錬金術師と学者
それはあまりにも穏やかな時間であった。
エンリとハージ・ジェルク。二人の人間が敵意も悪意も見せずにただただ普通の友人のように会話をするひとときの非日常。
「壁についてる松明は何かの錬金術か?」
「もちろん、錬金術で燃え尽きないようにしてるんだよ」
「なるほど、煤で掃除が大変そうだな」
「さあ、どうだろ?僕は掃除をしたことがないから」
「確かに君が掃除をしてる姿は想像しにくい」
「実際、掃除や料理は『賢者の天秤』の他の構成員や僕の弟子にさせてたからね」
「そういえば、ここに来てから一度も『賢者の天秤』のメンバーを見てないな」
「ああ、彼らはもうすでに別の拠点に向かったよ。ここの拠点は廃棄することに決まったんだ」
「なら、なんで君は残っているんだ?」
「それはもう、後始末だよ。奪われた『ルーゼルバッハの石』の奪還とその持ち主であるアリスの始末。まあ今回の一件で僕の立場も悪くなってね。まあ組織の秘宝である『ルーゼルバッハの石』が盗まれて、その上、離反者も出したんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。今はその責任を取らされているところなわけだ。まあ、正直、僕からすればアリスを殺したくはないんだけどね」
それはつまり、アリスの始末も『ルーゼルバッハの石』の奪還も諦めると言っているようなものであった。
エンリは驚き一瞬足を止めるも、すぐにその言葉の真意に気づいて納得し歩き始める。
「気になるのか?アリスの行末が」
「かなり」
「だろうな」
「うまくいけば、次にアスカノールを作るときの参考になりそうだと思ってるよ」
「新しくアスカノールを作るのか?アンクレイ博士のアスカノールが進化の終着点とか言ってなかったか?」
「ああ、前回会った時にそんなことも言ったね。まあ、僕はこう見えて柔軟だから。自分の考えを改めるのになんらためらいがないのさ」
「なるほどね」
「正直、今、考えれば、アンクレイ博士のアスカノールは不完全もいいところだ。そもそも『ルーゼルバッハの石』がなければ魔獣への錬成に完全に耐えることができないし、魔獣の能力を学習させるのにも、魔獣と相対させるしかないから時間がかかる。それに本来アスカノールにある環境適応能力も存在してないから、マグマや空から落ちた時に、対処できない可能性もある。未完全もいいところだろう」
「なら二人から手を引いてくれても良かったんじゃないか?」
「僕は不安定な爆弾は手元に置かない主義でね。捨てるときも責任を持って処理してから捨てる。間違えて暴発しないようにね。アリスから手を引かなかった理由は、一応、組織の秘宝だからね『ルーゼルバッハの石』は取り返す時点で、アリスが僕に殺されたなら、その程度の存在だったってことさ。まあ追い返されたら、泣きべそ書いて大人しく『賢者の天秤』に帰って、彼女を陰から観察しているつもりだったよ。一度でも彼女に負けたなら、もう一度戦ったところで勝てないだろうしね。まあそうならないだろうけど」
二人の足音が鳴り響く廊下。
松明が小さく揺れる。
「さて、僕は君の質問に答えた。なら君も僕の質問を答えてくれるよね?」
「答えれることなら」
「そうあっさり言われると、質問もぱっと浮かばなくなるな……会話から察するに君とアンクレイ博士、二人は随分と親しいみたいだ。アリスを頼むぐらい間柄、過去に何があったのか気になるなぁ」
「そうだな、アンクレイ博士には昔、何かと世話になってね。それこそ、返しても返しても返しきれないほどの恩がある」
「君がそういうほどとは、相当なものだな。命でも救われたか?」
「まあ、近からずも遠からず。半分くらい正解かな?まあだから恩人みたいな人かな?」
「なるほどね。それにしても君とアンクレイ博士が知り合いと知った時は驚いた。彼女は友人どころか顔馴染みすらいないことで『賢者の天秤』では有名だったからね。まあ、娘を亡くしてから研究にお熱みたいだったみたいだし、当たり前と言えば当たり前なんだろうが。だからこそ君と親しく話しているアンクレイ博士の姿は新鮮だったよ」
「あの人は昔からそんな感じだったよ。研究ばっかしてたから」
冷たい空気が肌を撫でていく。
「さて、着いたよ。ここだ」
そう言って、ハージ・ジェルクは重い扉を押し開けた。
木製のその扉は錆び付いているのか大きな音を立てながら、地面に跡を残しながら開いていく。
完全に開き切った扉に、ハージ・ジェルクは先に入るよう促すように扉のそばにたち、軽く会釈し、エンリの方を眺めみた。
エンリは特に臆する様子もなく部屋の中に踏み入れる。
