尾を持つ本体に跳躍、斬りかかる。


 まとわりついた油は簡単には取れない。それは化け物本人に対しても同じことが言えるはず。今、この大剣で斬りかかれば油を化け物につけることと、炎による着火が同時に行える。致命傷にはならなくても、不愉快にする程度の効果はあるかもしれない。


 化け物とリアナの距離が数センチにまで迫った時、剣を振り下ろし、同時に後ろからの風切り音に気づく。

 視線を後ろに向けるとそこには先ほどまで地面に埋まっていた刃の尾がリアなの数十センチ後ろまで迫ってきていた。

 剣は既に振り下ろしている。横に飛び退くのは簡単だが、この攻撃は確実に入る。それをみすみす逃すわけには行かない。もちろん、刃の尾が体に突き刺されば油が全身を包んで、炎に身を包まれているのは理解している。だが、避けない。避ける必要がない。リアナは攻撃を強行する。


 後ろから響く反射音。金属同士がぶつかるような音が聞こえた。

 セレンが剣で刃の尾を弾く。

 そしてリアナの大剣が振り下ろされた。左肩を切り付ける。鮮血と左腕が宙を舞い、悲鳴にも似た絶叫が一瞬響く。

 リアナは地面を強く踏み込み切り返し、振り下げた勢いを回転エネルギーに変換し、大剣を振るう遠心力を利用して、化け物の脇腹に大剣を振る。


 大きな低い音が響き渡る。リアナの大剣は化け物の鱗を持った腕に阻まれる。

 リアナは大きく弾かれ、仰け反る。そして無謀になった腹にその鳥類のような足から放たれる蹴りが炸裂した。めり込む感覚と何かが小さく弾ける音。足の爪でお腹を掴み取られ、服ごと肉を抉られる。

 その衝撃は後ろで刃の尾を弾いたセレンごと後ろへ吹き飛ばすほどであった。


 地面を転がり二人は数メートル離れた場所で停止する。

 セレンは化け物に蹴られたリアナの肩を支えながら立ち上がる。


 「大丈夫、リアナ!?」

 「はぁ……はぁ……多分大丈夫では、ないかな……」


 腹部から大量の出血、服を血の色に染め上げる。


 「体の変化とかない?体抉られてるけど」


 セレンが懸念しているのは、リアナの人間を魔獣へ変化させる薬<DBB>の感染だ。<DBB>は既に感染している人間の体液が体の中に入ることで感染する。そのため、傷が増えれば増えるほど、感染確率が増えるのだ。


 「安心して、セレン。多分、私があっちの仲間入りすることはないわ」

 「え?」


 予想外のリアナの言葉にセレンはそんな声をこぼした。

 その言葉はセレンを安心させるために言ったその場しのぎや気休めのようには聞こえない。本気で真剣にそう思っているように聞こえたのだ。


 「あいつ、私たちを殺すつもりみたい」


 そう言ったリアナは自らの腹部に視線を落とした。

 服を裂き、その傷口があらわとなる。そこには明らかに殺意しか感じることのできない傷跡が残っていた。そしてリアナが刃の尾の化け物を切った時の返り血で濡れていた。

 彼らの仲間になる。それ即ちウイルスへの感染。そしてウイルスの感染は既に感染しているの者の体液を体内に取り込むことで感染する。リアナは刃の尾を持つ化け物からの攻撃で傷を負い、その傷にウイルスに感染しているものの血液、つまり体液が触れた。

 既に感染の条件は満たされている。だが、感染の予兆はこれと言って見られない。むしろまるでリアナを感染させないようにするかの如く、かかった返り血が油へと変わっていく。


 これは生物という繁殖を目的とする存在において、自らの生殖機会を奪うような行為であり、愚行と言っても差し支えない。少なからず本来ではあり得ない進化を遂げていっている。