中は非常にシンプルだ。20メートル四方の大部屋。地面は大理石で天井は見上げるほどに高い。壁はシンプルな幾何学模様がいくつも書かれており、それひとつひとつが魔法、魔術、錬金術などの陣で、おそらく魔力等を流せば今でも使えるのだろう。
見た瞬間わかる古い神話時代の建築。
「パーティー会場にしては質素だな」
「あいにくどこの会場も空いてないって断られちゃってね。物足りない?」
「いや、十分だ」
そう言ってエンリは部屋の中央へと進み、ハージ・ジェルクは扉を閉め、歩み寄ってくる。
両者、3メートルほどの距離を空けて、立つ。
次第にさっきが部屋に満ちていく。それはハージ・ジェルクから出ているものであり、その手にはすでに剣が握られていた。
張り詰めた風船のようにいつ破裂してもおかしくない状況、何かのきっかけでこの拮抗が崩れ、戦闘が始まる気配があった。
「一応聞いておこうか、学者くん、大人しく負けて、アリスを渡してくれないか?」
「悪いな、恩人の大切な『娘』だ。頼まれた以上、死ぬまで面倒見るさ」
「そうか、残念だよ。君ほどの人間を殺さないといけないなんて」
「殺せるならな」
エンリは笑った。
瞬間、ハージ・ジェルクの四肢が弾け飛ぶ。文字通り爆散、いや内部から組織ごとに分離したという方が正しいだろうか。赤色が辺りに飛び散る。その光景は実にグロテスクでこう言った景色を見慣れない人間は簡単に気を失ってしまうだろう。
足を失い、腕を失ったハージ・ジェルクは抵抗することもできずに地面へと重力に引っ張られ落ちていく。ぶつかると同時に砂埃が舞い、鈍い衝撃が体全体を満たす。
瞬きをした。人間による0.3秒の生理的視覚の消失。抗いようのない生物としての行動である。この間、ハージ・ジェルクは世界を見ることのできない空白の0.3秒が生まれたことを意味していた。
その空白の0.3秒から解放され、視界に再び光が差し込まれた時、その頭上にはトランクケースが寸前にまで迫っていた。
そしてそれを直感が受け止めてはいけないと警告を発していた。
瞬き中に再生した手足を使い、腰を捻るように地面を蹴って、その勢いを利用し手で体勢を立て直しながら距離を取る。
エンリのトランクケースが地面を直撃する。圧縮された雷が地面を穿つ。音と衝撃が遅れてやってくる。地面に10メートルのヒビを入れ、その隙間からは吸収されきらなかった雷が嵐の日の雲のように雷を走らせている。その光景はさながら竜が雲の間を泳いでいるかのようである。攻撃の中心部はまるで薄氷でも砕いたかのように青白い雷を纏い瓦礫が宙を舞っている。
「避けるか……」
エンリはそう小さく漏らした。
ハージ・ジェルクは小さく冷や汗を垂らす。
何が起きたのか理解できなかった。認識した時には両手両足はなく、理解した時には地面に背中をつけていて、気づいた時には目の前に攻撃が迫っていた。避けれたのは偶然、たまたま運が良かったからだ。決して実力なんて言えたもんじゃない。
再び実感する。目の前にいる存在が今まであってきた魔法使い、魔術師、錬金術師とは一線を画す化け物だということを。
前回戦った時とはその強さの練度が違う。これは落ち落ち様子見もできない。攻めさせてはためだ。こちらから攻めないと。何もできずに終わる。
ハージ・ジェルクは再び剣を生成し、構える。
そして跳躍。足場を錬金術で押し出しなら前へ前へと加速していく。常人は愚か闘い慣れた人間でもその速度を見切ることは難しいであろう。風切り音よりも早く剣が振り下ろされる。それと同時に後方から鉄塊を錬成馬を超える速度で射出されたそれは優に人に致命傷を与える攻撃を力を有していた。錬金術による挟撃である。刃が肉を割く寸前、鉄塊もまた皮膚に触れる。
どちらかは確実に入るそんな確信があった。実際、寸前にまで迫った攻撃を避けることは難しいだろう。面攻撃の鉄塊がそばに迫ったのならもはや避けることを諦め、衝撃に備えるか、ダメージを受け入れるしかない。斬撃も同じである音速を超えた速度の剣を受けることができるのはそれこそ剣豪や剣聖、達人以上の腕前の世界である。
だがエンリにとってそれら二つの攻撃はさほどの問題ではなかった。
鉄塊が体にめり込む瞬間、天井からあまりにも神秘的で幻想的な銀に白の光沢を足した金属が鉄塊を文字通り押し潰した。
その金属にハージ・ジェルクは一瞬目を奪われる。おそらくその理由はその金属の色や特徴があまりにも三大金属の一つであるミスリルに似ていたからだろう。
そしてその一瞬の隙にエンリはハージ・ジェルクの手首を掴み取る。外に捻り回し、勢いを殺して剣を下へと向ける。ハージ・ジェルクは無理やり剣を振り上げようとするも、肘を砕かれそのまま剣を持っていた右腕を炎が駆け抜ける。血液に沿うように吹き出た炎はその皮膚を焼き、熱気だけで肺すらも焼いてしまいそうだ。地面に落ちた血液がぶくぶくと泡を立てて冷めていく。
ハージ・ジェルクは咄嗟に自らの右腕を肩から抉り落とす。質量任せの攻撃を自らに与え、沸騰した血液が全身に回るのを阻止したのである。後ろへ飛び退こうとするもエンリがその足を踏み、後ろへ引くことを許さない。
トランクケースを薙ぐように振り回す。それを頭を屈めて回避するハージ・ジェルク。それと同時にエンリはハージ・ジェルクの左膝を蹴り砕き、逆間接になったところをふくらはぎから足の甲までを魔法で楔を打ち込み逃げれないように拘束。
からぶったトランクケースの威力を殺さないように流れに身を任せ、そのままハージ・ジェルクの頭部を目掛けて蹴りを入れる。
エンリの足がハージ・ジェルクの頭部に触れた瞬間、その頭部を貫かんと12本の剣が生成される。
次の瞬間、ハージ・ジェルクの体は霧のように霧散。その姿を空間に溶かして行く。
そしてエンリから10メートルほど離れた位置に再び現れる。
「人体の気体化……前回見たやつか、実戦レベルになったんだな」
「僕は努力を惜しまないタイプの天才だからね。君に勝つために練習したんだよ。まあまさかこんな早くお披露目することになるとは思ってなかったけど」
「あんたは本当に錬金術師としては尊敬するよ。一学者としてね」
「君に褒めてもらえるなんて光栄だよ。学者くん。錬金術師でない人間にこれだけ好感を持てるのは生まれて初めての感情だ。悪い気分じゃない」
「そいつは良かった」
ハージ・ジェルクが剣をまるで指揮棒のように振るった。
岩の塊が大蛇のようにうねり迫る。地面にその体がぶつかりたび、砕け破片がそばを舞う。少しでも体にかすればそれは致命的なものになるのは目に見えていた。
しかしそれは常人の話である。エンリは自らの体を強化魔法で強化し、正面から打ち砕く。辺りには残骸が飛び散り岩山が出来上がる。大蛇に集中していた視線を前に向けると一本の大剣が鼻先にまで迫っている。音もなく飛んできたその大剣を咄嗟にトランクケースでガードし横へと逸らす。エンリの隣を通り過ぎた大剣は後ろの壁にぶつかり、轟音を鳴り響かせる。
そして再び視線を前に向けたとき、そこにハージ・ジェルクの姿はなかった。
周囲を見渡そうともそれらしき影はない。
エンリはハージ・ジェルクが再び気体化したと思い、あたりを風魔法で無理やり空気をかき混ぜる。しかしハージ・ジェルクは姿を表す気配はない。
下から感じた違和感に視線を落とす。
その瞬間、左足を掴み取られ地面の中に引き摺り込まれる。それと同時にハージ・ジェルクがどこにいたかを理解し、感嘆の声を漏らす。
三方向から爪のような岩が現れ、エンリのその体を貫かんとする。そして同時にハージ・ジェルクが地面からその姿を表す。その身を地面と同じ物質に変えて同化していたのだ。やっていることは体の気体化と同じ理屈だが、それをやろうとする発想と胆力は流石だと褒めざるおえない。普通の人間なら足踏みしてしまい実行にまで移せないだろう。
地面から現れたハージ・ジェルクの手には鉄板のような大剣が握られている。それを地面と分離する時の力を使えば上に掲げているだけでエンリの体を正中線に沿って切り裂くことができるだろう。
エンリは咄嗟に地面に向けて岩橙魔術で生成した小石を風魔法で加速、撃ち出す。打ち出された小石はハージ・ジェルクの脇腹と左肩に一個ずつ、一個は大剣へと当たり阻まれる。それにしても普通の鉄なら貫通するぐらいには加速したはずだが、どうやら奴の持っている大剣は特別性らしい。
拡張魔法<世界は私に気付けるか>
エンリを狙う3本の爪が歪な軌道でエンリを避け、頭上で打つかる。まるで3本は各々が支え合うように深くそして強くプレートのごとく上へと成長していく。
収縮魔法<私は世界に気付いてる>
エンリを避けた三本の爪が瞬間的に極同士が近づいた磁石のような挙動でぶつかりまるで体を地面に打ちつける魚のように他の爪に体をぶつけて、その形を崩し自壊していく。
崩れた破片がエンリとハージ・ジェルクに降りかかる。しかしそれを全く気にしない様子で二人は刹那の攻防を続ける。
ハージ・ジェルクが持った大剣と自分の体の間にトランクケースを挟み、それを右足で踏む。ハージ・ジェルクが地面から出てくる速度がわずかに鈍化する。その隙に、強化魔法で全身を強化、足を引き抜きにかかる。強化した足の耐久力を信頼し、強化した脚力で足を大理石の地面から引き抜くのだ。昔は真面目に丁寧に魔法を使って足を引き抜いていたが、今はこの方法が一番早いことに気づいてしまった。