 だからこそここで一つ仮説を立てることができる。最悪な仮説だ。

 その仮説は、やはり人間本来の知能を失っていない可能性だ。

 魔獣化した人間。その精神や思考は、ウイルスによって麻痺させられる。理性ではなく、ウイルスによって作り出された新たなる本能に従うようになるのだ。それはこの惨状を見れば考えるまでもない。だがしかし人間として知能を失っていない。そう仮定した場合、次に感染した人間たちが進化した時、その世代は親世代である自分たちよりもより強力に進化するであろうことを理解できる可能性がある。そうなれば人間本来の社会自分の優位性を保つため、むやみに人を感染させることなく、敵対者は殺すという行為を始めるだろう。


 ウイルスにより会得した新たなる本能が、人間が本来持つ理性によって再び枷をはめられるようになった。そうなれば人間は今まで通り、食物連鎖の頂点たるその頭脳を駆使して動く始めるだろう。

 今目の前にいる刃の尾を持つ化け物のように。


 リアナが大剣を杖代わりに、地面に突き立て、一人で立つ。

 そして剣を引き抜き、構える。


 「セレン、カートリッジはここで使い切る」

 「了解。援護は任せて」

 「任した」


 そう言うとリアナはその大剣に魔力を流し込んだ。大剣の外装のか色が赤から白へ、白から青へと変わっていく。内部のモーターが毎秒12000回転をという高速でまわり、周りに吸収しきれなかった高濃度で無彩色の魔力を放電された電気として流す。そして放出された電気はリアナの毛細血管を走り、電紋を作り上げる。

 走るは雷、鳴らすは雷鳴。リアナの大剣に稲妻が走る。それは蒼雷の魔術。1/1000の刹那に発生、衝突、増幅が行われる最速の剣。いつか夢見て憧れた英雄の剣。


 「加減はするけど、死んでも、恨まないでよ!」


 リアナはまるで宣言するようにそう、目の前に立つ刃の尾を持つ少女へと言い放った。


 『雷穿天羅(らいせんてんら)


 大気を裂く音がまるで雷鳴のように世界に響き渡る。

 地面を蹴ったリアナはまるで星々が引力に引かれるかの如く空間を駆け、刃の尾を持つ化け物の前へと立った。蒼雷の稲妻を散らし放たれた最速の剣は化け物の脇腹にその刃を入れる。しかし刃は1センチほどの深さで沈むのを止める。

 その理由は明確であった。大剣の先を見ると刃の尾が巻き付き、これ以上刃が深く侵入することを防いでいる。それでいて、それは徐々に徐々に這い寄る蛇のようにリアナの方へと伸びていっていることがわかる。

 大剣に付着した油もまた炎と共に寸前にまで迫っていた。


 だがリアナは慌てない。自分の実力では目の前の化け物を戦闘不能にする前に剣を止められることは十分理解していた。それゆえに、彼女は一つ策を要していた。奇策とも言える策をだ。


 『Code-VSM-087』


 そう静かにリアナは呟く。

 リアナがなぜその決して筋肉質とは言えない肉体で、筋力がものをいう大剣などという重量級武器を使っているのか。それは魔導具である大剣の身体強化の恩恵と彼女の趣味という側面もあるが、それ以上にある一つの理由があった。


 大剣が蒸気を吐き、その刃を四つに分けていく。大剣の外装が青から危険色を表す赤へと変わり、次第にその色を紫へと変えていく。高速で回転するモーターはさらにその速度を上げて、その振動と熱が触れずとも手のひらから伝わってきた。

 刃がスライドしできた隙間からは、まるで張り詰めたワイヤーが切れるかのような音とともに、幾つかのロックが外れていく。

 そして鍔が下を向いた。変形した大剣の刃はまるで鞘のようで、それでいて大剣としての面影を今も残している。


 リアナが思いっきり柄を引き抜く。大剣の内部で火花が走り、その刀身が露わとなる。鈍い銀の刃に、刀身を走る二本の線。その長さは大剣の全長とそう変わりなくその間合いだけで、下手な槍以上である。

 剣の中に隠されし剣。

 これが彼女が大剣を使う理由である。


 大剣はその体積ゆえに、多くのギミックを仕込むことができる。

 魔導具使いにおいて魔道具の機能性や多機能性は自らの強さに直結するものである。魔導具使いはその特性ゆえに基本的には己が実力よりも、第一に魔導具の性能に頼ることになる。もちろん実力があるに越したことはないが、どれだけ実力があろうとも、切ることしかできない魔導具では魔導具である必要はない。鍛冶屋にでも行って切れ味のいい剣を見繕ってもらった方がマシである。

 魔導具使いの真髄はありとあらゆる場面において、その柔軟な戦い方だ。いくつもの魔道具を用いて状況に応じて、その時最も有効な戦い方をする。これが魔導具使いの基本である。魔道具使いとしてはリアナのように魔導具を一つしか持たない人間は極めて異端であり、それでも彼女が実力者として認められているのには、彼女の持つ魔導具の万能性とそれを自由自在に操る彼女の手腕によるものが大きい。


 リアナが長剣を引き抜いた力を利用し体を回転、円運動と遠心力により力が上乗せされた剣が刃の尾を持つ化け物を襲う。

 刃の尾を持つ化け物は長剣との間に自らの腕を挟み、その威力を殺そうとする。地面をその鳥類のような足で掴み、人間をとうにやめた脚力とその人間離れした体幹で体を支え、成人男性でも吹き飛ばすであろうそのリアナの長剣の一撃を受ける。

 メキメキという音と共に、化け物の腕が折れ曲がる。体が大きく弾かれ、仰け反る。地面スレスレにまで倒れ込むも、寸前で刃の尾で自らの体を支える。


 横から現れるもう一本の刃の尾。どこに隠していたのか化け物の刃の尾は一本ではなく二本あったのだ。反応の遅れたリアナは咄嗟に首を後ろへ反らせ回避する。


 地面に大剣の刃が落ちる。

 リアナは刃の尾を持つ化け物の膝を蹴り、折る。体勢を崩したリアナが長剣を逆手に持ち突き立てるように振り下ろす時、化け物もまたその手を伸ばす。それは折れたはずの右腕である。再生能力が高いのかすでに完治していた。

 予想外の再生速度に一瞬、リアナの意識が右腕へと向けられる。

 それと同時に地面から感じる殺気にリアナは身を捩った。前腕を地面から現れた刃の尾が貫く。首へと狙いを定める刃の尾にリアナは左手で剣を持ち直し、地面から出ている根本から切断する。

 よほどいい油を使っているのか、リアナの腕をすぐさま刃の尾から分泌された油が包み、炎が燃える。身を焼く痛みとはまさにこのこと。右腕を激痛が走る。


 しかしリアナは動くことを止めようとしていない。

 伸ばされた腕を長剣で差し貫くと、魔導具の身体能力の効果を利用して捻り切る。

 そして体勢を立て直した刃の尾を持つ化け物のちぎった腕を断面から突き刺す。


 『雷穿天羅』は1/1000秒という刹那に、発生、衝突、増幅を行う最速の剣であり、その時に発生する雷を用いて広範囲で大規模を殲滅することが可能な一対一でも一対多でも使うことのできる特殊な魔術である。しかしその一撃目の異常なまでの高火力が原因で、ほとんどの敵が一撃で仕留めることができるために、『雷穿天羅』には本来、二撃目が存在していることを知るものは少ない。


 発動条件は刀身が敵に触れていること。


 『雷穿天羅(らいせんてんら)静狂由奪(せいきょうゆうだつ)


 パリッ、とリアナが握る長剣から電気が流れた。静電気のような小さく微かに確認できる程度の電気。一瞬、痛みを感じるもののすぐに忘れてしまうほどのもの。それは一撃目からは想像できないほど静かで、派手さのかけらもない地味な攻撃。しかし、それが対人戦および神経細胞を有する生物においては圧倒的で絶対的な威力を有する一撃であることを目の前の刃の尾を持つ化け物は知らない。