小さくヒビが入ったのを確認するとエンリは、今なお自壊し続ける岩の爪の破片をかけ集め、天女が羽衣を操るように、岩の破片で川のような流れを作り、ハージ・ジェルクの方へと向ける。ハージ・ジェルクはその攻撃に角度の付いた壁を生成し、左右へと分け、錬金術で無理やり軌道を変えて、逆にエンリの方へと向けた。
しかしその攻撃を届くよりも早くエンリは、次の行動に移る。
先ほどまで踏んでいたトランクケースを一度、強く踏み込んだ。
その時、エンリが埋まっていた左足を大理石の地面を裂きながら、ハージ・ジェルクの脇腹へと蹴りを入れた。予想外の場所からの攻撃とトランクケースの方へと意識が向かっていたハージ・ジェルクはそれに対処することができず、もろに食らう。
ハージ・ジェルクの体勢が大きく崩れる。
トランクケースを弾き飛ばし、大剣を掴みとる。人間とは思えない力で大剣を掴み、引っ張るハージ・ジェルクは咄嗟に大剣から手を離す。
エンリはその大剣を地面に突き刺し壁代わりとして、ハージ・ジェルクが軌道を逸らした岩の破片から身を守る。破片が大剣に当たると甲高い音が鳴り響く。流石はハージ・ジェルクが作ったものだ。傷がつくどころかびくともしない。言いたい何をどうしたらここまで丈夫な大剣を作れるんだ。
大剣にぶつかった破片は火花を散らして砕けて辺りに飛び散る。
草蒼魔術で蔦を生成、少し遠くの方へ落ちたトランクケースを絡め取り、ハージ・ジェルクの足の前に置く。そして強化した足でトランクケースを思いっきり蹴り込む。
その時、肉と骨が破壊される音が部屋の中に響き渡る。地面からその体を分離中のハージ・ジェルクの足を破壊したのだ。苦悶の声が響く。エンリはその声を咎めるがごとく、ハージ・ジェルクの口を掴み取り、上へと引き上げた。
分離し切らない足が地面から無理やり剥がされる感覚は想像し難い苦痛だろう。
エンリは大きく振りかぶり、ハージ・ジェルクを投擲する。力任せに投げられたハージ・ジェルクは高速で錐揉みしながら壁へと近づいていく。空中で姿勢を何とか立て直し、大気濃度を弄る。それはエンリと初めて相対した時に彼の弟子たちが使っていた錬金術である。しかしこの錬金術は本来は天才であるハージ・ジェルクが一人で使用していたものである。
空気が弾ける音と共にエンリの体から血が流れ始める。その頃、ハージ・ジェルクは特に抵抗することもなく壁に激突、砂煙を上げて瓦礫が地面へと崩れ落ちる。
だが血液中の酸素が弾ける音は消えない。
後方から感じた殺気に、咄嗟に横に飛び退くエンリ。次の瞬間には、地面を抉るように二匹の大蛇が通り過ぎていく。いやその姿は大蛇というよりも口だけがついた地大蛇に近いだろう。その牙は金剛石で、その口は工業用の掘削機のように回転している。もし少しでもその牙に触れてしまったら、まるで渦に巻き込まれるように中に引き摺り込まれるだろう。体は幾層にも重ねられた金属。凍らされ砕かれないよう常に層が動き、編み込むように作られたその体は並の魔法使いや魔術師、錬金術師では傷をつけるのが精一杯だろう。傷をつけたところですぐに錬金術で再生されるのが落ちだろうが。
トランクケースを引き寄せ、一匹の地大蛇の口に放り込む。
トランクケースはまるで嵐の中に岩を放ったように異常な音を鳴らしながら地大蛇に飲み込まれていく。そして体感にして5秒ほど過ぎた時、トランクケースに付与された魔法が発動する。それはある種の禁忌にも近い魔法であり技術。すでに失われた神話の時代の遺物である。
生命脈動『食べるモノ』
何かが閉じられた地大蛇の口を打ち破るように中から現れた。それは形容し難い造形をしており、まるで植物が人間の姿を真似ているような不気味さと、動物の姿を真似しているような異様さがある。深緑のそれはあまりにも異形な姿で、言葉で表すなら血管のような植物だ。
化け物や怪物などではない。もっと別な何か、根源的恐怖を呼び起こすような存在。こいつが制御を離れ、一人でに動き始めた時、世界が滅びに一歩近づくそんな予感をさせる。明らかに正常なモノではなかった。
深緑のその何かはまるで地大蛇のその体に自らの触手のような植物のような管状の毛細血管としか揶揄しようのないそれを張り巡らせていく。その姿は侵食というよりも捕食とい言葉を使いたくなるような光景に思えた。
そしてその毛細血管が地大蛇の体を張り巡らされた時、それは無機物から有機物へと変わる。ただの好物だったものが複雑な遺伝子情報を持った捕食対象になるのだ。つまり名実ともに魔獣としての地大蛇になったと言える。もちろんすでにハージ・ジェルクからの制御から離れていた。