 それどころか化け物は魔術が不発に終わったとさえ考える。今、自分の目の前にいる女は無様にも魔術を発動するに至らず、隙を晒していると。


 化け物がリアナの足を押さえつけようと足を一歩前へ。

 しかし、足は動かない。


 ならばと化け物がリアナの長剣を握る腕を捻り潰そうと手を伸ばす。

 しかし、腕は動かない。それどころか、なぜ地面へ手を伸ばそうとしている。その行動には戦術的価値も、戦略的価値も存在しない。ただただ隙を晒すだけの行為だ。


 混乱しながら化け物は、リアナにちぎられた右腕を長剣を刺されたまま再生しようとする。

 しかし、本来なら5秒とかからないはずの腕の再生が、今は10秒経ってもやっと1センチほど再生した程度にとどまっていた。


 ここで化け物は理解する。今の自分が正常ではないことに。あの失敗と思われた魔術に何らかの効果があったことに。

 刃の尾をリアナの方の目を貫くように伸ばすも自らの意思とは関係なく顔の横へ逸れて、外れる。


 バクン、心臓が跳ねた。

 全身から血の気が引いていくのがわかる。乱れたリズムで脈を打つ心臓は明らかに普通ではなく。血管が浮き出て、先ほどまで流れ出ていた右腕の傷口からの流血が落ち着き始めていた。それが示すところは一つだけ。血液の巡りが悪くなっているということだ。

 心臓、いや体全体に何らかの細工をされた。その細工は何かわからないが少なからず、今の自分にどうにかできるものではないことを、化け物は知っていた。ゆえに考えた。自らの体に頼らず、目の前の敵を排除する方法を。殺す方法を。


 30秒ほどして刃の尾を持った化け物は膝から崩れ落ち、地面へと倒れる。その呼吸は妙に荒く息が浅いことがわかる。

 もはや血液が十分に回っていないのだろ、指一本動かすのすら難しいはずだ。全身がまるで電気が走ったかのように痺れ、意識が徐々に徐々に遠くなっていく。だが化け物にとって自らの感覚が鈍くなろうと、関係のないことだった。


 地面に広がる油。それに気付いたのは化け物が地面に倒れ、おおよそ20秒ほどであった。地面に染み込んでいく油はその距離を伸ばし、リアナの足元にまで来ている。しかしそれが燃えている様子はない。

 何かがおかしい。そんな予感だけがリアナにはある。だが、それが何かはわからない。ただただ漠然としたそんな予感だけが胸に靄をかけているのだ。

 辺りを見渡す。特にこれと言っておかしな点はない。ごくごく普通の地獄のような光景だ。

 だからこそ気付いた。


 炎がない。


 先ほどまでそこらへんで好き放題燃えていたはずの炎の姿がこれ一つも存在していない。地面には焦げた後、燃えていた大剣も、炎に包まれた自分の右腕も消えている。

 燃えるための燃料である油が切れたとかそんなんじゃない。まるで同時に消化されたこのような光景。明らかに異常だ。

 リアナは化け物方へ視線を向ける。そしてその事実に気付いた。先ほどまで再生しようとしていたはずの右腕の傷口がいつの間にか塞がっている。右腕の再生を途中でやめて、傷口を塞いだのだ。その耐熱の鱗で。


 化け物が着ている血に染まったボロボロの服を剥ぎ取る。そこには赤白く発光する化け物の体があった。そしてその胸は今にも破裂しそうなほど膨れ上がっている。


 「セレン!」

 「今やってる!」


 そう叫ぶセレン。セレンもまた何もせずにリアナの戦いを見ていたわけではない。後ろで近づいてくる他の化け物たちを退けてくれていたのだ。そして今は刃の尾を持つ化け物の拘束を試みてくれている。これほどの再生能力や力の持ち主となれば他の化け物たちと同じように再起不能にするだけでは足りない。しっかりと拘束することが必要だ。