次の瞬間、毛細血管を張り巡らされた地大蛇はその体を打ちつけるようにのたうちまわり、周りを破壊して回る。地大蛇は今、生物となって初めて、感覚を会得したのだ。そして感覚を会得して最初に得た感覚は、痛み、であった。
地大蛇の体を突き破るように練り上げられた深緑の何かが現れる。その先端はまるで花のようで、それでいてまるで虎の口を真似したかのように鋭い牙が生えそろえられている。その花がついた深緑の中には次々と地大蛇の体を突き破り現れる。その口は一つとして同じものはない。まるで口という存在の見本市を見ているかのようである。
深緑の練り上げられた何かはその口を駆使して、地大蛇の体を食い破っていく。
その過程で、地大蛇はその初めて痛みという感覚に狂いに狂って、無機物としてハージ・ジェルクの支配下にあった錬金術で作られたもう一つの金属の地大蛇を食い殺した。その何層にも重ねられた金属を破り、その体を食いちぎるようにして、自慢のその口で捕食したのだ。生物となって初めての食事である。
エンリはその光景を流れる血を振り払いながら、ハージ・ジェルクの攻撃を適当にあしらいながら、横目で見ている。
それが現れてから30秒ほど経った時、何かの食事は終わり、血大蛇の中から一つの古びたトランクケースが姿を表す。
そこにあったトランクケースは何の変哲もない普通のトランクケースで何事もなかったかのように傷ひとつなく地面に落ちていた。
エンリはそのトランクケースを草蒼魔術で生成した蔦で引き寄せて、ハージ・ジェルクの方へ向き直った。
視線の先にはどこか堂々としたハージ・ジェルクが立っている。その光景に少しの違和感を覚えながらエンリは一歩を踏み出す。
体が揺らいだ。大きく体勢を崩し地面に膝を突く。
体に鉛をつけられたような倦怠感に、最悪な気分の吐き気、手足が痺れ思い通りに動かすことができない。
いつの間にか血液中の酸素が破裂していないことに気づく。
エンリはなるほど、と小さく苦笑した。
一酸化炭素中毒。体の中の二酸化炭素から酸素を取り出し、一酸化炭素に変えたのか。血液中の酸素を破裂していたのはそれに気づかせないためのブラフ。狙いは体に残った一酸化炭素で中毒症状を起こすことだったのだろう。
新鮮な空気を吸おうと、深呼吸をするも周辺の空気の大気濃度をいじられたのか、余計に息苦しくなる。
戦い慣れている。尊敬の念すら抱く。
「思うように体が動かないだろう?」
そうハージ・ジェルクが聞いてきた。
その手が青白く光輝く。
ーー<荷電粒子砲>ーー
その光であった。
決して距離を積めることはない。エンリから離れた位置で油断することなく狙っている。
「君と戦った日からずっと君を倒す方法を考えていた。正直、勝てるビジョンが浮かばなかったよ。あわよくばあの時撃った荷電粒子砲で街共々蒸発して欲しかったけど、そうはならなかった」
ハージ・ジェルクは力が入らなくなり手から落ちたトランクケースを錬金術で離れた場所から遠くへ移動させる。簡単には取れない距離だ。
「だからより考えた。君を殺す方法を。色々考えたんだよ、街の外から同時に荷電粒子砲を24砲撃つのとか、地盤破壊とか、『空呑の大錬金術』とか、まあどれも準備が終わるより先に軍に見つかりそうだったから諦めたけど。そもそも錬金術師は魔法使いと戦うのは相性悪いんだ。そ実力が拮抗してるなら、錬金術師が不利なのは覆りようのない事実でそれも君が相手となると、殺せる自信がなかった。初めてだよ。これだけ自身の弱さを痛感したのは。だから、指向を変えた。外部が無理なら内部から。正面切って勝てないなら、工夫で君に勝ろうと思ったわけだ」
なるほど、それでこれか大した才能だ。
普通の人間はその工夫で人の体の中で一酸化炭素を作って中毒を起こすなんて馬鹿げたこと思いつきもしないだろう。もし思いついたとしても実行できないだろう。それは人の体にある二酸化炭素を酸素と一酸化炭素に分けるなんて荒技、それこそハージ・ジェルクやアンクレイ博士のようの一流と呼ぶに足りる錬金術師にしかできない芸当だろう。それをこうも易々とやってのけるのだから、彼の才能は本当に本物と言わざるおえない。
「それじゃあ、さようなら、学者くん。君が生まれ変わったら、僕の弟子にしてあげるよ」
ああ、それは楽しみだ。
そうエンリは苦笑を浮かべた。
瞬間、眩い光が世界を包んだ。触れたもの全てを消しとばし蒸発、消滅させる錬金術最強の攻撃力を誇る荷電粒子砲による光によって。
その破壊範囲は到底避けれるものでも防げるものではなかった。
どれほど経っただろうか。荷電粒子砲による破壊の残響が治ったのは。