 そしてそれができるのはこの場に座標魔術の使えるセレンしか存在していない。さすがの万能魔導具であるリアナの大剣でもこれだけの敵の命を奪うことなく拘束するのは不可能だ。


 セレンは頭をフル回転させる。

 三重拘束で行ける?いや彼女たちは進化している。私たちが知らないだけで座標魔術への干渉能力をすでに持ち合わせているかもしれない。もしそうでなかったとしても、下手に拘束すれば自分の腕を引きちぎってでも脱走しそうだ。リアナはカートリッジを使い切るといった。つまり、この戦闘でほとんどを使い切ったはず、2度目の戦闘はできない。確実に拘束できる魔術じゃないと、その脅威を拭い切れない。

 この後のことも考えれば、魔力は多く使えない。だけど下手な座標魔術じゃ、拘束し切れない。次、彼女と相対することがあるのなら、その時は殺すしかなくなる。その上、彼女は今、自らの体を爆弾に変えた。気付くのが遅くなったから、時間がない。座標の取得に時間のかかる魔術は使えない。となると、私の使える座標魔術の数はかなり限られてくる。

 時間がなくて、魔力は残さないといけない、だからと言って中途半端な魔術じゃあ、拘束し切れない。ジレンマ。答えが出せない。

 しかし考えている時間もない。セレンは苦渋の決断で、託す。


 「リアナ、お願い、10秒だけ稼いで!」

 「ちょ、10秒って!?」

 「お願い!」

 「あー、もう!わかった、どうにか10秒だけ稼ぐから急いでね!」

 「ありがとう、リアナ!」


 セレンの言葉を受け取ると、リアナは地面に落ちている大剣を手に取る。長剣の方は今なお、化け物の右腕の刺さっており、抜くことは容易だろうが、その結果、どんなことが起こるかがわからないために、抜き使用することができない。

 そのため今、リアナに使える武器はこの大剣の亡骸だけである。まあ、亡骸と言っても、長剣部分を抜き取っても武器として使えるようにこの魔道具は設計されている。その証拠に、大剣のうちがにできた隙間に手を通すことができ、そこを握ればそのまま武器として使えるのだ。


 リアナは化け物にまたがるように立つ。

 さて10秒稼ぐと言ったものいったいどう稼いだものか。今の化け物状態は誰がどう見ても爆発寸前の爆弾。10秒どころか1秒先すら怪しい。まるで張り詰めた風船のようで。シャボン玉のように少しでも触れれば破裂してしまいそうだ。

 もしそうなれば、その上にまたがっている私も砕け散ることになるだろうが、この際その事実は見て見ぬ振りをしよう。


 リアナは大剣を化け物の胸を突き刺す。

 おそらく目の前の化け物は傷口を塞いだところを見るに、圧力による爆発を試みようとしているのだろう。ならば穴を開ければ、自ずと胸を膨らませていた気体は空気中へと逃げていく。そうすれば少なからず、今すぐ爆発するようなことはないだろう。

 そうリアナは考えた。

 しかし、リアナの目論見は外れ、気化した物体が空気中へ逃げることはなかった。実際に、今、化け物が行っているのはむしろ気化の逆。自ら生成した油と炎を限界にまで混ぜ図に圧縮し続ける。その間、両方の温度は上げ続けていく。

 現在は化け物がその二つを制御しているからこそ、混ぜずに圧縮することができている。しかし、もし化け物が意識を失い、その二つが制御を失ったら?その時、何が起こるか。想像するに難くないだろう。

 つまりは化け物の意識が失われるのが早いか。それともセレンの座標魔術の取得が早いか。そのどちらかであり、リアナが何をしようと特に意味がないのである。できることがあるとすれば、顔に冷水でも当てて、目を覚まさせることであるが、この事実を知らないリアナにそんなことできるはずもなく。胸に穴を開けるのは彼女にできる最大の努力だろう。