周囲のものはことごとくが蒸発し、先ほどまで程よい広さの部屋だったのが今や壁を消しとばし、数キロ先まで一つの部屋にしてしまっている。どうにか蒸発を免れたものも、瓦礫の山と化し、床の大理石は剥げ、今やその下に作られた三十四にも及ぶ魔法、四十二に及ぶ魔術、六に及ぶ錬金術、百五十六に及ぶその他多数の技術によって強固に作り固められた床の基礎が見えている。
その基礎もまた傷つき砕け、荷電粒子砲直下の最もその攻撃の余波を喰らい続けた部分は、抉るようにして次の階層にまで穴を開けてしまっている。上から下が丸見えだ。そしてこの状況がハージ・ジェルクの放った荷電粒子砲の威力を物語っていると言っても過言ではないだろう。
不意にハージ・ジェルクがその頬に冷や汗を流した。
この勝負本当にギリギリだった。
体内で生成された二酸化炭素を一酸化炭素に変えるのは戦闘が始まった時から始めていた。僕にかかればその二つを錬金術で変換することぐらいは造作もない。ただ、それをあの化け物としか言えない人間相手に気取られず、攻撃を凌いで、その牙を立てるというその行為は非常に精神をすり減らした。ただでさえ、普通はあり得ない人間の体内で錬金術で集中力を使ったというのに、それ上で体の気体化や地面に同化したり、かなり無茶をしたと思う。
正直、ここまで消耗した戦いは初めてだ。他の『賢者の天秤』のメンバーに話しても「大したことない」や「特に何もしてないじゃん」と馬鹿にされそうだが、あの男、学者くんと一度でも対峙した身としてはそんなこと言う人間の首を掴んで頭から剣山に投げつけたい。だが、これは相対しないとわからない感覚だろ。怪物と戦う人間というこの独特な感覚は。
それにしても途中から分離した時に出た酸素を破裂させて、意識を向けさせたのは、我ながらうまく一酸化炭素中毒の初期症状を誤魔化せたと思う。おかげで症状がかなり進むまで待つことができた。
途中投げつけられた時はどうなるかと思ったが、死ななくてよかった。
運が良かったと言えば、その通りだろう。決して実力だけでは勝てなかった。この戦いに勝利したことを一生の誇りにしたい気分だ。
張り詰めていた緊張が解けたのか、全身を襲う脱力感、小さく息を吐く。
周りはいまだに埃が舞って、視界が悪い。
しばしこの勝利に浸ろうか。
静かな時間、あまりにも静かで穏やかな時間だ。
こう言う状況をなんていうか知っているか?
『嵐の前の静けさ』って言うんだ。
まるで世界を二分するかの如く風が吹き抜けた。舞い上がった埃を裂き、視界が開ける。
男だ。ハージ・ジェルクの前に男が立っている。ほんの数十センチ先に黒髪の男が。
「どうした?幽霊でも見たか?」
「……ええ、今、目の前に」
「そうか、俺も会ってみたいものだ」
先ほど死んだはずの、この世には存在はずのない男、エンリが目の前に立っていた。
理解できない。だが理解できなくない。この男なら平然と立っていようと不思議じゃなかった。エンリにはそう思わせる何かがあるのだ。
エンリの手にはトランクケースをが握られており、反対には10センチほどのボンベが二本ついたマスクのような魔導具を持っていた。
ボンベには簡単に取り扱い方法と使い方について書かれている。
それは読むまでもなく理解できるほど簡単で、目の前に立っている男が自ら書いたのだろうと理解できるほど手書き感が溢れている。
おそらくこの魔導具は一酸化炭素中毒の応急処置のために作られた魔導具なのだろうと、絵から簡単に読み解くことができた。
エンリはその魔導具と握りつぶして、後ろに投げ捨てる。すると魔導具は飛んだ先に亜空間が生まれ、その中に吸い込まれていく。
一体、人生において何があれば、一酸化炭素中毒の治療ができる魔道具なんか持ち歩いてるんだ。普通の人間は絆創膏だって持ち歩かないと言うのに。そもそもどうやって荷電粒子砲を避けた。あの状態じゃ指一本動かせないはず。思考だって低酸素状態でまともにできなかったはずだ。
魔法や魔術で防いだか?亜光速の攻撃だぞ。人間が認識できる速度を優に超えてる。もし見えてから動いたのだとしたら僕はとうとう目の前の男を同じ人間として見れなくなる。ただでさえ化け物なのに、もしそうだったとしら、もはやそれは化け物なのではなく、何かそう言う存在だ。
「……一体、どうやって荷電粒子砲を避けたの?」
「ほらよ」
そう言ってエンリはハージ・ジェルクにポケットから一つの拳大の大きさのガラス製の容器を渡した。側面には多少、ごちゃごちゃした何かがついてるが、概ねジャムを入れておく瓶とそう変わりない見た目をしている。ただ一点を除いては。
瓶の中に入っているのは青白く光輝く、何かであり。それは今なお目を焼くような光を放っていた。
「まさか、封じ込めたのか?荷電粒子砲に使われた粒子を?」
「ああ」
「冗談?」
「事実だ」
「亜光速の攻撃だ。封じ込める前に体が蒸発する。そもそも体が反応できないだろ」
「知らないのか?空間の膨張速度は光速を超える」
「何を言って……まさか、あり得ない!」
ハージ・ジェルクが初めて明確に動揺した。
「空間を使って神経伝達したのか……?思考も情報も全て?」
「理解が早くて助かるよ」
エンリは簡単にそう言った。
空間を使用した神経伝達。本来、神経伝達は電気信号によって行わる。この際、行われる情報の伝達は人間としての限界が存在しており、それを超えることは絶対にない。これは努力でどうにかなる話ではなく。生物として限界が存在しているという至極当たり前のことである。その速度はおおよそ秒速100メートルほど、光の速度に比べれば亀とウサギと言って比べるのも烏滸がましすぎるほどの差がある。
それゆえに、人間は例えば光速で迫るボールを見た時、それが当たった瞬間になっても、まだ目の前にボールが迫っていることに気づいていないだろう。それどころか、ボールが視界に入る前の情報を処理している最中かもしれない。
これが人間の限界であり、光速を超えるものを認識するのは難しい。もちろん、時間を遅くしたり、自分の体を加速させて、光速に近づくなどして、光速を見切るものも少なくないが、そんな存在など世界に存在する人間の総数で見てみればわずか少数である。
だからこそ、エンリは神経伝達に空間を利用した。正確には空間魔法で生成した空間をだ。
世界にはいくつか光速を超えるものが存在しており、その一つが空間である。正確には空間の膨張速度というべきか。もしその空間に人間の脳機能や神経の情報、伝達を任せることができれば、それは紛れもなく光速を超える速度で動くことができるはずだ。
そして空間魔法を利用した神経伝達や脳機能は酸素を利用しない。魔力によって生成された空間のみでおこなわる。これはつまり、一酸化炭素中毒による低酸素状態であっても、その状態を無視して動くことができるのだ。まあ、もちろん、一時的に空間を利用して神経伝達等を利用しているだけで、実際の体は一酸化炭素中毒による低酸素状態であるのに変わりなく、すぐに治療しなければいけないのは変わりないが、それでもすごいことに変わりはないだろう。
そして空間を利用した神経伝達は光速を超えた速度での思考と行動を可能にした。
「それで諦めて投降する気は?」
「ないって言ったらどうなる?」
「何そんなひどいことにはならない。ただ弟子の隣で寝ることになるだけだ」
その瞬間、ハージ・ジェルクが剣を錬成する。
錬成した剣をそのまま振り上げようとするも、エンリが手の甲で剣を弾き、手首を掴み取って捻り、剣を奪取、適当な場所に投げて右足をハージ・ジェルクの股間を狙って蹴り上げる。壁を錬成してガードするも、その壁ごと突き破ってエンリの足はハージ・ジェルクに股間に直撃。下腹に響く鈍痛に小さく苦悶。
エンリはトランクケースをハージ・ジェルクの足に叩きつけて、骨を粉砕。体を一回転させ、薙ぐような踵蹴りがその脇腹を深く深く減り込む。その体はまるでオレ曲げられた鉄パイプのようだ。
横へ吹き飛んでいくハージ・ジェルクの腕を掴み、引き寄せる勢いをうまく使い、右腕でその腹を掌を捩じ込ませ、回転を加える。そして風魔法で体を回転させて、地面に向けて叩きつける。
受け身を取ろうとハージ・ジェルクは力を逃そうとする。しかしそれを咎めるように背中に加わる衝撃。蹴られたのだ。
地面を回り回って、全身を叩きつけながら10メートルほど吹き飛んだところで壁にぶつかりやっと止まる。
呼吸が浅く早くなっているのがわかる。肺に空気が送られるたびに全身が痛む。口からは血が溢れ出て、何年振りかに血の味を感じている。
立ち上がり前を見た時、紫電がそばまで迫っていた。咄嗟に横に飛び退き飛んできた紫電を回避する。そして感じる浮遊感、認識した時には体が空を飛んでいた。
一体何が起きた?それも理解できないまま、下を見る。そこにはハージ・ジェルクが落とした荷電粒子砲を封じ込めた瓶を回収しながら、トランクケースを投擲するエンリの姿があった。
迫り来るトランクケース。
ハージ・ジェルクは咄嗟に体を捻り、トランクケースを受け止めそのまま、体を縦に一回転させ、後ろへと受け流し、同時に体勢を立て直す。エンリからの追撃の様子はない。
空中で一度、落ち着き、大きく空気を吸った。その瞬間、体中が急速に冷えていくのがわかった。呼吸ができない。まるで体の中から凍りついてしまったように冷たく感じる。
そして何かが引き抜かれるような感覚と共に胸の中から複数の氷の結晶が飛び出てくる。
赤い鮮血が氷を伝う。