 化け物の意識が朦朧とする。視界が徐々に暗くなっていき、気を失うのも時間の問題であった。


 そしてその意識が次第に黒へと塗りつぶされていく。


 「行ける!」


 そんな声が聞こえた。


 「リアナ退いて!」


 リアナが後ろへと飛び退くと同時に化け物のいくつかの長方形が貫く。それはまるでガラスの箱のようでいて、幾重にも重なり、パノラマのように美しい風景が映し出されている。原風景を思い出させる景色やどこか人の多い南国のビーチだったりとその光景は様々だ。ただ言えるのはその姿はどれもが目を奪われるほど美しく、眺めていて飽きないということだけだろう。

 体が貫かれると同時に化け物の意識が失われる。


 方縛『透佳明陣之(とおかめいじんの)原初風景(げんしょふうけい)


 化け物が意識を失ったことにより、圧縮されていた炎と油が解放される。一瞬、眩く輝いた気もしたが、どこにも破壊の痕跡は存在しておらず、化け物へとなり変わってしまった少女の体もまた爆発四散するようなことはなく無事である。

 その理由はおそらく方縛『透佳明陣之(とおかめいじんの)原初風景(げんしょふうけい)』にあるだろう。この魔術はありとあらゆる座標を重ねることで強固な拘束とし、また拘束者と使用者に何らかの危害が及ぶ際、その攻撃は座標によって封殺される。この能力は複数の魔術を掛け合わせ作られたこの魔術特有の名残である。

 少なからず、この魔術の拘束を抜けるのは達人級の魔法使いや魔術師、錬金術師等でも難しいだろう。


 リアナは少女の腕に刺さった長剣を引き抜き、大剣の中心部へと刺すと、大剣は元の形へと戻る。

 そしてゆらりと体を大きく揺らして、大剣を支えに膝をつく。


 「大丈夫!?」


 セレンがすぐさま駆け寄ってきて、肩を支える。

 リアナは、どこか疲れた様子で「大丈夫」とだけ、短く答えた。少し息を整えて踏ん張るように立ち上がり、引きちぎってしまった少女の右腕を回収する。


 「これ持ってて。あとで治してもらわないと」


 流石にいくら薬で魔獣化し化け物へと化したと言っても、その実はアリスとそう変わらない歳の少女。そんな年端もいかない少女の片腕を引きちぎって罪悪感がないわけではない。正気に戻った時に魔獣となってしまっていた時の記憶があるのかないのかわからないが、傷物にしたせめてものの償いだ。


 「ッ!」


 リアナは顔を顰めながら、少女に抉られた脇腹を抑えながら、体を縮こませる。

 さっきまでは戦闘でアドレナリンが出ていたから痛みを感じることはなかったが、戦闘が終わって冷静になると激しい痛みがリアナを襲った。出血もひどく、いまだに血は止まらない。服は赤く染まり、流れる血でズボンすら赤く染まりつつあった。


 「リアナ、一度休みな?カートリッジも無くなったんでしょ?」


 心配そうな目でそう言ってくるセレン。


 「ありがとう、セレン。でも、これぐらいへっちゃらだから。それに私も冒険者だから、これぐらいの傷慣れっこだよ。ッ痛!」

 「でも……」


 みんなが戦っているのに自分だけ後ろに下がることに抵抗があるのか、リアナはそう強がってみせる。


 ドン!地面から突き上げるような衝撃が二人の体を浮かせる。

 その衝撃は次第に大きく強くなり、何かが近づいてくることを嫌でも理解させた。まるで太陽が雲に隠れるようにゆっくりと二人を一つの大きい影が覆った。視線を上げると、そこには周りの建物の二倍はある像のような巨体がその爬虫類のような細長い瞳孔の一つ目でリアナとセレンを睨みつけた。


 「どうやら……ボスの登場みたいね」


 そう冷や汗を拭い、食いしばるように顎に力を入れてリアナは剣を構える。

 セレンもまた、リアナを庇うように一歩前に立ちながら剣を構えた。

 そしてリアナより一歩前に出たからこそ、セレンは気づく。自分たちを覆う影の巨体の上に人影があることに。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

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