下にいたエンリがその氷をまるで引き寄せるかの如く、手を自らの方へよせた。その瞬間、氷の結晶が砕け、細かなカケラとなり、体を貫いていく。重力に引かれ地面に向け体が落ち始める。
炎法『饗宴舞台の羽衣天女』
まるでオーロラのような炎のベールが空間に現れる。その光景は煌びやかで羽衣を着た天女が踊る姿に見え、非常に美しい。しかしハージ・ジェルクはこの炎のベールに触れてはいけないと本能が囁いている気がしてならなかった。
体を捻り、必死にベールを避けていく。体を気体化すれば避けることは簡単だろうが、体を気体に変換した瞬間、体積が膨張し確実にベールに触れることになるだろう。何故か、気体であったとしても触れたくはない。
そんなことを考えながら落下していくハージ・ジェルクの腕が不意に炎のベールに触れた。そしてその瞬間に腕が炭化、表面の一部が灰となっていく。しかし不気味なことに痛みはない。むしろお風呂に入っているかのような心地よさがある。不思議な気分だ。
だが惑わされるなかれ、腕の炭化は触れた場所を出発点に徐々に徐々に上へ上へと登ってきている。その速度は決して早くはないが、確実にそして着実に体を焼き尽くすそんな予感があるのだ。
ハージ・ジェルクは他の部分が炎のベールに当たらないよう、すぐさま腕を切り落とし、地面へと着地する。
その衝撃で肺から血液が逆流、吐血する。先ほどと打って変わって、全身が妙に暑くほてっている。今こそ氷が欲しいくらいだ。
体の傷を錬金術で回復させようとするも、地面に戻ってきたハージ・ジェルクを歓迎するかの如くエンリが、縮地で距離をつめる。
腕を残った方の腕を掴み、氷のかけらによって傷だらけの胸にそっと手を当てた。
その状態はエンリにとってもハージ・ジェルクに取っても馴染み深いものであった。
撃ち抜くは魔力の波動。心の臓を撃ち抜くその攻撃は魔法使いの多くが護身術として習得し、多くの国が軍隊などで導入している攻撃方法。
ーー波魔ーー
凪いだ水面に石を投げ入れるかのような衝撃が撃ち放たれた。
コンマの世界で撃ち放たれたその攻撃は常人には認識不可能な速度で、掌から肉体へ、そして空間へと衝撃が波紋する。常人なら心臓を揺らされ、呼吸困難を引き起こし、すぐさま戦闘不能へと追い込む技。
魔法や魔術を使わない純粋な錬金術師であるハージ・ジェルクにはこの攻撃を逃れる術はない。
ただ一つを除いては。
そこには体を気体化し、攻撃を避けるハージ・ジェルクの姿があった。
その顔は2度もエンリの波魔を気体化により避けたことへのどこか自慢げな顔があった。
そしてエンリが静かに呟く。
「あんたなら避けると思っていた」
エンリは気体化したハージ・ジェルクの胸へと腕を突っ込んだ。
そして二人の行動が静止する。それはこの戦いの終わりを示していた。
「……これは僕の負けだね……」
そう小さく言った。
錬金術師として優秀だったがために理解できた。この状態は詰みである。
もしハージ・ジェルクが体を気体化させエンリの拘束から逃げようとすれば、錬金拮抗により妨害され、気体化した胸を戻そうとすればすでにそこに存在しているエンリの腕に貫かれる。そして体を気体化しているせいで、時間が経てば、気体は空気に流され再生が難しくなる。それに心臓が存在していないせいで、血液を回すこともできない。
明らかな敗北であった。
別に最後の足掻きをしてみてもいいが、この至近距離だ。目の前の男がその気になれば、僕の命などないも同然だろう。
「まあ君に負けるのは悪くない」
「そいつはどうも」
「そうだ、学者くん。君の名前を聞いていなかったな」
「アンクレイ博士が言ってたの聞いてなかったのか?」
「聞いていたさ。だが、僕は名乗ったに君は名乗っていないなんて、不公平じゃないか。それに錬金術師でもない君の名前を僕が覚えてあげるっていうんだから、逆に感謝して欲しいぐらいだ」
「負けたくせに生意気だな?」
「いいから早く。心臓がないから血液が全身に回ってないんだよ」
「……エンリ、好奇心に生き、進歩を求める一介の学者だ」
「エンリ……最低な名前だ。2度と口にしたくもない。まあ、頭の片隅に留めておくよ。それじゃあ、僕は大人しく弟子の隣に行くとしますか」
そう言ってハージ・ジェルクは気体化していた自らの胸を戻し、エンリの腕によって貫かれる。
「あんたは本当に優秀な錬金術師だよ。尊敬する」
エンリのその呟きが聞こえてかいなか、少しハージ・ジェルクが笑った気がした。
倒れていくハージ・ジェルクの体を支えながら、延命処置を施し、肩に担いで、静まり返った戦場を後にした。
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